みにくかったあひるのこ


小さいころ、僕は周りとはうまくやっていけない子供だった。原因のひとつには、周りとはあまりに違いすぎた容姿もあるのかもしれない。周りの子が綺麗な黄金色の羽を体に纏っていたのに対して、僕は薄汚れた色の羽を持っていた。ほかの子がかわいいオレンジ色の嘴なら、僕の嘴は先端だけが泥の色をしている。大きさだって違った。みんなコロンとして小さいのに、僕だけずんぐりむっくりとしている。そんな奇妙な僕のことを、周りの大人も子供も嫌ったし、僕も僕のことが嫌いだった。
 唯一、僕のお母さんだけは僕をかばってくれたけれど、結局僕のことを嫌いになってしまったようだった。お母さんは僕を見て溜息をつくようになってしまった。幼いながらに、お母さんが僕に対して失望していることがなんとなくわかった。僕の容姿に失望しているのか、僕の態度に失望しているのか、はたまた両方なのかは、よくわからなかったけれど。
 お母さんは綺麗な白い羽を持っている。周りの大人も綺麗な白。僕は兄弟とも大人たちとも似つかないどぶの色。きっとどこからか貰われた子なのだと思い始めたのは、うんと小さなころからだった。実際、それは間違っていなくて、大人になった僕は兄弟や大人たちをうんと追い越すくらい大きくて、周りの皆よりうんと綺麗な羽になった。新しくできた僕の仲間は、自分たちのことを『ハクチョウ』と呼んで、それから兄弟たちのことは『アヒル』と言うのだと教えてくれた。それから、僕はアヒルに育てられたハクチョウなのだと、アヒルからはハクチョウは産まれないのだと、そう仲間たちに教えてもらった。
 なら、僕の『本当のお母さん』はどこにいるのだろう。仲間たちに尋ねても、彼らは長くてすらっとした首を右へ左へ振る。渡りでいろんなハクチョウに会ったけれど、僕の『本当のお母さん』を知っている人はいなかった。
「いないのなら、探しに行ってみたらどうだい」
 群の中で一番大きくて立派なハクチョウがそう尋ねた。
「冬越しのときに、私たちよりもずっと遠くで冬を越す仲間がいる。彼らなら、ひょっとしたら知っているかもしれないよ」
 僕はその言葉に頷いた。ハクチョウはアヒルと違ってずっとずっと遠くまで飛べる。見つからないなら探せばいい。決断してすぐに僕は出発の準備をした。渡りの群を一羽離れることに、仲間は心配してくれたけれど、事情を話せばすぐに笑って応援してくれた。仲間の中で一番絵のうまいハクチョウが綺麗な地図を描いてくれた。僕はそれを丁寧に仕舞ってから、大きく羽を広げて飛び立った。
 道のりはとても遠い。高い山をいくつも越えなければならないし、とても一日やそこらで着きそうなところではない。幸い、冬越しでハクチョウが集まる時期よりもずっとずっと早くに出発したから、よっぽど迷わない限りはハクチョウが集まるまでには辿り着きそうだ。昼の間に空を飛んで、夜は茂みで羽を休めた。葦の茂みに蹲って眠ると、まだ小さいころを思い出して少しだけ胸が痛んだ。
 そうして飛び続けて三週間ほど。その日は飛び始めてすぐに嵐が来た。どんよりとした雲がたたきつけるような雨を降らせて、時折まばゆい光が雲の間を駆け抜ける。急ぎたい気持ちを抑えて、僕は森の中に降り立った。うっそうと茂った木々の間からは絶え間なく激しい雨が降り続いて、しばらく止みそうにない。丈夫なイトスギに身を寄せて、羽の間から地図を取り出した。そして大きく目を瞠る。あれだけしっかりと描かれていた地図は、雨でインクが流れてまったく読めなくなってしまっていた。
 雨を羽でぬぐっても、滲んだインクで羽が汚れるだけだった。どんどん降り続く雨で地図はもうただのぐしゃぐしゃになった紙になってしまい、来た方角も進むべき方角も完全に見失った僕は途方にくれた。冬越しの地はまだ遠く、そして僕がいた土地も遥か彼方。この時期にこんなところを通りかかる仲間なんていやしないし、仲間を待っていたら『本当のお母さん』に会えるのは来年になってしまう。
 どうしよう、どうしよう。僕は意味もなく翼をバタつかせた。水と同時に流れ出したインクが跳ねて木に飛び散る。しょんぼりと長い首を折り曲げて、もう一度だけつぶやいた。どうしよう。
「やぁ、やけに煩いと思ったら珍しい鳥がいるじゃないか」
 下を向く僕に降って来たのは低くて心地いい鳴き声だった。重たい首を擡げて上を見ると、相変わらず曇天の空から大粒の雨が降り落ちている。
「こっちだ。こっち」
 ばさばさとした羽ばたきの音のほうへと顔を向けると、雨宿りしていた木の上に、見たことのない鳥がいる。灰色の体に茶色の斑を散らした羽を何度か振ると、僕がこちらを見たのを確認して丸い首を傾げた。
「ハクチョウじゃあないか。どうしてこんなところにいるんだい。冬越しの地はもっともっと西だろう?」
「迷子になってしまったんです。僕は東の冬越しの土地から、訳あって西の冬越しの土地に行かなくてはならないんです。けれども」
「この雨で地図が駄目になってしまったのだろう?」
 僕はちょっと首を傾げた。この灰色斑の鳥は僕のことを見ていたのだろうか。すると、灰色斑は僕の仕草を見て低く笑う。
「別にずっと見ていたわけじゃないさ。私は、お前の羽ばたきの音で目を覚ましたのだからね」
「じゃあ、どうして地図が駄目になったって知っているんですか?」
「少し考えれば分かることさ」
 灰色斑は羽を畳んで、上品にその胸を張る。
「私は、他の鳥よりもよく物を知っている。君たちハクチョウの地図が、葉っぱの上に書かれていて、使っている葉っぱによってはすぐに雨でインクが流れてしまうことも知っているよ。東の冬越しの土地から来た、ということは、それなりに大きな葉っぱだったんだろう?大きな葉っぱは、雨で茎が折れてしまわないように水を弾くようにできているんだ。インクも簡単に流れてしまうさ」
 よどみなくそう喋った灰色斑は、気障っぽく片目をぱちんと閉じた。けれど、もう片方の目がちょっと引きつって、それは不器用なウインクだった。その様子に少しだけ笑ってから、僕ははたと思いつく。
「貴方はとても物知りなんでしょう?なら、西の冬越しの土地がどこにあるのか知りませんか?」
「あぁ、知っているさ。西の冬越しの土地も東の冬越しの土地も、その行き方も人間がどう呼んでいるのかもね」
「連れて行ってもらえませんか」
 まさしく渡りに船、否渡りに鳥とばかりに食いついた僕に、しかし灰色斑は難しい顔をする。
「それは少し難しいね」
「どうして?」
「私は渡りをしないからさ」
 灰色斑はイトスギから器用に飛び降りて、僕の足元に歩み寄る。思っていたよりずっとずっと小さなその鳥は、御覧、と僕と自分の体を羽先で示した。
「お前と私とでは体のつくりが違うんだ。あんまり長く飛んだら、私はきっと息切れしてしまうよ」
 そんなぁ、と僕は肩を落とす。あからさまにがっかりした様子の僕に、灰色斑は少しだけ慌てて、それからこう付け足してくれた。
「けれど、行く方向は教えてあげられる。そこまで気を落とさんでくれ。一先ず、今日は雨が休むまでこの森にいて、明日にはきっとなんとかしてあげるから」
 灰色斑の言葉に僕は力なく頷いた。それを見て、灰色斑は両の羽を打ち鳴らす。
「さぁ、こんなところに長くいたら風邪を引いてしまうし、雷もきっと落ちてくる。私の巣穴にお邪魔しないかい?お前には少し窮屈かもしれんが、何、少し詰めれば大丈夫さ」
 灰色斑はそういって、地面を蹴って飛びだった。灰色斑は最初とても速く飛んだが、僕のことを見て緩やかに速度を緩めてくれる。
「ずいぶん速く飛べるんですね」
「私たちは狩りをするからね。お前たちは草の根や茎なんかをよく食べるけど、私は虫や、ネズミやモモンガを食べるのさ。奴等はすばしっこいから、これくらい速くないとお飯にありつけないんだよ」
 そうこうしている間に、灰色斑の巣穴についた。洞窟をリフォームして作ったその巣穴は、灰色斑の抜けた羽で出来た素敵なカーペットがしいてあった。僕がそれを褒めると、照れくさそうに「掃除が面倒なだけさ」と呟いた。
 それから、いろいろな話をした。灰色斑はフクロウという種類らしい。とても賢いのは、昔灰色斑がとても頭のいいお嬢さんにお仕えしていたからで、その時に名前をもらったけれど、あんまりにも言い難いから誰もその名前を呼ばないという。
「灰色斑のほうが、ずっといい名前さ。何より、ぱっと言われて私だと分かりやすい。問題は、少し長いことかな。そうさな。マダラ、くらいだと短くていい」
 灰色斑、改めマダラはそれ以来ずっと上機嫌だった。僕はマダラにいろんなことを聞いたし、マダラもそれにいろんな答えを返してくれた。
「ねぇ、マダラは僕の『本当のお母さん』を知りませんか?」
「『本当のお母さん』、だって?」
 マダラは首を真横に傾げた。僕は、今までの事情をかいつまんで説明する。僕はもともとアヒルの子供だったこと。周りにいじめられて家を逃げ出したこと。気づけばハクチョウになっていたこと。あれこれを説明すると、マダラは難しい顔をした。
「私は、何でもを知っているわけではないからなぁ。残念ながら、そのハクチョウのことは知らない。けれど、どうしてお前は『本当のお母さん』に会いたいんだい?」
 そういわれて、僕ははた、と思い悩んだ。それからしばらく黙り込んで、思い浮かんだのはひとつの場景だった。
 周りとは違う、醜い僕に、お母さんは愛想をつかしてしまった。そのことが、僕は悲しかったのだ。お母さんだけは味方だと思っていたから。
「『本当のお母さん』なら、きっと僕に愛想をつかしたりしないと思ったから、かなぁ」
「ほぅ」
 マダラは低い声でひとつだけ鳴いた。
「私の知り合いに、渡り鳥がいる。小鳥だけれど、長い間飛べて、お前と同じように越冬をする鳥さ。そいつに道案内を頼もう」
「いいんですか?」
「あぁ。その代わり、条件があるよ」
「何でしょうか」
 それからマダラはまん丸な瞳をぱちりぱちりと数回瞬かせた。
「私も、その渡りに同行させてもらおう」


 翌朝、空は綺麗に晴れていた。すっかり旅支度を整えたマダラは、どこか興奮したような面持ちで僕の隣に並ぶ。
「本当によかったんですか?貴方は渡りはできないのでしょう?」
「できないよ。だけど、飛ぶ速度はおそらくそんなに変わらない。ちょっと休憩を多めに挟んでくれたら、多分渡りはできると思うのさ。……あぁ、来たね」
 来た、の言葉に僕は周りを見回す。どこかに誰かがいる気配はない。どこにいるのかと首を捻っていると、マダラは楽しそうにほぅほぅと鳴いた。
「足元をご覧」
 うんと首を曲げて足元を覗き込むと、足元に本当にその鳥はいた。僕よりうんと小さくて、本当に渡りができるのだろうかと不安になるくらい華奢な体をしている。
「ツグミさ」
「ツグミ……?」
「ツグミのミは群れる、という意味なんだがね。こいつは変わったツグミであんまり群れたりしないのさ。一匹で気ままに冬を越す。だから色々な所に行ったことがある。道案内には最適だろうよ」
 ツグミは僕を見て、挨拶をするように軽く頭を下げた。僕も曲げた首をもう少し曲げておじぎをする。
「西の冬越しの地に行きたいんですって?」
「はい」
「事情はそこのフクロウから聞いているわ。マダラとかいうお洒落な名前まで貰ったそうじゃないの」
 ツグミは女の子のようだった。けれど、ハクチョウの群れの中にいたどんな女の子よりつっけんどんとしていて、マダラが変わっている、と表現した理由がなんとなく分かった。僕が頷くと、ツグミは肩からかけた小さな鞄から、うんと小さな、けれどとても精巧な地図を取り出す。
「今、私たちがいるのがここ。冬越しの土地はここよ」
「ほほぅ、思っていたよりも近いな」
「私が全力で飛んで、多分三日もかからないでしょうね。けれど、今回は貴方というお荷物がいるわ」
 皮肉るようにそう囀るツグミに対して、マダラはひょいと肩をすくめた。
「なるべく休憩を挟まないように善処するさ」
「いざとなれば、僕が乗せて飛びます」
「お願いするわね。こう見えて、こいつって結構おじいちゃんだから」
 そう茶目っ気たっぷりに笑うツグミは、小さな翼を大きく羽ばたかせる。
「さっ、行きましょう。時間が惜しいわ」
「そこまで急がなくても、冬越しまでまだ時間はありますよ」
「馬鹿ね。人探しをするんでしょう?西の冬越しの土地はとってもたくさんの鳥が集まるのよ。シーズンが始まってしまったら、探すのはとっても骨が折れるもの。早いうち、早いうちよ」
 せっかちそうなツグミはばさばさと翼を羽ばたかせて、あっという間にとびだってしまった。あわてて後を追う僕たちを振り返り振り返りしながら。やっと横に並ぶと、ツグミは競走をするようにぐんと速度を上げた。
「久しぶりに誰かと旅をするのを楽しんでいるんだろうよ」
 マダラと僕は、眩しそうに微笑んだ。


 ツグミの言うとおり、僕らの旅は三日足らずで終了した。これだけ早く旅が終わった最大の要因は、マダラがへろへろになっても、ツグミが叱咤して飛ばせたところにあると思う。僕がマダラを背中に乗せたことは、結果的に数回しかなかった。
 冬越しの土地にはまだ数えるくらいしか渡り鳥は来ていないらしい。ツグミの仲間はもちろん、僕の仲間も、ハクチョウもいなかった。その土地に元々から住んでいる鳥たちは、僕たちの姿をものめずらしげに見た。ツグミが先導するようにして低空を飛んで、それをマダラが追いかけ、僕は走って追いかける。
「この先に、色々な種類の渡り鳥がいっぱい集まるところがあるの。そこなら、情報が見込めると思うわ」
 そして、そこはツグミの宣言どおり、本当にたくさんの種類の鳥がいた。まだ数は少ないのだけれど、とツグミは残念そうに言ったが、それでも湖面の半分ほどに色とりどりの鳥が並んでいる。そこには、僕が探してやまなかったハクチョウの姿も少ないながらもあった。
 けれど、ハクチョウを相手に僕の『本当のお母さん』を尋ねてみても、周りは知らないと首を振る。
「卵がアヒルの巣にあるなんて、悪いけれど考えられないよ。ハクチョウはとても子供思いの鳥だからね。卵を手放すなんてありえないことなんだ。ひょっとしたら、君のお母さんは不幸にも君が生まれる前に亡くなってしまったのかもしれない……」
 優しそうな目をした、頭のいいハクチョウのお兄さんは、そこまで続けて言葉を切った。僕は呆然として考える。『本当のお母さん』が死んでいるかもしれないだなんて、僕はそんなこと頭の片隅にも置いていなかったのだ。どこかに『本当のお母さん』がいて、きっと僕を優しく迎えてくれる。そう信じていたから。なら、僕はどこに行けばいいんだろう。何も考えられずにしょぼくれる僕に、ツグミは明るい声を出した。
「まだそうと決まったわけじゃないわ。落ち込むのは全部終わってからよ。さ、次は別の鳥にも話を聞いてみましょう。渡り鳥より、ここにずっといる鳥のほうが情報通だったりするかもしれないしね」
 ツグミはそういって短い足をせかせかと動かして歩いていく。あわてて後を追う僕を、マダラがほぅほぅと鳴いて励ましてくれた。
 そうして、色々な鳥に聞いて回って、もう夜が更けるかというころ。今日はこの鳥を最後にしようと話しかけた鳥は、僕の話に首をかしげた。
「ハクチョウってなんだい?」
「白い鳥のことさ。ちょうどこの子のようにね」
 ハクチョウを知らないその鳥は、しばらく唸ってひとつ思い出したように頷いた。
「あぁ、いなくなった子供を捜している白い鳥なら、聞いたことがあるよ。ここから少し南にいった村の水辺に住んでいてね。人伝いに聞いた話なんだが、不注意ではぐれてしまったそうなんだ。僕が聞いたのは数年ほど前だったかな。もう見つかっているかもしれないけれど」
 その言葉にツグミはぱぁっと顔を輝かせた。
「きっとその鳥に違いないわ!さっそく行ってみましょうよ!」
「まぁ、待てツグミ。ひょっとしたら違うかもしれない。ここに来たハクチョウにも話を聞いて、渡りのシーズンが終わってから会いに行けばいいさ」
 興奮するツグミをどうどうと宥めて、マダラはそう冷静に言った。一瞬不満げな顔をしたツグミだったけれども、すぐに納得したような表情になってひとつ頷く。
「そうね。そうだわ。当事者でもないのにきゃあきゃあ叫んじゃってごめんなさいね。とりあえず、この冬はここで乗り切りましょうか」
「乗り切りましょうって……ツグミはいいんですか?ここで冬越しをしても」
「乗りかかった船よ。それに、気になるんですもの。『本当のお母さん』」
 あっけらかんと言い放って、ツグミはマダラに微笑みかける。
「それは貴方も同じでしょう?それよりも、おじいさんは大丈夫なの?貴方が住んでいるところよりも少し冷えるわよ、ここ」
「なぁに、多少の無茶くらい大丈夫さ。私はまだ若いんだからな」
 ツグミとマダラは軽快にそう言葉を交わしながら踊るようにその場を離れていく。僕もすぐにその後を追いかけた。
 二人がここまで協力してくれているのだ。きっと見つかるはずだと、そう心から思った。


 事態が動いたのは、冬越しの土地に本格的に渡り鳥が到来し始めて二週間後のことだった。相変わらず聞き込みを続ける僕たちに、話しかけるハクチョウも増えてきている。
「君によく似ているハクチョウを見つけたんだ」
 そう教えてくれたのは、親身になって話を聞いてくれた、あの頭のいいハクチョウだった。
「僕の近くにいる群れにいるんだけれどね。首のカーブの形が君にそっくりなんだよ」
「……ねぇ、マダラ、わかる?」
「……いや、さっぱりだな。曲がり方が違うのか……?」
 小声でささやきあうツグミとマダラをさっぱり無視して、頭のいいハクチョウは続ける。
「本人にも聞いてみたんだけれどね、テレビを見て驚いていたよ。本当にそっくりだってね。だから、君が『本当のお母さん』を探している話をしたら、ひどく同情してね、一度話を聞いてみたいと言っていたんだ。あぁ、いたいた。あの鳥だよ」
 その鳥は、僕に比べていくらか小さかった。それから、僕よりも年をとっていた。きれいなカーブを描く首は確かに僕の反り方とそっくりだ。その鳥は、僕を認めるとかなり驚いたように目を見開いて、それから一歩ずつこちらに近づいてくる。
「やぁ。これが話していたハクチョウだよ。どうだい、なかなかに君に似ている」
 どこか得意げにそう笑う頭のいいハクチョウに小さく頷くと、目の前のハクチョウは軽くお辞儀をした。
「丁度、話がしたいと思っていたの。でも、ここではできない話だわ」
 挨拶もそこそこにそう切り出したハクチョウに、返事をしたのは僕ではなくてマダラだった。マダラはまるでわかっているというように深く頷き、それから低い声で鳴く。
「この奥に、あまり鳥が来ない公園がある。話はそこでどうだい」
 その言葉に、ハクチョウは深く頷いた。それから僕のほうを一瞥する。
「……?」
 いきなり見つめられて、僕は少し困惑した。彼女の考えがまったく読み取れない。どうして場所を移すのだろう。そんなことをぐるぐると考えているうちに、彼女のほうから視線はふいと逸らされた。
 何故だかとても悲しくなった。
 移動中は、珍しく誰も口を開かなかった。あのお喋りなツグミですら、一切口を開こうとせず、ただ僕の隣をゆっくり飛ぶだけだ。先導をするマダラは、こちらを一度も振り返らない。この旅で初めての沈黙に、居た堪れなくなった僕だけれど、口を開く勇気は出なかった。あの後から、彼女が僕を見ることは一度もない。
「それで、話って何なの?」
 冬になって、うっすら氷の張った池の近く。木製の柵にツグミは足をかけて、短くそう尋ねる。
「貴方が『本当のお母さん』を探している話を聞いたから」
「じゃあ、もしかして、貴女が『本当のお母さん』なんですか?」
「いいえ、違うわ」
 間髪入れず返された答えに、僕はしゅんとする。
「けれど、私は貴方の『本当のお母さん』を知っている」
「本当に!?」
 嬉しそうに叫んだのは、僕ではなくてツグミだった。「本当よ」とハクチョウはツグミに首肯する。
「僕の『本当のお母さん』は、どんな人なんですか?今は、どこに?」
 それから、一瞬ハクチョウは言葉に詰まり――一呼吸おいてから、厳しい表情になりこう告げた。
「貴方は、いえ、貴方と私はね、『本当のお母さん』に捨てられたのよ」


 昔、西の冬越しの地には、それはとても美しい雌のハクチョウがいた。首の描くカーブといい、澄んだ瞳といい、純白の羽といい、百羽のハクチョウが百羽とも美しいと褒め称えるハクチョウだった。
 そんなハクチョウが、ある日卵を二つ産んだ。相手は、ハクチョウの中でも五本指に入るほど大きな群れのリーダーで、仲間と財も多く、群れを統率する力も高かったが、ほんの少し独善的で、自尊心も高かった。それを欠点と見る者もいたが、その二つが群れのリーダーとして必要な素質であることは疑いようもなかった。
 ある日、雌のハクチョウは雄のハクチョウからの誘いを受けた。
「自分の群れの一員に入らないか」
 それを雌のハクチョウは丁重に断った。雌のハクチョウにとって、今の群れは確かに雄のハクチョウの群れよりも小さいが、それ以上に仲間との繋がりが深く、そして居心地のいいところだったからだ。
 それを聞いた雄のハクチョウはさらに言葉を重ねた。
「この群れのどこが気に入らないのか」
「貴方の群れが気に入らないわけではありません。今の群れが心地いいだけ」
「それなら、お前の群れを纏めて俺の群れに加えてやろう。それならば文句はないだろう」
 その言葉にも雌のハクチョウは首を横に振った。
「この群れはこの大きさだからいいのです。大きくなりすぎると、かえって仲間同士の親密な触れ合いが減ることもありましょう」
「ならば、俺の群れを小さくしよう。それならばどうだ」
 雌のハクチョウは首を横に振り続けた。
「それは私が求める群れではありません。仲間が違いますので」
「なら、俺がお前の群れのリーダーとなろう」
「貴方は小さな群れのリーダーで納まる器ではありません。いずれ、群れは大きくなるでしょう」
 雄のハクチョウがいくら提案を重ねても、いくら言葉を紡いでも、雌のハクチョウは決して首を縦には振らなかった。
 ある日、雄のハクチョウは雌のハクチョウに尋ねた。
「お前は俺が嫌いなのか」
 雌のハクチョウはただ答えた。
「嫌いというわけではありません」
 雄のハクチョウは、その言葉を肯定と取った。
 冬越しの期間を過ぎれば、雄のハクチョウは彼女と離れ離れになり、またしばらくは会えなくなる。その間、雌のハクチョウがつがいを作らないとは限らなかった。
 ハクチョウは一生同じ伴侶と暮らす。そうなれば、あの雌のハクチョウが雄の群れに入ることはなくなる。
 しばらく考えて、雄のハクチョウは一つの結論を出した。
 無理やりつがいになってしまえばいい、と。
 わずか二つの卵は、冬越しの期間が終わるギリギリで産み落とされ、それを前にした雌のハクチョウは大いに悩んだ。
 冬越しの期間が終わると、雌の群れも雄の群れも別の土地へ移る。卵を抱いて飛ぶことのできないハクチョウは、必然的にここに残ることになり、次の冬までの長い間を、たった一人で生きることになる。
 そんな雌のハクチョウに、雄のハクチョウはこう声をかけた。
「お前がもしその卵を孵すのなら、俺の群れはここに留まろう」
 雌のハクチョウの群れは、すまなそうな顔でこういった。
「私たちの群れは大きくない。次の冬までここで生き延びるのはきっと難しいだろう」
 雌のハクチョウは短い期間、卵を抱きながら悩み続けた。
 雄の群れに入り、望まずの一生を送るか。
 或いは。
 雌のハクチョウがとったのは、後者だった。
 生まれるはずだった子供のせめてもの供養として、二つを見つかりにくいばらばらのところに隠して、雌のハクチョウは飛びだった。
 そして、二度と西の冬越しの地に降り立つことはなかったという。


 そこまで語り終えた、僕によく似たハクチョウは、とても冷めた表情をしていた。
「私は、たまたま通りかかったほかの小鳥の群れに温めてもらって孵ったの。貴方が探している『本当のお母さん』が、本当に私のお母さんと一致するかはわからないけれど、多分同じ鳥だと思うわ」
「そんな……」
 言葉を失うツグミが、眉間に小さなしわを刻んだ。
「それで、そのハクチョウはどこの群れにいるかはわからないのか?」
「分からないわ。けれど、きっと別の鳥とつがいを作って、別の子供に囲まれているのだろうとは想像できるわね。雄のハクチョウ――父にはあったことがあるもの。隣には別の雌のハクチョウがいたわ」
 僕はというと、あまり言葉を発することもできずに、呆然とそこに立っているだけだった。立っているという感覚もどこかおぼろげだった。
 お母さんだけじゃなくて、『本当のお母さん』まで僕のことを捨てていたのだ。
 悲しいを通り越して、どこか滑稽ですらあった。
 誰にも望まれていないのに、どうして僕は生まれてきたのだろう。
 こんな思いをするくらいなら、
 西の冬越しの地で、卵のまま、凍り付いてしまえばよかった。
「気をしっかり持たんか」
「そうよ。たとえその鳥が『本当のお母さん』だったとしても、そんなのはもう関係ないじゃない」
 ツグミが明るくそういってくれたけれど、僕の意識はどこかふわふわと浮かんでいた。地面に足をついているはずなのに。
 そんな僕の思考は、突如として墜落するように地面に落ちた。
「……南へ」
 南へ行こう。
「南ですって?南に何があるというの?」
 ハクチョウは首を傾げ、ツグミとマダラも一瞬顔を見合わせる。
「……あぁ!思い出した!少し南に行った村だな?」
「うん。そう。そこなら、きっと、もしかしたら、本当に『本当のお母さん』に会えるかもしれない……」
「どういうこと?」
 首を傾げるハクチョウに、マダラが短く説明した。
 南の村に、いなくなった子供を探す鳥がいるということ。
 それが白い鳥であるということ。
 もしかしたら、僕たちの『本当のお母さん』が罪悪感から探しているのかもしれないと思ったこと。
「ねぇ、どう?貴女も一緒に探さない?『本当のお母さん』。女の子が増えると私はうれしいのだけど」
「残念だけど、遠慮しておくわ」
「どうして?」
 ツグミが首を傾げると、ハクチョウは優美に微笑んだ。初めて見たハクチョウの笑顔は、とても綺麗だったけれど、どこか幸せそうなものだった。
「私は『本当のお母さん』なんて要らないもの。たとえ偽物のお母さんだとしても、私にはこんなにたくさんの家族がいるのよ」
 小さな囀りが上空から聞こえた。それは、ハクチョウとは全く違う種族の、渡り鳥ですらない小さな鳥達だった。
「私からも誘わせてもらうわ。貴方、この冬越しの地にずっといる気はないの?」
 それは、仲間として暮らさないかという質問でもあり、家族に戻らないかという質問でもあった。
 僕はしばらく上を見上げて、それからゆるゆると首を動かした。
「今は遠慮しておきます。僕はもう少しだけ『本当のお母さん』を探す」
「そう」
 ハクチョウは短く答えると、長い首を上に向けて、それから僕らを振り返った。
「じゃあ、私はそろそろ行くわ」
 助走の体制に入ったハクチョウが、最後にもう一度僕を振り返った。
「会えて嬉しかったわ。貴方が私の本当の兄弟かどうか、確かめる術はもうないけれど、それでも、私は貴方に会えて、この話を伝えることができて良かったと思ってる」
「うん。僕も、貴女に会えて本当によかったです」
「最後に一つだけ。貴方がもし『本当のお母さん』に会えなくても、今の貴方は、何も寂しがることなんてないわ」
 それだけ言うと、ハクチョウは、僕の姉か妹であるその鳥は、力強く空へと舞い上がった。薄暮の迫る空は、ほんのり紫色に染まっているのに、どうしてか眩しくて僕は目を細めた。


 南の村は本当に近くて、今度はマダラを背中に乗せることもなく、一日もしないうちに着いた。この村で一番の大きさらしい池の近くに着いたけれど、ハクチョウの姿は僕以外にない。
「まだ誰も来ていないんじゃない?」
 明るくツグミがそう笑った。
「それよりも、聞き込みよ。聞き込み!」
「ふむ、このあたりの鳥は皆小柄で数も少ないが、情報を集めるに越したことはない」
「何、素直に賛成って言えないの?これだからおじいちゃんってやぁね」
 けらけらと笑うツグミがマダラをからかうようにそういって、僕も少しだけ笑った。
「ねぇ、ツグミ。マダラって何歳なんですか?」
「さぁね。私が生まれるころにはもう居たからおじいちゃんよ」
「じゃあツグミって何歳?」
「レディの年齢を軽々しく尋ねるものじゃないわ」
 じゃあどうしてマダラをおじいちゃんと言い切れるのだろう。複雑な表情を浮かべるマダラが実は僕たちとあまり歳が変わらなかったら、と想像して、僕は何だか哀れに思った。
「そうだとしたら、相当老け込んでるってことよ。どちらにしろおじいちゃんじゃない」
 マダラががっくりとうなだれるのを見て、僕はもう笑っていいやら嘆けばいいやら、とにかくマダラの背中を翼で優しくたたいておいた。
 村に来て数週間。聞き込みを続けるが、ハクチョウが子供を探しているという話は全く入ってこない。時々、情報通のカラスが話を聞きに来た。僕の代わりに、マダラが慎重に情報を伝えると、彼らはいろいろな仲間に吹き込んで情報を探してくれたけれど、結局情報はゼロだ。
 そんなある日のことだった。
 その日は朝から雪が降る日だった。マダラとツグミは雪に埋もれてしまうからと、申し訳なさそうに人間の家の屋根の下に身を縮めて入っている。僕は大きいから雪の中にいてもしばらくは平気だし、人間の屋根を借りると目立ってしまうから、いつも通り池にいた。
 そんな中でも、僕は時折現れる水鳥に話を聞いたり、カラスの話に耳を澄ませた。雪が降る村はいつもより静かで、鳥の声はよく聞こえる。目を閉じて耳を澄ませていると、聞き覚えのある鳴き声がした。
 池の柵の近くを一直線になって歩くのは、ひよこの群れだった。黄色いお尻を右左と揺らしながら行進を続けるひよこに目を細める。そのうち、一番後ろのひよこは、他より小さくて、周りの兄弟より遅れ気味だった。
 必死で追いかけるけれど、どんどん引き離されて、とうとう一匹になってしまったひよこに、僕はなんとなく近づいた。やぁ、こんにちは。声をかけようと準備をしていたところに、その子のお母さんが現れて、嘴でその子をつまみ上げて行ってしまう。
 向こうを見ると、沢山のアヒルが卵を抱えていた。生まれたばかりのひよこもいた。小さな卵を抱えるアヒルたちの表情はとても柔らかくて、くすぐったいような、切ないような、妙な気持ちで僕はそれを眺める。
「あらまぁ、ハクチョウさんだわ」
 そうしていると、下のほうからしゃがれたおばあさんの鳴き声がした。視線を下に向けると、歳をとったおばあさんのアヒルがこちらを見上げている。
「珍しい。こんな村へようこそ」
「こんにちは。あの、ここで子供を探すハクチョウの話を聞きませんでしたか?」
「いやぁ、聞かないわねぇ。ごめんなさいねぇ」
「いえ、僕のほうこそすみません。変なことを聞いて」
 頭を下げる僕に、おばあさんは朗らかに笑う。
「何も変なことじゃありませんよ。そうだ、ハクチョウといえば渡りをするんだったわね。なら、いろいろなところを旅しているの?」
「はい。東の町から、ずっとずっと飛んで、西の森から、西の冬越しの地に行って、それからここに来ました」
「まぁ、随分と遠くから……なら、私の話を聞いてもらえるかしら」
 一拍おいて、おばあさんは話し始める。とても柔らかな、でも悲しそうな顔で。
「私もね、鳥を探しているんですよ。私の子供なんです。ひょっとしたら私の本当の子供じゃないかもしれない。いつの間にか巣にあった、とっても大きな卵から孵ったの。他の子よりもとっても大きな体だったけれど、他の子よりも甘えん坊で、私が頭を撫でると、それはとっても嬉しそうな顔をしたんですよ……
けれど、羽が他の子達よりちょっと違って灰色をしていてね。それが原因で兄弟たちにもいじめられて。私も止めていたんですけれど、ある日、つい言ってしまったんですよ。『いっそ、どこか遠いところに行ってくれたら』って。
そうしたら、次の日本当にいなくなってしまったの。ずっとずっと探しているんですけれど、どこにもいないの。随分ひどいことを言ってしまったと、ずっと後悔しているんです。あの子は私の子供なのに、母親がそんなことを言ってしまったら、あの子はどんなに傷ついたことでしょう。
だからね、ハクチョウさん。灰色の羽をした鳥が、もしかしたらもう灰色ではないかもしれないけれど、出会ったら言ってあげてほしいんですよ。『とてもひどいことを言ってしまったけれど、お母さんは貴方のことを変わらず愛しているんですよ。きっと、この村に一度は帰ってきて、お母さんに顔を見せてくださいね』って」
 そこまで言うと、おばあさんは照れ笑いを浮かべた。僕がしばらく黙っていると、おばあさんは思い出したように僕に言う。
「大きな卵でしたから、温めるのも一苦労。他の子達より大きな子だから、餌を沢山あげないといけなかったし、育てるのにもとってもとっても苦労したの」
「でも、『本当の子供』じゃないかもしれないんでしょう?」
「そんなの、関係のないことですよ。あの子は私が温めて孵して、私が大切に育てた子供。本当の子供であるか、ないかなんて、まったくもって些細なことなんですよ。私はあの子の母親。母親が子供を育てるのなんて、当たり前のことで、そこに本当か偽物かなんて議論は必要がないの」
 優しそうな瞳で、おばあさんはそう言うと、不意に顔を上げて太陽を見た。
「あらやだ、もうこんな時間なのね。じゃあ、きれいなハクチョウさん。宜しくお願いします」
 おばあさんは、少しよたよたとした歩き方で巣に戻っていく。僕はそれをしばらく見つめて、それからほんの少しだけ項垂れた。
 次の日の朝、マダラとツグミに僕は言った。
「本当のお母さんを見つけたよ」
 そうしたら、きっとマダラもツグミも驚いて、どこにいたのか、どんな人だったのかと矢継ぎ早に尋ねた。
 僕は小さく笑って、翼で示す。
「身長はこれくらい」
「そんなに小さなハクチョウなんているのか?」
「ううん、ハクチョウじゃないんです」
「どういうこと?」
 不思議がるツグミに反して、マダラは柔らかい笑顔を浮かべた。
「そうか。ハクチョウではなかったか」
「うん」
 マダラは、ひょっとしたら僕に会ってからずっと、こうなることを知っていたのかもしれない。満足そうにうなずいたマダラは、僕の背中をゆっくりと押した。
 遠くに、昨日会ったアヒルが見える。もうあんなに腰も曲がってしまったけれど、優しそうな眼は変わらない、僕のただ一人の。
「お母さん」


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