蛹になれない私のお話


 私達は何と戦っているんだろう?
 たとえばテレビの中の国会中継。たとえばマスコミの掌返し。たとえば掲示板の叩き合い。
 身近な情報端末から流れ出る数多の戦争に辟易しながら、そっとスマートフォンの電源を落とした。それでも手放せないのはどうしてだろうなぁ、なんて思いながら。
 ブランド物の洋服を身に纏って、ナチュラルだけど手の込んだメイクをして、360度どの方向から見ても隙の無い女性たちがいっぱいだ。涙は女の武器、かわいい服とメイクは女の鎧だと誰かが言っていたけれど、ならば彼女たちはそれらを纏っていったい何と戦うんだろう。
 オフィス街の真ん中に学校があるおかげで、所謂「大人」は沢山見てきた。見飽きるほどに見てきた。たった数年しか生まれる時間に差異がないのに、それだけで別の生き物に見えてくる。きっと彼らもそうなのだろうな、と思った。スーツとビジネスバッグの群れの中に、制服と学生鞄の姿は酷く浮いている。ファンデーションとチークが塗られた顔は、私の少しニキビが浮かんだ顔とは違う。私の眼鏡で囲まれた目と、マスカラとアイシャドーで縁取られた目が合うときに、一瞬異質なものを警戒するように背筋が延びるのは何故だろう。
 「子供っていいわね」が口癖だった近所のお姉さんも、大学を卒業してあっという間に大人になった。高校生の彼女が私を評する言葉はいつもそれだった。それが「高校生っていいわね」「若いっていいわね」に変わったのは何時だろうか。
 お姉さんは、私が気付いたころにはすでに大人になってしまっていた。まるで青虫がいつの間にか蝶になるように。地味で誰からも見向きもされなかった幼虫も、気づけば皆の視線を集める綺麗な羽を持つようになる。お姉さんは何時から蛹だったのだろう。私は何時蛹になるんだろう。
「大人になりたくないな」
 誰かが言った。誰かがそれに同意する。大人になんかなりたくない。大人になんか。私たちが戦ってる相手は大人なのだろうか。
「相容れないものを敵対視するという点においては、間違っていないのかもしれないわ」
 駅前のオープンカフェがここまで似合う女子高生がいるのだろうか。周りの高校生とは明らかに一線を画する。白くてほっそりした指先で憂い気に緑色のストローをつまんで、かわいらしく首を傾げる彼女は、間違いなくすでに蛹だった。
「そうなの?」
「二十歳以上の人間は十九歳以下の人間を受け入れないじゃない。飲酒・喫煙・参政権・結婚においてもね」
「結婚はできると思うけど……」
「父母の同意なしではできない。誰かの同意がなくちゃ結婚できないって、つまりに十歳以上の監視下にあるってことでしょ?」
 中学校の公民で、そういやそんなこと習ったっけなぁ、と薄ぼんやり思い出す。公民なんて何年触れてないだろう。私の選択した社会科目は歴史ばっかり。政治や経済は数学を使うから苦手だ。
「数学って言ったってそんなに難しい計算しないじゃない」
「数字アレルギーだから」
「そんなんでよくこの学校受かったわねぇ。一応県下最難関なんだけど」
 呆れたように作った笑顔はやっぱり隙がない。いい匂いのするリップクリームに彩られた唇が妙に煽情的で心臓に悪い。これを理解して使うようになるのかと思うとなんだか悲しくなった。
「でも、たぶん大人は敵じゃないよ」
「あら、どうして?」
「だって、保護者だし。どっちかっていうと、位置的には協力者じゃないかな」
「そうとは限らないと思うけどね。じゃあ、大人が敵でなかったと仮定して、私達は何と戦ってるの?」
 それが分からないから質問しているのに。まったく、意地悪な友達だ。むうっと頬に空気を溜めて、ぼこぼことストローから吐き出すと、汚い、と顔をしかめられた。
「真優は大人だね」
「まだ子供よ」
「ううん、私からしたらずっと大人」
 パンプスを履いた足がいち、に、いち、に、と上下する。それを見ながら小さく頷く。
「真優は蛹」
「時々、翠ってわけのわからないことを言うわよね」
「だって、私の考えはずっと私だけのものだから」
 脳みそを取り替えっこしない限り、私の考えることは真優には伝わらない。ほかの人にも。それは皆同じことだ。一生懸命言葉を尽くせば、分かり合えることもできるけど、それは完全じゃない。私の言いたいことの99%が理解できても、1%理解できなかったら、私にとってそれはきっと理解されていないことになる。
「ねぇ、私時々翠が分からなくなる。翠がどうしたのか全然わからなくなるの」
「どうもしたくないよ。ただこのままがいいなぁって」
「大人になりたくないってこと?」
「大人になりたくないわけじゃないよ。ただ、大人になって変わるのが嫌なだけ」
 大人になったら、きっと私はナチュラルだけど手の込んだメイクと、かわいらしい洋服で鎧を作るのだろう。涙を武器にしていろんな人と戦うのだろう。
「自衛の手段は必要だと思うの」
 華やかな翅で威嚇することも時には必要だろう。
「けれど、そんなに必死に自分を守らなくてもいいとも思うの」
 けれど、始終威嚇し続けては、きっと皆疲れてしまう。
 私達はそこまで怯えて、何と戦っているのだろう。
 常に何かを警戒して、常に何かを否定して、誰かを傷つけてまで怯えなくてもいいのに。
「まずは戦う相手を明確にする。大人になるのはそれからでも十分間に合うと思うから」
 真優が目をぱちくりさせたけれど、すぐに笑顔を作って頷いた。
「翠がそれでいいなら、私もそれでいいと思うわ」
 作った笑顔を纏った真優は、やっぱり『大人』だと、そう思った。


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