彼と彼女と世界終末理論


 俺の隣の桐野は、とても不思議な人だった。
 例えば、誰も知らないはずの抜き打ちテストがあることを言い当てたり、公表前に自分のクラスと担任を把握していたり、合唱コンクールの優勝校を当てる賭けでは必ず勝ったり、どこで手に入れたのかはわからないけれど、知りようのない情報を持っていたり、と。
 どうして知ってるんだよ、と冗談半分、本気半分、嘘、冗談二割、本気八割で聞いたことがあった。そんな時は、彼女はからりと笑ってこう答えるのだ。
「内緒」
 たった一言。
 背中の中ほどで切りそろえられた髪の毛を優雅になびかせて、桐野はいつだってふらりと行ってしまう。
 かといって謎多き少女、と言う訳でもなく、むしろキャラクター的にはその逆。天真爛漫で愛想がよくて、女子の中でも、力の強いリーダーってわけじゃないけど、中心的存在だった。
 そんな桐野が、俺の隣に来たのは一か月前のこと。
 2012年の12月のことだった。
 マヤの予言だとかなんだとかで、少し皆がそわそわしだす頃。毎週のようにテレビではマヤ関係の特番が組まれて、「2012」なんておどろおどろしい映画も作られたりもした。
 けれど、皆どこか世界終了をネタみたいに考えていて、笑い話だって捉えていた。勿論、俺だってそうだ。まだ未成年だし、色々未経験だし、2012年にこの世の全てが終わってたまるかって気分だ。
 丁度12月の21日から23日の間に世界は終了するらしく、先生は冗談めかして笑った。
「おい、リア充ども。クリスマスイブイブだとかでいちゃついてる間に世界終わってるかもしんねぇぞ」
 クリスマスイブイブって、死語にもほどがあるだろ。俺が微かに笑いをかみ殺しつつふと隣を見ると、桐野はどこか浮かない表情をしていた。
「どうかした?」
「……いや、なんでもないよ」
 話しかけられて一瞬は、自分に話しかけられたと認識していなかったようで、ぼうっとしてから慌てて答えた感じだった。浮かない表情は霧散して、いつものにぱっとした笑顔だ。
「桐野もリア充?」
「いや、私は非リア。むしろ反リア。あーあ。世界終了しないかなぁ。リア充ども爆発すればいいのに」
「世界ごとって?」
「うん」
 なんとも物騒な思想だ。しかもさっきと同じ爽やかスマイルで言うもんだから恐ろしい。わざとらしく身震いのまねをしていると、桐野が小さく、あ、と言った。
「ん?」
「ちょっと静かに」
 桐野がしぃっと唇の前に人差し指を置く。言われたとおり静かにすると、数十秒くらいしてから桐野が人差し指を唇から離した。どこか晴れやかな、それでいて浮かない器用な表情を作って、それから俺をちょいちょいと手招きする。
「三時限目の数学T、小テストあるから気をつけて」
「え、俺と桐野ってクラス違ったよな?」
「うん。けど、あるよ。三点満点で、二点以下が再テスト。藤木先生結構厳しいね」
 同意を求めるように言われても困る。とりあえず頷くと、桐野は続けた。
「これ、皆には内緒ね。話しかけてくれた御礼にタダで情報あげちゃうから」
 情報屋でも気取ってるのだろうか。けれど、手に入ってラッキーな情報だ。桐野の情報にまず間違いはない。巷で預言者だなんて騒がれている少女なんだから。予言者と言えば、と俺は思いつく。
「なぁ、桐野。世界ってほんとに終わるのかな」
「私に聞かれても、わかんないよ。そんなこと」
 むうっと膨れてそう言われた。予言者にもわからないことはあるらしい。
「じゃあ、世界終了してほしい?」
「してほしいかなあ」
「えっ」
「非リア充の為に……なんてね」

 小テストは本当にあった。俺は予言者様のおかげでなんとか小テストに合格し、脱落したその他大勢の怨嗟の声を聞きながら悠々と部活への道を歩く。
 と、靴箱の前で下校途中の桐野が、ローファーを持ったままぼうっとしていた。何を考えているのかはわからないが、俺の靴箱は桐野の真上にあるから、そこで固まっていられると邪魔でもある。
「桐野」
「ん?ああ、ごめんね。邪魔だね」
「いいよいいよ。何してんのかなーとは思ったけど。あ、それとありがとな。おかげで合格」
「それこそいいってことよ」
 男前な口調で桐野はローファーに足を入れた。一年間履き通してところどころがほころびたローファーは、少しくすんだ茶色だ。公立特権で通学靴の規定はないが、俺的には黒より茶色のほうが好きだったりする。
「今から部活?」
「うん」
「そっか。頑張って」
 桐野は帰宅部?
 聞くタイミングを逃した質問は口の中に吸い込まれた。フェイクレザーのリュックサックを夕日が照らしてなめらかに光っている。
 最近の桐野はどこか妙だった。どうして妙かはわからないし、俺は桐野と特別親しいわけじゃないから、他の親しい友人からしたら別に普通なのかもしれない。そうだとすると、俺がここまで桐野に関して悩むのは馬鹿らしくもあるけれど、けれどどことなく放っておけない雰囲気を丸い背中から感じるのだった。
 その妙な感じが確信に変わるのは、久しぶりに開いたクラスラインの人数が、一人だけ減っているのに気付いた時だった。

 世界滅亡まで残り一週間。地獄のテスト期間も終局を迎えて、晴れて自由の身になったはずの俺達だが、大量の冬の課題を抱え込んで自由なのか不自由なのか分からない。人間は自由の枷にとらわれている!誰かが大げさにそう叫んだ。全く意味が違う。倫理を担当する先生が盛大に溜息をついた。
「あと一週間」
 隣から歌うように呟き声が聞こえた。桐野はどこか疲れたように窓の外を見ていた。シンプルで気に入ってるデザインのシャープペンシルをくるりと回して、俺はそんな桐野を見る。
「世界が終了する日にも学校はあるんだなぁ」
 誰にも聞こえないように小さく、本当に小さくぼやくと、隣でくすりと笑い声が聞こえた。
「まったくです。けど、後のお楽しみ」
 聞こえたのだろうか。自分の声の大きさなんてよくわからない。先生に聞こえていないだろうか、と目を向けると、先生は俺のことなんて全く気にせずに、自分の授業(セカイ)に入り込んでいるようだった。
「ああ、そうそう」
 六時限目も無事終了。荷物を片づけて、テスト期間のブランクを取り戻すべく部活に走りだしそうな俺達を担任の声が止める。
「12月23日に入ってた特別授業だけど」
 そうだ。天皇誕生日にも関わらず、この自称進学校は罰当たりなことに授業をする。何が罰当たりなのかは俺にもわからない。
 全員がごくりと息を飲む。俺の隣の桐野だけ、けろりとした顔をしている。
「午前中授業になったから」
 学校中に歓声が響いた。
 一日授業と半日授業じゃ精神的にくるダメージが全く違う。特に、一日授業という心づもりでいたから、祝祭日に半日授業というふざけたスケジュールでも喜んでしまうのだ。これがゲイン・ロス効果とかいうやつだ。拳を握りしめて喜んでいると、よかったね、と隣から声がかかる。
「桐野、知ってたのか?」
「まぁね」
「すげえな。まじで予言者じゃん」
「そんなんじゃないよ」
 ちょっと悲しそうに桐野は笑う。
「私は予言者じゃないよ」
「じゃあ、とんでもなく勘のいい人?」
「別に、勘で当ててるわけじゃないよ。超能力でもなんでもない。現に、ほら。世界終了だって当てられないでしょ?」
「けど、すごいもんはすごいよ」
 桐野はまだちょっと悲しそうだ。
「後、一週間」
 もう一度、桐野が歌うように呟く。
「きりーつ」
 間延びしたクラス会長の声に、慌てて立ちあがる。
 椅子と床が擦れる音で、桐野の言葉の続きは聞こえなかった。
「礼!」
 まともにさようなら、や、ありがとうございました、を言っている人はいるんだろうか。

 全世界が震撼するはずの世界終了の朝は、いつも通りに訪れた。いつも通りに授業が進んで、いつもより少しだけ早く授業が終わる。
 もはや日課となった桐野への会話は、今日はいつもよりテンポが良かった。桐野はいつもよりよく笑った。いつもの桐野に戻ったような感じがして、俺は少しだけ嬉しく感じる。
「ね、そういえばさ」
「ん?」
 黒板の端に、白いインクで日直と書かれた下には俺の名前が書いてある。俺とペアだった男子は、体育教師に呼び出されたとかで日直を急きょ桐野にバトンタッチしたのだった。体育教師に呼び出されるあいつも何やってんだか、だが、せっかくの世界終了の日を日直仕事に費やす桐野も桐野だと思った。
「予言ってどうやってるんだって聞いたじゃん」
「聞いたな」
「教えてあげようか」
「秘密じゃないのか?」
「内緒だったよ」
 箒をスタンドマイク見たいに構えて、桐野は頷く。
「ならなんでいきなり?」
「世界終了の日だから」
「結局終わるの?」
「さぁねぇ。それは終わってみないと」
 知っているのか知らないのか微妙な答えだ。俺は唇を尖らせてぶうっと声を出す。
「ま、私最大の内緒を教えてあげるからさ。いじけないでよ」
「いじけてませんよーっだ」
「いじけてんじゃん」
「いいから、早く言えよ」
 せっつくと、桐野はははっと笑って、それから覚悟を決めるように数回深呼吸をした。それから意を決したように言葉を紡ぐ。
「私さ」
 俺はてっきり、そのあとに宇宙人だとか超能力だとか、そんなのが続くのかな、なんて思ってた。
「耳が凄く聞こえるの」
 だから、その答えに拍子抜けして目を見開いた。
「凄く、って言ってもはっきり聞こえるのは半径五百メートルくらい?流石にどこまでもってわけじゃないけど。だから、職員会議くらいなら筒抜けなのよ」
「なあんだ」
「ある意味予想外でしょ?」
「世界終了が予言できないわけだよ」
 くすりと笑って、桐野は箒をとん、と置く。
「でもさ、なんで俺に教えてくれたの?」
「んー、よく話しかけてくれたから、かな」
「そんなことで?」
「結構重要だよ」
 大真面目な顔をして、桐野は腰に手を当てた。箒がからん、と音を立てる。
「誰かが話しかけてくれるとね、耳の意識がそっちに行くから、他のことを聞かなくて済むの」
「……ふうん?」
「だから、結構感謝してるんだよ」
 桐野は箒を拾って、にししと笑う。
 日直日誌を書き終わると、俺はシャーペンを桐野に回した。
「どうせだから何か書いとく?」
「何がどうせなのかわかんないけど……そうだね。書いとく」
 桐野は日直日誌のラスト三行に、女の子らしい丸い字で書いていく。
 『とうとう今日は世界終了の日です!
  皆、こんな私に色々絡んでくれて本当にありがとう(笑)
  日直代行の桐野より』
「明日になったら」
 シャーペンを俺に返してから、桐野は字を一つ一つなぞって笑う。
「皆、これを見て笑うんだろうね」
「だな」
 今日、世界は終わるらしい。











 次の日、桐野はいつまでたっても学校に来なかった。
 その次の日も、冬休みに入っても桐野はどこにもいなかった。
 俺は久しぶりにクラスラインを開く。グループメンバーから桐野の名前を探した。
 桐野の名前はどこにもない。
 冬休み明け、俺の隣の席には白い花瓶と花が置いてあった。
 桐野の世界は、12月23日の11時59分に綺麗に終わったらしかった。
 クラス中が予言者の死に激震した。
 世界の身代わりに桐野が死んだ、なんて馬鹿らしい話も浮上した。
 皆、桐野の遺筆になった日直日誌の三行を見て、泣いたり、笑ったり、怒ったりした。
 
「ねぇ」
「ん、どうかした?」
「……桐野さんのことなんだけど」
「うん」
「桐野さんから、私らのこと、何か言われてないかな」
「別に、言われてないけど……?」
 首をかしげる俺に、目の前の女子は言いにくそうに手をもじもじさせる。
「何。そこで止められるとすっげぇ気になる」
「あのさ……私ら、桐野さんに酷いこと言い続けちゃってさ。陰で、気持ち悪いとか、予言者とか、さ」
 俺は少し目を見開く。
「聞こえてないって思ってたから、でも、それが原因で死んじゃったなら、悪いし、で、その」
 言い淀んで、視線を下に落とした彼女に、俺は努めて明るく声をかける。
「大丈夫。お前だけの所為じゃないから」


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -