逃亡者と追う人々




 日本本土から約三十qほど離れた海上に、島があった。 
大きさは四国ほど。人工で作られたそれは綺麗な円形をしていた。中心には青く輝く電波塔がある。
 そして、その塔の頂上。直径三十センチほどのアンテナに、一人の少女が立っていた。黒いジャージをセーラー服の上から羽織り、腕には“部長”の腕章をつけている。
「さぁて、そろそろかな」
 ポケットから出したタブレット端末をちらりと見ながら、少女は六百三十四メートルの高さから地面に向かってダイブした。




 「――――部長観測、撃墜しますか?」
 ビルの屋上で電波塔を見張っていた少女が言った。スコープから銃身まで濃紺に塗られたライフルを構えて、耳に着けた小型通信機からの応答を待つ。 
耳元からは焦ったような声がすぐに帰ってきた。
『おいおいおいおい、待て待て待て待て!』
「それだけ叫ばれずとも分かります。待ちます」
『なぁ、翼。お前なんか部長に恨みでも持ってんの?いきなり撃墜?』
 翼と呼ばれた少女はしばらく考え、そして返答する。
「恨みの数をカウントするのは入部して一カ月で諦めました」
『確かにな!あの部長から受ける迷惑の数は星の数とタイマン張れるよな!でも落ち付け!頼むから殺傷沙汰は起こすな!副部が泣くだろ!』
「了解しました、蒼樫龍吾隊長。実弾からゴム弾に変えます」
『そういう問題じゃないだろ!とにかく撃つな!落下ポイントを推測して響華に連絡!』
「了解しました」




 頭を抱えて通信を切った龍吾に近づき、お疲れ、と黒いコートを着た少女が笑った。茶髪のツインテールがビル風に揺れる。
「いや、本当にお疲れ、龍吾」
「開花か……マジで笑いごとじゃねぇって。あいつ今持ってる銃たぶん対戦車用のごっつい奴だぞ。いくら部長でもあれ喰らったら……いや生き残りそうだな」
「空恐ろしいねぇ」
 軽く垂れた目を細めて乾いた笑い声を漏らす。だろ、と龍吾も眉間にしわを寄せた。
「いや、あの人は空中でも回避しそうだねぇ」
「それはあれか。回避のプロであるお前の目から見てもそうか」
「あたしが回避のプロならあの人は回避の神だしねぇ。こないだ、物理的に回避不能な距離から心臓狙った投げナイフ避けられた時は、もうこの人人間卒業したんじゃないだろうかって真剣に思ったよ。何であの人人間やってるんだろーね?」
 散々な評価を喰らっている部長は、未だ落下を続けている。さぁて、と屈伸運動を始めた開花に龍吾が首をかしげた。
「そろそろあたしも行こっかな。四番隊隊長、桜ケ丘開花から三番隊隊長、緋塚響華へー。開花、行っきまぁす!」
『了解!』





 通信機に手を当てて、響華が返した。走りながらのはずだが一切息は切れていない。素早く端末を操作して、各員に通達できるよう通信機の設定を変える。
「大変だなー通信役」
「大変だと思ってるなら変わってちょうだいよ。走りながら通信して各員に通達ってどんだけ苦しいか」
「その割には余裕っぽいけどな」
「お前の目は節穴か、楓汰。めちゃくちゃ苦労してるって」
 楓汰がにしし、と笑う。それにため息を返しながら響華が通信機のスイッチを入れた。
『翼より、緋塚響華隊長へ。落下位置捕捉。通達願います』
「待ってました!」
 ぴゅう、と楓汰が器用に口笛を鳴らした。耳につけられた通信機から片目だけの眼鏡のような、半透明のディスプレイが伸びる。
「三番隊隊長、緋塚響華より各員へ伝達。部長落下位置捕捉!―――パール副部長、行ってください!」





 電波塔の真下で待機していたパールは、通信を受けるなり返答もせずに駆け出した。片目に映る捕捉位置に向けて、歩行者をかき分けて進む。途中で面倒になったのか、地面を蹴ると屋根の上に着地し、本来人が走るべきではない場所を全力疾走する。
「親方!空から女の子が!」
 ――――間に合わなかったか!
 軽やかに屋根から飛び降り、ざわつく人込みの方へ走る。丁度クレーターができたように丸く固まる人をジャンプで飛び越えた。
「藍架!待ちなさい!」
「待てと言われて待つ馬鹿はいないっと!」
 パールが着地すると同時に藍架が転がるように走り出す。部長の腕章がひらひらと揺れた。
「藍架!貴女って子は毎度毎度!」
 吐き捨てるように叫ぶとすぐに後を追う。スニーカーの踵がアスファルトの地面にこすれ、ゴム底が溶ける臭いがした。
「副部から二番隊待機組へ!援護射撃を要請!」
『いいんですか!?』
「いいのよ、悠斗。ゴム弾程度で怪我をするヤワじゃないわ、あの子は」
『それってなんだかんだで部長を認めてるってことですよね?』
 無言で通信を切ったパールに苦笑しながら、悠斗は屹立した隊員達を見やる。
「長谷部悠斗から二番隊隊長桜花楓汰へ、射撃要請出ました。承認お願いします」
『二番隊隊長、銃火器使用承認!一般人には当てんなよ。部長だけ狙え!』
 走りながら通信を受けたのだろう。びゅうびゅうと空気を切る音が耳元で唸る。
「さて、行くか!」
 背負っていたアサルトライフルを下ろし、にやりと笑った悠斗に隊員が親指をつき立てた。





 人がいない大通りを藍架は走る。走る足元を弾が穿っていくのを見て、口元を緩めた。
「射撃始めたか。厄介厄介」
 厄介、と言っている割には嬉しそうにしながら、ぐんと速度を上げる。市販のスニーカーとはおよそ思えない速さでアスファルトの地面を蹴りながら、後ろを向いた。ビルの上から自分を狙う狙撃銃が、的確に眉間を狙って火を吹く。それをしゃがんで回避してから、立ち上がり埃を払うと舌を出した。所謂あっかんべー、だ。
『隊長。実弾の発砲許可をお願いします』
『いやだから駄目だって言ってるだろ!』
 ――盗聴に気付かれていない時点でまだまだだなあ。
 そう心中呟き、再度舌を出してから走り出すと、目の前を何かがかすめた。地面に落下し涼やかな音を立てるのは銀の投げナイフだ。それを横目で確認すると、今度は何かが首元を狙って飛んでくる。それをすんでのところで避け、フェンスの上に飛び乗ると、強襲した相手は相変わらずの笑顔で藍架を見据えた。
「ぶちょー。いい加減捕まってくださいよ」
「ちょ、開花、今確実に殺す気で斬りかからなかった?」
「あはは、何を今更」
 開花が握るのは、柄の部分が鮮やかな桃色に塗られた二振りの小太刀だ。日光を浴びて輝く刃は、レプリカなどではなく真剣。肌を掠めれば血は飛ぶし、貫けば一週間は鉛筆を持てなくなる。冷や汗が背中を伝うのを感じながら、藍架は開花に声をかける。
「あのさ、開花、ひょっとして今、実弾の使用許可出てたりする?」
「あ、今出ましたね」
「え、嘘、だってさっき駄目だって言ってたよ、ね?」
「あはは、あたし達が普段使ってる無線回線使って連絡とるわけないじゃないですかぁ」
 笑顔のまま硬直していた藍架が、開花が右手を上げたことで腰から得物を引き抜いた。黒い日本刀が何もない空間を一閃する。
『――お見事』
 無線から聞こえる声は楓汰のものだ。後ろから響華が叱責する声が聞こえる。
「そんな簡単に捕まってあげないよっ、と!」
 フェンスから飛び降り、走り出す藍架を何人かの影が追っていく。時折銃声が聞こえ、悲鳴が聞こえ、怒号が飛ぶ。いきなり何かの爆発音がし、おさまったころ、島のいたるところにあるスピーカーから声が流れ出た。
『島民の皆様。お騒がせいたしております。現時刻を持ちまして、屋内退避命令を取り下げます。皆様方には騒音、暴言の公害をもたらしたこと、心よりお詫び申し上げます』
 その声を聞いて、島民はやれやれ、だのようやくか、だのまたか、だの好き勝手な感想を呟きながらそれぞれの日常に戻る。
 日本国東京圏緋縁島。この島での日常は、どうやら相当歪んでいるらしい。

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