まさかこれも込みだったとは。思ったとおりスケジュール帳にはちゃんと『頭領の風呂番担当日(夜)』と書いてある。過去の自分がまめであることに感謝した瞬間だった。
灰音さんはお風呂に入るのが好きで、一日二回は絶対に入り、基本は三回入る。朝・昼・夜だ(絶対に入るのは朝と夜)。それは別に構わないのだが、彼女がお風呂に入る度に見張りをつけているのだ。
その理由は簡単。就寝時を除く中で、一番彼女が無防備になるからである。彼女は普段コンタクトを着用しており、実のところ視力はすこぶる悪い。すれすれまで顔を近付けないと誰か認識できない程度には。そのせいで俺は何度か顔をゼロ距離まで近付けられている。ちょっと心臓に悪い。たぶん灰音さんの心臓にも後々悪くなるんだろうけど(俺以外に白髪の構成員がいるからこういう事例が起きる。白髪はこの日本では珍しいとは言え、突拍子のない髪色としては認識されていない。ただちょっと、変わってるなくらいのものである)。

「……なんかこの展開、デジャヴを感じるんだけれど」

それほど俺が何だかんだ言って泣いていることが身に染みる。やはり完全に心を殺すなんて自分では出来ない。したくても、結局のところ人はまともであろうとするのだ。そのまともが人によって違うのは言わずもがなであるが。

「まあいいか。泣き顔なんて洗えばきっと直る」

根拠も無い言葉を吐き出しては、自分を鼓舞しようとする空しさが、少しだけ心を痛ませた。


灰音さんがいつも入っている浴槽のある浴室は、彼女の部屋の横に据え付けられている。彼女専用だろう、他の構成員が使っているような大きさのものとは違う。
まあ経緯は置いといて、俺はその浴室をバスタブの中まで覗いたことがある。別に大したことではない、俺が興味本位で彼女の風呂がどんなものか覗いたのである。勿論彼女が入っている時だと怒られるので彼女のいない時に。
壁は黒に水色が反射している大理石で、そこに星座を線で結んだ星空が描かれている。言ってしまえば、ちょっとしたプラネタリウムのようなものだ。天体観測が趣味だった俺からすれば心躍るモチーフだが、俺が入ることはまず無いだろう。
そして俺が何より目を引くのは水色や白、黒で統一された小物の中でも一つ―――観覧車の置物である。これは彼女がコント・ド・フェを元とした遊園地が好きなことに関係しているのだが、いつから置いてあるのかはよくわからない。誰かからの貰い物だろうか。
観覧車。正直嫌な思い出しかない。別に高所恐怖症というわけではないし、観覧車自体に恨みがあるわけではない。ただそこから連想される出来事に、吐き気を催すだけだ。

「灰音さん、まだお風呂に入っていませんか?」
「ええ、まだ入ってないけど。どうかした?」
「いいえ。今日の湯加減はどうかと思って聞いてみたんですけど、まだ入ってないなら分かりませんよね」



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