ここから最寄りのドーナツショップ(店の名前は『エスポワール』、だったか。フランス語で希望と言う意味だ)は歩いて徒歩五分。往復だと十分かかることになる。つまり、ドーナツを選ぶ時間は遅くても五分が限界だ。しかし俺に抜かりはない。普段から何度彼女のためにドーナツを買いに行っていることか。俺にとってそれは、ただの作業でしかないし、彼女の好みも流石に把握している。
店に入ると、若干冷えた外の空気とは違い、暖かい空気が順風しているのがわかるくらい、室内の温度は外と違っていた。何度も通っているので店の描写をするのもたやすいことだが、今回は自分の頭が目的を達成するので手一杯なので割愛させてもらうことにする。
一つ予想外だったのは、今日は女子高生の集団がお会計の辺りでたむろしていたことだった。これは余計にドーナツ選びに時間をかけることは出来ない。もしかしてセールの時間帯だったのだろうか、しかしここまで来て引き返してしまってはとんだ無駄足になる。それだけは何としてでも避けたかった。
俺は彼女の好きなフレンチフルール(ドーナツの生地に生クリームが挟んであり、その上からチョコチップとスライスアーモンドが塗してある。カロリーが高そうだなんて言ってしまえば、確実に彼女から睨まれるであろう)とブランコキーユ(フランス語で白い貝殻の意味。貝殻の形をしたパイ―――所謂マドレーヌのようなものに、粉砂糖とこれまたスライスアーモンドがまぶしてある。きっと彼女はアーモンドが好きなのだろう)を手にし、それに加えて俺の好きなドーナツをいくつか選んでレジへと並んだ。この間三十秒ほどだろうか。
店に来ている他の客は、優雅にコーヒーを嗜んでいたり、恋人同士で世間話をしながら互いの時間を楽しんでいたりと、時間に余裕のある様子だが、こんなに時間に追われてこの店に来ている者が自分の他にいるだろうか。ざっと見渡してみたが、おそらくそんな輩はいないだろう。時間帯も時間帯だろうし。
俺が心配したよりもレジまでの列は早く無くなり、自分の順番がすぐに回ってきた。何度か見たことのある女性の店員だ。店員の彼女は、俺の顔を見て一瞬動きが止まったが、その後何事もなかったように笑顔で「いつもありがとうございます」とだけ言った。俺もその言葉に返す形で、笑顔を作りながら会計を済ませた。
詰めてもらったドーナツの山は、店員の手によって綺麗に並べられている。俺はそれを確認し、颯爽と店を出た。何人か先程目に入った女子高生が、身内同士でこちらを見ながら、何かをひそひそ話していたようだったが、何を話しているかまでは分からなかった。

時刻は十一時七分。頭領との待ち合わせはあれから三十分後だったはずだから、あと八分か。本来なら五分前に目的地には着いておきたいところだが、はたして間に合うだろうか。
俺は出来るだけ歩みを止めず、出来るだけ信号に引っかからないようにペースを落とさず屋敷へと戻る。ここに来て信号が見事に青色で光っていることは幸いだった。
その途中で、何か気になるものを見つけた。

「……あれは、アルジャーノンの」


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