彼女が、一度でいいからウェディングドレスを着てみたいと言ったのが丁度六月の上旬のことであった。小説家であった俺が、その時運良く原稿の催促も無く、作品の感想を読者から待ち詫びており、それを暇だと思ったのか彼女は初夏の湿気の多さにやられていた俺に構わず声をかけた。

「読んだ? 先週発売した屋烏夜鷹の作品。時期を想定していたからか分からないけれど、丁度ジューンブライドのお話だったわよね」

彼女が言う【屋烏夜鷹】。夜鷹もまた、小説家として世間に名を馳せている。鳥の名前が二つ入っているが、読み方はそのまま【オクウヨダカ】。屋烏が名字で夜鷹が名前。大層な名前だが、勿論ペンネームである。最近颯爽と現れては様々な本屋で売り切れ続出にさせる期待の新星。読んだ人を虜にするような独特な言い回し、その上どこか人の心を掴んで離さないストーリーの展開、魅力的な登場人物、どれをとっても今まで見たことないタイプの作家であり、熱狂的なファンもいるらしい(後半は彼女が語っていた言葉の一部を抜粋したものであり、俺は夜鷹についてはここでは敢えて語らないことにする)。
彼女はそんな夜鷹の作品に魅せられて、毎度熱心にファンレターを送っているらしい。昔から活発な性格のくせに本を読むことだけは止めず、それは現在も変わらなかった。この近くにある国立の図書館に通っては、普通の人なら一週間では読めないであろう量の本をわざわざ通って読んでいる。そこまで読むのなら家でゆっくり時間のある時に読めばいいじゃないか、と俺は確か一度彼女に言った気がするが、彼女曰く、

「図書館で読まないと意味が無いのよ。家では味わえない古い本の匂い、静かでほんのり明るい幻想的な空間、そこにいる皆が同じ空気を吸っているはずなのに私だけが違う世界にいると錯覚できる魔法の場所、そして私の知らないことを親切に教えてくれる優しい司書さん。これ以上本を読む事に適した場所は無いわ!」


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