七時半ともなれば外も真っ暗で街灯だけが頼りになる。暗いのはさほど苦手ではないが得意でもないため、さっさと帰ってしまおうとローファーを履きスクバを肩にかけ直した。いつもはもっと早く帰路につくからこんなに暗いときに帰るのは初めてだ。この時間帯ともなればどの部活動も下校の支度をしているか既に帰っているころだろう。夏になれば八時まで伸びるだろうが帰宅部の私には部活で帰りが遅くなることは絶対にないから関係はないのだけれど。
校門に近づくと何やら高身長の三人組が騒いでいるのが見える。元気だなぁなんて年寄りじみたことを考えていたが、顔が認識出来るくらいの距離になりその中で見知った顔に気づいた。向こうも私に気づくなり手を振ってくれたので私も笑顔で振り返す。ううん、やっぱり私より可愛い。
「なまえちゃんじゃない」
「部活お疲れ様、レオちゃん」
レオちゃんに労りの言葉をかけてから彼と一緒にいた二人に頭を小さく下げる。この二人時々レオちゃんと廊下で話してる同じバスケ部の同級生だ。「その子!オレ、レオ姉と話してるとこ見たことある!」元気そうにぴょんぴょん跳ねながら猫目を瞬かせる一人は私と同じく見たことはあったらしい。筋肉が凄まじい一人は当たり前だが私を微塵も知らないようでやけに私を見つめてきた。……話したことなんて一度もないからそんなに見つめられても思い出すことは何一つないと思う。レオちゃんは私の背後に回ると両肩に手を乗せた。
「紹介するわ。私の友達のみょうじなまえちゃん。征ちゃんの彼女よ」
「マジかよ」
「赤司の彼女!? すっげぇ!!」
紹介の仕方適当だね!?
「ち、ちち、違うよ!もう…っ、レオちゃん!」
「うふふっ。はいはい。彼女になる予定の子だったわね」
赤司くんに告白されたという噂は流れることなく平和に毎日を過ごしている。漫画のように「何であんたなんかが赤司くんに!」みたいなことはごめんなので助かっていたが、これはまさか外堀を埋められている…?レオちゃんのことだから誰彼構わず言いふらすことはしないだろうがバスケ部から赤司くんの彼女になる子だって認識させるつもりなのか…。やめてレオちゃん……もしそのことで赤司くんがからかわれたらかわいそうだよ……。赤司くんをからかう人がいるのかは定かではないが。
そういえば告白されてからというものの一度も赤司くんと会話をしていない。つまりは赤司くんと話したのは先日の一回きりなのだ。何か変化があったかといえば廊下ですれ違うとき会釈をされるようになったことくらいだろうか。バスケ部の主将だけでなく生徒会長も務める赤司くんは忙しいはずだ。式の際に壇上で堂々と話しているところも数度見てきた。……本当に何で赤司くんが私を好きなのかさっぱり分からない。やっぱり罰ゲームで告白しちゃったのかな。
「あっ!自己紹介してなかった。オレ三年の葉山小太郎!こっちが永ちゃん…じゃなかった根武谷永吉!よろしくなっみょうじ!」
「うん、葉山くん。よろしくね」
「赤司の彼女か……筋肉つけたくなったらいつでもオレのとこ来いよ」
「根武谷くん、だから彼女じゃな……、筋肉……?」
「ちょっと女の子にかける言葉じゃないわよ!なまえちゃんこいつらのことは気にしなくていいからね!」
私がおかしくて笑っている中葉山くんがレオちゃんに俺関係ないじゃん!と抗議の声を上げたりと面白い。すると葉山くんをあしらっていたレオちゃんが「そうだわ」と私に顔を向けた。
「こんな時間になまえちゃんが学校にいるなんて珍しいわね。……あ、もしかして進路相談今日だったの?」
「正解。ついでに雑用やってたらこんな時間になっちゃって」
「やだわ、先生ったら。こんなかわいい子を遅くまで残して一人で帰らせるなんて……」
「レオちゃんって褒めるの上手だよね」
「なんでおだてって捉えちゃうのかしらこの子は…」なんて目の前の美男子が呆れたように呟いていたが、私は笑って誤魔化した。いやいや、レオちゃんに可愛いなんて言われて信じろっていう方が無理な話だろう。
そろそろ三人に別れの挨拶をしようと、笑っている際口元に当てていた手を下ろそうとした直後だった。もっと気配に敏感になるべきだったんじゃないかと思う。
「たしかに、女性が一人で夜道を歩くのはあまり感心しませんね」
思わずびくりと震わせた肩に果たして気づいた者はいただろうか。おっせーぞ赤司。征ちゃんはやること多いのよ。腹減ったし帰りに何か買ってくかー。……どうやら気づいたのは苦笑するバスケ部主将の彼だけだったらしい。
「また驚かせてしまいましたか」
「い、いや…!」
「……あー、赤司のこと待つ必要なかったかもね」
「ささ、邪魔者は退散するわよっ」
「おう。みょうじ、赤司、式には呼べよ」
「待たせてすまなかったね」
赤司くんまずは皆の台詞を否定するところから始めようか…っ!
私が赤司くんの登場に慌てている内に話は進んでしまい、なぜか皆と一緒に帰ることになってしまった。どうやらレオちゃんたちがそそくさと先に帰ってしまうという事態にはならなかったようである。赤司くんと二人きりで下校なんて出来なかったと思うので私たち二人の前を歩きふざけ合っているだけでも安心した。告白をしてきた赤司くんの顔を直視出来るはずもなくて私は俯いたまま足をひたすら動かす。沈黙を破ったのは赤司くんだった。
「なまえさん」
「うっ、うん?」
「オレの前で緊張されている姿も可愛らしいとは思いますが、下ばかり見つめていては転んでしまいますよ」
「……っ」
どうせならオレを見つめてほしいですしね。クスクスと冗談まじりに笑う赤司くんは私が余計に緊張してしまったことに気づいているのだろうか。可愛いというそれだけの言葉だが、友達に言われるのとはわけが違う。なんとか謝罪を口にして熱い顔を冷ますように正面を向いて風に当たった。
会話が途絶え私としては大変気まずい空気が流れる。気まずいと感じているのはおそらく私だけだろうけど落ちつかない。せめて何か会話のきっかけになりそうな話題を……。
「赤司くんって、…私のこと本当に好きなの……?」
「好きですよ」
なんて質問をしてしまったんだ、と後悔する暇も与えず赤司くんは目を細め頬を緩めていた。――あ。この表情だ。
「廊下で会釈する度に照れたように髪に触れて、顔を赤らめてし返してくれるところも。今こうしてオレを意識して時々目線を寄越してくれるところも。……ちゃんと向き合ってくれようとしているところも、全て好きですよ」
私が赤司くんを知ろうと思ったときの、表情……。歩みを止めた私より三歩分ほどあいた距離で赤司くんも止まったのが分かった。……どうして、そんな愛おしそうに私を見るの。
「……もしかしたら、私……赤司くんのこと、好きになれないかもしれないよ……。それでも、好きなの……?」
「もちろん。好きにならなかった場合ですが、そのときになったら考えます。……ああ、じゃあ言い方を変えましょうか」
「え…?」
赤司くんを見上げ、私は静かに首を傾げる。こんな大人びている男の子が後輩だなんて信じられない。誰かこのうるさい心臓をいっそのこと止めてくれとさえ思う。誰かに好きなんて感情を向けられるのは初めてだから、それが真実だと受け止める覚悟も足りなかった。
「絶対にオレを好きにさせてみせますよ」
それでも私の頬を撫でる赤司くんの指先が、触れてやっと分かるくらいに震えていたから。私、ちゃんと赤司くんを知ろうって決めていたのに……。無意識かもしれないが緊張している彼を見て、小さく笑ってしまった。赤司くんは気分を害した様子もなく「行きましょうか」と前を向くと歩いていく。私はそんな彼の隣に並んだ。先ほどより近くなった肩の距離に、つい口元に笑みを浮かべたことに驚きながら。
「なまえちゃんと征ちゃんが幸せになれますようにっ」
「既に溢れ出ているリア充オーラ」
「なんつーか……こりゃ赤司を応援するしかねーよな」
「だよねー!」
「ちょっと。余計なことはしないでよね」
……全部聞こえてるんだよなあ。