そんなに謝らずとも大丈夫なのだが。内心申し訳なく思いながらボクは目の前で何度も頭を下げているみょうじさんを見た。
事の始まりはボクのマジバに寄りたいという一言であった。久しぶりにマジバのシェイクが飲みたくなったのである。あそこのバニラシェイクは素晴らしい。みょうじさんにも都合があるのだし、夜も遅いため断られる覚悟で誘ったのだが笑顔で「いいよ」と返された。何でも彼女は仕事が忙しい両親のために家事を全て引き受けているらしく、今日はいつもより早起きして夕飯の準備もしてきたようなのだ。あとは温めれば大丈夫だから、と言う彼女に尊敬を覚えた。ボクなら絶対無理である。
「……私、学校の帰りに買い物以外でどこかに寄るの、初めてかもしれない」
「そうなんですか?」
うんと頷くみょうじさんの目は心なしか輝いているように見えて、彼女も楽しみにしてくれていることに安心と共に嬉しさを感じた。
マジバにつくといつも座っている窓際の席が空いていた。テイクアウトでもいいのだが、せっかくだしゆっくり座って話したい。ボクはバニラ、みょうじさんはチョコのシェイクをそれぞれ頼み席に腰掛けた。
「……美味しい」
「飲んだことなかったんですか?」
「あるけど、最近は全然だったなあ……。でも一年生の頃、さつきちゃんと涼太くんと数回来たことあったんだよ」
「本当に二人と仲が良かったんですね」
「うん。入学当初から私に話しかけてくれて……大好きなんだ、二人のこと」
そっと目を細めて微笑してからみょうじさんはストローを口に含んだ。腕を上げた際にブレザーとカッターシャツに隠れていた手首が見えて、そこを思わず凝視してしまう。増えていたのだ。みょうじさんの包帯の数が。
一年生の頃からずっと気になっていた。女子の制服はもちろんのこと一年中スカートだ。そのために彼女の足に巻かれている包帯はいつも視界に入っていた。去年の夏、半袖だったとき見たときは少なくとも包帯は腕に巻かれていなくて、ボクの確認する限り足だけだったはず。それなのに腕に増えている包帯に言葉を失った。やっと包帯がなくなったと思っても、しばらくすればまた違うところに巻いてくるみょうじさんの姿を見るたびにとても苦しくなる。だって怪我にしては多すぎるし、治るのも遅すぎる。聞いてもいいのだろうか。しかしボクはまだみょうじさんについて知らないことがたくさんだ。彼女もボクのことをあまり知らない。仮に今この状態で聞いても、きっと答えてはくれないだろう。
「……黒子くん、どうしたの?」
「え……」
見れば心配そうにボクの顔を覗き込んだみょうじさんがいて、いきなり無言になったことで心配をかけていたらしく咄嗟に謝った。
――もっと、近づかなければ。そしてもっと歩み寄ろう。まだ確証なんて全くないけれど、可能性は既に頭に浮かんでいる。みょうじさんの傍にずっといてあげたい。とりあえず今思うことはそれだけだった。
「何でもないならいいんだけど……。多分、練習で疲れちゃってるんだよ」
「そうかもしれませんね。家でゆっくり休むことにします」
実際練習ですごく疲れているため嘘はついていない。そうしてほしいな、と遠慮がちに見上げてくるみょうじさんにお礼を言った。
「黒子くんってよくここに来るの?」
「結構な頻度で来ますよ。数人の店員に顔覚えられてるくらいには。ただ一軍入りしてからは減りましたね」
「それまでずっと体育館で居残って練習してたもんね」
「……ボク一軍入りする前居残り練習してたって言いましたっけ?」
「あ」
今度はみょうじさんが謝る番となったが、どうしてみょうじさんはボクが体育館で練習していたことを知っていたのだろうか。そういえば初めて会ったころもボクと初めて会ったわけではないというようなことを言っていた気がする。
「もしかして保健室で会う前からボクのこと知ってたりとか……しませんよね」
「……そのまさか、なんだけど……」
言いづらそうにボクから目を逸らしつつぽつぽつと話し始めてくれた。驚くことに放課後帰るときに第四体育館で練習をしているボクを見てから帰ってくれていたという。だから先日青峰くんを見たとき初めて会ったわけではないかのような反応を見せたのか。二学期から青峰くんはボクの練習に付き合ってくれていた。そのためと考えれば納得がいく。
「ご、ごめんね……」
「どうして謝るんですか?」
「だって……なんか、ずっと見てたとか私もはやストーカーみたいで……あああ、本当にごめんね! 悪気とかは全然なかったの……!」
そして冒頭に戻る。ペコペコと何度も頭を下げるみょうじさんだけれど、正直ボクには謝られる資格はないと思う。ボクだって同じだ。
「じゃあ同罪ということにしませんか」
「同罪……?」
「実はボクも入学してすぐあたりから、昼休み図書室にいるみょうじさんを見ることが習慣だったので」
図書委員の当番だったときはいつも彼女を見ていた一年生の頃を思い出して、ボクも頭を下げる。保健室で出会ってからは昼休みも共にいることが多かったために見に行くことは少なくなっていた。あったとしてもつい足を運んでしまったときだけだ。ずっと繰り返していたからか、体が無意識にあの長椅子のある場所へ向かってしまったのである。
みょうじさんは最初こそ驚いていたものの焦りながら許してくれた。お互い顔見知りだったことを暴露して、落ち着くために同じタイミングでシェイクを飲む。息ぴったりであった。
「……運命なのかな」
「?」
「私たちがお互い知らないところで出会ってて、こうして仲良くなるのが」
「……ふふ。緑間くんみたいですね」
「あれ、本当だ」
少しの間シェイクを片手に顔を見合わせて笑いあった。
結構な時間マジバに居座っていたようで、三十分以上は経過していた。席を立ちみょうじさんを送るために彼女の家までの道のりを歩く。その間にも会話は弾んでいき気付いたら近くまで来ていた、ということが今までもたくさんあった。
「今日もありがとう黒子くん。また明日ね」
「はい。また明日。気をつけて帰ってください」
「もう家すぐそこだから大丈夫だよ」
手を振り合ってみょうじさんが家の敷地に入ったことを確認し、ボクも自分の家へと足を進める。また明日。たったそれだけの言葉に嬉しくなる自分に失笑しそうになりながらも堪え、ただ前を見つめて歩いた。
*
玄関に行くと明かりがついていて、私は冷や汗をかいた。まさか帰っていたのか。いつもはもう少し遅いというのに、今日はいつ帰ってきたのだろう。私は急いで家の中へと入り、リビングのドアを勢いよく開けた。リビングにある椅子に腰かけている人物は笑顔で「おかえり」と私に声をかける。私が間を置いてただいまと返せば持っていたスマホに目線を戻した。
「今日早かったんだね。遅くなって、ごめんなさい」
今日は部活がなくなったためすぐ帰ってきてしまったとのことだ。私はもう一度謝り急いで夕飯を温める準備を始めた。
「ゆっくりでいいよ。それから逆に明日は部活長引くから夕飯ラップでもしといて」
「う、うん」
レンジにあたため設定と時間を入力してピッとスタートを押す。そこで聞かれないように小さく息を吐いた。
「(――よかった)」
今日は、機嫌がいいみたいだ。