◎
母上は、私が言うことを聞いているだけで本当いい子に育ったなと私をほめてくれる。
きっとそれは手のかかる息子を持ったからであろう。
――殺生丸。
それが、母上の息子であり、私の兄上であるお方の名であった。
「……え? あ、兄上のところへ、ですか……?」
「殺生丸もなまえがいなくて寂しがっているだろうからな。一緒に行動を共にしたらどうだという優しい母上の言葉だ」
夕刻。母上は頬杖をつき微笑を浮かべながら私に提案をもちかけてきた。
どうやら母上の元を離れて殺生丸のそばにいろ、ということらしい。
「それは……」
「……私の言うことを聞くのはいやか?」
「そういうわけじゃないんですけど……だ、だっていきなりですし」
「あぁ……とうとう可愛い娘にも反抗される日が来てしまったか……母は悲しい……」
「母上。嘘泣きはやめてください」
「ばれてしまったか」
確かにいつもの私なら二つ返事で了承していただろう。他ならぬ母上のお願い(命令)なのだから当然だ。
でも今回は兄上と行動を共にするというもの。つまり、毎日一緒にいるということで。
「まあ、大方私の元を離れるのが嫌なのだろう? なまえはこの母が大好きだからな」
「っし、心配してるだけですよ……!」
「それはすまないな」
後半の言葉はさておき、正解といえば正解だ。
兄上といるということは、しばらく母上とは会えないということ。
あまりにも突然すぎて頭の整理が出来ないが、それは間違いない。ずっと母上といた手前、そんな話がこようとは思ってもみなかった。
「でも、本当に何故そんなことを突然?」
「なまえも母とずーっと一緒にいるわけにはいかないだろう」
「……はい」
「あとは」
母上は困惑気味の私に向かって、
「気まぐれ、だな」
実に楽しそうに呟いた。
―――
あの後上手く言いくるめられて兄上の匂いを辿り合流することとなった。
あっちだって私が唐突に現れたら嫌になるんじゃないかと言ったのだが、殺生丸なら大丈夫とやけに自信満々に答えられたのだ。言い返す言葉が見つからない。
「んー。匂いだとここら辺のはずなんだけど」
空から兄上を探すも一向に姿が見当たらない。思い出す限り兄上は完璧な方だから、きっと行動一つひとつにも無駄がないんだろうと考えると頷ける。
……それにしても、本当に匂いが近いな。多分この辺りにいるはずだ。
地におりて兄上を探す。もうどこなんだ。出てきてあにう――
「わあ!」
「え」
背中に軽い衝撃が伝わり、振り向けば人間の娘が一人転んでいた。手に持っているのは食べ物、だろう。
これといって人間が嫌いではないし、とりあえずここは常識として謝るべきだろうと手を差し伸べた。
「ごめんね、大丈夫?」
「あ、ううん……! り、りんがちゃんと前見なかった、から」
「……?」
だけど一向にその手を取る気配は見受けられず一瞬困ったが、私は妖怪だ。まあ妖怪の手を取れと言われても無理な話か。
仕方ないともう一度だけ謝ろうとしたとき、人間から言葉が発せられた。
「あの……お姉さん、どこからきたの?」
「ん?」
「なんか、似てるから」
それって、どういう。しかし私の口が開くことはなく代わりに小さい緑色の妖怪がこれーと疲れた様子で此方へ走ってくる。
その妖怪は私の存在に気付けば急いで人間の前へと来て守るように立ちはだかった。
「おのれ妖怪……っ! りんには指一本触れさせぬぞ」
どうやらこの人間はりんというらしい。りんは妖怪……小妖怪とそのあと何かもめていた。
盗み聞きする限りでは私が敵かどうか話し合っているようだ。
このまま立ち去ってしまおうかとも思ったが兄上の匂いが近くでしているのだ。そういうわけにもいかない。
どうするべきか腕を組んで唸っていれば、突然耳を疑う話が聞こえた。
「だがこうしてる内にお前にもしものことがあれば、わしが殺生丸さまに殺されて――」
「っ、兄上を知ってるの!?」
ばっと話に食いついたのに驚いたりんと小妖怪は目を丸くしながら兄上と復唱していた。
「なまえ」
私が兄上の名前が出て反応した直後、声がした。
よかった……やっと会えたね。
「――兄上」
そこにいたのは私の兄上、殺生丸。凛々しい立ち姿で私を見ている。
驚愕の表情を浮かべたりんと小妖怪も見えて、兄上と何等かの関係があるのだろうと感じながら私は兄上への方へと足を踏み出した。
(20140626)
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