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「鋼牙に嫌いって言って逃げてきたんで、ちょっとだけおそばにいさせてください」
深々と犬夜叉さんにお辞儀をすれば、帰れと冷たい目で言われてしまった。なんて奴だ。人が頭を下げているというのに。
むすっと顔に出せばかごめさんに声をかけられた。
「……えっと、なまえちゃん、鋼牙くんと何かあったの?」
「たまりにたまった怒りをぶつけちゃっただけなの。気にしないで」
「怒り……?」
「そう。一方的に怒った」
思い出すだけでいらいらする光景に爪を噛む。全部ぜんぶ鋼牙のせいだ。
「なまえさまが鋼牙に対して怒るだなんて、珍しいこともあるものですね」
「確かに。いつも一緒にいるよね、二人とも」
「一緒にいすぎるからなんだよ。あんなもの見せつけられて、いらいらしないほどいい子じゃないもん」
「……あんなもの。ほう、なるほど」
弥勒さんが気付いたように何度か首を上下にふり、大変ですねえと呟いた。
本当大変だよ。私がいるのに目の前であんなことさ。
怒ってください。嫉妬してください、って言ってるようなものじゃんか。
「何が大変なんでい」
「犬夜叉がかごめさまを守ってくれればいいの話なんですがね」
「はあ!俺のせいって言いたいのかよ!」
「いえ。これは鋼牙のせいでもあり、原因にはかごめさまが関係していますね」
「……え。あ、あたし?」
戸惑ったように自分を指さすかごめさんに、私は勢いよく否定した。
違う違う。悪いのは全部鋼牙なんだから。
「言ってしまいますが、なまえさまはきっと鋼牙がかごめさまを口説いてるのが気に入らないのでしょう」
「……鋼牙嫌い」
「なんだそんなことかよ」
「犬夜叉さん失礼! 好きな人が目の前で女の子口説いてたら怒るでしょふつう! 犬夜叉さんだっていつも鋼牙に怒ってるじゃん!」
「それはあいつがいけ好かないからだ!!お前ら同じ妖狼族だろーが仲良くしやがれ!」
「犬夜叉口はさまないの!おすわりっ」
かごめさんにおすわりをくらって地面に横たわっている犬夜叉さんを無視して、かごめさんは話を続ける。
そっかあ、と苦笑するかごめさんを見て思う。
確かにかごめさんは可愛い。私はかごめさんが大好きだ。優しいし会うたびに私のつまらない話を聞いてくれるし。
許せないのは鋼牙のかごめさんに対する態度だ。手なんか握っちゃってさ……。好きとか言っちゃって。
「かごめさんが羨ましい」
「え?」
「私も鋼牙に好きだとか言われてみたいなあ……」
ため息をついてそんなことを言ってみると、かごめさんはくすりと小さく笑った。
「鋼牙くん、言わないだけでなまえちゃんのこと大事にしてるんだよ?」
「……えー」
「必要なとき、自分の意思でそれを言葉にできないだけ。そこらへんは、犬夜叉そっくりって感じかなあ」
そっくりという表現が不服だったのか犬夜叉さんが未だに地面に這いつくばったまま声を張り上げる。
……大事にされてる、か。
確かに守ってくれるけど、かごめさんがいたら私なんてほったらかしだもんな。
「今頃鋼牙くん心配してると思う。帰ってあげたら?」
「うーん……でも、嫌いって言っちゃったし、のこのこと帰ってもどうせ怒られるし……」
「謝ればすぐに許してくれるわよ。きっと」
怒った鋼牙怖いから、出来ればまだここにいたいんだけど。
あ。でもかごめさんが邪魔って言ったら帰ろうかな……。かごめさんがそんなこと言わない人なのは分かっているんだけど。
と、ふわっという風と共によく知った匂いが私の鼻に届く。
――私の、好きな匂いだ。
「なまえっ!!」
かごめさんは四魂のかけらの気配でいち早く気付いていたらしく、来たねという顔で私を見る。
犬夜叉さんも匂いでぴくりと反応すると勢いよく立ち上がった。今更な気がするのは口にしないでおこう。
少しずつ近づいてくる匂いとつむじ風に私は逃げたい気持ちでいっぱいになる。
嫌いと言った手前会おうにも会いづらい人が、私たちの前に姿を現した。
「やっぱりかごめたちのとこにいたか……」
「……こ、鋼牙」
一目みて分かったことがある。
大変怒ってらっしゃることだ。鋼牙、ご立腹のようである。
「迷惑かけたな」
「けっ。さっさと帰りやがれ」
「うるせえ犬っころ。言われなくても帰ってやる。……行くぞ」
「え……」
正直、今鋼牙と帰って二人きりにはなりたくない。怒られるのが目に見えているからだ。
私が言葉少なに後ろへ一歩下がると鋼牙はため息をついて私を横抱きにし始めた。
…………。ん、あれ。
「っこ、ここ鋼牙!?」
「つーことでまた来るぜかごめ!」
「うん。またね、鋼牙くん」
「二度と来るんじゃねえぞ」
「ちょっ、」
嘘でしょ。私を抱きかかえたまま鋼牙は元来た道へと戻っていく。
怒ってるなら、放っておいてよ。
―――
暫くして急に鋼牙のスピードが落ちて、適当なところで止まると私を静かにおろしてくれた。
どうしても鋼牙の目を直視できなくて、顔を俯かせる。やだな。絶対怒鳴られる。
どこに行ってたんだ、だとか。もしかしたら俺も嫌いだとか言いにきたのかもしれない。
そんなこと言うために連れ戻しに来たなら、……やだな。
「なまえ」
「……な、なに……?」
きた。
第一声はいったい何だろう。ふざけんなとかかかな。
こんな時に限って鋼牙の言葉を素直に聞こうとする自分に腹が立ちながらも、私は拳を握りしめて放たれる言葉を待った。
しかし一向に口を開かない鋼牙に疑問を抱き、痺れを切らした私が「ねえ、鋼牙」と話しかけた途端、目の前から鋼牙が消え間近に鋼牙の匂いを感じる。
「っ、あ……」
鋼牙に、抱きしめられていた。ちょっと痛いくらいに腕がきつく回っていて、顔に熱がたまっていく。
こんなことされたの、初めてだ。
「……馬鹿野郎……心配したんだかんな」
鋼牙らしからぬ消え入りそうな声で呟かれる。
怒られたわけではない。今、私はあろうことか心配されていた。
あんなことを言って逃げていったというのに。
それなのに鋼牙は私のことを心配したというのだ。
「う、嘘つき。心配なんてしてないくせに」
「した」
「私が逃げた先が、かごめさんのところだって分かってたから……来たんでしょ」
「違う」
「意味わかんないよ。何で心配してるの……」
「……なまえ」
「何で、怒らないの……っ?」
決して私が悪いとは思っていないけれど、絶対に怒られると思ってた私にとって心配は予想外だった。
普通嫌いとか言われたら怒るよ。私なら怒る。そりゃあもう暫くは顔すら合わせたくないくらいだ。
だけど鋼牙は、私のことを心配してくれた。私だけのために。それだけで、十分なのかもしれない。
「なまえがいないとダメなんだよ。一人でどっか行くな」
嬉しすぎる言葉につい涙腺が崩壊しそうになって、目に力を入れてなんとか耐える。
「じ、自分はすぐどこか行っちゃうくせに」
「は?」
「……なんでもない。こっちの話だよ」
「そうか」
「うん。……嫌いなんて嘘だよ。ごめん」
「俺も、悪い」
鋼牙は私から少し離れて、お互い顔を見合わせる。
好き。鋼牙のことが、大好き。
「鋼牙……かごめさんばっかり見ないでね」
「っ!」
「私だって鋼牙がいないと、ダメなんだから」
多分また鋼牙がかごめさんを口説いてたら怒ると思うけど、その度に私を思って心配する彼がいてくれるなら、今はこの関係のままでいいかなって。そう思うよ。
だから、
「大嫌いの反対だよ。鋼牙」
いつかは私を見てね。待ってる。
(20140609)
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