「そろそろ寝る時間だ、わたしよ」

 星空を眺めていた後ろ姿に声をかけると、緩慢な動作で振り返った彼は星光を映す闇夜のような双眸で私を見つめた。そのまま私を先導するように寝室へ赴き、薄手の寝間着に着替えて寝台に横たわった。

「今日はこども達の世話も終わっている。私も付き合おう」

『そうか? 悪いな』

 私も簡素な部屋着に替え、布団を広げて待つ彼の左隣に沿うように横になる。少し冷えていた布団がすぐに彼の体温に染まり、私にもその熱を教える。彼が体ごとこちらに向き直ると、私も向き合って目を合わせた。暫くそうして見つめあっていたが、彼は小さく鼻を鳴らしたのを最後に瞼を閉ざして寝息を立て始める。
 彼は生物の体についてあまり知らなかったため睡眠の概念をよく理解しておらず、思考の乱れと突然の気絶による入眠を恐れていた事もあったが、それは既に過去の話。眠ることを覚えた彼は随分と寝付きがよく、私が指示した時間通りに眠り、目覚め、おおよそ完璧な睡眠習慣をものにしている。
 眠る必要が無い私は時々それに付き合って彼が目覚めるまで添い寝することがあり、彼の隣に横たわって瞑想のように内の世界に集中していることもあれば、いまのように眠る彼をいつまでも見つめて、触れて、感じて過ごすこともあった。そうした日はいつも彼が特別に幸せそうに目覚めるので、眠っている彼と幸せを共有出来ているということなのかもしれない。

 いずれにせよ私は幸せに満ち溢れるこの時間と、そして無防備に眠る彼が堪らなく好きだ。上体を起こして左肘を付き、右手で黒い髪に触れる。太く強靭な髪はそれでいてしなるように靡き、鋭い毛先の感覚と共に私の掌に優しいざわめきを起こした。こども達にするように髪を優しく撫で摩り、そのまま首元から背中まで、今度は少し強めに撫でると、薄い生地越しに分かる逞しい肉体に惚れ惚れしてしまう。

『ん……、わたし……』

 ふと、何か感じるものがあったのか、私を静かに呼びながらそっと身を寄せてきた。私の胸に納まる彼の寝顔が心底安心しているように見える。数を重ねていく吐息に胸元があたたかく湿っていく感覚が狂おしい。
 愛おしさが込み上げて来たので背中を優しく抱き寄せながらその髪に顔を埋め、それでも足りなかったので次はこめかみの辺りに口付けて、唇に温かさを感じながら囁いた。

「わたしよ……」

 擽ったかったのか鼻を鳴らしながら身動ぐと右耳の碧い珠が微かに鳴り、彼の耳朶を柔らかく揺らす。
 一刻も早く正義を遂行し悲劇を終わらせる為に一つになりたいと彼は言っていたが、私はどうしてもそれを断っていた。異なる肉体を持つ二つの存在であるからこそ互いを感じることができるのだ、私はもう少しこの体温を感じていたかった。そんな私の意思を尊重してくれる彼を心の底から愛しているから。彼はわたしでありながら、私ではない。私はそんな存在に甘えているのかもしれない。

 艶やかな珠に世界と私が反射し、指先で触れると控えめに涼やかに鳴る。その僅かだが存在感のある重量は、とても心地よいものに感じられた。
 そのまま指を首筋、肩へと撫で下ろしていき、筋肉の弾力を確かに感じながら二の腕を軽く揉む。筋張った肘も、節くれだった指も、柔らかく暖かい掌も。指を絡めて握り合わせればそこから幸せが湧き上がる。
 皮膚に浮かぶ青紫色の血管は力強く脈動し、薄い皮膚を押し上げて私にその感覚を伝えてくれた。反射なのか、それとも夢の中でもそうしているのか、静かに繋いだ手を握り返してくるその手が愛おしくて堪らない。体を少しずらして彼の胸に額を押し付けると、神のそれとは違う人間の鼓動が、生命のリズムが私の頭蓋を静かに震わせる。暫くそうして耳を済ませていると、繋いでいた手が自然に振り払われ、それは私を覆うように伸びて抱き寄せてきた。

「ああ、なんと愛らしいのだ……」

 思わず感嘆の溜息が漏れる。しかし彼の瞼は開かない。……やはり眠ったままである。愛を求める獣のように、無意識に私を欲しているのだ。
 彼は人間そのものをひどく軽蔑し毛嫌いしているが、私は生物であるという観点においてはほかの命と同様に愛しているつもりだ。唯、半端な知と醜悪な欲に溺れ他を尊重せず、更には無意味な殺戮でさえ正当化しようとして、それについて責められると今度は自分が被害者ぶる。そんな野蛮な精神性が、一種、人間を人間たらしめるその要素こそが私にはひどくおぞましく醜いものに見えるのだ。そういう意味ではヒトの身を持ちながら神の精神を持つ彼は、わたしは、私にとっては理想の存在に他ならない。
 目の前に横たわり私をその手に抱く彼は、私の憧憬した理想であり、紛れもない現実であるのだ。故に私は永遠に彼を愛寵し崇める。彼は永遠に私を傾慕し讃える。この究極の相互関係の中で、私達は絶対的な存在であり続ける。共にあっていく。

「愛してるぞ、わたしよ」

 首を伸ばして顔を近寄せ、薄く開かれている乾いた下唇に吸い付く。柔らかく温かい感覚と唇に感じる柔らかい快楽が何よりも心地よく、幸せで胸が満たされていくのを感じる。そのままやわやわと食んで楽しみ、また彼の背中に手を回してきつく抱き返した。触れ合っている部分から彼の体温に侵され、染められ、満たされて……
 名残惜しくも唇を離し、額をくっつけて目を瞑った。こうすることで、彼の感覚を共有出来る気がする。いまごろ夢でも見ているだろうか?彼も幸せに眠れているなら、それが一番だ。私は彼が目覚めてからすらも、こうしてずっと抱き合っていたいと思った。





おわり



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