………星が流れて消えていくよりも早くそれからの時は流れていった。俺は人を殺したのだから。だから俺はその罪に見合う罰を受け続けていた。空気の淀んだ暗くて不潔な地下室で、もう想像したくもないような………いつからかそれはただの拷問になっていた。
 どうせもう愛する家族には会えないのだ。生きる意味など無かった。死んだ方がましだと本気で思っていた。しかしそれでも俺はしぶとく生き続けていた。時には媚を売って罰を軽くして貰い、時には糞尿を飲食してでも餓えを凌いだ。
 何故そこまでして生きたいのかは分からなかった。俺は何かの期待を持っていたのかもしれない。しかし当然ながら、そんな生活を長く続けられるはずも無かった。俺はもう起き上がることも出来なかった。

 大人達の声が聞こえていた。もう俺は放っておいても死ぬらしい。抱え上げられたと思ったら、次の瞬間には俺は森の中に捨てられていた。

 浴びた血が染み込んで紫色に染まり上がってしまった、すっかり汚れてしまった俺には、こんな死に方がお似合いだと。そう思って口角を上げたつもりになった。俺は生きることをやめようと思って、何処かで見たような青い色の空を瞼で隠した。



「ーーー! おい……! ーーーーー!」

 …………誰の名前を呼んでいるのか、認識できなかった。それは俺の名前であった言葉だ。今の俺には相応しくない言葉だ。少しだけ体が軽くなっていた。苦痛が幾分か和らいでいた。俺は目を開いた。目の前には兄貴の姿があった。

「やっと起きたか……!」

 ………俺はまた、兄貴に救われたんだ。
 聞くところによれば俺はもう一ヶ月行方不明のままだったようで、家族は必死になって青い弟を探しているらしい。(そんな奴もうこの世のどこにも存在しないのに)
 見るからに寝不足で、そもそも兄貴は森の何処にあの集落があったかさえ記憶していないのだ。それでも兄貴は深く広いこの森で懸命に俺を探し続けてくれていた。そしてこの森で俺を見つけ、近くの空き小屋で手当てをしてくれた………

ーごめん、

 思っていたよりも声は出なかった。兄貴は無言のまま慌てたように俺を抱き締めた。久々の温もりが身に染みる。温かい手で背中を擦られると、まるでそれによって押し出されたように涙が溢れた。こんなに汚い体を抱き締めてもらえて申し訳ない。でも嬉しくてならなかった。甘えたいと思った。兄貴はどこまでも俺に甘い。

「謝るべきは俺の方だっ……俺が………」

 兄貴も泣き出してしまった。俺達はそのまま、二人で抱き合って泣いた。苦痛の記憶を洗い流すシャワーのような清らかな涙だった。

 一頻り泣いて落ち着いてくると、兄貴は腫れた目の涙を拭って少し真剣な顔つきになった。そして何度か俺の名前を呼ぼうとしたらしいが、声になる前に引っ掛かって出なくなってしまったらしい。俺は察して、震える腕でその喉に触れた。

 それから俺は途切れ途切れの言葉で、こんな姿ではきっと家族に受け入れて貰えないだろうということ、こんな体では長くは生きられないだろうということ、もう俺のことは忘れるようにということ、そして俺が兄貴を深く愛していたことを伝えた。
 兄貴は何も言わずにずっと聞いてくれていた。俺が全て話し終えたことを知ると、暗い顔で俯いて肩を震わすだけになってしまった。
 泣いているのかと思った。しかし体を何とか起こしてその顔を覗き込んだとき、兄貴は悲しみではなく怒りで震えているということに気が付いた。

「お、まえはいつもいつも………」

 血が止まって白くなるほどに握り締められた拳が痛々しい。何故そんなに兄貴が怒るのか、俺には分からなかった。暫くそのまま固まっていたがやがて兄貴は顔を上げて、今度は悲しげな表情をしていた。

「おまえはいつも身勝手で、無責任で、最低な奴だ………」

ーなんとでも、言えよ………

「またそうやって何でもないようにする………!!」

 兄貴は歯を噛み締めて、そして悲しげに唸り声を上げた後、堪えきれなかったというように涙を一粒だけ溢した。

「おまえは今まで一度だって俺の気持ちを考えた事があったか!?」

 今にも泣き出してしまいそうな、本当に悲しそうな叫び声だった。すとんと俺の胸に落ち込んできたその言葉は、決して俺を責める言葉ではなかった。

「おまえは俺が居なくたって、ひとりでだって生きていけるんだろう………だが俺は駄目だ。おまえがいてくれなければ………なのにそんな、勝手に俺を庇って、勝手にそんな体にされて、勝手に俺を置いていってしまうだなんて………」

「そんなことを許せる訳がないだろう!」

 ……暫く何も言い返せなかった。そうだ。俺は兄貴の気持ちを考えたことなど一度もない。全部自分勝手な判断で、押し付けるより悪質に「気を遣う」ふりをしていたに過ぎない。でもそれが正しいと、それ以上のことはないと自己完結してしまっているのだから、俺は尚更質が悪い奴なんだろう。
 そうでもしないと兄貴はどこまでも自責して、壊れてしまうかもしれないとさえ、俺は思っていたんだ………

ーごめん

 言ってから少しして、自分でもどうしようもないくらいに自責してしまっていることに気が付いて、その感情をどう表現していいか分からずに失笑してしまった。それを見ていた兄貴も破顔して、じゃれつくように抱きついてきた。

「だからたまには、俺にもおまえのように振る舞わせてくれ………」

 自分勝手に、俺の気持ちも考えないで? 聞くと、兄貴は小さく頷いてから咳払い、俺に覆い被さるように抱きついたままの体勢で少し顔を離してから、真面目な顔に変わった。

「俺はおまえを、決してひとりで死なせはしない。おまえが死んだら俺も死ぬ。俺は生きていたいから、おまえを死なせはしない。」

ーなんだよ、それ………

「今日からお前は紫だ。俺は青。もう上下関係は無しだぞ。」

 確認するように覗き込んできた空色の瞳を見つめ返して、そして二人同時に照れ臭さを隠すように笑った。

ー勝手に改名していいのか?

「俺が勝手に決めたことだ。とにかく! これから俺はおまえを、紫を看病して絶対に家族のもとへ返してやるんだからな。」

 くしゃりと頭を撫でられて、思わずうっとりと目を瞑って身を委ねた。薄く目を開けると青は優しく目を細めてこちらを見つめていた。これでは"あの日"の真逆の状態ではないかと、重なっていく鼓動の心地よさを感じていた。

「紫、紫……紫。おまえの色は、なかなか好きだぞ。………あの日の空みたいだ。」

 遠い夕陽を眺めるように何処かをじっと見つめた後で、青は俺から離れて外に水を汲みに行ってしまったらしかった。青が出ていくときに開いた扉から覗く暮れ始めた空は、青色に夕陽の赤が射し込んで、いつまでも忘れられないほど美しい色を湛えていた。



 ……暫く小屋から出られないまま、俺は青に看病されながら寝込んでいた。青は毎朝早くから薬や食べ物を持って来て、そして夜遅くに帰って行った。何よりも青は賢い男だから。誰にも尾行けられることなくこの小屋まで、雨の日も風の日も欠かすことなく通ってくれていた。
 青の適切な処置のおかげで傷の治りも早かったし、リハビリにも付き合ってくれたおかげで思っていたよりも早く立ち歩けるようになった。すっかり痩せて削げ落ちていた筋肉も元に戻ったところで、頃合いを見計らって家に帰ることにした。

 結局一年も行方不明になっていた上姿も変わってしまったこの俺を受け入れてくれるだろうかと心配だったが、杞憂に過ぎず。誰も何も言わずに俺を俺だと受け入れてくれて、そして強く抱き締めてくれた。
 俺も青も、親父達からあらゆることを聞かれた。だが俺たちは決して口を開かなかった。だからあのことは誰も知らない。兄貴と俺のこと。俺と青のこと。青と赤のこと………






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