ほんの一瞬、獣のようなおぞましい光が彼の瞳に宿ったのが忘れられない。今でも何処かから虎視眈々と私を狙っているのではないかとさえ……

 こんこん、

「ッッ!?」

 扉から軽い音。寝台が軋むのが嫌に煩く響いた。こんな些細な音にも過剰に反応してしまうほど私は疲れているらしい…… その二回以降無音になった向こうに声を投げ掛ける。

「誰だ」

『父さん……』

 鳥肌が立った。扉越しにじっと見つめられている。気だるげなーーいつも通りと言えばいつも通りのーー低温が耳に纏わりつく。吐息の多い静かな声は感情が一切読み取れず、故にいまの私にとっては恐怖の対象でしかなかった。念のためリモコンの位置を確認し、いつでも取り出せるようシミュレートしておく。

「どうしたんだ」

 できるだけ普段の調子で応え、上体を起こした体勢で扉を見つめ返した。それは微動だにせず、また暫くは何も聞こえては来なかった。最も賢明な返答を考えているのか……目的でさえ私には想像もできないが。

『怖い夢を見ました……』

 同情を誘うような被害者じみた声色。眉を潜め怯える彼の姿が扉に透けて見えるようだ。掠れ具合が一層その悲痛さを際立てている。
 悪夢を見た、と言って私のもとへやって来るのは度々あることであった。頭痛を起こすようなやかましい耳鳴りと、自分を掴み上げるおぞましい怪物、一瞬の鋭い閃光の直後に堪え難い激痛……彼が真摯に訴えるそれはきっとあの日の記憶。実際に魘される姿を見たこともあるが、何度も夢の中で命を脅かされるのは私も同じであった。

「入りなさい」

 物音一つ立てず、するりと此方に向かってきた。窓からの仄青い月明かりだけが照らす中に、顔面蒼白のブロリーがぼんやりと浮かんで見える。ひとまず寝台に座らせた。少しは落ち着いてくれるだろう。

「眠れそうか?」

 ぎゅっと背中を丸めた姿が痛ましい。毛布を肩にかけてやると安心したように溜め息を吐き、狂っていた呼吸も徐々に整っていった。時折目線だけを私に向け、何かを気にするようなぞぶりを見せる。

『眠りたくないです』

 かなりの間を開けて返ってきた台詞は、いつも彼が言うこととは少し違っていた。今夜の悪夢はより悪いものだったのだろうか。眠れない、ではなく眠りたくないと、そう聞いたのははじめてのことであった。
 とはいえ、いつもに増して具合が悪そうだ。それに睡眠を取らない方が余程不健康であろう。

「無理はするな。ここで眠ってもいいんだぞ」

『……』

 ……また、だ。
 一瞬のことであったが此方を見つめる黒い瞳がぎらついた。赤い光が差したようにさえ見えた。そしてその直後、無理に抑えつけるように自分の体を抱く。これで二回目……制御装置が付いている今では大した力は持っていないはずだが、それでもあの目付きは恐ろしいものに感じる。牙を剥いて血肉を啜り喰らう猛獣のような、破壊と殺戮を好む彼の本能がそうさせているのか……私は何れ殺されてしまうのではないかと、僅かに恐怖を感じる。しかしそれを悟られてしまう方がよほど恐ろしいのだ……あくまで私は彼の父親として、努めるのみ。

『父さん……』

 光のない球体がじっと私の目を捉えている。何かを訴えたいらしい。黙ったままでいると彼は体ごと此方に向くように座り直した。

『どうにか、なってしまいそうです………』

 弱々しく震える、濡れた声。思っていたより事態は深刻なようだ。ここまで参っている姿は初めて見る。何が起こったというのか………

「一体どうしたんだブ口リ一、何でも言ってみなさい」

『わからないんです』

 即答に驚いた。今までにない、はっきりとした言葉だった。

『この……これが何なのか、どう表現したらいいのか、どうすれば楽になれるのか、わからないんです』

 眉を潜めてやや俯き、震えた吐息を漏らす。苦しそうだ、助けてやりたい。彼は元々自分の感情を表現するのが大変苦手であったので、こういった事態は度々起こる。だがそれは大抵が嫉妬や嫌悪といった態度によく出る分かりやすいものであり、今回のように私には想像もできないようなケースはなかったのだ。

「自分が知っている限りでいいから、どんな言葉が一番似合うか考えてみなさい」

 ……暫くのお互いの無言が続いた後、そっと俯いた顔を覗いてみる。少しむっとした怒りの色と、どこか焦っているような気配が伺えた。言い出すのを戸惑っているらしい。完璧な答えを無理に求めているのか、言うか言わぬか決めあぐねているようだ。

「なんでもいいんだ、ヒントをくれれば………」

『父さんを』

 彼が急に顔を上げたので驚いた。ごく短い言葉であったがはっきりとした語調はすぐにぼんやりと消え失せてしまった。しかし必死に何か言い出そうとしているようなので、じっと彼の決断を待ってみることにする。

『父さんが……父さんを………父さんに………………う、う、父さん、に、』

『父さんに僕の証明がほしい』

 ………理解するのに少し時間を要した。証明がほしい、とはどういう意味だろうか。何の証明で、何を証明するもので……

『父さん』

 じっと、私の潰れた左目を見つめている事に気が付いた。そしてその瞳がまた、例によって赤く不気味に光っている。間近で見るそれに私は思わず息を呑み、僅かな沈黙と二度の瞬きの次に彼は目を見開いた。

『父さん、僕は父さんに』

 肩を乱暴に鷲掴まれ、次の瞬間には背中に重い衝撃。反転する視界の中でこちらに向かって前髪を垂らす息子の顔を見て、ようやく自分が押し倒されたことに気が付いた。
 ギラギラと赤く燃える瞳、荒くなっていく吐息と、口の中に覗く真っ赤な舌。私を押さえ付ける力は際限なく強まっていき、既に腕を動かすことさえ叶わなくなっていた。神経を圧迫され、指がちりちりと痺れる。

「ぶ、ブロリー、」

『僕を忘れてほしくない』

 鋭く光る犬歯と低い喘鳴の中にはっきりと聞こえた言葉、ゆっくりと迫って来る顔に私はもう何も抵抗出来ず、ただ体を固めて目を瞑った。
 ……顔の左側に鈍い暖かさを感じる、肩を掴む両手がずれ、私の頭を抱きすくめるように腕が置かれた気配がした。生温く湿った感覚と濡れた音、彼の熱い熱い舌は……

 私の瞼をこじ開け、眼孔にねじ込まれた。

「ーーーーッ!!?」

 とうに死んでしまったはずの神経が焼けるような痛みに囚われる。痺れた両腕が咄嗟に彼の胴体を掴んだ。引き剥がそうと、もがいても、力が足りない。
 くちゅくちゅと嫌な音を立てて、潰れた傷口から暖かい血を吐き出させる分厚い肉は何度も何度も眼孔を往復しては新鮮な痛みを私に与えた。耳元まで血が流れてくるのを他人事のように思いながら、彼の脇腹に爪を立てて弱い抵抗をする。

『父さん……父さん……』

 左目を舌で犯し尽くされた後に、口許をべっとりと汚した息子の顔が涙に滲んで見えた。痛みを紛らわせるべく血の流れる眼孔を押さえようとした腕を掴まれ、血と唾液を塗り付けるようにねっとりと舐められる。舌先が古傷の溝に引っ掛かった時、桃色に光る歯が喰い込んだ。

「ぐッ……! ぶ、ブロ、り、やめ、なさ、」

 痛みを通り越して冷静になっても尚、喉が情けなく震えてしまう。一度は治った筋組織の損壊が再現され、血を流し、熱く痛み、どんなに力んで暴れようとしても逃れることは出来ない。彼には私の声など聞こえていない、彼を止めることは出来ない。
 出血の止まらない眼孔がいよいよ満たされ溢れ出した時、彼の口は再び私の顔に寄せられた。ずるずると血を啜り、キスをするかのように唇で触れ味わう。感覚が鈍くなっているのがせめてもの救いだった。

『とう、さん……』

 潰れた目から湧き出す血を一頻りたいらげたら、今度は私の胸元に顔を埋める。細かい傷を一つずつ裂くように歯を立て、まさしく彼の証を付けられていく。私はもう、抵抗を諦めざるを得なかった。狂った息子の吐息を首筋に浴びて、体中の痛みから目を背けるしかできない。

 更新された古傷を舌で抉られる感触から気を逸らそうと思案しているとふと、左腿に何か硬く熱い感触があることに気が付いた。視線を寄越すとそこには彼の足の付け根……彼が勃起していることを悟る。血を舐めたからか、人を傷付け苦しめたからか、きっと戦闘種族の本能的に興奮しているのだろう。しかし彼はそれを処理する方法を知らない。そんなことは教えていない。
 ……もしあれをどうにかすれば、彼の気を逸らすことが出来るだろうか。痛みから一瞬でも逃れることが出来るだろうか。

「ブロリー、」

『父さ……っ!? はアっ、あ!?』

 膝を曲げ、その形を探るように擦る。私の胸元から驚いたように顔を離し、腰を小刻みに震わせて息を荒らげた。突然の未知の刺激に戸惑っているのだろうか、彼は全ての動作を止め、私の目をじっと見つめる。

『と、父さん……』

 なんとか気を逸らすことが出来た、と一息ついたのも束の間のことだった。その感覚に味を占めたブロリーは、あろうことか自分から腰を擦りつけてきたのだ。彼はますます息を荒らげ、口では噛み付いて血を啜り、手では手形が残るほど鷲掴んで、そして下半身を膝から太腿に擦り付けてありとあらゆる手段で私を感じていた。
 なんだか犯されているような屈辱に痛みが紛れるような気はしたが、顔を上げた彼と目が合った瞬間に再び全身の痛みが研ぎ澄まされるのをはっきりと感じた。

「も、もうやめろっ……!」

 真っ直ぐに伸びてくる手が、辛うじて自由になった腕でそれを止めようとしたが、次の瞬間には腕を捻り上げられ、彼の片手だけで両腕を拘束されてしまうという情けない結果に終わった。
 伸びた腕はそのまま私の顔を撫でるように覆い、そして親指で血の滴る眼孔を……ぐちゃぐちゃと弄ぶように乱雑に掻き混ぜる。塞がりかけた傷を再び抉られ、もう悲鳴をあげる気にもなれなかった。せめて瞼をぐっと閉じてもう彼とは目を合わせないように努める。が、血肉の音とは違う、布擦れの音が新たに聞こえて目を開いてしまった。

『父さん……』

 目の前にあったのは剥き出しの男性器であった。顔の前に差し出されたそれが意味することを察し眼前が暗くなる。しかし私はほんのわずかに、これは同時に反撃のチャンスなのではないか、と閃いてしまった。もしこれを…あまり考えたくはないが口に含むのだとしたら、それは現状最大の武器となりえる歯を当ててやることができるのではないか、と。
 しかしそんな淡い期待は打ち砕かれる。左目の激痛によって。

「ーーーッ!?」

 一瞬何が起こったのか分からなかった。激痛、視界の左端に見える血濡れの男性器の一部、そして息子の恍惚とした吐息。常識で考えてはいけない、私は顔を犯されている……
 不器用ながらも腰を動かされる度、ごつりごつりと眼孔の骨に先端が当たって鈍い痛みが走る。彼は私の手を使って入りきらない部分を慰めながら、何やら聞き取れない声でぶつぶつと呟いていた。私はもう、出血やら何やらでほとんど何も考えることはできない。現状を冷めた脳内で理解するのがやっとで、このまま死んでしまいたいとさえ感じていた。彼を止める気も、痛みから逃れる気も、とうに失っていた。

「はあっ……はあ……とうさんっ……あ……」

 中でそれが脈動している。生臭い匂いが弾けた。私はこれから、どうなるのだろうか。





おわり




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