薄暗くて心地よい、それでいて漠然でもの悲しいような、そんな海の底からゆったりと浮上するような心地。今から生まれ出ようという胎児がまだ羊水の中で眠っていたいと願うような、なんとも微妙な心境で瞼を開ける。

 視界に一番に飛び込んだのは薄暗い裸電球で、その周囲は影で彩られた灰色の天井で。夢か現かはっきりしない状態のままむくりと起き上がる。

( ´_ゝ`)
 あ……あ………あ……ふむ、

 発声練習。声は問題なく、自分の思った通りに発する事が出来た。指をばらばら。脚をばたばた。表情筋をぐにゃぐにゃ。……体に不調は無い。何不自由なく全ての部位を動かす事が出来る。
 唯一つ問題があるとするならば、黒革の首枷が取り付き、強固な鎖によって壁に繋がれている事か。

 呆然とその金属を眺めているうちに、扉が開くような音が響いた。

(´・ω・`)
 やあおはよう、僕の兄者

 なにやら茶碗や皿らしき何かが乗った盆を片手に、愛しくて堪らないような目を此方に向けるショボン。全裸で大股を広げて寛ぐ二十歳の男がそんなに愛おしいのか、そっと近付いて来ては盆を床に置き、俺の頭頂を撫でた。

(´・ω・`)
 随分と寛いでるね

 ……記憶にある限りでは、俺はこの男に唇を奪われた挙げ句手扱きで射精させられたんだ。最早、この男に対しては羞恥もへったくれもない。元々銭湯が好きで裸を見られるのは慣れていたから、尚更。

( ´_ゝ`)
 俺は、所有物なんだろ

 言葉を受け、数秒固まってーー彼はいかにも嬉しそうに、愛おしそうに顔を歪ませた。頭上にあった手が滑って顎に到達し、やや上を向かされる。

(´^ω^`)
 理解力のある子は好きだよ

 生温い唇が額に触れて、直ぐに離れた。もとより俺は適応力が高いのだ。記憶を失って死刑宣告されてーー今更何に驚き戸惑おうと言うのか。……男はそれから俯いて盆に目を向ける。追ってそれを見れば、白いスープとトースト、質素なサラダだった。

(´・ω・`)
 質素で悪いけど朝ご飯だよ

 彼は茶碗を手にし、俺の目線やや下まで持ち上げる。湯気の立ち上るそれからは、甘く優しいポタージュの匂いが漂った。胃袋が催促を始める。早く味わいたい。首を伸ばす。

 ……次の瞬間、茶碗が上へ消えていくのが見えた。一拍遅れて、慌ててその行方を目で追う。……反らされた白い喉が見えた。

(;´_ゝ`)
 おい……お前、まさか

 頬が少し膨らんだ男と目が合う。茶碗を床に置く音が遠い。少しずつ迫り来る顔ーーー

( >_ゝ<)
 (ええい、ままよ)

 目を瞑り、薄く口を開けて。唇に暖かく濡れたものが触れて。次いで流れ込んでくる暖かい液体………




………………………




 ……女の両手が俺の頭に伸び、低く囁くような声で……恨み辛みをぶちまけるように……俺はただ目玉だけをぎょろぎょろと動かして、体を震わせて…………

川 々 )
 今からその……憎々しいお前の一切の記憶を……全て……全然……全くに消し去ってやろう………自分の事も俺の事も全て全て忘れて……殺戮の記憶を……その潔白の身に植え付けられて……訳が分からぬ恐怖に溺れて……怯えて……震えて……泣き叫んで……そして……無実の罪に苛まれ、この俺に制裁を下され…………


 ………美しい緑の渦。全てを飲み込んで。どろりと溶けて……やがて俺は大量の砂粒と共に眩しい闇の中へ………



………………………




( ´_ゝ`)そ

 スープを味わいもせず飲み込む。突如頭に閃いた事象を整理する。前回とは異なり、やや客観的な主観でーー挿し絵付きの小説を読むような形で思い付いたので、あまり動揺する事は無かった。
 もう何度も夢に出たあの女が……これはもう間違い無くこの事件の全ての真実であり、いずれ紐解かれる謎の鍵となる夢なのだと、俺はそう確信していた。

 ……そんな考えを張り巡らせている内に、二口目が運ばれて来る。今度は咀嚼されたトースト……他人の口内で生温く濡れたそれに不快感を隠せなかったが、なんとか飲み下してその食感を忘れる。
 これは動物によく見られる餌付け行為に似ているなと思った。口移しで動物に餌を与えると、場合によるがその動物はより飼い主に懐きやすくなるのだと。つまりこの男は……ストレス或いは性欲の捌け口として、俺を自分だけの愛玩動物に仕立て上げたいのだ。

(´・ω・`)
 ん……偉いね、全部食べられたね

 空の茶碗を手にした彼はやや左に傾いた。少し離れた壁から突き出た蛇口。捻って、水を汲むとこちらに向き直った。

(´・ω・`)
 さあ、お飲み

 ………今度は直接茶碗から飲ませてきたので多少驚きながらも、その水を飲み干す。ややカルキ臭く、冷たい水。

( ´_ゝ`)
 ……俺をどうする気だ? そして何故、どうやって死刑囚の俺を手に入れた?

 それまでこちらを真っ直ぐ見つめていた瞳がゆっくりと陰る。茶碗を床に置き、やや俯いて顎に手を添え。……答えたくない事柄だっただろうか。

( ´_ゝ`)
 この事件に深く関わりがある人物なんだろう?



やっぱり……僕の事なんか忘れちゃってるよねえ………ってさ。』

ー違う、俺は何も覚えて………

『ッ、アイツ……大丈夫だよ、兄者は悪くない。』



 あの会話から、彼がこの忌まわしき事件の真相を全て知っていてもおかしくはない、と思ったからだ。意図は読めない。正直、この流石兄者という人間に何の価値があるのだろうとは思っていた。

(´-ω-`)
 ……順を追って話すね。だけど結論だけ先に言わせてもらうよ。恐らく僕は、君の身の回りに起きた一連の事件に対して何の解決も出来ない。

 ………何処か腑に落ちないながらも落ちかけた肩を物理的に掴まれ、やや目が見開く。彼は真に申し訳なさそうな、許しを乞うような目をしていた。

(´・ω・`)
 ……本当のところは僕にもよく分かってないんだ。ごめんね。

( ´_ゝ`)
 ……そうか、

(´・ω・`)
 うん、それでね……

 彼は盆の上を丁寧に整理しながら、ぽつりぽつりと言葉を紡ぎ始めた。きっちりと整えると、こちらに顔を向けはきはきと話を始める……

(´・ω・`)
 まず、僕は君を愛している。何故それに至ったかについては、今は省略させてもらうね。それで、僕は……文字通り君の所有者となって君を僕1人だけのものにしたかった。
 だけど、僕達はお互い完全に無関係の人間だ。それに君には家族がいる。僕はただ偵察に行かせた部下から、遠く君が何をしているか聞いては君に焦がれるだけだった。
 ………一週間程前の事だ。君が重犯罪で死刑囚になったと聞いたのは。

 遠回しながら、俺はずっとこの男の監視下に置かれていた事……寒気に似た何かを感じた。だがもうこの際それはどうでもいい。彼の話に再び耳を傾ける。

(´・ω・`)
 ……兄者。僕が君を買う為に、一体どれだけの金が動いたと思う?

 ……想像もつかない。百人を殺した死刑囚は、一体どれほどの金でその罪を帳消しに出来るというのか…………

(´・ω・`)
 ………216億。

(;´_ゝ`)そ
 にッ……!?

 飛び出した数字に、俺の目玉が飛び出してしまった。まるでこれ位の出費は大した事がない、とでも言うように淡々と言い放ったそれは、確かに百人の命の値段と警察・裁判所等の買収を考えれば安いような気もする。

(´・ω・`)
 君は殆ど家族単位で皆殺しにしたからね、思ったより安く済んで良かったと思っているよ。

(;´_ゝ`)
 っだが……あんた、一体何処からそんな大金を…

(´・ω・`)
 ある業界人のマネージャーを名乗る人物から、180億程渡されたんだ。『貴公の功績による多大な恩恵には、私共々とても感謝しております』……みたいに。確かあの男は……内藤とか言っていた。

 ……なんとも胡散臭い話だがこれが真実とすると、それでも36億は自腹した事になる。どの道、この男は俺とは到底身分違いの人間な訳だ。寒気がする。

(´・ω・`)
 ……ああ、僕はちょっとした………東の国に本社を置くある企業の日本支社の副社長なんだ。………本当に大した事はないんだけど。

 その会社がどんなものかは知らないが日本に支社を置くような辺り、きっと想像もつかないような一流企業なのだろう。金欠と言う理由から安い底辺校に通わざるを得なかった俺とは住む世界が違う。
 ……頭の片隅で"内藤"という名前を反芻。何か引っかかりを覚えるも結局何も思い出せない。

(´・ω・`)
 ……それで、その216億でありとあらゆる方面を買収して漸く君が手に入った訳なんだけど。……他に聞きたい事はあるかい?

( ´_ゝ`)
 女、

 あまりに即答だった為、度肝を抜かれたらしい。その目がやや開き、次の瞬間には元の大きさに戻る。……女という単語だけで特定出来るという事は、やはり事件に直接関わりがあるんだろう。

(´・ω・`)
 ……あまり、触れてほしくはなかったけど。やっぱり気になるよね、ごめんね。

 俯きがちになったその顔には、どこか悲しげな……儚げな陰が落ちている。まるで恋人の死を思い出すような、別れの悲しみを思い出すような。

(´・ω・`)
 ………本当に、只の知り合いだよ

 吐き捨てたその言葉は……誰がどうみても嘘だと分かった。分かりきっていた。だがなんとなく、これ以上を聞き出すことは出来ないな、と思い口を噤む事にした。彼は暫く何も言わなかったが、やがて盆を持って立ち上がった。

(´・ω・`)
 ……片付けるね。何も無いけどゆっくりしててね。

 薄く扉を開けた先は、薄暗いこの部屋よりも更に深く暗い闇に見えた。



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