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―ぎゃああああ……あ………ぁ
ペニサスの悲鳴が聞こえ飛び起きた。まだ丑三つ時じゃないか。何なんだよ………
―俺はギコだあああ……ぁ………
奴はついにボケ老人と化してしまったのだろうか。もう眠気も覚めてしまったし、だいぶ頭もすっきりした。俺は体の傷を庇いながらそっと布団を抜け出し、窓から外へと抜け出した。
深く青い空を眩い月が照らしている。息苦しいまでに吹き荒ぶ夜風は、未だ祭壇にくくりつけられたままの俺の死体を寂しく虚しく撫でていた。
殺される寸前の、悲鳴をあげていた俺の顔。もし俺と兄者の魂が入れ替わったのだとしたら、あの体に兄者の魂が入っていたはずだ。だがあの顔からは、兄者の雰囲気が感じられなかった。どちらかと言うとペニサスに近いような……?
―ッ!?
不意に物音がして、茂みに身を隠した。あれに立つはよく見知った顔の、ペニサスの息子、ギコだ。その筋肉質な手には大きな出刃包丁を握り締め、コソコソとどこか不審だ。まさか………
―やっとあの悪魔めを殺してやれたわ
ギコを尾行けて行くと、あの神父ミルナの家に着いた。ギコは窓の下に伏せ…殺す機会を伺っているのか?
ギコ……一体あの権力者に何の恨みがあるというのだろう。確かに俺等兄弟はミルナにこっぴどく嫌われ虐められていたが、他の人間には優しいはず。だがしかし、何故だかあの人間はギコであってギコでないような気もする。
―今度は如何にして兄者をこ
ミルナが何か言いかけた時、ギコは窓を叩き割ってミルナに襲いかかった。悲鳴すら挙げる事を許されないまま、壁が血に、まるで霧吹きで血を撒いたかのように綺麗に染まっていく。
俺は思わず立ち上がってその光景を眺めていた。ふとギコがこちらへ振り返る。一秒二秒三秒、目があって初めて俺は殺人の恐怖にひれ伏した。野生動物のように爛々と輝く眼は俺の背筋を凍らせ、表情を強ばらせていく。
俺は背中を向けぬように後退ってから、全力で家へ走った。あの瞳、あの瞳は本当に殺意に満ちていた。敵意、恨み、憎しみ、怒り、ありとあらゆる憎悪と負の感情に満ち満ちていた。
ペニサスの嘆きを背景に布団に潜り込み、全力でくるまって呼吸を整えた。自分が殺される時はこんな事考えもしなかったのに、何故ギコに、あんな奴に限って俺の脳内を恐怖で支配するのだろう。
俺は早くあんなもの忘れてしまいたいと、優しかった兄者の温もりを体に思い出しながら目を瞑った。
耳に覚えの無い、大きく恐ろしい音に跳ね起きた。地の底を這うような、五臓六腑によく響く不気味な音だった。それは断続的に鳴り響き、まるで何かを警告するかのようにも聞こえた。
きっとあれは夢だったのだ。そうに違いない……右手に付着した乾いた血を床にねじくって無理やり安心した。
―兄者、起きたかい?
突然大きな襖が開き、それはそれは上品にオサムが入って来た。何故彼がここに…そんな事を聞くまでも無く、オサムは着替えを手渡してきた。
―ペニサスさんの頭がどうかしてしまったのでな。それに殺人も起きてしまったし……心配で来てしまった
―ありがとう………
―あと……これから死刑が執り行われる。何故にギコさんが神父殿を………
ああ、あれは死刑を告げる鐘の音だったのか。そしてあれは夢では無い、紛れもない現実なのだと。
俺は着替えながら言った。執行を見に行きたい、と。夕べの殺人鬼が、翌日にはどうなるのか見たかった。ギコが何故ああなったのか知りたかった。
―分かった。一緒に行こうか
大小様々な痣にまみれた体を痛々しげに見つめられた。
やはりまだ、兄者の肉体としての感覚を掴む事ができない。俺本来の肉体だった時よりも体が重く、気分が悪いような気がする。
―朝食はその後でいいね?
ああ、彼ももう相当病んでしまっているのだろう。死刑を見た後直ぐに食欲が起こる訳が無かろうに………
広場の中央。未だ俺の死体すら片付けられないまま、十字架に括り付けられたギコに村人が群がっていた。
俺はオサムに肩車してもらい、やっとその光景を見る事が出来た。十字架の傍には、尊敬する神父ミルナを殺された事を嘆き悲しむ3人のシスター達がさめざめと泣いている。愛する息子が殺されてしまう事態なのだから、あのペニサスまでもが半狂乱になっている。
―何故あなたは神父様を……!
―許せない!
―あなたは神なる神父様に背く行為をしました。あなたは神の裁きを受けるべき悪魔なのです!
―あああああ!!!!俺がァ!!俺がァァァ!!
間もなく執行が開始された。ずっと無言だったギコがふっと笑み、また次の瞬間に怯えたような顔に変わる。ついに何か言うのか…そう思った時には既に、彼の首はペニサスの足元に転がっていた。
―あああああァァァァ!!!?
息子を失ったペニサスの叫びが村中に木霊する。俺はその叫びがなんだか気になってしまったが、この事態がなんとかなるのならどうでもいいと思った。
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