04

「───燈矢兄、」

躊躇うような妹の声に呼び止められ、燈矢は渋々背後を振り返った。振り向く先には妹と、その後ろには何か言いたげな弟が自身の顔色を伺っている。
なにをそんなに深刻そうな顔をされることがあるのか。自室に戻る足先を大人しく妹弟へ向け、「なに?」と先を促した。

「その、お誕生日おめでとう燈矢兄」
「……ありがとう」

それは言葉だけを切り取れば、ありふれたやり取りの筈だった。『お誕生日おめでとう』『ありがとう』このように、なんてことない、ただの。
しかし祝う側はまるで爆弾にでも触れるかのよう慎重な声色を発し、祝われる側はどこか投げやりに謝意を告げ、そうしてそっと目を伏せる。
そこに普通なんて言葉はない。
あるのはただ、取り繕った義務的ななにかだ。

誕生日。それはこの家では最早素直に祝い祝われるものではなくなっていた。最も顕著になるのが今日この日、1月18日。
末弟とたった一週間違いの、燈矢と冷奈の、誕生日。

昔はこうではなかった、と。戻らない過去を懐古し嫌になる。
まだ、炎司からの愛と期待を一身に受けていた頃のこと。
まだ、冷奈から誕生日プレゼントを貰えていた頃のこと。
世界が黄金色に輝いていたときのことを、幸か不幸かこの一つ下の妹も覚えている。思い出をなぞるよう、普通の家庭のよう。母親に代わり、冬美は行事ごとを大切にするようになった。

「それでね、冷奈姉にもやっぱり今日、直接言いたくて、」

だから、こんなことが言えてしまう。

この家は最初から『普通』なんかではなかったのに。そんなことからも目を逸らしているから、見当違いな言葉が言える。その後ろの夏雄は空気を読んで懸命に口を噤んでいるというのに、過去を夢見る冬美には、一切気付けやしないのだ。
一つ、溜め息。
そうして、忠告。

「……それはやめてって、俺言ったよね」
「っ、」

息が鳴る。
それが忠告と言うには幾分冷めた声を出してしまった己のせいと、燈矢も理解していたけれど。こういうことはハッキリ言っておくべきだから仕方ない。

「プレゼントはクリスマスの時にもう渡してくれたでしょ?冷奈ちゃんの誕生日プレゼントは、クリスマスの時に渡そうって、俺が言ったもんな。だから今日はもう冷奈ちゃんのことは気にしなくていいから。な?」
「で、も……」
「姉ちゃん、」

手の甲をひらひら振っても、「……おかしいよ、」などと言ってきゅっと唇を食む冬美はまだまだ言い縋りたい様子だった。この様子じゃ「せめて顔だけでも見せて」なんて言ってきそうな勢いだ。

───冗談じゃない。今日という日を理由に、あの子を傷つけていいのは俺だけだ。

ただでさえ随分時間を取られているのだ。「言っただろ?」舌打ちを押し殺し、燈矢は用意していた台詞を捲し立てる。
そもそも、このやり取りは先月一度したはずだった。

「冷奈ちゃんこの時期すっごく体調が悪くなるんだ。布団からも出られないんだぜ? 弱ってるところ見せたくないっていう冷奈ちゃんの気持ちも、分かってやってよ。あれでも一応冬美ちゃんたちのお姉ちゃんなんだからさ」

「な?」小首を傾けてやれば、納得していない様子ながらも、それ以上冬美はなにも言わなかった。
踵を返しても、逸る気持ちで自室へと足を動かしても。その後ろを、妹も弟も追いかけてこなかった。

.
.
.

「(お姉ちゃん、ね)」

後ろ手で襖を閉める燈矢の瞳に飛び込んできたのは、薄っぺらい敷布団だった。人が存在するような厚みのない場所からサッと視線を巡らせ、射るような目つきで目当てを探す。
だが、狭い室内だ。瞳を細めた燈矢が向かうその先に、薄ぼんやりとした少女は居た。
部屋の隅、散らばる涙の中心に、蹲る姿はそこに居た。

「こんなところにいたら、風邪ひいちゃうよ」

ほら、こんなに冷えてる。
防寒もしないで冬の空気に当てられた片割れをそっと抱き起こし、紙のように白い肌へと唇を寄せる。一体いつからこんなところに居たのだろう。ぬくもりと言うべきものは氷のように冷たく、ころんころんと滑り落ちる涙の残骸は夥しい数だった。

「冷奈ちゃん」
「、……ゃ」

名を呼んだところで。熱を与えたところで。今の冷奈には届かない。ただごっそり色の抜け落ちた人形が、怯えのままに氷をほろほろ零すだけ。時折微かに開いた唇から譫言がこぼれ落ちるけど、そんな言葉を吐かせたくなくて、そっと唇を押し当てた。

あの日からもうずっと。この時期になると、冷奈は精神的に不安定になるようになった。
この時期。末弟の誕生日が近付き、そうして自分たちの誕生日が過ぎ去るまでの間のこと。───成功作が産まれ、失敗作が産まれてしまった、1月の上旬から下旬にかけてのこと。
それは、一年押し殺させた反動なのかもしれない。一年間ずっと燈矢の言うことをよく聞き、燈矢の役に立とうと努力する冷奈の糸がふと切れてしまう時。その最悪の日が今日、1月18日だった。

「……冷奈ちゃん」

融ける唇をほんの少し解放する。焦点の合わない視線を顎を掴んで無理矢理合わせ、しかし触れ合っていたそこから漏れるか細い息が祝いを象ることは二度とない。
無邪気に誕生日を唄ってくれた片割れは、もういない。

「今日は、俺とおまえが産まれた日だよ」

もういいんだ。プレゼントなんて、どうだっていい。
罪悪に塗れた冷奈が自分から離れないのであれば、燈矢はもう、それでいい。

「お誕生日おめでとう。冷奈ちゃん」

祝いが呪いになったとして。離れなければ、それで。






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