03
たかが風邪。されど風邪。引けば忽ち、命取り。
そういった身体で、冷奈はずっと生きてきた。ひとたび風邪を引いてしまったら最後、色々なものを併発した末ICUにぶち込まれ、それでもそんなポンコツな身体でどうにかこうにか生きてきたのだ。死んだけど。
だから、多分。良い加減慣れた方が良い、と。冷奈も自分で分かっている。なんなら『いま』の身体は健康で、この症状だって『まえ』とは比べものにならないほど良好で。こんな風邪くらいで弱音を吐いてはいけないと、頭痛の狭間では分かっている。分かっていた。
でもいつだって、心は着いて行けないままだ。
「(くるし、)」
儚い吐息が白く舞う。短い息、気道の狭さ、ねばねばの粘液、頭痛、吐き気、エトセトラ。
典型的な、風邪だった。よぅくよぅく知っていた。唯一の相違は発熱の有無。『熱、出なくなったらいいな』なんて。ぎゅっと抱きしめてくれたけど、だからと言って『逆に冷気出せたらいいよなァ』とは冷奈も誰も口にしていない。どうしてこうも極端なのか。げほげほ。嫌な、咳の音。
「さ、む……」
外気を遮断し蹲り、独りの身体を掻き抱いた。
抱きしめてくれた人はもう居ない。今だけはあの白の部屋が恋しかった。誰もいない。医者もいない。この身体で初めて味わう病は、ここじゃとても、心許なくて。
しんじゃうのかな、なんて。一度死んでしまった人間の、恐れ。しにたくないなぁ。しにたくなかった。両目から溢れる冷気の塊に、また「さむい」とどうしようもない呟きひとつ。
「、ぁ」
だから。
ふわりとノックするあったかい感情に縋ってしまったのは、冷奈にはもう仕方のないことだった。
だって独りはとてもさむい。
だって独りはとてもこわい。
だって独りは、とても……さみしい。
相も変わらず、縮こまる身体の冷気は酷く。だけど心がぽかぽかあたたまり始めたのを、冷奈は確かに感じていた。
だってその人は本当に。本当に、あたたかい人だから。
「とー、くん、」
ひゅうひゅうと息が零れ、ぽろぽろと涙が流れる。辛いそれではなく、安堵で流れてしまった、涙。
つらいね
くるしいね
だいじょうぶ?
わたしは、さむいや
あとね、うん。…うん。……さみしいな
燈矢から伝わる感情に冷奈もふわふわ纏まりなく返していき、そうして一人噛み締めた。
冷奈は独りじゃなかったのだ。離れていても、燈矢と冷奈は繋がっていた。
『とくべつ』で、『うんめい』な。そんな力で。
「(あいたい、なぁ)」
あいたいな。ふれたいな。ぎゅっとぎゅっとしてほしい。どうしてとなりに居れないの?くしゃみでくしゅん、頭が痛い。
風邪のせい。分かってる。冷奈はちゃんと、分かっていた。
それでもと。枕にぎゅっと抱きついてみる。当然冷奈の大好きな人とはまるで違う。それがやっぱり寂しくて、辛くて。はやくあいたいね、ふわふわの想い。
「……、…………へ、?」
そうして、まばたき。
重い瞼でゆうくりゆうくりまばたいても、伝わる感情に変わりはなかった。「むかえにいくね」と、燈矢の想い。もう移動している燈矢の熱。
冷奈はぼぅとする頭でうんうん悩んだ。どうしよう。だめなのに。必死に必死に悩んで、悩んで。思い切って、毛布をめくった。
次いでシーツを引きずって、ずるずる外へ向かってみる。立てる力はもうないから、わんちゃんみたいな四つん這い。
ふらふらの冷奈の這う様を、なんだか窘めるよう暖房の音がゴウと鳴く。「お部屋温かくしようね」なんて、母はそう言ったけれど。身体の芯は凍りつきそうで、全くもって、役立たず。
そうして重い襖に手をかければ、ぴゅうと冷たい風に嬲られた。さむい。幼い身体はぷるぷる震え、それでも「ここ、」と小さく鳴いてみる。
もう動けなかった。冷奈はもう一歩たりとも動けない。引き摺るシーツに包まって、ぜぇぜぇと酷く荒い息。
───だけどきっと、大丈夫だった。
だって燈矢は、大得意だから。
「つかまえた」
「!、」
冷奈を見付けて捕まえるなんて、そんなこと。燈矢が大得意な、ことだから。