01

あつい。

重苦しい瞼をなんとか持ち上げた末、思うことはそれだった。
ただ、熱かった。熱くて熱くて、仕方なくて。そうして正直者な毛穴からはびっしょり汗が噴き出てしまって、服が蒸れて気持ち悪い。

そんな最悪の状態で更に熱いなにかが自身の額に置かれるものだから。燈矢が鬱陶し気にその在処を睨んでしまったのは、仕方のないことだった。

「、すまない、起こしたか」
「お……とう、さ……?」

ただ意外だったのは、その正体が父、炎司だったこと。燈矢の額を覆う熱いものは、炎司の大きな掌だった。
その意外な事実に燈矢の鋭かった瞳がゆうくり瞬いて。やがてここが夢じゃないことを認識すると、燈矢は子犬のように「おとうさん!」と跳ね起きた。

「今日おやすみなの!?じゃあはやくけい、こ、……あ、あれ?」
「と、燈矢っ」

跳ね起きた、けれど。その身体はすぐにへなへなと布団に沈んでしまった。ぺとり、額から落ちる音。
身体が、重い。
ぐるぐる回る視界の炎司に「急に起き上がるな」と困ったように注意されるけれど、その声もキンという耳鳴りのせいでどこか遠い。あつくて重くて、気持ち悪い。なんだよ、これ。剥がれた冷却シートを回収する炎司を他所に、燈矢はぎゅっと目を閉じた。

「稽古は風邪が治ってからだな」
「かぜ……」

ヒーローになるにも休養は必要だ、と続ける炎司の手によって燈矢の片腕が持ち上げられる。特段抵抗せずにぼう、とそのままにしていると何かの異物が脇に当たった。
体温計だ。体温計は脇で挟まないと。ぐったりした片腕をなんとかもう片方で抑え、燈矢は「……かぜ」とぼんやり呟いた。

産まれてこの方、燈矢は至って健康優良児であった。物心つく前は流石に分からないけれど、ついてからはこちら、風邪など罹った記憶がない。故に、燈矢にとっては初めての、風邪。
風邪ってこんなに辛かったのか、と。いつの日か顔を真っ赤にしてコンコン咳をしていた冬美を想って、燈矢は小さく呻いた。

「食欲はあるか」
「んん……いらない」
「食わんと治るものも治らんぞ」

そんなことを言われたって、今、口にはなにも入れたくない。ピピ、と鳴る電子音に体温計が引き抜かれる。「……ム」「?なぁに?」「いや……、」些か歯切れの悪い父親にゆるゆる瞼を上げる。そこにはさっきよりも困った顔をした炎司の姿が、ずらりと燈矢を覗き込んでいた。

「すごい……おとうさんってぶんしんのじゅつも使えるんだね……おとうさんが3にんもいる……」
「燈矢、体調が悪かったのは昨日からか?あと俺は増えとらん。一人だ」
「きのう、」

3人もの炎司に同時に同じことを聞かれ、燈矢は「うーん……」と重い頭でなんとか昨日を思い返した。

昨日。
昨日は炎司が出勤で居なかったから、稽古の無い日といつも通りだ。
寝ぼけ目で起きて。隣ですやすや眠る冷奈を起こして。朝ごはんを食べて。幼稚園に行く冬美と母を見送って。ふわふわ折り紙に吸い寄せられる冷奈を引き留めて。それからは庭を駆けたり、かくれんぼをしたり、二人でしゃがんでお花をじっと見詰めたり。
そうして、そうして。

『なんかすごくあついね』
『なんかすごくさむいね』

ふしぎだねって、二人で首をゆっくり傾げて。そうして抱きしめ合って、お昼寝の夢。燈矢が覚えているのは、このくらい。
そう言えば。冷奈の身体は、昨日は随分冷たかった。だけど昨日の燈矢はとてもあつかったから、触れればちょうど良いくらいにその身体は気持ち良くて。

あ、そっか。このあついのも、片割れに冷やしてもらえば良かったんだ、と。漸く思い付いた妙案に、燈矢はゴロンと寝返りを打つ。そうして小さく丸まった隣の冷奈を引き寄せようと腕をぐんと伸ばして、
燈矢はカッと瞳を見開いた。

「おと、おとうさんたいへんっ大変だよっ!」

こうしちゃいられないとばかりに今度こそ燈矢は跳ね起きた。5人に増えた炎司が「落ち着け」とまた燈矢を寝かしつけようとするけれど、事態は急を要している。ぽふぽふ、といつもなら隣に居る筈のスペースを叩いてみてもそこに片割れ、冷奈の姿は居なかった。
それが何を意味してしまうのか。父は理解しなければならない。

「はなしておとうさん!れなちゃんきっと"まいご"だよ!」

そう、迷子。冷奈はこの広い家できっと迷子になっているのだ。だから今、燈矢の隣に冷奈はいない。
冷奈が未だに自宅で迷子になることなんて、そんなこと、よくあることで。
特に寝ている途中にトイレで起きてしまったら、高確率で迷ってしまう。そうしてそのまま諦めて、迷った先でこてんと一人夢の中。

燈矢が居ないと、冷奈は何もできない子なのだから。

「だからね!おれがおむかえに行かなくちゃでね、!」
「その必要はない」
「……え?」
「冷奈は冷のところに居る」
「……???」

パチンパチン、瞳が瞬く。
冷奈は冷のところに居る。
炎司の言葉を繰り返しても、燈矢には意味がよく分からなかった。

冷奈がどこかで一人寂しく眠っているのではない。それはきっと、良いことだ。そこまでは、いいのだけれど。
どうして冷奈は燈矢の元に戻って来ずに、母のところにいるのだろう?

うむむ、と眉根を寄せて悩んでいる隙に燈矢の上体は倒されて、布団を首元まで掛けられる。
あつい。
荒い息を吐いて、抵抗しようとするけれど。「昨夜から冷奈も風邪を引いている」「え?」汗ばむ額から、また汗が一筋タラりと垂れた。

「れなちゃんも?」
「そうだ」
「かぜ?」
「そうだと言っている」

なんてことだろう。事態は迷子より不味かった。はわ、と燈矢は視線を彷徨わせ、ぎゅっと意識を集中する。茹だる心がか細く鳴いた糸を手繰って、ゆうくりゆうくり引き寄せた。
『とくべつ』な能力で冷奈を想えば、『うんめい』は必ずそれに答えてくれるから。

「…っ、おとうさ、れなちゃん、れなちゃんさむいって、」
「昨日そう言っていたのか?」
「ちが、あ、違、わないけど、でもいま、いまれなちゃんさむいって、くるしいって、言ってるんだ……っ!」

熱と、じわりと伝わる感情に。ぽろり涙が零れてしまう。
今、自分が抱えている劣悪と同じくらいのものが、片割れの身にも襲っている。「おれ、あっためてあげないと、」また布団を持ち上げようとして、持ち上げようとして。「問題ない。冷奈は今、冷が見ている」その手は大きな手に制された。

「冷奈のことは冷に任せて、おまえはしっかり休め」
「なんで?やだよ、れなちゃん、かわいそう。おれもあつい。さみしい」
「ダメだ。お互い治るまで、悪化しないよう離れていろ。いいな?」

全然良くなかった。どうしてお父さんはこんなにも酷いことを言うんだろう。
理解できない『ダメ』に、燈矢はぽろぽろ涙を零して。そうしてなんとか炎司に訴えようとするけれど。

「薬と、なにか食べれそうなものを持ってこよう」
「まって、おとうさん、まって!おれかられなちゃん盗らないでよ!」
「取ってない。おまえは大人しく寝ていなさい」

遠退く炎司に、燈矢の声は届かない。それでも力の入らない喉を振り絞って、燈矢は閉じる襖に向かって悲痛な叫びを響かせた。

「れなちゃんおれに返してよぉ!」






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