22

───声が、止んだ。

もうずっと。煩わしくて仕方なかった、あの警告と共に。


「───…………は、い」


揺れる沈黙を切る声は、淡い雪解けのようだった。
遠慮がちなその綻びが、身を隠すよう纏っていた冷気を脆いほどに透明に、小さく小さく溶かしていく。

仄暗く、あどけなく、儚く、……穏やかに。

雲の切れ間から見え隠れする月光が、冷奈の姿をふんわりと包み込んで。
月華に横たう視界のベールに、どうしてだか、息が苦しくなった。

「……ほんとうに?」
「……うん」
「……誓って」
「……誓い、ます」

指を切り、拳で殴り、針千本を呑ませてやる。

どちらからともなく小指と小指を契り合えば、音もなく誓約は完遂した。
たとえどんなに恐ろしいリスクでも、燈矢が冷奈を×さないのならきっと冷奈には同じこと。飛びつくしかもう道は無く、最悪は燈矢が閉ざしたばかり。
たとたどしく紡がれる誓いに目を細め、零れ落ちる宝珠をまた一つ。

「役に、たてるまで、」

口の中で弾けて消える涙の、善く善く甘いこと限りなく、

「×して、くれるまで……がんばって、死なない、から……、」

か細い声音の酷く小さく、蜜のように甘い声。
酷い言葉を吐き続け、燈矢の鼓膜を揺らし続ける。

「だから…っ」
「……うん」
「…燈矢、くん」
「……ん」

「きらわ、ないで…ほしい、です」

小さな小指に切々と想いを篭め、耐えるようきゅっと揃いの蒼が閉ざされる。涙と共に零れ落ちる剥き出しの感情はいっそ不憫なほどに、切なくて。
一つ、二つと、瞑目の時。

「……れなちゃん」

最愛を呼び、寄せる眉を解き重い瞼をこじ開ける。
懇願を寄せるその顔は、未だ燈矢の裁定を待っていた。

「冷奈、ちゃん」

ひく、と冷奈の喉が鳴る。契る手を、小指だけでは足りないとばかりに指を一本、一本、ゆうくり絡めて握り締める。蒼は依然、絡まない。闇の中に閉じ籠もる冷奈へと、燈矢はひそかに、近付いて。

「ん、っ」

欠けたおうとつを埋め合わせるよう。そっとそんなキスをした。
ちう、と押し付けて、角度を変えて、また押し付けて、その繰り返し。
小さな熱を受け渡し、零れる吐息と共に食む。溶けた口唇は柔く、甘く。だけどもただただもどかしい。
どれだけそこで触れ合っても二人が一人になることなんてあり得ないし、そんなこと毛ほどたりとも想わない。
ただ吐息が入り込む隙すら無いほど、冷奈と共にありたかった。

ひとつに、なりたかった。

「…ゃ、くん、」

潤む瞳が現れる。星屑の散る蒼は酸欠でも起こしているのか、ぼうっと燈矢を見上げていた。「目……醒めた?」落とす口唇をほんの少し離し、吐息だけを触れ合わせる。
互いの睫毛が絡まりそうな、そんな距離。冷奈は今度は逃げなかった。「、く…、」逃げはしなかったが、その愛らしい口唇は戸惑うように小さく息を繰り返し。
それが意味を持つ言葉に成るのを、燈矢はじっと待っていた。

「ち、」
「だって、すきだから」

即座に返した言葉に冷奈が瞳を瞬かせる。「すきだよ」準備していた言葉を冷奈の耳へと滑らせて。「すき」「す、き……?」「うん」ふわふわと続く刷り込みの言葉に、ひとつ大きく頷いた。

「ここはすきな人とじゃないとしちゃいけない場所だろ?」
「…うん」
「じゃあ、分かりやすいよね?俺が冷奈ちゃんのこと、まだすきだよ、って」

結婚なんて本当はどうでも良かった、と。かつて丸め込んだ元凶に目を細める。「しあわせに、なりたいンだ、二人で。……けっこんなんかより、ずっと」野望と金。愛の無い二人。産まれた四つの失敗作。

結婚って、しあわせかと。俺たちって、しあわせかと。ゆらゆら揺れる蒼の水面に、燈矢は滔々語りかける。

「冷奈ちゃんとここでキスするとさ、きっと俺たちしあわせになれるんだ」

空想と現実。寝物語の過剰な脚色。
分からないほど、もう子どもではない。

ただそれでも。この繊細で神聖な場所はあの二人ではなく、自身と冷奈にこそ相応しい場所だと、燈矢は確信を持っている。
愛し合う二人だけに許された、しあわせになれるおまじない。
愛するのなら愛してやる。そんな燈矢と、冷奈だけの。

「そ…う、なの……かな……」

だのに考えあぐねるよう言葉を探すその顔は、僅かに眉尻を下げていた。おろ、と移ろい動く蒼い瞳を、燈矢はじっと見下ろして。

───まだなに一つとして分かっていない冷奈の手を引き、燈矢はそっと導いた。


「───冷奈?」
「っ、ぁ、」


たった、それだけで良かった。
温度の灯らない名を燈矢が吐き捨ててしまうだけ。

それだけで、冷奈は、もう───、


「……お願い冷奈ちゃん。俺に冷奈ちゃんのこと……愛させて?」


薄い唇に言葉を乗せれば。苦しげに歪む冷奈の瞳がおそるおそる、ひとつ、ふたつと、瞬いて。
やがて星屑は、ゆうくりゆうくり、瞼の奥へと消えていった。


水はもう、落ちなかった。






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