05

時に。くまは熊である。名前は隈沢くまざわ 球磨男くまお。国に提出しなければならなかった個性届には『個性:ヒグマ』として提出したが正しくは『個性:多分ヒト』の、ヒグマである。

くまはとある森の奥深くで誕生した。

母熊は普通のヒグマであった。
父熊は知らぬ。
そもヒグマという生き物は幼少期を母熊のワンオペ育児のみで過ごすので、くまの家庭だけが特別複雑ということでは決してなかった。

くまは産まれた時こそ母熊と同じく普通のヒグマであったが、成長するにつれ脳が普通のヒグマの枠に収まらないレベルで異常に異様に発達した。
『個性:多分ヒト』の発現である。

その後まぁなんやかんやあって、くまは無事人間社会に溶け込むことと相成った。

人間社会には既に異形系と呼ばれる『個性』形態の人間がかなり居たので、くまが『個性:ヒグマ』を自称しているマジモンのヒグマであることは、現在に至るまでだれも気付いていない。気付かれたら大変なことになることを、くまは初期段階から本能的に察していた。現に雄英高校の校長のネズミさんはなんだか過去に大変な目に遭ったらしい。
先達の教えは学ぶべきである。くまは沈黙を守ることに決めた。
その甲斐あって、くまは『個性:ヒグマ』のヒトとして人権を獲得した。

くまはヒグマであるにも拘わらず突然変異的に発現した自身の『個性』に非常に興味を持った。

そも『個性』とは一体なんなのか。
何故人間ではない生物にも『個性』が発現したのか。
『個性』と遺伝の法則はどうなっているのか。
そうして『個性』は一体何故産まれ、その終着点はいずこにあるのか。

自身のルーツとも言うべき『個性』はくまを酷く魅了した。
くまは『個性』について探究したいと考えるようになった。

くまは雄英高校に入学した。同じような『個性』の持ち主であるネズミさんを一目見たかったというのもあったが、雄英高校の──特にヒーロー科には──この国のヒト科ヒト属ヒトの『強個性』たちがうじゃうじゃ存在すると聞いたので、フィールドワーク気分で受験した。

くまは見事普通科に合格した。ヒーロー科は受験していない。くまはこう見えて弱肉強食の野生の世界で数年は生きてきたので、ヒーローという他力本願の象徴がよく理解できなかったからだ。
あと単純に『個性』が『多分ヒト』という、ヒーロー映えするものでもなかった。
所詮くまはか弱い、ヒグマなので。

くまは雄英に集まった『強個性』たちと積極的にコミュニケーションを取った。
特にヒーロー科というのは、ヒーローを志しているということもあって誰も彼もがお人好しで、クラスも科も違うくまがいきなり話しかけてきても邪険に扱われることは少なかった。ちょっとした実験程度なら面白がって友達も誘って参加してくれたことも一度や二度の話でない。

くまは所詮熊なので、時にヒトとしての道徳に欠けることを口走ってしまうこともあったが、彼らはその度に正しい道へと導いてくれた。それがあったから、くまは今日まで非人道的な実験に手を出していないと言っても良い。
マッドサイエンティストだの、敵科学者予備軍だの、冗談半分であだ名を付けられもしたがまぁ今では良い思い出だ。

長くなったが、くまと轟炎司が出会ったのはこの青春と言うべき雄英高校の時分であった。

くまと轟炎司は同級生である。学生の頃からその才能の頭角を現していた轟くんは、くまにとっては格好の獲物であった。
あの顔で、と言ったら失礼だが、意外にも轟くんは予定が無ければくまの話に付き合い、また実験にも協力してくれた。
高校生活三年間、時に轟くんに『よくわかるみんなの道徳─小学校─』という小学生向けの教科書を強制的に朗読させられもしたが、ヒーロー科と普通科の奇妙な交流は途切れることなく続いた。

卒業式、『俺はオールマイトを超える』とメラメラ物理的に燃えてる轟くんに『わーお!そっか!がんばってね!』などとくまが適当に告げた後は、一旦その関係に終止符が打たれた。
轟くんはエンデヴァーとしてバリバリヒーロー活動に勤しんでいたし、くまはくまで海外医学部の飛び級やら医師国家試験やらでバリバリ勉強に勤しんでいたので。


『相談がある。時間取れるか』


確かくまが帰国して臨床研修医として死にかけていた頃のことだ。唐突な轟くんからの連絡を火切りに、くまと轟くんの関係は再開した。

その頃、くまは試験勉強の息抜きでやってた自身の研究でなんやかんやと賞賛を受けていた頃だった。
くまはヒグマだが、しかしヒトの中では中々優秀な方だったようで、「遺伝子学界の概念を大きく覆した」だのうんたらかんたらおじいちゃん達から褒められて、気付けば遺伝子、『個性』学の次期権威だのと呼ばれるようになっていた。楽しく研究してたらこうなっていた。ゴーグルがチャームポイントな年の離れた研究お友達おじいちゃんもできた。
くまは至って順風満帆であった。

一方轟くんの方も順風満帆そうだと、くまは思っていた。
連絡こそ取り合っていなかったが、あちらはテレビを点ければ毎日ニュースで取り上げられる程にヒーローヒーローしていたし、ヒーロー・ビルボードチャートJPでだって前回の順位の2位を維持していたのだ。誰が見ても順風満帆。少なくとも、くまはそう思っていた。

しかし卒業後数年振りに会った轟くんは、順風満帆とは言い難い顔つきであった。
くまは所詮熊なので、こういうヒト特有の表情の機微だのなんだのを汲み取ることが非常に苦手であるのだが、そんなくまでも分かる程に、轟くんは重傷であった。


『半冷半燃の『個性』が産まれる確率について、貴様の意見を聞きたい』


再会の挨拶もそこそこ、轟くんの語る言葉にくまはまるっこい小さなその耳を傾けた。

轟くんの明らかに様子のおかしい言葉たちを、それでもふんふんなるほど、とくまはガクンガクンと頷いた。


曰く、学生時代からあれだけ執着していたNo.1への道筋が、自分の『個性』だけでは辿り着けないと気付いてしまったこと。

曰く、自分の『個性』が限界と言うのなら、自分の『個性』のデメリットを打ち消せる『個性』とを掛け合わせた自身の子供なら、辿り着けるのではないかということ。

曰く、それが『氷結』と『炎熱』の『個性』の掛け合わせ、『半冷半燃』を有した子供であること。


なるほど、要は個性婚だ。くまは正しく理解した。
轟くんは一人でこの結論に達し、最終確認として遺伝子や『個性』を専門にしてるくまにこうして話をしているのだろう。
そうして轟くんは実はくまが人間性も道徳も倫理も無い研究者だということを知っているから、くまが禁忌とされる個性婚に反対しないと織り込み済みで相談しているのだ。くまは全てを理解した。

しかし、うーむ。
くまは考えた。

考えた上で、やっぱり口に出すことにした。
くまは研究者の端くれなので、事実に蓋して黙り込むのはよろしくなかった。
くまは口を開いた。
研究者というのは所詮オタクなので、専門分野の話になるとやはり止まらない。

以下は当時のくまが言った言葉たちの原文そのままの台詞である。



『半冷半燃』?はぁなるほど、個性婚ね。轟くん轟くん。くまは確かに遺伝子や『個性』が専門だけれどもね、まだくまはペエペエの域を出てない身空な訳でして。それを踏まえて敢えてくまが言うのであれば、理論上は可能だね。子供の『個性』っていうのは両親それぞれの『個性』を受け継ぐ場合が多いから、轟くんの『ヘルフレイム』と奥方候補の『氷結』を合わせた、『とどろきくんのかんがえたさいきょうのこせい』は理論上産まれるだろうね。うん、何度も言うけどあくまで『理論上』だよ。『個性』っていうのはまだまだ解明されていないところが多い。たとえば個性因子がどの遺伝子情報に入ってるのか、くまたちは未だ解明できていない。だから遺伝子操作によるデザイナーベビーは、今のところ不可能なんだ。でも『個性』遺伝は親から子への継承される確率は高いからある程度のパターンは絞れる。轟くんちを例に上げるなら、『炎だけ』『氷だけ』っていう【片親の『個性』のみの遺伝型】、次に両親の『個性』の【複合型】だけど、轟くんのご所望の『半冷半燃』は【独立複合型】に当たるね。【融合複合型】になると『炎+氷=水』になるのかな?あとは両家それぞれの祖父母家系の【隔世遺伝型】に、遺伝に全く関係なく起こる【突然変異型】、天然記念物の【無個性】も無い話じゃない。やあ分かるかい轟くん。このくまの小さな脳みそで考えられるだけでも、これだけの可能性が提示できるんだよ。この数多の可能性からたった一つ狙った『個性』を打ち抜ける確率って、一体どのくらいなんだろうね。この状況を分かりやすい言葉で表現しようか。『ピックアップ薄過ぎ闇鍋青天井個性ガチャ一点狙い打ち』だよ。しかもさっき言った通り『個性』情報と遺伝子情報がまるで解明できていないから、出生前診断も意味を成さない。そうして産まれた子供に『個性』が出現するまで、最長4年は見なきゃいけない。数打ちゃ当たるとヒトは言うけど、子供一人産むってのは相当な時間と体力が奥方候補に必要だから、現状この『半冷半燃』一点狙いに集中するって言うなら、それはかなり厳しいだろうね。
そこでその負担を金の力で軽減できる良い考えがある。代理出産だ。狙いの『個性』のためにも受精卵は君たち夫婦のものを使う。そうして複数の受精卵を複数の代理母に移植する。大丈夫、遺伝子的にはその子供は君たち夫婦の子供だし、戸籍についても特別養子縁組をすれば何も問題ないよ。その分金はかかるけど、数は多ければ多いほど良いから、できるだけ多くの母体が必要だね。そうすれば『半冷半燃』が産まれる確率はかなり上がる。お目当ての『半冷半燃』が産まれたらその子は引き取れば良いし、それ以外の子は適当に養育費を振り込む契約でも結べばいいんじゃないかな。ということで轟くんが今計画している一人の奥方候補に負担と時間を集中させる方法よりも、この方法の方が確実に効率的だと、くまは思うよ。ただこの国では代理出産はできないからね。やるなら国外でやる必要があるから、よければあとで代理出産ができる国のリストを送ろう。
どうだいこれがくまの結論。なにか質問は?



ノンストップで言いたいことを全て喋り倒して、くまはふぅ、とひと息ついた。
流石、雄英トップ成績で卒業した轟くんはくまの弾丸ワード達全てを同時速で理解し、そうしてまたくまにも分かりやすい程明確に顔を顰めた。

『貴様は相変わらず倫理が死んでる』などと始まり久方ぶりにくどくどくどくど倫理と道徳を説き出した同級生に、くまは複数代理母案は倫理的に駄目と頭の中でバツを付けた。
『一つ勉強になったよ』とガクンガクンと頷くも、しかしくまにはイマイチよく分からなかった。

くまの提案と、轟くんがやろうとしている個性婚は、そんなに違いがあるだろうか。

効率を考えれば母数は多ければ多い方が良い。であるならば必然母体も多く用意した方が、轟くんの計画的にも、奥方候補の体力的にも良いと思うのだが。

くまには人間がよく分からない。


『まぁそれなら『半冷半燃』絞りはやめといた方が良いと、くまは思うかな。そこはある程度妥協しないと、天井無いから一生終わらない可能性もあるからね』
『……そうか。そうだな』
『妊娠したら是非セントラルに来ておくれよ。くまの研修先だし、四月からは正式にそこで医者と研究者する予定だから。くまで良ければ力になるよ。産婦人科じゃないけどね』
『……まぁ考えておこう』


そう締めくくって、くまと轟くんの相談会は終了した。
轟くんは予定通り『氷結』の『個性』の雌と番になった。

くまはめでたく轟くんの共犯者となった。


数ヶ月程経った頃、奥方を連れて轟くんがセントラルにやって来た。早速妊娠したらしい。元気なことだ。
昨今ではタブー視されている個性婚で創られる命に、くまもまぁまぁ興味はあったので、来院する度くまも産婦人科に立ち寄った。


そうしたらこの番、第一子、第二子にして、なんとなんとやってくれたのである。


番の初産は一卵性の双子であった。初産から大変だなぁ、一卵性は同一『個性』だからハズレ『個性』だったら金だけかかるなぁ、などとくまは他ヒト事にそう思うだけであったが、日が経つごとに『あれ、もしかして……?』ととんでもない予測を立てることとなる。

他の胎児が性別判別できるほどの時期になっても、いつまで経っても番の胎児達は性別があやふやなままだった。
いや、一人は確実に雄だ。エコー写真からもそれはハッキリ分かっている。

問題はもう一人だ。こちらは何度写真を撮り直しても、雄の性器が見えなかった。

しかし……まぁ。一卵性なのだから、片方が雄なら必然もう片方も雄だろうと。不確定ではあるが担当医は番にそう説明した。
実際写真にずっと性器が映らなかったから雌だと診断されていたのに、いざ出産してみれば実は雄が産まれましたというのも比較的よくある話なのだが、しかし……。

月日が経っても片方は『雄』、もう片方は『雄?』のまま出産予定日を数日超え。
漸く出産してみれば、なんと先に産まれた新生児は『雌』だった。次いですぐさま『雄』も産まれたものだから、くまはこれまでのエコー写真を何度も見直すこととなった。

どの写真を見直しても、その双子は一卵性双生児だった。
しかし性別は一人が雄で、もう片方が雌だった。雄の確証を得られないという話を聞いてから一瞬脳裏を掠ったは良いが、そんなまさかと切り捨てた幻想が、現実となってやって来た。


───やりやがった!あの番、やりやがった!


双子は『個性』発現以降初の【異性一卵性双生児】だった。

あまりの事実を目の前にして、くまは大変歓喜した。
ついでに学界も揺れ動いた。もうすぐ双子の取り合いが始まるだろう。くまはすぐさま双子の父親に連絡をとった。こういう時に保護者と同級というアドバンテージが効くのである。

しかしどれだけ説明しても轟くんはコトの重大性をイマイチぴんと理解できていないようだった。馬鹿な。そこら辺に居るただの同性一卵性双生児や二卵生のそれじゃないんだぞ。一つの受精卵でコピーのように全く同じヒトが二人産まれるところをたった一つのY染色体の欠落によって引き起こされる全ての遺伝情報の相違がどれだけのことか分からないのか。遍くこの雌雄の相違を網羅し尽くすことがどれだけこの業界と人類を推進させるか分から(※これ以上は長くなるからこの先はくまの論文を読むことをお勧めするのですね)

くまはなんとか雌の方の治療という名目で、双子をセントラル、つまりくまが独占できるように契約を取り付けた。研究お友だちのゴーグルおじいちゃんがなんだかそわそわしていたので、くまはやんわり距離を置くことにした。
本能の危機察知能力には忠実に。
くまは数年とは言え野生で生きていた、ヒグマなので。


くまは轟家の双子の担当医という立場を確立した。
同時に喋り方を子供ウケするだろう優しいものに矯正。
顔?元より子供ウケ必至な可愛らしい熊顔なので何もしない!

そうしてくまは成長する双子と交流を深めた。
まぁ深めたと言っても、雄が余計なことして雌を他の人間と喋らせないよう洗脳することになるので、くまは雌とはロクに話せていないのだが。


───おっと、いけないいけない。雄は『燈矢くん』、雌は『冷奈ちゃん』、だ。


さて誰から聞いたのか、自分達が一等『特別』で『運命』な双子と気付いてからは、燈矢くんと冷奈ちゃんはべったべたにくっ付いて過ごすようになったらしい。
端的に言うと、燈矢くんの冷奈ちゃんへの精神的依存と、冷奈ちゃんの燈矢くんへの寄りかかりが加速した。

【異性一卵性双生児】の出産という大儀を果たしたというのに、まだ『半冷半燃』なんてちっさいものを諦めていない轟くんが続けざまに第三子を創ったのもまずかった。

当然両親は産まれたばかりの第三子の方に目を向ける。放っておけば双子は二人きりで大人しく過ごしてくれるのだから、親としてはさぞ助かったことだろう。

結果、誰の監視もない二人だけの世界は強固となり、共依存は深まった。
くまは一つ嘆息する。───あまりよろしくないなぁ。


『やあ轟くん。元気かい?』
『何の用だ』


電話口の轟くんの声は固いものだった。その声を更に固くするのかと思ったが、くまは研究者なので、結果は素直に言わなければならないのだ。


『この前依頼のあった燈矢くんの『個性』再検査について、さっき結果が出たから逸早く轟くんにご報告しようと、くまは思った訳ですな』


双子が誕生して数年経った頃。轟家の子供たちの『個性』は長女と次女が『氷結』、長男が『炎熱』という結果で落ち着いた。

その結果に轟くんは自分より強い火力をもつ長男で妥協することに決め、英才教育に乗り出した。
この歳頃からそういうことを始めるのはくまはどうかと思ったのだが、燈矢くん本人がノリノリで楽しんでるのでまぁくまが言うことは何もないし、そんな義理も権利もくまにはない。

しかしそんな和やかな英才教育も、轟くんからのとある依頼で終了することとなる。

このところ、『炎熱』の『個性』を発動する度に、燈矢くんが火傷を起こすようになったという。
くまはすぐさま調査した。
冷奈ちゃんの治療のついでに定期的に燈矢くんにも研究のご協力を頂いていたので、本人に気付かれないよう検査するのは、雑作もないことだった。


『珍しいことだよ。くまもこの可能性の考慮はしていなかった。申し訳ないね。単刀直入に言おう。燈矢くんの強い『炎熱』の『個性』に彼の身体は耐えられない。『個性』は君の方を強く遺伝したが、体質としては奥方の氷結耐性の方を強く遺伝している。残念なことに、炎耐性は冷奈ちゃんの方が持ってるね』


結果、まぁヒト生そんなに上手くいかないよね、という検査結果を叩き出した。あれだけ期待され、瞳をキラキラさせてヒーローになる道を歩んでいた燈矢くんだが、残念ながらそれももうお終いだ。

燈矢くんは肉体に恵まれなかった。炎の耐性の少ない燈矢くんが強過ぎる火力の炎を出し続けてしまえば、待っているのはただの破滅だ。彼は轟くんの計画に、とても応えられる身体ではない。

くまは轟くんに正直に告げた。残酷だろうがなんだろうが、見切りをつけるのは早ければ早い方が互いの為にも良いのだ。


『それからついでに冷奈ちゃんについても検査したんだけど───、』


続けようとした言葉はくまの口から出ることはなかった。なぜなら轟くんとの電話はツー、ツー、と不通音が鳴り響いていたので。

ありゃ、とくまは呟くが、聞かない選択をしたのは轟くん本人だ。まぁ依頼に直接関わっているわけでもなし、この件は別に言わなくても良いだろう。くまは手に持つ資料を覗き込んだ。

双子なんだから、もしかして、と個人的に冷奈ちゃんについても調べた結果がそこに載っていた。


予想通り、燈矢くんにこそ必要な炎耐性は、必要のない冷奈ちゃんの方へと遺伝し、
代わりに冷奈ちゃんにこそ必要な氷結耐性が、必要のない燈矢くんの方へと遺伝していた。


皮肉だなぁ、とくまは思う。

性別も『個性』も体質も。

あの双子はまるで対になるように産まれた。
産まれてしまったのだ。


たとえば性別が合致していたら。あの双子はあそこまで互いを執着し合わなかったと、くまは思う。
【異性一卵性双生児】という運命性を理解したから、互いが互いに特別性を見出した。
同性だったらただの双子、それも自身と同じ容姿。
かつて雑談で振った話題に、燈矢くんは気味悪げに顔を歪めていた。そういうことだろう。くまは知っているのだ。

そうしてたとえば、ちぐはぐの『個性』と体質が、せめて燈矢くんの方だけでもしっかり噛み合っていたのなら。
父親とも拗れることなく接することができ、
今後生まれるであろう冷奈ちゃんとの望まぬ軋轢も生まなかったことだろう。


『炎熱』の『個性』を持ちながら氷結耐性を受け継いだ燈矢くん。
『氷結』の『個性』を持ちながら炎耐性を受け継いだ冷奈ちゃん。


そうしてこの双子は、元を辿れば『一卵性』。

子供というのは、見えてる物だけを真実なんて捉えるのだ。
分別のつかない幼い子供がこの事柄を知り、並べて見た時にどう至ってしまうのか。疎いくまでも分かる事だった。


【 あいつが俺の持つべき個性と耐性を奪った 】


どうせ似たようなものだろう。子供とはそういう短絡的で残酷な生き物だ。

しかしどう思うかは分かるにしても、その後子供がどういった行為に出るかまでは、くまには何一つ予想がつかない。

最悪なのは───片割れへの勢い余った謂れのない、報復だ。

No.2ヒーローに直接手ほどきを受けた『強個性』を持った、興奮状態の子供。
衝動的な殺害に繋がる可能性は、十分あった。

愛しさ余って憎さ百倍。
そんな言葉も、あるのだから。

しかしそれだけは困る、困るのだ。

くまにはまだこの先冷奈ちゃんにやって欲しいことが存在する。
あまりよろしくないと言った手前アレだが、共依存を強めようが、たとえ暴力を奮おうが、最悪冷奈ちゃんが死にさえしなければくまは良い。
殺さなかったら御の字。
くまはもう燈矢くんの冷奈ちゃんへの依存性と、なけなしの善性とに賭けるしかなかった。


『俺は『個性』使うと火傷する。冷奈ちゃんは『個性』使うと身体が痛くなる。……結論言えよ』

『ッ黙れよ!なんも知らない癖にッ俺たちを否定すンなッ!』


───しかし。

子供、というのは。時にこちらの想像の斜め上を行くこともあるらしい。

くまは彼に対する見識を変えなければならなかった。

彼は既に知っていたのだ。

【 奪われた 】という発想については、既に至った上で飲み込み行動しているのか、或いはそこにはまだ至っていないのか。

そちらは不明なものの、兎角互いに必要な耐性が逆転し、片割れも『個性』を使用すれば身体にダメージが蓄積することを、彼は既に知っていた。


───知った上で。期待に応えられない身体を燃やし、大切に想っている筈の片割れをも自身の欲に縛り付け、痛かろうがなんだろうが『個性』を使わせ続けてその身体を消費しているのだ。


くまはびっくらこいた。

何を考えているのか、燈矢くんはこれらを知っている上で、まだ冷奈ちゃんを浪費し続けるらしい。
それも憎悪による間接的危害ではなく、寧ろ非常に非常に大切に想いながら。

いやぁくまったくまった。まさか……まさか。


子供という生き物がここまで低脳とは。


くまは思っていなかった。

そうしてくまは轟くんを大変恨んだ。


キミ、ちゃんと燈矢くんに言い聞かせときなさいよ。
まだ諦めていないじゃないか。


全身火傷の息子の方はくまは最悪どうでもいいが、巻き込まれた娘の方は既にいくつか内臓に異常を来している。

表皮じゃなく、内臓だぞ?

くまの計画には冷奈ちゃんの健康は絶対なのに、よりにもよって、内臓だぞ?
初期段階だからまだ良かったものの、手遅れになってたらどうしてくれるんだいまったく…………。

……まあ、燈矢くんが冷奈ちゃんを殺す気がないのなら、まだいいか。

くまは取り敢えず冷奈ちゃんの健康がこれ以上損なわれないよう、薬という餌をやって双子を監視下に置くことにした。
ついでに彼のカルテにも、くまはしっかり書いておくことにする。


【雄:クソ餓鬼低脳くん】


欲深いものへの最大限の罵倒である《餓鬼》を、デカデカと書き上げ、燈矢くんと膝を突き合わせ現実を突きつけたところで。くまはさてと思案する。

これ以上刺激しないようこの問いは聞けないが、まだ最悪の可能性は残っている。
彼が【 奪われた 】と思い至ってるのか、至っていないのか。

至った上でこれならまだ良いが、未だそこまでの発想に至っていないのであれば、引き続き感情爆発の危険はあるのである。

兎角、燈矢くんが冷奈ちゃんを殺しませんように。

くまには祈ることしか出来ない。


「貴様には一応報告しておく。炎と氷の因子を持った『半冷半燃』が産まれた」
「わーお、おめでとう!それであの双子はいつ養子に出すのかな?」

そうして、現在。

轟くんの奥方が三男を懐妊した辺りから双子、というよりも、なぜか冷奈ちゃんの方がぶっ壊れはじめ、燈矢くんがそれを支えるという、次男誕生時とは逆の、なんだかおかしな状況になっていた。

取り敢えず燈矢くんに言われるまま冷奈ちゃんに点滴を打ったり、薬を強めのものに変更したりしたが。はてさて一体どうしたのか。
…………或いは。まさか。鈍過ぎる冷奈ちゃんが、至ってしまったのか。

気にはなったが、くまは冷奈ちゃんとは喋れないし、燈矢くんを変に刺激したくもなかったので、くまはそのまま沈黙を選び、不安定なりの安定を築いていた。
しかしその平和も、よりにもよってこんなタイミングで『半冷半燃』という轟くん最大の理想像が産まれてしまったことで脆く儚く崩れてしまう。変に聡い燈矢くんのことだ。たとえ今までは至っていなかったとしても、流石にもう至ってしまうのは時間の問題だった。

くまは先手を打ちたかった。最高の研究対象をむざむざ殺される訳にはいけなかった。

まぁ轟くんの執念はすごいと。くまは素直に感心していた。数多ある可能性から僅か5人目にして、目当てを引き当てたのだ。しかも母体はたった一人。これはすごい事である。

───ただ、それだけだ。
最早くまには『半冷半燃』という些末な存在などどうでも良い。目当てが産まれたのだから、いよいよ他の子供達はお払い箱だろう。

くまはくまの手元に双子、兎角冷奈ちゃんだけでも置いておかなければならなかった。

轟くんにとっては所謂『失敗作』でも、あの双子は研究者にとっては眉唾物の研究動物だった。
燈矢くんの冷奈ちゃん殺害という最悪のシナリオを止めるということを抜きに考えても、くまこそが双子を引き受けなければならないのだ。良識のあるくまだからこそ、双子は今まで非人道的扱いを受けていないと言って良い。
ここでくまが引き取らなければ、双子は怪しげな研究所に連れ去られ可哀想な目に遭ってしまうだろう。ゴーグルのおじいちゃんがアップを始めているのが容易に想像できた。

取り敢えず双子揃って引き取って、燈矢くんに殺させないよう冷奈ちゃんだけどこかに隔離して……難しいならせめて冷奈ちゃんだけでも引き取るしか……、

お願いお願い、とくまはくねくね轟くんに媚を売る。そうすれば理解不能と言わんばかりに轟くんが顔を顰めた。ブォオ、舞散る火の粉が弾けて消える。

「養子に出すだと?貴様、いい加減最低限の分別くらいつけろ」
「……えっ、と?と、轟くん、もしかして他の子、養子に出すとか、考えてないの……?」
「当たり前だろう。何故そういう結論に達した……」

えっ……えーっ……。

くまは大いに混乱した。
今まで通り治療も研究も貴様に任せる、と勝手に告げ勝手に大股で去った轟くんが、もうくまには理解できなかった。


轟くんのお家には今、轟くんが創るだけ創って放置している『失敗作』が四人いる。
そうしてこの度めでたくお目当ての『最高傑作』が轟くんちに誕生した。

轟くんはその期待されなかった『失敗作』たちがいる環境に、大事な大事な『最高傑作』を放り込もうとしているらしい。


んなもん火薬庫にロケットランチャーをぶち込むようなもんだ。


当然轟家が抱える最大の爆薬は、燈矢くんだ。
あのかなり不安定な爆弾に、最悪の刺激を与えようとするなんて、轟くんは一体何を考えているのか。くまには轟くんが理解できない。

『最高傑作』目線でも、自分を害する可能性のある『失敗作』、少なくとも、最も高い確率で自分に負の感情をぶつけてくる燈矢くんだけは、轟家から間引かなければならないし、
燈矢くん目線でも、まざまざと『最高傑作』とそれに目をかける父親の姿を目の前で見せつけられるのなんて、溜まったものじゃないだろう。

だから轟くんは非情だろうがなんだろうが、創った『失敗作』たちの処理はしなければならなかった。
最悪途中で放棄した燈矢くんだけでも。
彼のためにも。大事な『最高傑作』のためにも。

その処分の最も穏便な方法が養子に出し、物理的に距離を置くことだった。
くまはそう思っている。


しかし轟くんはその処分すら放棄した。あの父親は燈矢くんの傷ついた心を更に目の前でむざむざ踏み躙り続けることを選んだのだ。

なんという残酷なヒト科ヒト属ヒトなのだろう。
子供が死んだ途端に発情期に入るクマ科の雌共でもこれにはきっとびっくりだ。
学生時代から道徳倫理がどうのこうのと当人に言われ続けてきた野生出身のくまが言うのだ、間違いない。

「大変なことになったなぁ……」

くまは思う。
馬鹿馬鹿しい発想に至っていようがいまいが、いずれにせよ燈矢くんはこの現状に爆発する。

そうして燈矢くんが爆発したら、その余波はすぐ隣の冷奈ちゃんにダイレクトに向かってしまうのだ。
別に苛立って暴力奮ってまあ臓器に負担がかからないようであればくまもさして問題ないのだが、何度も言うように冷奈ちゃんが勢い余って殺されるのだけはまずかった。

しかし養子として引き取った後ならまだしも、くまは一介の研究者風情であるため、ヒト様の家庭に首を突っ込める熊ではなかった。

くまにできることなど、精々「冷奈ちゃんが死にませんように」と毎日生まれの森に向かって祈ることと、自身の探究心に忠実に、時が来るまで着々と薬物生成の準備をするくらいしかないのだ。


くまは所詮か弱い、ヒグマなので。





×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -