19

 ───死にかけの金魚のようだった。


口を開け、息を吸い。吸った空気を吐き戻し、また短く吸っての繰り返し。

どうやって戻って来れたかなんて、覚えていない。それでも氷のように冷たい片割れの手を握り、一心不乱、逃げるようにして片割れの部屋へと飛び込んだ。


アレ、アレは……なんだ。ゆめ……?ゆめ、だよ、な……?


縋りたくなる幻想に、しかし渇きに張り付く喉の痛みは、ここが現実だと明々白々証明する。
頭に響く警報音が五月蝿く煩わしく鬱陶しい。分かってる、分かってる……!そんなに警告されなくても、俺はちゃんと、分かってるッ!

それでもぐらりぐらり、揺れる世界に悪態を吐くことでしか対処できない。やめろ、頼む、やめてくれ。俺は、もう、これ以上───ッ!!


「……っ、……な、さ………ゃ、…く、」
「っ……!」


儚い調べを聴覚が捉え、今更ながらに顔を上げた。

離れないよう固く硬く縛り付けていた指は青白く、辿れば全身を犯す哀れな震え。浅く肩で呼吸を行い、その焦点は、俺を、見ない。

掠れた声で、半身を呼ぶ。乾いて渇いて、仕方なかった。それでも合わない焦点に、無理矢理顔面を鷲掴み、

強く、強く、酷い、咆哮。


「ふざけんなよオイッ! 俺を見ろッ、冷奈ッ!!」
「、っ………、…ぁ」


余裕なんて、ハナから無い。
ただ俺を、俺だけを、見て欲しかった。

揺れる蒼が俺を映して……漸くのそれに、少しの充足を覚える。
力を緩め、頬に触れれば、小さな花弁が震えのままに、

音を、灯す。


「……ごめ、ごめなさっ、わ、わたし、わたしが、う、うまれた、からっ、……っと、やくんの、こせっ、も、た…耐性、も……っ」


───深く濡れた酷い懺悔が、頬を滑って至極となって、俺の前に、顕現する。

次から次へと零れる珠玉懺悔と、迫る感情。意味を成さない一語を溢す。全身の毛がぶわりと逆立ち、息が詰まって仕方ない。


今、コイツは、この子は、半身は、俺の、俺の、…片割れは…………ッ!


「っ……、冷奈、ちゃん」


最愛の名を呼び、想い至った思考にかぶりを振り、ぶつける寸前の感情を、全力を尽くして飲み込んだ。



───惑わされるな。全て飲み込め。アレは叶うことのない、理想論だ。



いつだって…………いつだって。柔く優しいこの子は、甘い香りを漂わせるのだ。

断ち切れない『 ×× 』をなんとか振り切り、酷く薄い身体を掻き抱いた。

優しく、優しく、努めて、優しく。
醜く渦巻くこの感情を、一つとして、見せることなく。
頭脳だけは、明晰に。

いつもの通り、喉を、震わす。


「大丈夫だよ冷奈ちゃん。そんな哀しいこと、言わないで?」

「お父さん、ちょっとおかしくなってンだよ」

「だってさ、炎と氷、なァんてさ」

「そんなのひとつの身体に入るわけないよ」

「だってさ……氷は熱いと、溶けンだぜ?」

「だから俺たちは二人で産まれたんだ」

「溶けちまわないように……二人で、産まれたんだ」

「俺が火傷したら、冷奈ちゃんが冷やしてくれるし、冷奈ちゃんが寒く感じたら、俺があっためてあげる」

「……ほら。俺たち二人で、お父さんの理想なんだよ 」

「ちょっと考えたら、分かることなのにさ」

「お父さんも、馬鹿だよなぁ」


冷淡な思索に、哀れなほどに追い詰められた片割れは、ただの一言を発することすらもうできない。

酷く揺れる弱い蒼。産まれたことすら否定された、可愛そうな己の半身。

額をコツンと擦り合わせ、必死に言葉を操った。

兎角、『運命』が、おかしな思考に囚われないように。


───己自身に、言い聞かせるように。


「だからさ、冷奈ちゃんは謝らなくて、良いんだよ?大丈夫。その内、お父さんも気付いてくれる。俺たちなら、超えられるって。俺たちこそが、お父さんの最高傑作なんだって」


大丈夫。大丈夫。


幼い赤子に言い聞かせるよう繰り返し、流れる氷華を唇で拭った。

そうすれば、腕の中の片割れは一層震え。やがて漸く、わああっと声をくぐ漏らせ、俺の胸に縋り付く。

哀しいな。悲しいね。紅に塗れ始めた髪に触れる。

本当に、喰らい尽くすつもりかと。問うたところで、犯した罪はもう消えない。
純白はもう、戻らない。


「明日から、頑張ろうね。二人でもっと強くなって、お父さん、見返そう」


大丈夫、大丈夫。俺は、まだ……、大丈夫だ。

確率は、……極めて、低い。

四人産まれた結果が、今だ。


───だけど……もし、


もしも、本当に、


知ってしまったこの状況で、そんなものが、産まれてしまったとするのなら……、



「…そんでさ、……絶対に、ふたりで、しあわせに、なって……お父さん達、見返そうね…………っ!」



腕の中の儚い『片割れ』を、自分が"どう"扱ってしまうかなんて、



俺は、自分のことを───よぅく、知っていた。





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