16

 ───さて、もう一つの事件の方はと言えば。

 その日の深夜に起こってしまう。


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「……ん、」

しぱしぱ、と冷奈はゆうくり両目を瞬かせた。
冷奈の部屋はまだ暗く、耳にはホゥホゥと鳥の鳴き声が響いている。

まだ、夜。
それでも眠りがすこぶる深い冷奈が起きてしまったのは、生理現象のせいに他ならない。

「(……といれ)」

くしくし片目を擦り、冷奈はそうっと燈矢の腕から抜け出そうとする。起きませんように、起きませんように、とお月様にお願いするのを忘れずに。

冷奈が起きると、まるで連動するように燈矢も起きてしまうのが常なので、冷奈はそれが忍びない。

まずは一本、と燈矢の腕を退けようとして。触れた矢先にぎゅうっと両の腕が冷奈の身体を締め付ける。「きゅぅぅ……」変な悲鳴が冷奈の口から漏れたと同時に、剣呑な蒼がゆうくり開いた。

ああ、今日もだめだった。冷奈は申し訳なさで一杯だった。

「…………どこいく」
「ご、ごめんね、とうやくん。起こしちゃった……」
「おれを、おいて、どこいくの」

寝起きのとても低い声。今日は一段とご機嫌ナナメなその様子に、冷奈はもう一度心を込めて燈矢に謝った。

「といれ行きたくて……ひ、ひとりで行けるからっ」
「…………なあんだ」

トイレ、トイレか……。

寝惚けたように燈矢がそう繰り返し、「ううん」と冷奈を抱く力を一層強めた。「くるし、」「あ、ごめん」すぐに力は緩められ、ちょん、と額に唇が当たる。

「じゃあ行こっか」
「……ひとりで大丈夫だよ?」
「俺も行きたいから」

……ほんとかなぁ?

冷奈は少しだけ疑った。こうして夜中にトイレで起きてしまった時、燈矢はいつも「俺もしたい」と冷奈に着いてきてくれるのだけれど、時々「なんか引っ込んだ」とカラッと笑って、嘘をつく。

起こしてしまった上に、トイレの付き添いまでしてもらって、冷奈は最近ちょっと自分が情けなく思うようになった。迷惑をかけてしまう燈矢に申し訳ないし、それに、燈矢にトイレを待たれるというのは、なんだか、とても……恥ずかしかった。
けれど、冷奈の手をぎゅっと握って、うんと伸びをする優しい燈矢は、もう完全に一緒に行く気らしい。

二人で共有している一つの掛け布団を、燈矢が行儀悪くその足で蹴り飛ばした。

春の夜の空気が、冷奈の身体をフルリと舐めた。

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「……今日はいろいろあったね」
「……そうだね」

ぽてぽて、あたたかい燈矢と手を繋いで、深夜の廊下を踏みしめる。

酷く濃厚な一日だったけれど、パトカーで家に帰らされた後は、冷奈も燈矢も、その話題に触れなかった。

家に帰り。母の小言もそこそこに。
ざぶんと一緒にお風呂に入って。
疲れきった身体で共に布団に潜り込んだ。
その間、一言も音に出さずに。代わりに強く強く抱きしめ合った。

ぐちゃぐちゃに掻き乱れた互いの感情が、なんの前触れもなくぶつかり合ったら、大変なことになる。

冷奈にも燈矢にも、整理する時間が必要だった。

「……ごめんね、とうやくん」
「、冷奈ちゃんが謝ること、なんもねえしっ、」
「でもっ……わたしがもっとちゃんと『個性』使ってたら、とうやくん、怒られること、なかったもん」

また、燈矢とエンデヴァーの仲直りが、遠ざかってしまった。今度は、冷奈のせいで。

あの不審な男の動きを止めるだけなら、それこそ首から下までを凍らせるだけで良かった。

なのに冷奈はよく分からないまま『個性』を発動してしまい、結果、もしかしたら男は死んでしまっていたかもしれないと、燈矢と共に怒られた。燈矢は何も悪くないのに。「敵を倒した!」と喜んでいた、だけなのに。

あの時、冷奈がもっと『個性』をコントロールできていれば。もし、死の危険性なく敵を制圧できていたら。

燈矢はエンデヴァーに認められていたかもしれない。
無理だ、なんて。あんな酷いこと、言われなかったかもしれない。

……冷奈が役立たずな、ばっかりに。

「……違うよ、冷奈ちゃん。アレは多分……そんなんじゃねンだ……」

そんなんじゃ……。
ぽつり、燈矢が言葉を探すよう一度口を閉ざす。

「……あの時さ、お父さん……冷奈ちゃんの氷見て……びっくりしてたんだ」
「……そうなの?」

思ってもいない事実に、冷奈は目を丸くする。うん、と頷く燈矢は、納得行かないようにちょん、と唇を尖らせた。

「なんかさ、それを俺たちに……多分、気付かれたくなかったんだと思う。だから、隠すみたいに……あんなに怒ったんだ……」
「……どうして?」
「分かんない……。でも……お父さん、気付いた筈なんだけどな。冷奈ちゃんの氷が、すごいってこと」

燈矢が立ち止まり、冷奈も立ち止まった。目的地だ。
それでも冷奈は少し顔を曇らせて、「すごい……のかなぁ……」と不安を零した。

「すごいよ!すごいに決まってる。だってさ、G……、アイツの炎じゃ全っっ然溶けなかったんだよ?俺ので漸く溶けたンだ!冷奈ちゃんの氷はすっごく強いよっ」

温かな手がぐしゃぐしゃ冷奈の髪を掻き乱す。柔らかく微笑む優しい片割れに、冷奈はきゅうっと心臓が締め付けられた。

「とうやくん……」「……ん?」冷奈はそっと、繋いだ手に力を込めた。

「わたしね……もっと頑張る。コントロールも、ちゃんとできるように頑張る。がんばって、がんばって……強くなってね、とうやくんのお手伝いするの。それでね……とうやくんが一番すごいんだって、えんでばーに認めさせるの」

冷奈の燈矢が一番すごい。そんな燈矢を、冷奈は蔑ろにしてほしくない。
たとえその相手が冷奈の大嫌いな奴でも、燈矢が一番認めてほしい人は、あの人なのだから。

燈矢は諦めない。もっと強くなるように、きっとこれから頑張る筈。
だから冷奈ももっと強くなって、燈矢の火傷をすぐに冷やせて、危うげなく敵退治のサポートも、できるようにならなきゃいけない。

そうしたらきっと、認めてくれる筈。オマケの冷奈が傍にいるけど、それでもまた燈矢をヒーローに、と。期待をかけてくれる筈。
また仲直り、できる筈。

だから、

「だからね、わたし。とうやくんとヒーローになりたいって気持ち、変わってないからね」
「……っ」

冷奈はジッと燈矢の瞳を見上げる。息が詰まったような燈矢の蒼が、ゆらりゆらりと潤んでいく。

冷奈の燈矢は、一等一等優しいから。
言葉にしないと、不安になって、冷奈を気遣って。そっとこの手を、離してしまいそうだから。

「……冷奈ちゃん」

ほんの少し、燈矢が膝を折って、冷奈と燈矢の目線は同じになる。
コツンと前髪の上から額を合わせ。二人同時に目を閉じた。

「二人でさ、ヒーローになって、それで……ふたりで…………しあわせに、なろうね」
「……うん」

燈矢が傍に居るだけで、冷奈はいつだって、幸せだ。



「……でも、あのおじさんはヒーローになれるって、言ってくれたね。ちょっとうれしい」
「いや……うーん……あれは、ちょっと……違うからなぁ……」





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