13

……そうして、冷奈はどれだけの間、燈矢の腕の中に居ただろう。

せいかの悲鳴は止んだけれど、防犯ブザーは未だにブヨブヨとした警告音を響かせている。

それ以外の、燈矢やせいか、男の声は聞こえない。


───『個性』、使っちゃった……?


無意識に発動させてしまった『個性』に、冷奈はふるりと身体を震わせる。今日はまだ、薬を飲んでいなかった。

さむい、と冷奈が片割れに擦り寄れば、固まっていた燈矢の感情が、また冷奈の頭に押し寄せてくる。先程の度し難い感情とは違い、今度はプラスの感情のよう。

「、すっ……げぇ!」

今日は燈矢の浮き沈みが激し過ぎて、その落差に冷奈はくらくらしてしまう。
冷奈は一度も乗ったことがないが、きっとジェットコースターに乗った後は、こんな気分になるのだろう。

目眩を覚える冷奈を他所に、どこか興奮した様子の燈矢が、締め付けていた腕を開放した。「ぷはっ」と冷奈が空気を吸うと、燈矢の光輝く蒼と目が合った。

透き通る程に美しい、眩く煌めく大きな蒼。

そんなものがすぐ目の前にあり、冷奈は思わず見惚れてしまう。
ぽーっと一対の大好きな蒼をまじろぎも惜しく見詰めると、火照る頬をそのままに、燈矢は満面の笑みを冷奈に向けた。「冷奈ちゃんっ」弾けるように、名前をひとつ。

「俺たち敵退治できたよ!」
「…………"びらんたいじ"?」

思ってもいない単語に冷奈は小首を傾げた。


びらんたいじ。
びらんたいじ……。
……よく分からないけど、大好きな燈矢がこんなにも嬉しそうだから、まぁ、いっか。


燈矢が嬉しいと冷奈も嬉しい。
花咲くように笑う燈矢に、冷奈もふにゃりと微笑んで、考えることを放棄した。

「す……っげぇじゃないでしょ!?や り 過 ぎ よ!」

一件落着、という空気に、張り裂けんばかりの声が割り込んだ。黙りだったせいかの声だ。

冷奈はハッとした。あんなに大きな悲鳴を上げていたせいかは大丈夫だろうか?きょろと、せいかを見つけようと辺りを見渡して。すぐに視界が暗くなる。「まだ見ちゃだめだよ」燈矢の温かい手が冷奈の目を翳したが、それでも大きな氷の塊がチラリと視界を横切った。

「轟君、貴方も今すぐ『個性』を使ってちょうだい、緊急事態よ!兎に角、鼻と口の部分だけでも溶かさなきゃ……!」
「なんで?」
「な、なんっ!?この人、今全身氷漬けになってるのよ!?息できないじゃない!このままだと窒息するわ!」
「…………こんな変態ここで死んどいた方が、世の中の為に良いと思うけど」
「な に を 言 っ て る の っ !!」

声しか聞こえないが、せいかはとても元気そうだった。心做しかいつも以上に元気なその声に、冷奈はホッと安心する。

「冷奈ちゃん。ちょっと歩くけど、俺が良いって言うまで、目瞑っててね?」
「?うん」
「轟燈矢ァッ!!貴方もヒーロー志望でしょっ!?だったら相手が変態でも!!人助けを!!しなさいっ!!」
「だあああうっせぇよ!こっち優先だ!俺の冷奈ちゃんがこんな汚ぇモン見ちまったらどうしてくれンだよッ!?」

冷奈は燈矢の言う通りぎゅっと力強く瞳を瞑った。
暗い世界のまま歩くというのは、とても不安なことだけど。それでも燈矢が手を引いて、ゆっくり先導してくれるから、冷奈はちっとも怖くない。

燈矢とせいかのいつもより声を張った口喧嘩に、冷奈は小さく笑みを零した。なんだか二人とも、いつもより元気だ。

「取り敢えずさ!おまえのそれ止めろよッ!煩くて仕方ねンだ!」

一つとして役割を果たさなかった警告音が、漸くカチリと鳴り止んだ。

.
.
.

「だからぁ……あのねぇ……。知らないおじさんにね?見てって言われたの。わたしは、とうやくんにね?ぎゅってしてもらってたから、見えなかったんだけど。……そしたらおじさん……お外なのに、コートばあって開けちゃってね?裸になっちゃったんだって……!…それでね、せーかちゃん、きゃあって言ってね。とうやくんもびっくりして、燃えちゃってね。……だからね、だから……わたしも、びっくりしちゃって……。それでねぇ、それで……凍っちゃったの……」
『なんて??』

冷奈はきゅっと口を食む。これでも冷奈は精一杯詳しく伝えているつもりなのに、相手には一つも伝わってくれない。

しかも既に同じ内容を二回も言っているのに、『ごめんね、もう一度いいかな?』とまたリテイクを言い渡された。冷奈はちょっと疲れてしまった。


燈矢の許可が下りて冷奈がやっと目を開けた時、視界に飛び込んできたのは、とても大きな氷の塊と、真っ白な炎を氷の上方部分に向けて射出させている、せいかの姿だった。

よく分からない状況に、冷奈がぱちんぱちんと瞬きを繰り返していれば、優しい燈矢が冷奈にでも分かるようにと、ゆっくり事態を説明してくれた。

なんと、この巨大な氷の中にはあの不審な男が閉じ込められているらしい。

しかも男はコート以外何も着ていなかったようで、燈矢とせいかは男の裸を見てしまったと言う。
そのせいで、せいかは悲鳴を上げ、燈矢は目の前の敵を反射的に燃やし、トドメに冷奈が敵の全身をカチンと氷漬けにした……らしい。

言われてみれば、氷の中には確かにトレンチコートの後ろ姿がうっすらと見えた。

足をガニ股に開き、コートを前に開いている男の後ろ姿を、冷奈がまじまじと見ていれば、「見んなあんな変態」と大変冷たい声をした燈矢に窘められたので、冷奈はサッと目を逸らした。

「おじさんどうして裸になったの?ここお外だよ?」
「俺も冷奈ちゃんも一生知らなくて良いことだよ。兎に角コイツはどうしようもない変態敵で、俺が燃やして、冷奈ちゃんが凍らせた!初めての敵撃退大成功だ!」
「……!大成功……!」
「さっさと来なさい轟燈矢ァ!!」

こうして、パチンと片割れの両手とハイタッチした冷奈は、これから氷を溶かさなきゃいけない燈矢の代わりに、この敵を通報する任務を請け負った。「110番じゃなくて、お父さんに通報してね」誇らしげに駆けて行く燈矢に、冷奈はこくんと頷いた。
燈矢はこの敵退治を成果に、正式に冷奈と一緒にヒーローになると、エンデヴァーに報告したいようだった。

「ちょっと!そっち頭!帽子燃えてるし髪ハゲてる!コントロール馬鹿なの!?」
「おまえこそなんだよそのひょろっちぃ火!全然溶けてねぇじゃん!もっと火力出せよ!」
「悪かったわね、これで全力よ!それでも溶けないなんて、なんなのよこの氷!」

わああっと燃えている二人を後目に、冷奈は入学と共に持たされたキッズ携帯の電話帳を開いた。

電話帳の『あ行』には【エンデヴァー】と【エンデヴァー事務所】と【お母さん】の三種類の連絡先が登録されている。

冷奈は一つも迷わず、えい、と番号をタップした。ルルルが二回鳴り止む前に、固い女の人の声が冷奈の耳に届く。

『───はい、こちらエンデヴァー事務所、エンデヴァーご親族様専用緊急回線です。お名前とエンデヴァーとの続柄、ご用件をお伺いします』

大嫌いなエンデヴァーと直接話したくない冷奈は、職場を介して通報する方を選んだ。

そもそもアレは冷奈の電話なんてきっと無視するに決まっている。アレはそういう奴だ。冷奈はそう確信していた。

「……えっと、とどろき、れなです。6才!つづ……?分かんない……。あのね、とうやくんとね、おじさん捕まえたの。つーほー!えんでばーに言って?」
『───えーっと?』

こうして、自分がエンデヴァーの娘であること、燈矢と一緒に敵退治をしたことを三度もその女の人に伝え、現在に至るのである。


電話の向こうのお姉さんは、優しく冷奈に話しかけてくれるけれど、冷奈はもうすっかり疲れてしまって、このまま電話を切ってしまいたくなった。

燈矢なら、冷奈が何も言わなくても、冷奈の言いたいことを全部分かってくれるのに。やっぱり燈矢が代わりに話してくれないと、相手も自分も困ってしまう。最近少しずつ自信を付けてきた冷奈は、この現実に落ち込んだ。

それに今日はまだ薬を飲んでいないのに、あんなに大きな氷を作ってしまったのだ。大出力だ。冷奈の身体はまだどこも痛くないけれど、兎に角寒くて、とても眠い。

こんな時、いつもは燈矢に優しくあたためて貰えるけれど、その燈矢はせいかとガミガミやり合いながら『個性』を使って忙しい。「うぅぅ……」つかれた。ぐすん、と冷奈はとうとう座り込んで膝を抱えてしまう。

『冷奈ちゃん?だ、大丈夫よ!お姉さん達が引き摺ってでもエン、パパを冷奈ちゃんの元に届けるからね!だからお姉さんにもう一度教えて?なにが燃えて凍ってるのかな?みんな無事?そこは安全な場所?近くに大人の人や誰か……敵は、いないかな?』
「……パパっ来ないもん……!」

涙声が冷奈の口から零れてしまう。冷奈のパパはこの世界に居ないのだから、冷奈の元に来てくれるわけがないのに。

しくしく。けほけほ。

カツンと携帯を落としてしまっても、冷奈にはそれを手に取る気力はもう残っていなかった。


『冷奈ちゃん?冷奈ちゃんっ!?お姉さんの声聞こえる!?』『エンデヴァー!娘さんの詳細位置情報割れました!……っ、やはり、その現場の近くに居ますッ!』『住所共有します!』『救急車手配完了!』『所轄と付近のヒーローにも共有済みだ!』『敵の捜索は自分たちに任せて!』『すぐに保護に行ってあげてくださいパパ!ここで行かなきゃ絶対後悔しますよ!?』


一泊後。裏返しになった携帯が、複数のくぐもった声でわああっと盛り上がるも、肝心の冷奈は膝に顔を埋めて聞こえていない。
けほっと乾いた咳がもう一度溢れてしまって、きゅっと身体を縮こめる。

「冷奈ちゃん、」

優しい声に冷奈はハッと顔を上げた。
もう半分もお揃いになった白と紅の少年が、冷奈と同じ目線になるよう腰を下ろす。

「とうやくん、」

腕を伸ばせば、燈矢は当たり前のように冷奈を抱きしめてくれた。ついさっきまで『個性』を使っていたから、燈矢の体温はとても高く、心地好い。
すり、とぽかぽかの身体に頬を寄せ、「あのねぇ」と冷奈は困った声をくぐもらせた。

「会社の方におでんわしたの」
「かいしゃ?……事務所か。……確かに、お父さん忙しくて電話出れないか」
「うん。……それでね、がんばってつーほー、したんだけどね……わたしじゃ伝わんなかったの……」
「……、そっか……そっか!」

申し訳なさそうに冷奈が現状を説明しても、燈矢は怒らなかった。それどころか、まるで喜びを噛み締めるように「そうだよね!冷奈ちゃんじゃ、できないよね!俺が居ないと、駄目だもんねっ!」と、満面の笑顔でうんうん頷き、アスファルトに寝そべったままの冷奈の携帯を持ち上げる。

「じゃあ俺が。冷奈ちゃんの。代わりに。通報するから、その間冷奈ちゃんは俺の手、冷やしてくれる?」
「!うんっ」
「持ち場に戻れ轟燈矢ァッ!」
「ソイツもう口呼吸できるよ。あとは自然解凍で大丈夫大丈夫」

自然解凍なんて出来るわけないでしょ!?というせいかの怒声をBGMに、冷奈はそっと燈矢の片手に手を触れた。
痛々しいその火傷の痕は、冷奈の氷を溶かす為に負ったもの。謂わば、冷奈のせいでできたものだ。

その事実にほんの少し顔を曇らせて、「冷たく気持ちよくなりますように」と冷奈は慎重に、氷ではなく冷気だけを出すよう心掛ける。
ここで調整を間違えたら、また前みたいに燈矢の片手ごと氷漬けしてしまうので、慎重に慎重に、だ。

擽ったそうに笑う燈矢が冷奈の携帯に耳を寄せ、「もしもし」と冷奈の代役を担った。

「冷奈ちゃんが、全然、説明出来てなかったようで。電話変わりました。俺エンデヴァーの長な「冷奈ッ!!!燈矢ッ!!!!」、え、お父さ」
「ひゃっ」


《パキンッ》


「、あっ……!?」
「……あー」

左手、無惨にも氷漬け。





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