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なにも特別でない。
取るに足りない。
なんてことない日常のワンシーン。

だけど時が経っても何故だか忘れることが出来ず、なんなら一生忘れることがないだろうという淡い確信すら持ってしまう、そんな記憶は無いだろうか。

むかし、そういった記憶があった。

たとえばいつの日か、夕焼けに目掛けてふぅっと息を吹き込み、すぐに消失する儚いシャボンを幾つも幾つも生み出したことだったり。
たとえばとても食べれたものではない悍ましいピーマンを、母に内緒でこっそり父の口に放り込み、悪戯が成功した少年のようにニヤリと笑う父の笑顔だったり。
たとえば。やさしい兄にあれもこれもと注文され一緒に読んだ漫画の必殺技だったり。

そんなありふれた、普通の記憶。
そうしてこの記憶も、そんな記憶の一つだった。

「このおにーさんかっこいいねぇ」
「あら、我が娘ながら中々良い瞳持ってるわねぇ」

どこもかしこも基本白い、とても詰まらない部屋。
そんな部屋に押し込まれて毎日辟易していた当時のわたしにとって、唯一の娯楽が備え付けられたテレビだった。
昼も夜もやることが無く暇だった幼いわたしはいつだってテレビに夢中で、だけどいかんせん平日の昼間に放映されていたのはニュースかドロドロの恋愛ドラマぐらいしか無かった。

幼い子供にニュースなど分かる訳もなく、必然的に毎日欠かさず後者を見続けることを選び、その感想を両親や兄に言う度に父にはさめざめと泣かれ、兄には渋い顔をされ、母には爆笑された。今思えば、軽い悲劇。
だけどやっぱり10にも満たない子供にとっては昼間に放映されている「この泥棒猫!」なんて金切り声で叫ぶことが命のドラマよりも、単純明快で分かりやすい子供向けアニメを好いた。
特にお気に入りだったのは土曜日の夕方にやっていた小さくなった探偵のアニメだ。
とは言え、それは忙しい母と高確率で一緒に過ごせた曜日だったから、という理由も大いにあるのだけれど。それは今ここでの本筋とは関係の無い話のこと。

その時も、そのアニメが流れていた。
小さなテレビにはちょうどミルクティー色の髪をした色黒の青年がアップになっていて、それは確か先週初めて登場した、イケメンで優しそうな好青年。
幼いわたしはそれはそれは夢中で。こぼれ落ちそうなほど大きな蒼い瞳にきゃあと両頬に手を当てた。所謂、一目惚れ。

「カッコイイ?胡散臭ェの間違いだろ」

吐き捨てるような冷めきった声が背後から零れたのを覚えている。
次いで窘めるようにグリ、と頭に乗せられていた顎を動かされた。痛い。抗議しても兄は素知らぬ顔でそっぽを向くだけ。「やっだおにーちゃんヤキモチ?」「うぜぇ」ニヤニヤとする母へぞんざいに返す兄は、その癖お腹に回す腕の力を強めた。

こうして兄に抱き抱えられるように、或いは、兄を背もたれにして漫画やテレビを見るのが、当時のわたしの定位置だった。
謎に不貞腐れた様子の兄を放り、わたしは「おうじさまみたいだねぇ」と母に投げかける。
そうねそうね、と訳知り顔に何度も頷く母は、しかし「まぁ私の嫁の銀髪ポエマーちゃんには適わないけどね!」なんて鼻息荒く胸を張った。銀髪ポエマーちゃんは母の推しだった。
悪いキャラクターが好きな母に、どうしてわるいひとがすきなんだろう、って。今でも思うものだけど、そんなこと言ってしまったが最後、母のマシンガントークが開始されてしまうので当時のわたしは懸命にも何も言わず。「趣味悪ぃな」「なんだァ?てめェ……」しかし不用意な兄の一言に、母がキレた。始まってしまった銀髪トリガーハッピーアピールタイム。

なんでいっちゃったの。
悪ぃつい。

頭上の兄を咎めると兄はゲンナリとした顔で今度は素直に謝罪した。こうなると、母は、長い。ため息。
留まることを知らない母の声をBGMに、進むストーリーに意識を戻した。

子供の見やすいアニメとは言えミステリーはミステリー。工夫を凝らした犯人のトリックを小さな探偵はいつだって解き明かしてくれる訳だけど、幼いわたしが本当に理解できていたかと問われれば、果たして解は否だった。
ただ哀哭する犯人の殺意が明かされる解決編は好きだった。「そんな理由で?」という軽い動機よりも「それは仕方ない」と納得してしまう動機が好きだった。実は犯人の勘違いで必要のない殺人を犯してしまったと発覚し犯人が頽れる姿も好きだった。余談だけど、この辺りは完全にドロドロとした昼ドラの影響を受けたせいのこと。

その週も丁度解決編だった。物語はお約束通り小さくなった探偵が幼馴染の父親を眠らせ、やがて悲しい真実を語り始める。

結婚前夜の、花嫁焼死事件。───事件では無かった、わけだけれど。

受け入れ難い真実に絶叫する青年の慟哭を最後に、エンディングが流れた。花嫁は殺されたのではなく、自殺したらしい。
小さな探偵が今回も動機───自殺、の動機を説明してくれたけれど、最後まで見続けてもやっぱり10にも満たない子供。複雑な話なんて、理解出来るはずもなく。「ね、ママ」動かない兄から身をよじるように母へと振り返る。
まだ続いていた悪役のアピールが漸く一旦止まった。

「どうしておんなのひとはしんじゃったの?」
「うーん、愛した人が本当は愛してはいけない人だったから、かなぁ」
「どうして?どうしてあいしちゃいけなかったの?」
「実は2人は双子…兄妹だったからね、うん。兄妹は結婚しちゃいけないの。2人は結婚したいなっていう好き同士だったからね、それがしちゃいけないって遺伝子に否定されて、絶望したんだね、きっと」
「ふぅン」
「冷静に考えたら昼ドラも真っ青だよね。しかもわざわざ異性一卵性双生児とかいう運命感バリバリな設定を採用するのも地獄。うーん、久々に業が深いね」
「…?いせ……?」
「双子は知ってるよね?双子にも2種類あってねぇ、ひとつの受精卵…まぁたまごだね、そこから2人が産まれるのが一卵性双生児で、2つのたまごから2人の人間が別々に産まれるのが二卵性双生児。二卵性双生児は2つのたまごから別々に産まれるから、性別も男の子と女の子が一緒に産まれる事もあるんだけど、一卵性双生児はひとつのたまごから産まれるもんだから性別は基本的に男の子2人、或いは女の子2人しか有り得ないの。でも今日の話によると、一卵性双生児でもすっごく稀に男の子と女の子の組合せで産まれることがあって……これってすっごく運命じゃない?そして生き別れた2人がその後運命的に惹かれ合い愛し合うようになる。それってすっごく残酷じゃない?地獄じゃない?」

突如として始まる闇のオタク語りに無論幼いわたしが着いて行けるはずもなく。わたしは頭上に「???」と疑問符を浮かべることしか出来なかった。「まだ早いかぁ!昼ドラ見てるから行けると思ったのになぁ!」当の本人は悪びれもなくケタケタと笑い、ほら、王子様出るよ、と画面を見るよう促した。

ミルクティー色の青年が再度アップで映る。
わぁっと頬に両手を当て「かっこいいねぇ」なんてデレデレと表情を崩した。おうじさまはこれからレギュラーになるようだった。またおうじさまに会えると、とてもとても嬉しくて。

───しかし、その実。母の言葉が脳裏から離れることがなかった。

ふたご。
ひとつのたまご。

他の言葉はまだ難しくてよく分からなかったけど、この2つだけ、なぜだかぐるりぐるりと脳を焦がして仕方なかった。
何日経っても、ふとした拍子に思い出すそれらを、結局終ぞ忘れることは出来なかった。

背後から回された腕の、痛いくらいの力強さとともに。

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