09
世界って残酷だ。
人間は須らく幸せな人生を送るために生きている。
幸せの定義は人それぞれだけど、俺の世界の中心はいつだって、お父さんと冷奈ちゃんだ。
お父さんに認めてほしい。
冷奈ちゃんと幸せになりたい。
二つ。たったの二つだ。それだけだった。些細なこと。
でも世界はそれすら、叶えてくれやしないらしい。
多分、生まれからして、普通の幸せとは遠かった。
生物は大抵親から産まれるもので、人間で言うなら普通、アイシアッタ二人が結ばれて、子供ができる。
でも俺たちはそうじゃなかった。
そこにあるのはアイのない利害の関係。
良く言って見合い結婚。
事実を言うなら個性婚。
明け透けに言えば、ただの身売り婚。
No.1を超えるヒーローを育てる為に、俺たちはお父さんとお母さんに創られた。
三人産まれて、お父さんに選ばれたのは、俺だった。俺こそが、お父さんに選ばれた。
俺は必死にお父さんに着いて行った。
嫌なこともお父さんの言うことなら、渋々だけどなんでも聞いた。
冷奈ちゃんのお気に入りのぬいぐるみを数個立て続けに燃やし尽くした時も。
冷奈ちゃんの頬を思い切り噛んで、しくしく流れる涙を美味しく食べていた時も。
冷奈ちゃんを起こすために、───二人で、幸せになるために。柔らかい唇同士のちゅうをした時も。
全部、お父さんが頭ごなしに俺を否定するから、嫌々封印したことだ。
俺はお父さんに嫌われたくなかったから、だから仕方なく、ぬいぐるみはゴミ袋に捨てるだけにしたし、冷奈ちゃんのことを噛まなくなったし、唇にも触れられなくなった。
だけど……そんな俺から、お父さんは距離を置き始めた。
たかが火傷が少し出来るくらいで、お父さんは俺じゃ越えられないって、思い始めた。
───そんなわけないのに!
俺が生まれたのはNo.1を越えるため。お父さんの期待に応えるため。
それが俺が生まれた意味だ。
今更俺じゃなかった、なんて。
そんなこと……ある筈ない。
捨てられるかもしれないと徐々に覚える焦燥に、冷奈ちゃんだけが理解してくれた。
ウチの他の女はダメダメだけど、冷奈ちゃんだけが、柔らかく手を繋いで、俺の心に寄り添ってくれた。
一緒に頑張るって……言ってくれた。
俺がその言葉にどれだけ満たされたか、どれだけ、救われたか。多分冷奈ちゃんは分かってない。
そうして、そんな誓いが重い枷になるなんて。俺すら理解していなかった。
世界って残酷だ。
甘く香しい誘惑には、いつだって罠がある。
俺も冷奈ちゃんも、それに気付けなかった。
……違う。馬鹿みたいに浮かれて、そこまで頭が回らなかった俺の、ミスだ。
ちょっと考えたら気付けたかもしれないそれは、時間を置いて、凶器になって。俺の片割れに襲いかかった。
どう足掻いても俺たちは『対の』双子だった。
性別、性格、髪色、個性、…………肉体。
俺は『炎熱』の個性なのに、なぜか身体に火傷しちまう。
───じゃあ、『対の』冷奈ちゃんは?
初めて"ソレ"が起こった時、俺は冷奈ちゃんを止めることができなかった。
取り返しがつかないとこまで……来ちまってたから。
俺が、俺が火傷、我慢してるから、だから自分も俺みたいに我慢する、なんて。
優しい冷奈ちゃんは、大嫌いな痛いことが起こった直後でも、それでも自己犠牲を払うことを選んだ。俺の為に。俺の、俺の為"だけ"に。
そんな温かい冷奈ちゃんを前にして、俺は。こんなことになってンのに、俺は、どうしようもない、人間だから。
身体、痛いのに。なんでもない振りして、俺の為に『個性』使ってくれる冷奈ちゃんに、俺は、どうしようもない感情しか、ぶつけられなかった。
俺の為にここまで尽くしてくれようとする姿に、まず溢れたのが歓喜だってンだから、笑っちまう。
俺の想いにまた近付いてくれた。
それがただ、嬉しかった。
とんだ、クソ野郎。分かってる。でもそれが俺だった。その想いまで、飲み込みたくなかった。知って……ほしかった。
───世界って、残酷だ。
「燈矢兄、知らないの?」
こうまでして俺や、冷奈ちゃんが。色んなモン犠牲にして、必死に藻掻いて足掻いて手ェ伸ばしてンのに。
容赦も無く、呆気も無く、ただただ簡単に、機械的に。『失敗作』の一語で、その手は振り払われちまう。
「もうすぐ産まれるんだって。弟!」
とうとう俺たちは見捨てられたらしい。
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「つまり冷奈ちゃんは数ヶ月前から『個性』の使用頻度が急激に上昇したと、そういうことで良いんですね?」
喋る熊に見向きもせず、ジッと無機質なモニターを見詰めた。
瞬き一つもしないように、ただただ流れる画面を見続ける。変なこと、されないように。変な気を、起こさせないように。
俺が守らないと、いけないから。
熊は依然喋り続ける。俺が無視しようと何しようと、どうせコイツには関係ない。
リノリウムの室内には俺と熊が一人と一匹。大画面にはいつもの検査を受ける、冷奈ちゃんの姿があるだけだ。
「燈矢くん燈矢くん。大事なお話です。くまと少しお話しましょうですね。まず確認です。君たちはどこまで自分たちの身体を知って」
「俺は『個性』使うと火傷する。冷奈ちゃんは『個性』使うと身体が痛くなる。……結論言えよ」
随分温度の無い声が殴りかかるよう床を弾いて響き渡った。
俺、こんな声出せたんだ。なんて。どうでもいいこと、考えて。
学校への入学準備だのなんだので延期続きだった定期検診は、あっさり片割れの身体の異変を嗅ぎ取った。
いつもの通り看護師に連れられる冷奈ちゃんに付き添おうとしたのに、熊の癖に気色悪い猫撫で声を出した熊に押し留められ、まるで事情聴取のように密室へと隔離された。
冷奈ちゃんのことは、本人に聞くよりも俺に聞く方が、よっぽど早くて確実だから。
正しい判断だ。
俺が作った、正しい常識。
機械に飲み込まれる片割れを見詰め、そっと一つ息を吐いた。
「───正確に言うならば。冷奈ちゃんの場合は内臓器官及び神経各位に支障を来す……ですね」
ベラベラ喋る熊の話は実に、単純だ。
俺が自分の炎に、その身を外側から焼かれンなら、冷奈ちゃんは自分が操る冷気に内側から侵食され、凍り……行き過ぎると、腐敗する。
「要するにですね、燈矢くん。燈矢くんは表皮……皮膚の炎熱耐性が限りなく低いんですね。冷奈ちゃんはその逆ですね。なまじなけなしの氷結耐性が全て皮膚に集中してるものだから、凍傷も起こること無く、見た目は綺麗なんです。見た目だけはね。でもその実、一皮剥げば、強過ぎる自分の冷気に、とても耐え切れる器官じゃないんですね」
聞けば聞くほど、俺たちはちぐはぐな身体だった。
変な気を回してるらしいコイツは直接俺には言わないが、つまりそれぞれに必要な耐性が(或いは、個性が)、それぞれの片割れの方へ配置されている。そんなところだ。
でも、俺だってそう馬鹿じゃない。
そんなこと、他人に言われなくても気付くことだ。
こっちはまだ炎出してるっていうのに、阿呆な冷奈ちゃんが手ェ突っ込んで俺を冷やしにかかってきて、別の意味で肝が冷えた時。
軽い火傷を負ってンのはいつも俺の方で、どれだけ俺の炎に炙られても、冷奈ちゃんはいつまでも白く美しい雪肌のままだった。
逆に冷奈ちゃんが調整ミスって、俺の腕ごと氷漬けにしちまっても。俺の身体には凍傷どころか、霜一つ降りることはなかった。……冷奈ちゃんはいつだって、身体が震えてるっていうのに。
そんなことが何度も続けば普通、気付くだろ。
……冷奈ちゃんはまだ、気付いていないだろうけど。
「───さて燈矢くん。くまのここまでの話を聞いてもですね、燈矢くんはまだ冷奈ちゃんと一緒に、ヒーローになるなんて夢を描くのですね?」
無感情に無責任な声に、カッと全身の血液が沸騰する。
「ッ黙れよ!なんも知らない癖にッ俺たちを否定すンなッ!」
なにも、なにも知らない癖に、どいつもこいつも俺を、俺たちを否定する──!
お父さんはもう俺たちを見ない。お母さんは俺の『次』を作った。冬美ちゃんはそれを無邪気に喜んでる。
誰も俺の気も知らないで!
俺がどんな想いで、自分のプライドへし折って、冷奈ちゃんの平穏な将来を犠牲にしてまで、ヒーローの道に引きずり込んだと思ってる?
俺がどんな想いで、毎日毎日『次』の存在に怯えて、情けなく冷奈ちゃんに泣いて縋って慰めてもらってると思ってる?
俺が、どんな想いで……笑顔の裏で、痛い、苦しいって、心の中で泣いてる冷奈ちゃんを、抱き締めてると、思ってンだよ……ッ!?
なにが「絶対守るから」だ!俺が、俺が一番、冷奈ちゃん痛めつけて、傷つけて……ッ!俺は、俺は火力を上げることしか知らないから、だから冷奈ちゃんにも、それしか教えられなくって……それで、傷付いてッ!!
───それでも……それでも、冷奈ちゃんは……俺から……、……離れて、くれなくて…………俺も、俺も、……今更もう、手放せなくて……ッ!も、雁字搦めで……ッ!!
辛抱堪らず空席の椅子を蹴り飛ばし、否定してくる医者を射抜く。光の差さない一対の闇も、俺にはもうどうでもいい。
───気付かれたンなら、ここまでだ。
治療も研究も、あくまで俺たち『実験動物』の協力で成り立ってる。注射は惜しいが、別に我慢できないほどでもない。
適当に冷奈ちゃんを丸め込みさえすれば、こんな所とはおさらばだ。どうせ病院に行かなくなったところで、家の中はもう誰も俺たちに関心向けてないんだから、気付かれたとしても誰も何も言やしない。
両の拳を握り込む俺に、目の前の白衣を着た熊は。何を考えてンのか分からねぇ黒い目をそのままに、ゴキンッと音でも出そうな勢いで、首を一息に90度折り曲げた。───、ホラーかよ。
あまりに不気味なその姿と、密室というこの状況に、チリと『個性』が視界の端で弾け、そうして消えて行く。
「───否定?くまはそうは言ってないのですね」
いざとなりゃこの部屋を燃やして脱出を……そう算段を付ける俺に、熊が懐柔するような声を出す。
訝しむ俺を他所に、未だ垂直のままな視線と口が、思ってもいない戯言を口吟む。
「ほぉんの少しで良いんですね。くまに時間をくださいなのです。その間にくまは薬を準備するのですね。燈矢くんには火傷の塗り薬。冷奈ちゃんには体内の冷気を鈍化させる内服薬。どちらも宛はあるんですね。勿論、轟くんにも奥方にも言わないのですね」
想定外の熊の甘言に、不審隠さず顔を顰めた。
俺たちの個性使用を制限しない……どころか、薬によるサポート……?親への隠匿?……誰がこんな言葉、信用出来るってンだよ。
「おまえ……医者、だろ?医者なら、俺たち止める筈だ。なのに、なんで、否定どころか協力しようとしてンだよ……!」
曲がりなりにも、医者の立場の熊の「否定しない」という言葉は、異様だった。
俺たちに対する純粋な応援?いいや、そんなわけない。だったら「ヒーローになる"なんて夢"」とは表現しない。コイツは明らかに反対している。している……筈だ。
そんな奴の耳障りの良い言葉。受け入れられるほど、俺は能天気でも馬鹿でもない。
空気も相俟り、ソイツの言葉もソイツ自身も。ただただ俺には不気味だった。
「ううん、」伸びでもするよう医者が椅子から立ち上がる。お父さんよりもデカい身長が近付いてきたら、嫌でも身体に緊張が走る。
悟られないよう、唾を、飲み込む。
「あのですね燈矢くん。くまが君たちの夢を否定しようと、『個性』の使用を禁じようとですね。君たちはくまの言うことを聞く義務も義理も無いのだから、どうせ隠れて『個性』使って大怪我負ってしまうのですね」
───だったらまだくまが薬を用意して、くまの目の届く範囲でヤンチャしてもらう方が、くまはよっぽどいいのですね。
そう言いながら、熊は俺の前で立ち止まる。元々近い距離だ、詰められるのはあっという間。───なのに動けない。俺は動けなかった。ゴキン。首が元に戻る音。
「───これが、建前」
なんの前動作もなくズンッと背と膝を丸め、二つの黒い円が俺を覗き込む。
「くまはね燈矢くん。今も昔もこれから先も、君には誠実でありたいのですね。信頼とは嘘偽りの無い真実を語ることによって築き上げられるものだからね。くまは燈矢くんに正直になるよ。くまはできるだけ燈矢くんに協力もしよう。だから燈矢くんも、出来ればくまに協力してほしいんだ。冷奈ちゃんのことについては燈矢くんにお伺いを立てるしかない、そうだろう?」
なに言って、
「勿論勿論。冷奈ちゃん本人の意思次第のことだよ。こわぁいことや、ひどぉいことも絶対しないと約束する。くまはね、燈矢くん。数年後、数十年後。冷奈ちゃんにとっても、とぉっても有意義な実験、…ああ失礼、治療をしたいと、思っている訳でね」
───こんなところで考えなしの餓鬼に貴重なサンプル潰させてる暇ないんだよ。
「……ッハ」
───……大人って、きたないね。
───君は既に知っていた筈だ。なぜなら君のご両親も、汚い大人の一員なのだから。
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とうやくん。くまちゃんせんせー、なんのお話だったの?
……せに、
…え?
……しあわせに、なろうね。…………ふたりで。