08

「別に、嫌いになりたいわけじゃないんだよ。冷奈ちゃんのオトモダチだもんね。これでも俺だって努力してンだよ?でも、どぉぉしても生理的に合わない奴って、いるでしょ?俺にとってはそれがアイツなんだよ。仕方ねンだ」
「せーりてき」
「本能的ってこと!」

はい、万歳!と燈矢に促されてしまうと、冷奈の身体は反射的にその通りに動いてしまう。

あ、と冷奈が声を上げる間もなく、慣れた手つきで燈矢が服を脱がす。そうしてすぐに用意された動きやすい服に着替えさせてくれるものだから、冷奈は今日も自分で着替えるタイミングを逃してしまった。

あまり着たくない半袖の服に、冷奈の小さな身体がフルリと震える。季節はもう5月だ。

「……でも、せーかちゃん、正しいよ。わたし、とうやくんに頼ってばっかり……」

自分が着ていた服を丁寧に畳んでくれる燈矢の横で、ぽつん、と冷奈はこの頃思っていることを零した。

自分がぼんやりでポンコツなばっかりに、燈矢に迷惑をかけている、と。一ヶ月も他人と触れ合えば、嫌でも分かる事実だった。

せいかは冷奈にそのことをハッキリ指摘してくれる。優しくて強い友達だ。

「だーかーらーさぁ!俺イヤイヤやってる訳じゃねェし。冷奈ちゃんのお世話は俺も好きでやってんの!他の奴らの言うことなんて、いちいち気にすんなよ」

しかしそんな冷奈の一番の友達と燈矢は、馬が合わないようだった。ムスッと拗ねた顔の燈矢に、冷奈はちょっぴり困ってしまう。

優しい燈矢はそう言ってくれるけど、やっぱりせいかの言う通り、一人だけ体育の授業の度に空き教室で燈矢に着替えさせてもらうのは燈矢にも申し訳なかったし。それに、ちょっと。ほんとうは、ほんのちょっと……はずかしい。

だけど、燈矢の柔らかい親切を跳ね除けるのは、凄く凄く悪い事のような気がして。結局冷奈は言いたいことも纏められず、また燈矢に甘えてしまうのだ。

「ま、アイツのことなんてどうでもいいや。訓練はじめよっか!」

ニッ、と八重歯が覗くままに笑った燈矢が、冷奈の手を優しく引いてくれる。

父が居ないから今日は道場が使い放題だ。上機嫌に歩く後ろ姿に、冷奈は「うん!」と大きく頷いた。

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冷奈の『個性』は母親のものを強く引き継いだ『氷結』、つまり空気中の水分を凍らせるもの……らしい。感覚で使っている冷奈は、自分の『個性』も詳しく知らない。

分かっているのは、凍った空気の水分は、薄色の氷になり、落ちることなくぷかぷか冷奈の周りを彷徨う。浮かぶ氷にひとたび冷奈が念じれば、そちらの方向に移動し、落ちろと思えばその通り。
応用すれば、触れたものや、ある程度離れたものすら凍らせる。正に『氷結』の『個性』。

産まれて初めて『個性』で氷を出せた時、冷奈は興奮を抑えられずぺたぺた隣の片割れを叩いた。『ちょーのーりょく!』『こせーだよ』すぐさま訂正されたわけだが。

「……ん。前より冷たくなったね」
「ほんと……?」

ぽとりと燈矢の手のひらに氷が落ちる。握ったり摩ったり、忙しなく燈矢の指が動く様に冷奈自身も落ち着かなかったが、前より冷たいという言葉にホッとした。特訓は順調だ。

目下、冷奈の目標は一つ。
【氷の温度をより強くすること】

『個性』を使用する度に火傷と、どうしようもない熱を抱えてしまう燈矢にとって必要なのは、火傷の痛みと熱を抑えるための冷却だった。


冷やせば冷やす分だけ活動時間は伸びる。そうして炎を纏う身体を、『炎に弱い氷』で冷やすというのだから、必然氷の温度はより低い方が望ましい。だから出す氷の温度を強くしよう。


そう、燈矢に力説されれば、ちんぷんかんぷんな冷奈はこくん、と頷き、燈矢の指示通りに『個性』を使うしかない。

燈矢の指示は分かりやすかった。兎に角氷を作れという、とてもシンプルな指示。量を熟せば技量も上がる。日を追うごとに冷奈の氷は冷えていき、今ではほんの少しなら、燈矢の炎の中でも耐えられるようになった。

順調だ。もう少し強くなったら、父に訓練を見てもらっても良いのかもしれない。「先に冷奈ちゃんの氷強くしてさ、お父さんびっくりさせようよ!」冷奈の初めての訓練前、悪戯っ子のように笑う片割れに冷奈も同じような顔で頷いた。

だからこの特訓は、燈矢と冷奈だけの秘密の特訓なのだ。

「じゃあこのまま氷作り続けててね」

燈矢も自分の特訓があるのだから、ずっと傍で冷奈を見ているわけにもいかない。ちゅ、と燈矢の唇が頬に触れ、そのまま少し空いた距離で赤い炎を立ち昇らせる。

「……?」

柔らかい感覚を残した頬に冷奈の指がそっと触れた。
ぼうっとしている冷奈でさえ、最近燈矢からのスキンシップが激しいことには気付いていた。

特に、ちゅうが多い。

ううん?とのんびり首を傾げるも、やがて特訓に集中すべく少しの疑問を追い出した。

口同士じゃないならセーフなことを、冷奈はちゃんと知っているのだ。

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氷は冷たい。


パキパキと生成された無骨な氷が、主を取り囲むように浮かんでいる。周囲は満遍ない冷気が溢れ、5月とは思えない涼しさを空気に浸透させていた。
しかし少し距離を歩けば、そこには燈矢が最大火力で『個性』を放出しているのだから、室内はまるで常夏と晩秋が共存しているようだった。

冷奈が『個性』訓練を初めてから数ヶ月。
それまで自主的に『個性』を使った回数は、片手で数えられるか、というレベルだった冷奈も、今では身体の一部のように氷を扱えるようになった。普段は頷くことさえテンポが悪いというのに、こと『個性』に関しては、脳からの指示に素早く身体が反応する。

冷奈としては日常生活でも、この俊敏性を発揮してほしいのだけど、それが出来たら燈矢に苦労はかけていない。ひとつ、ため息。それから、氷。

パキ、と今度は冷奈の視界の右上辺りに生成される。

数ヶ月前までは小指の第一関節程度の大きさだったそれも、今や握り拳程度に凍らせられるようになった。

作られる氷はいつだって荒削りで、切っ先がキラリと鋭く輝いている。まあるい擬音語がお似合いな冷奈が作ったにしては、アンバランスなほどの高い攻撃性が見え隠れしていた。
そんなものが切っ先を見せつけながら、幾つも冷奈の周りで次の指示を待っている。普段の冷奈を知る人間なら目を丸くさせることだろう。

そんな、あたったら痛そう……と本人もお墨付きな荒っぽい氷を、冷奈はゆくゆく何かの形に象らせたかった。『まえ』の世界の氷の使い手たちは、よく氷の武器で戦っていた。もう内容なんて覚えてないけど、テレビで見た必殺技は、朧気ながらも冷奈の頭に残っていた。

まだまだそんな技術は無いけれど、冷奈は自分でもあんな綺麗な武器を作ってみたかった。氷の日本刀、とか。そういう武器って、多分なんだかかっこいい。

途切れ途切れの夢想の中で抱いた、冷奈の小さな野望だ。

とは言え、勿論冷奈の最大の目的は、熱に蝕まれる燈矢を迅速に冷やすこと。敵退治は二の次だ。攻撃性や武器も有って損はないが、優先すべきは氷の温度。
冬の空気を思い浮かべ、意識を『個性』に集中させる。冷たい分だけ、燈矢は強くなるのだから。



───氷は、冷たい。



《パキン》


「、?」

不意に。異様な距離で音が聞こえた。固く響いた音自体は冷奈は十分聞き慣れている。何かが凍った時の音。

きょろ、と冷奈は辺りを見回す。酷く近くで鳴ったというのに、漂う氷は増えていない。気のせいかな。回転の遅い思考が結論を出し、冷気を強める為に指示を出す。


《パキン……バキンッ》


直後、また音が鳴り響く。今度は更に、大きく。

身体の内にまで響くそれに、冷奈は酷い寒気を覚えた。大きな氷に串刺しにでもなったかのような感覚に、反射的に剥き出しの腕をかき抱く。自身が放出する冷気に対してでもあったが、なにより恐怖が直結していた。

鳴ってはいけない所(・・・・・・・・・)からの音だということを、本能と痛覚は十全に理解していた。


刹那、


「っあ、……ッ!」


───ザァーーーッ


宙を彷徨っていた大量の氷が浮力を無くす。かかる重力は一つとして余すことなく、法則のままに固い床へと叩きつける。炎熱耐性のコーティングを施された床に、氷粒が落ちては跳ねてを繰り返し。打ち付けるその音は轟音で、さながら屋内で大粒の雹でも降ったかのようだった。

ゴツン、と頭頂部にかかる衝撃に、頭を抱えて蹲る。コントロールを失った凶器は作られた恩義も一切忘れ、冷奈にも当然、牙を剥く。

「、冷奈ちゃん?!」

部屋中に響く鳴動は、当然離れている燈矢にも聞こえた。

いや、聞こえた、なんてかわいいものではない。

思ってもいなかった爆音が、油断しきった聴覚をダイレクトに刺激した。軽い地響きとも取れるそれに思わず身体をフラつかせながら、それでも音の発生源を凝視する。

跳力を失くした堅氷が、嫌な沈黙を散りばめた。ペタンと未だくずおれる冷奈を中心に、数多の氷塊がその姿を反射して。

ふるり。身体が震えたのが分かった。
誰って、そんなの勿論───互いの震え。

恐る恐る、と言った具合に、冷奈はたっぷりの時間を費やし、辺りをゆっくり見渡した。
大変なことに、なってしまったと。冷奈が顔を青褪めさせる間に、同様に酷く青い顔をさせた燈矢が、そこかしこにある氷を器用に避けて、冷奈のすぐ傍に辿り着いてしまった。

突き刺さる視線と感情に、冷奈は思わず目を泳がせる。どうしよう、どうしよう。自身の腕が視界を過ぎれば、頭を庇った時に出来たいくつもの擦過傷が目立った。

筋状のたくさんのかすり傷が、まるでちょっとした『りゅーせーぐん』みたい、なんて…………燈矢の視線が更に厳しくなったのは、流石の冷奈も気付いている。

「……冷奈、ちゃん……、」

壊れものでも触れるような手に、冷奈の身体は引き寄せられる。屈んだ燈矢の胸辺りに丁度冷奈が納まって。更に距離を無くすよう、ぎゅっと力が込められた。

ドクンドクン、と聞こえる心音がどちらのものか、冷奈にはもう分からなかった。

何かを言おうとしている燈矢のものなのか。
それとも、重苦しい頭を、なんとか必死に回転させている、冷奈自身のものなのか。

分かっているのは、片割れが何かを言うその前に、自分がそれを上手く制さなければいけないことだけだった。


───多分、たぶん……"気づいてる"。なんとか、しなきゃ。なにか、いわなきゃ。


自分で出していた冷気とは、また別種の薄ら寒さが、冷奈の身体を駆け巡る。あの時、片割れは、こんな気持ちだった。冷奈は今更に、そんなことを痛感する。

カラカラの口で唾を飲み込み、冷奈は必死の思いで頭と視線を動かした。動かし、探し……漸く見付けた燈矢の腕に残るソレ。
次いで形容しがたい何かが焼ける匂いを覚え。もうこれしかないと瞳を伏せた。

躊躇うよう、口を開く。


「……、やけど……冷やす、ね……?」


───言わないで……。


強く、強く。冷奈はそう願った。
そうすれば燈矢には絶対伝わる筈だった。

だって冷奈も、燈矢も。ずっと、そうしてきた。
『とくべつ』なこの能力は、『うんめい』の片割れには、届いてくれるものだから。


だから、おねがい。

とうやくんなら……分かって、くれるよね……?


「………、…」

ひとつ、ふたつ。

常の沈黙が、永かった。
言い淀む空気が、肌を突き刺すようだった。
常には無い、荒れ狂う片割れの感情は、冷奈では到底処理出来そうにない。

……それでも。それでも優しい燈矢は。いつだって拙い冷奈の意を汲んでくれる。

だいじょうぶだよ。
顔を上げ、念押しするようそう伝えれば、グッと口篭る音が聞こえた。揃いの燈矢の蒼い瞳が、冷奈へと雄弁に想いを語る。

本当の、本当に、"良いんだな"?と。
目は口ほどに物を言った。

語る、けれど。言った、けれど。口にも音にも出されはしない。
なぜなら燈矢は、燈矢、だけは。絶対冷奈に言ってはいけない。
それじゃとても不公平だから。

冷奈は燈矢に言わなかった。


───ならば今度は……燈矢が言わない番だ。


「………………休憩……しよっか」

たっぷりとした逡巡と葛藤のその果てに、燈矢は重く決断した。
感情昂り、大粒の想いを隠すことなくぽろぽろ零し。それでも酷い笑みと共に、冷えた片割れへ熱を与える。
いつも燈矢をうっとり冷やしてくれるその体温が、今ではゾッとするような冷気しか感じられない。

零れる燈矢の想い全てが、冷奈の頬にほとりと当たり、氷となって床に落ちる。

歓喜、苦悩、絶望、愛しさ。

次から次へと溢るるそれらを、冷奈はなんとか受け止め続け、そうしてゆうくり背筋を伸ばす。

燈矢はいつもこうして自分を慰めてくれるから、と。近過ぎる距離に疑問も抱けず、ふに、と流れる甘露に唇を押し付けた。

「……ん……」

唇に割り込むその感情は、にがくて、あまくて、つらくて、しょっぱい。

とても燈矢みたいに美味しいとは言えないそれらを口に含む。それでも意を酌んでくれた燈矢へ「ありがとう」を伝えるために、冷奈は構わず吸い付いた。擽ったそうに身動ぐ燈矢の声が、そっと冷奈の耳に忍び込む。

ぐちゃぐちゃの感情に塗れたその声色こそが、冷奈への答えそのものだった。

「冷奈ちゃん……、」
「……なぁに?」

───燈矢"も"痛いのに『個性』を使って頑張っている。

だったら冷奈も、頑張らないとだ。

「…………ありがとう」

冷奈が自分でそう、燈矢と約束したのだから。





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