07
「ね、学校転校したいんだ。今度は冷奈ちゃんとぜっっったい同じクラスになれる学校!……ダメ?」
「だめに決まってるでしょ」
「どぉぉしても?」
「どぉぉしても。はい、行ってらっしゃい燈矢。冷奈をよろしくね」
きゅるんと瞳を潤ませ上目遣いまでしてお強請りをしたと言うのに、母親は無情にも燈矢の目の前でピシャンと引き戸を閉めてしまった。くそったれめ!チッ、と人前では絶対にしない舌打ちを零し、片割れが待つ通りまで出る。燦々と降り注ぐ陽光すら、今は酷く鬱陶しい。はぁぁ。雲ひとつない天気とは裏腹に、ため息は鬱々と燈矢の感情を正しく顕にしていた。
「とうやくん、おかあさんとお話、おわった?」
「……ん。おわったよ」
「じゃあ行こっか!」
大人しく待ってくれていた冷奈と合流し、手を繋ぎ合い学校に登校する。黒と赤のランドセルをゆらゆら揺らしながらの、燈矢と冷奈の新しい日常…………、
───日常。
日常、に、なってしまった……。
気付かれぬよう、燈矢はこっそり息を吐いた。
小学校入学という一大イベントから一ヶ月。
燈矢と冷奈の生活は目まぐるしく変化した。
燈矢の機転で、幼稚園や保育園に通っていなかった冷奈との日常と言うのは、基本的に家の中でのものだった。
あまり外に出なかったのは本人達の意向に加え、秘匿されているとは言え、
双子がNo.2ヒーローの子供であること、
双子が世にも珍しい異性一卵性双生児であること、
冷奈がふらふら知らない人間に着いて行ってしまいそうになった事件が何度かあったこと、などが挙げられる。
余談だが、情けないことに最も強い要因が三つ目である。
閑話休題。
外に行くのは定期的な通院くらいであり、有り体に言えば双子はこの時分で引きこもりであった。
そんな閉ざされた世界からの小学校入学。
燈矢と冷奈の世界は一気に広がり、その生活は学校を中心としたものへと変貌せざるを得なかった。
「───それでねぇ、教頭せんせー、カツラなんじゃないかなぁってみんないっててね。カツラなのかなぁ」
「……お母さん最近太ったよね」
「……、え、えっ?だ、だめだよとうやくん、そんなこと言ったら……!」
心底どぉぉでもいいことに燈矢は相槌すらせず話題をすり替える。かわいらしくあわあわする冷奈は、もうさっき自分が話していた内容も忘れただろう。それに母の腹が出てきているのも事実だった。先程無下にされた燈矢の小さな意趣返しだ。
冷奈とのこういった他愛ない雑談にすら、学校というものは侵食してきた。
これならかわいい声が聞けずとも、ふんわりとした空気の中での沈黙の方が、よっぽど良い。
冷奈はそうじゃないのだろうか。
……そうじゃないから、冷奈は今日もウキウキ楽しそうに学校に行くのだ。
ぎゅっと冷奈の手に力を込めようとして。スルリとその手が抜け落ちてしまう。
あんまりなタイミングに冷奈を見れば、少し離れたところで上履きに履き替えていた。
ああもう学校か。
「じゃあねとうやくん。また休みじかんね!」
「……おお」
ふにゃふにゃ笑う片割れに手を振られ、燈矢もなんとか笑って振り返す。そうして冷奈が元気に『1年A組』の教室に入るのを見届けてから、自身もダラダラと『1年B組』の引き戸を鳴らした。
「おはよう燈矢君!」
「おっはーとどろきー!」
投げかけられる声に適当に反応し、燈矢は自身の席へと辿り着く。割とギリギリに家を出たが、HRまでまだ時間があった。
こういう時間がちょっとでも出来てしまったら、すぐに燈矢の席にはわらわらと人が集まってしまう。
どれだけ燈矢が放っておいて欲しいと願い、たとえば寝たふりを噛ましたところで。どうしたのどうしたの、と甲高い声で纏わりつかれるのだから、燈矢の鬱憤は留まることを知らない。
うるさいうるさい。冷奈ちゃん以外喋りかけンな!
……それでも適度な人間関係を構築するには、こちらも適度に合わせてやらないといけない。
冷めた瞳を隠すよう、にっこり笑顔で有象無象を見渡して。騒げるような話題を提供。
「教頭先生ヅラだって!」
「そーなの!?」
人間というのは、エサをやればあとは勝手に騒ぐもので。やいやい騒ぎ立てるクラスメイトを他所に、今度こそ燈矢は机に置いた黒いランドセルに顔を埋めた。
「(やめたいッ)」
切実な、願いだった。
.
.
.
ストレスだった。
なにがって、当然、学校生活が。
まず、学校側の配慮になっていない配慮のせいで、冷奈とクラスが別れたことから、燈矢の苦悩は始まる。
かつて冷奈が行きたがっていた幼稚園は言葉巧みに回避できたが、流石に義務教育の小学校は回避できなかった。
その時点でもう既に燈矢は筆舌に尽くし難い不満を腹に据えていたが、それでもまァいつものように自分が冷奈のそばに居て、そうして害虫のように冷奈に集まってくるだろう人間を追い払っていけば良いと、タカをくくっていた。
しかし、蓋を開けてみれば。燈矢と冷奈は双子、という理由でクラスが離れ離れになってしまった。
信じられなかった。
同じ日に産まれた兄弟を引き離す行為を、ココでは『配慮』というらしい。
まして燈矢と冷奈はその辺によくいる双子とは違うのに。『とくべつ』で、『うんめい』で……それなのに…………!
入学式の日は、正直記憶が曖昧だ。想定外に冷奈と引き離された衝撃は、千言万語を費やしても表現し得ないものだった。
いつものように飲み込み隠す余裕すらなくて、帰り道冷奈に酷く心配されたのは覚えている。
『あのね、きょう、おともだちができたのっ……!』
そうして、気付いた時にはもう、遅かった。
冷奈は既にオトモダチをつくっていた。燈矢が大好きな、冷奈の透き通るような甘い声が、セーカチャンガセーカチャンガ、と意味不明な単語を繰り返す。燈矢は呆然と聞き流すしかなかった。
燈矢は、出遅れた。
『そっ……か。……よかったね』
しかし気付いたところで、クラスが違うというハンディを覆すのは、非常に難しいことだった。短い休憩時間は互いのクラスを行き来することで冷奈の隣を確保できたが、授業中や昼食時などはどうしても燈矢には手出しできない。
燈矢が歯痒く手をこまねいている間に、予想通り害虫共が一等かわいい冷奈へと群がった。
『れなちゃんって話聞いてんのー?』
『ねー!反応おっそーい!』
───ただ不幸中の幸い、と言って良いのか。
他人と接する機会が限りなく少なかった冷奈は、人見知りの気があった。おまけに山の天候のように次々と変わる子供の話題に、冷奈がテンポよく対応するなどできる筈もなく。
日が経つごとに、時間の流れがゆっくりな冷奈に飽きる奴らが出てきてくれた。
『冷奈ちゃんっ!』
『……!とーやくん!』
そうして燈矢は冷奈のクラスに行く回数を増やし、害虫共に『燈矢』という冷奈の絶対的存在を刷り込んだ。
この頃になれば害虫へのある程度の友好的な対応にも慣れたもので。にっこり笑って接してやれば、たちまち燈矢は両クラスでの『人気者』だ。
あとはいつもの作業だ。人気者の言動は害虫によぅく浸透する。
一等小さく幼気な冷奈を世話する様を見せつけ、害虫との雑談に普段の冷奈のダメっぷりを滲ませ、独り言のように「冷奈ちゃんは俺が居ないとダメなんだ」なんて呟けば、害虫共の冷奈への印象は、両親とさして変わらないものになる。
数ヶ月もすれば、冷奈単体に群がる害虫は大きく減った。
「轟君がそうやってれなを甘やかすからいけないんじゃないの?」
───減りはしたが、ゼロにはならなかった。
冷奈に気付かれないようキッと睨みつければ「なによ」と言わんばかりの女と目が合う。金髪金眼とやたらと主張の激しいこの女こそが、冷奈の数人残ったオトモダチ筆頭であり、燈矢の最大のストレスの種だ。
冷奈の数少ないオトモダチは、燈矢と冷奈が仲睦まじく二人だけの世界で話している最中でも、無遠慮に無配慮にズカズカ入り込みやがってぶち壊す。空気も読まずにぼくもわたしもと二人の会話に無理矢理介入する。
特にこの女はダメだ。何も知らない癖に正論振って「それはおかしい!」と声高らかに指を差してくる。なにがおかしいだ、ひとの家庭に首を突っ込むおまえの方がおかしい。『個性』が燈矢と同じ『炎』というのもムカつくことの一つだった。兎にも角にも馬が合わない。できれば速やかに排除したいところだ。
……しかしこんな女でも、冷奈の元から立ち去らなかったオトモダチなのだ。
冷奈の前では燈矢もこの女には下手な対応はできないし、冷奈に隠れて何かしようにも女も女でクラスの女子の中での『人気者』の立場を確立している。ボス猿がそんなんだから、この女に可愛がられている冷奈も必然女子共に可愛がられてしまい。
そうして冷奈の世界は広がってしまう。
あァ、くっそ、だから女は嫌いなんだ……!
「え、えっと……とうやくんはいつも、わたしのこと助けてくれて、」
「その助けてもらうのが当然、って思ってるれなもいけないのよ?着替えくらい自分のことなんだから自分でしなきゃ」
「うっ……そ、だね……わたし、ちゃんとしないとだ……」
冷奈ちゃんはちゃんとしなくて良いンだよ!
燈矢は叫びたくなるのを必死に堪えた。
こうしてこの女は冷奈に『常識』や『自立』というくだらないものを与えていく。燈矢が手出しできない授業中に遺憾無くそれらを実践されるのだから、始末に負えない。
燈矢が折角時間をかけて奪ってきたのに、これではぜんぶ水の泡だ。
「……俺は冷奈ちゃんのお着替え、お手伝いするの好きだからさ!冷奈ちゃんはそんなに焦らなくても、良いんだよ?」
「れなは体育の時間になる度に一人だけ轟君に体操服に着替えさせてもらうの、恥ずかしくないの?」
「恥ずかしくないよ?」
「あたし轟君には聞いてないよね?どうしていつもれなに聞いてることを轟君が答えるの?」
害虫の中の害虫。名前を呼ぶのも忌まわしい。こんなクソみたいな女はもう『G』だ。『G』で良いだろ。ああ勿論、『G』とはその鬱陶しいくらいに輝かしい、金色の意だとも!
バチン、と隠すことなくGと視線で火花を散らし合わせれば、間に挟まっている冷奈が困ったようにきゅっと眉根を寄せてしまう。
ああごめんな冷奈ちゃん。この女が口煩いばっかりに。大丈夫だよ。冷奈ちゃんのお着替えは、ずぅっと俺がしてあげるからね?
「……大好きなふたりだから……ふたりとも、なかよくしてほしいかなって……」
「……」
「……」
「無理だ」
「無理ね」
「……えぇ、」