03

「───そういえば昼さ、なに見てたの?」

鈴虫達が合唱を始めた、その夜。

いつもの通り、轟家の双子は仲良くひとつの布団に包まっていた。
どちらの部屋で眠るかはその日の気分で決めている。
今日は燈矢の部屋だった。

とろりとした睡魔にうとうと陥落寸前に陥っている冷奈からは、昼間の空気は感じ取れない。
むにゃむにゃ意味を持たない言語を話す冷奈に燈矢はツン、とその頬を指で刺す。

つん、つん、と繰り返し柔餅を虐めてやれば、耐えかねた冷奈が「ううん……」と重いまぶたをこじ開けた。
そのどこか非難がましい瞳にクスクス笑い、燈矢は再度冷奈に尋ねる。

「お昼、」
「おひゆ……」
「なにか、」
「なにか……」
「見てただろ?」

んぇぇ。冷奈は小さく声を上げてしまう。こうなると片割れは中々寝かしてくれないことを、経験上冷奈は重々承知していた。

おひる、おひる……。

自身の安眠を守るため、冷奈はぼやけた頭で必死に記憶を辿った。そうしている間も燈矢の攻撃は続く。
痛くは無いが確実に安眠は妨害される、いやらしい攻撃だった。

「…………ぁ」

心当たりは、ひとつあった。

一大決心、自身も共にヒーローになると燈矢と約束した昼時の、ほんの少し前、
特訓をしてくれなくなった父親や、純粋に心配してくれているだろう妹への不満等々を燈矢からぶちまけられていた、その時、

連日何度も燈矢から繰り返しぶつけられる負の感情に、常の遅れたテンポでうんうん頷いている最中、冷奈はとある重大なことに気付いてしまったのだ。

冷奈はひとつ気になることが出来てしまったら、もう他のことは二の次三の次になってしまう。なぜなら冷奈の頭は複数のことを並行処理できるような余裕もスペックも無いからだ。
冷奈の頭は自他ともに認めざるを得ない、ぽんこつだったので。

そうして昼間は燈矢への相槌も疎かになってしまい。結局燈矢に声をかけられるまで、冷奈はボケっとその重大なことに気を取られ続けていた。

燈矢が今言っているのはそのことだろう、と。冷奈はなんとかそう結論を出した。

このほんの少しの結論でさえ、あっちへこっちへふらふら寄り道をしながらの思考であった。
燈矢からの攻撃もいつの間にか人差し指でぷすぷす刺してくるものから、両手で両頬をむにむに揉んでくるものへと変わっていた。

なんとか出したこの結論を燈矢に言わなければ、冷奈は一晩中ずっとこのままだ。はやく言わなきゃはやく寝れない。冷奈は伸びる頬をそのままに唇を開いた。

「ひゃにょにぇー」
「えー、何言ってんのか分かんないよ」

理不尽だった。ケラケラと悪気なく笑いながらも、その手は相変わらず冷奈の頬を虐めてくるものだから、タチが悪い。

しかし、ここ最近あまり見なかった燈矢のご機嫌な様子に、冷奈は心がぽかぽかするのが分かった。

思い詰めた表情の燈矢より、こうして楽しそうに笑う燈矢の方がずぅっと良いと、冷奈はふわふわ思うのだ。

一頻り摘んで満足したのか、ようやっと燈矢の手から冷奈の頬が解放されたのは、それから暫く経ってからだった。
痛くはないが、なんだかじんわり熱を持っているような気がする。絶妙な力加減に冷奈は「ぷはぁ」と息を吐く。

「あのね、」
「うん」
「…………おみみ、かして?」

いいよ、と燈矢が素直に寝返りを打ってくれたので、冷奈は誰かに聞かれないよう燈矢の耳に唇を近付けた。


たとえ布団の中での二人きりの世界だったとしても、とても大切な秘密を伝えるのだからと、こしょこしょと小さな声で伝えるのだ。


「あのね、あのねっ」
「なぁに?」

「───とーやくんのね、かみの毛ね……白がふえてるのっ」

一大ニュースだ!と言わんばかりに冷奈は少し興奮気味に暴露した。

そう、そうなのだ。白が、増えているのだ。

燈矢の髪に、お揃いの白い髪が混じっていることに冷奈が初めて気付いてから、早数ヶ月。

ぼんやりな冷奈は本日の昼頃、燈矢の髪をボケっと見入っていたその時。漸く、「あ、ふえてる!」と気付き、そこから非常に時間をかけて「とーやくんに言わなきゃ!」と思うに至ったのだった。

そうしてまごまごタイミングを見計らっている内に、あれよあれよと話は進み。結局完全に言うタイミングを逃し続けて、今に至る。
そもこの話題すら、燈矢に振られるまでスコンと忘れていたとも言う。

「……えーっと、」

さて、内緒話を打ち明けられた燈矢の方はと言えば。

パチン、とひとつ瞬きし、再度冷奈の方へと寝返りを打つ。
キラキラと輝く眼差しと、きょとんとした眼差しが交差し。やがて躊躇うように、燈矢は言葉を選んだ。

「うん……この前、お父さんにも言われたから……知ってるよ」

残念なことに燈矢は既にその事実を知っていた。大体こんなに分かりやすいところから変色しているのだから、鏡を見れば普通に気付くことで……。

冷奈は燈矢に優しく頭を撫でられた。
そのどこか気遣わしげな手つきに、今度は冷奈がきょとんとする。


『知ってるよ』。
『知ってるよ』?
……知ってるよ!?


「えーっ!?」

とんでもない事実を、冷奈のぽんこつな脳は更にぽんこつな速度で処理した。

反芻し、咀嚼し、噛み砕き。

漸く脳が理解に至れば、稀に見る大声と共に、ガバッと勢い良く跳ね起きた。
籠城のように二人篭っていた布団は、無惨にも腹近くまで放り投げられてしまう。
突然に外の世界へ晒された燈矢が片割れの暴挙に瞳を丸くさせ、自身も上体を起こした。

電気の消えた暗い部屋でも分かるほどの明らかな癇癪。
病院や注射に関わらなければ、いつもぽわぽわ花が飛ぶほど笑っている温厚(鈍感とも言う)な冷奈は、じんわりその瞳に涙を滲ませるほどに感情を昂らせ。そうしてぷぅ、と頬を膨らまし唇を尖らせた。
誰が見ても、「拗ねてます」という顔だった。

「え、冷奈ちゃん……?どうしたの?」
「だってね、だって、」
「うん、うん、」

よしよし、と冷奈は燈矢の腕に抱き寄せられ、「だって、だって、」と繰り返す。相槌を打ちながら目尻にちぅ、と吸い付いてくる燈矢の唇が擽ったかったが、そんなことは毎日の注射タスクが付与されて以降いつものことだったので冷奈は全く気にしない。

冷奈にとってはつい今しがた燈矢から聞いた事実の方が、よっぽどよっぽど重大なことだった。

「あのね、ほんとはね、もっと前からね、知ってたのっ」
「ん……髪のこと?」
「そう、そうなのっ、白いの、おそろいだなって、嬉しいなって思ってねっ、」
「……そうだったんだ」

それは、知らなかったな……。燈矢がそっと呟いた。「その時言ってくれれば良かったのに」慰めるようゆうくり髪を撫ぜられ続いた言葉に、冷奈はしゃくりを上げて濡れた声をそのまま発した。

「とーやくんっ、気付いてなさそうだったからねっ、わたししかっ知らないんだって思ったらねっ、すっごくドキドキしてねっ、ひっ、ひみつにしててね……っ」
「……えっ」
「な、なのにっ、おと、おとーさっ、おとーさんっ、先に言っちゃうからっ……!うぇ……わたしが先に言いたかったのにっ。わたしだけの、ナイショだったのにっ……!」
「…………」

おとーさんのばかぁぁぁ、と冷奈の拙い罵倒が燈矢の胸でくぐもった。彼女の父親が聞けば冤罪だ!と訴えられそうなそれに、先程まで優しく相槌を打ってくれていた燈矢の反応は、鈍い。

暗い部屋に冷奈の啜り泣く声だけが響く。あれだけ鳴いていた秋の虫の大合唱が、今はどこか、遠い。
そっと燈矢が身動ぐのが分かった。枕元のリモコンに手を伸ばし、無機質な機械音を響かせ。

パチン、と世界が光を取り戻す。

「うぇぇまぶしぃ……」

急激な明暗の落差から逃れるように、冷奈は燈矢の胸元に顔を埋める。
どうして急に電気なんて点けるのか、冷奈は箸が転げても泣いてしまいそうだった。

しくしく泣き縋る冷奈にされるがままの燈矢が「……あー、」と些か間の抜けた声と共に天を仰ぐ。
そうして、ふんわり冷奈の頭を一度だけ撫で、ぽつんと片割れの名を呼んだ。

「冷奈ちゃん、ちょっと、来て」
「……?」

そっと燈矢に立つよう腕を引かれれば、今度は冷奈がされるがままだ。

手を繋ぎ、ふらふら燈矢の後を追えば、部屋のすぐそこに置かれた姿見に辿り着く。
毎朝冷奈が眠た目を擦っている間に、燈矢がスルスルと櫛を通し、時に長い髪を結う為に連れてこられる、姿見だった。

「冷奈ちゃん、鏡見ててね」
「?」

どうして今、鏡の前に連れてこられたのか、冷奈には全く分からない。それでも燈矢の言う通り、冷奈は大人しく鏡の中を覗いた。

鏡の中には、紅い髪にお揃いの白が少し混じった優しい男の子に、一度泣きだしたら中々止まらない情けない白い髪の自分が泣きついている姿が映っている。

ぐずっと冷奈は鼻を啜った。

「ね、ここ、ちょっと見辛いんだけど……分かるかなぁ」
「……、?」

べしょべしょの泣き顔の冷奈を他所に、鏡の中の燈矢が冷奈の長い髪を掻き分ける。

痛めないよう殊更柔い手つきで燈矢が冷奈の襟足近くを顕にすれば、暫しの時間を空けて漸く、冷奈が「……ぁ、」と小さく声を上げた。

「……あか?」

冷奈はまじまじと鏡の世界を見続けた。ここ、と燈矢に指差された冷奈の髪には、ほんの少しの紅が混じっている。
本当に僅かな量のそれは、自分のことなのに、冷奈は初めて知ったことだった。

「そう、あか!紅くなってんだ!俺のとおんなじ!」

興奮した声に冷奈がハッとすれば、燈矢の手がパッと冷奈の髪から離れる。
そのまま両手を握られると、くるりと冷奈の身体は燈矢の方へと向けられた。

鏡像ではない目の前の本物の燈矢は、ほんのり頬を紅潮させ。そうして誰かに聞かれないようにと、その唇が、冷奈の耳へと近付いて。


「あのさ、俺もその……冷奈ちゃん知らねンだろうなって思ったらさ。俺と、紅いの、お揃いだなって、思ったらさ……すげぇドキドキして、」


俺も、秘密にしてたんだ……!


熱を孕んだ内緒話が、冷奈の脳へと届く時。
幸せな麻薬が幼い身体を駆け巡った。

それって。それってもしかして……!ぐるぐる回るその事実に、冷奈は大きな瞳を更にまあるく開き、片割れの顔を覗き込む。
燈矢の頬はそれはそれは紅く。照れ臭そうに、はにかんで。

「いっしょの、ひみつ……?」
「うんっ。二人でお揃いの内緒、してたみたい」

うっとり微笑む片割れが、人差し指をひとつ自身の唇の前で立て、それから次に、ちょん、と冷奈の唇へと触れた。
それだけで、冷奈の涙はぴたりと止まり。パァッと大輪の花が咲くように、お揃いの燈矢だけにと綻んだ。

どちらともなくぎゅっと抱きしめ合い、クスクスと幼く笑い合った。

鏡の中の少年が、流れる最後の一雫に、そっと口付けを施して。
カラン。氷を遊ばせた。





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