02

柔らかな日向の中。
庭に面した縁側に、小さな人影が二つ、並んでいた。

寄り添うように並んだ二人は、同じく放り投げた足をぷらぷら仲良く揺らしている。

穏やかな気候とは裏腹に、空気は少し荒れていた。

燈矢と、冷奈だった。

「俺は男なのにさ。ちょっとの火傷なんて、全然平気なのにさ……!」

形の良い唇をちょん、と尖らせ、拗ねたような表情で燈矢がそう言葉を吐けば、じっと片割れの横顔をほんの少しズレた焦点で見詰めていた冷奈がひとつ、ふたつ、遅れて頷く。

遅いテンポにしかし燈矢は慣れた様子で。ここ最近耳にタコができるくらいに語っているであろう不平不満を口にする。
そうすれば、やはり冷奈は少しの時差を経て燈矢の言葉に頷いた。
ズレた焦点は変わらずに。

「───ね、冷奈ちゃんなら……分かってくれるよね?」

固い地面に呪詛でもかけるかの如く不平を並べたてていた燈矢が、漸く隣の半身へと振り返る。少女のように大きな瞳は、今は少し、鋭い。

最も尊敬する父の最近の言動は、幼い燈矢に猜疑の心を抱かせた。
最も信頼できる、冷奈にまで。


ふわり。


他方、振り向かれた筈の冷奈は。そのまま揃いの瞳を絡ませることなく、動いた燈矢の頭部を追いかけるようふらりと視線をズラした。

ひとつ、ふたつ。そうして、みっつ。
待てど暮らせど瞳は合わず、冷奈はぼうっと、燈矢の少し左上辺りを見詰め続けた。

背後を振り向く。

だれもいない。

「……え、なに見てんの」

なにか、なにか、いるの?
たとえば、この前妹にせがまれ一緒に見る羽目になった、ホラー映画の幽霊など。

少し不安になった燈矢は、冷奈の視界を遮るよう、手のひらを大袈裟に振った。

ゆらりゆらり彷徨う視線。
導かれ、ひとたび燈矢の瞳と絡み合うも、留まることなくそのまま下へ下へと落ちていく。

小さな唇が、そっと開いた。

「……やけど、」

ぽとり、零れた音と、伝わる感情。
そうして漸く止まった冷奈の視線のその先に、燈矢はギチリ歯を鳴らす。

燈矢の雪のように白い腕には、およそ大袈裟なほどの包帯が巻かれていた。

火傷の、痕だった。


───冷奈ちゃんまで、俺を咎めンのかよ……っ


であるならば、燈矢はつくづく、『女』という生き物が、嫌になる。

心配だの、やめろだの。
そんな軽い言葉を、軽い気持ちで、いつだって無遠慮に投げつけてくる。
もし、半身である冷奈にまで、そんな凶器をぶつけられてしまったら……。考えただけで、吐きそうだ。

ギュッと、さりげなく包帯を手で隠し、燈矢の視線も下へと下がる。

見られてる。
今更だ。
柔い視線は外れない。

それでも、冷奈にまで、
身を別った唯一の半身にまでも、否定なんてしてほしくなかった。


───自分の、存在理由を。


「すぐ冷やしたら、治るかな……」
「……、えっ?」

弾かれるよう、顔を上げる。

覚悟していた言葉とは裏腹なそれに、燈矢の蒼が揺れ動く。


心配、痛い、辛い、嫌。


伝わる感情は、変わらない。
それでも、冷奈の唇は。それらを音にはしなかった。

「とーやくん、火、出したら、やけどしちゃうからね、」
「………………うん」
「やけどしたらね、わたしがすぐにこおりで冷やすの。そしたら、いたいの、治るかなぁ」
「……分かんない、けど……マシにはなると、思う…………、」
「ほんと?」


じゃあ、火出すとき、わたしがとーやくんのこと、冷やすね。


至極、当然のように。
冷奈はふんわり笑ってそう言った。

甘い微笑み。
甘い言ノ葉。
心臓が、ぎゅっとする。

思わずこっくり、頷いてしまいそうになるのを、燈矢はハッと我に返り、必死に必死にかぶりを振った。
舞い上がりそうになる感情を叱咤し、否定の材料を積み上げる。

それは甘い微笑みで。
それは甘い言ノ葉で。

そうして甘い、考えだった。

「違うんだよ冷奈ちゃん……いつものとは、違うんだ……」
「ちがうの……?」

燈矢の視界に腕が映る。細く、柔い、冷奈の腕。

違うに、決まってる。

いつもの、互いに互いを抱きしめて、まどろみうつろう淡い時間。
そんなものでは、ない。

「ヒーローはさ、敵と沢山戦わなきゃいけないんだ」

No.1を超えるのであれば尚のこと、燈矢は父以上に戦い、そうして勝たなければいけないのだ。

「敵、怖いだろ?怪我だってするし。そんなとこに、冷奈ちゃん連れて行けないよ」

小さく、柔く。そうして一等かわいい、燈矢の冷奈。
注射なんかでぽろぽろ泣いてしまう、痛いことが大嫌いな、冷奈。
冷奈の涙は大好きだけど、それとこれとでは話が違うのだ。

ずっと一緒に居たい。
できることなら、片時も離れたくない。

でも、そんな大切な片割れを、同じ道に引きずり込むつもりなんて、燈矢には毛頭なかった。

燈矢はもう、自分達が産まれた理由を正しく知っている。
燈矢の生きる道はNo.1を超えること。
それが自分が産まれた理由で、他の二人には与えられなかった存在理由。

父が燈矢を見てくれる、唯一の───……。

でも、冷奈はそうじゃない。
『個性』はハズレで、性格も言動も、夢とうつつを彷徨う日々。親としての情はあっても、父が冷奈に期待することなんて、最初から有り得ない話だった。
だけど期待されていない冷奈は、その分怪我とは無縁な生活を送れるのだ。

口癖のように繰り返された父の『超えられる』という言葉に、燈矢自身『超えたい』と思っているし、それに応えられるだけの素質もやる気も十分ある。

しかし、期待もされていなければ、『超えたい』とも思っていない冷奈にまで、そんな道を強いることはしたくなかったし、そんな覚悟も、させたくない。


戦場で、火傷を負いながら戦う燈矢を、冷奈が『個性』を使って冷やすということは、そういう、ことだから。


「……怖いのも、いたいのも、やだ」
「……だろ?」
「でも……なんにもしない方が、やだよ。いやになっちゃった。わたしがこおり出したらマシになれるのに。……そしたらおとうさんも、いいよって言ってくれるかもなのに。なのに、なんにもしないの、すごくやだ」

そうっと、冷奈の指が燈矢の腕へと伸びる。
どうってことない、火傷痕。
『個性』を使う度に負うようになった、ソレ。

怖くても、痛くても。それより燈矢を冷やしたい、と。
燈矢と父の仲を元通りにしたい、と。
燈矢の……役に立ちたい。と。

辛そうな声に滲んだ、たどたどしく散りばめられた柔い心が、燈矢の脳にじんわり広がる。


───それがどういう意味を持つのか、冷奈は本当に理解しているのだろうか。


「訓練、したことないだろ、」
「これから頑張んなきゃだ」
「、『個性』使うと寒くなるからイヤ、って言った……!」
「だって、こおりだもん。でも、とーやくんの隣にいるから、平気だよ」

とーやくん、あったかいもんね。

ころころ鈴が鳴るように、冷奈は事も無げにそう言ってのける。
そうして燈矢が言われたくないことは、想っていても、絶対に言わない。

ゆらり、ゆらり。ゆれる音。

燈矢はのろのろ視線を上げた。

蒼と、蒼が、絡み合う。
いつもはふらりふらりと揺れ動くそれが、ジッと燈矢のそれを見据えて。

凪いだ瞳。
醒めた瞳。
澄んだ水晶のような、それ。

知らず、大きな決断をさせてしまっていたと、燈矢は漸く理解した。

「だからね、とーやくん。あのね、わたしも、」
「まって、」

それ以上は、言わせなかった。
決して冷奈から言わせてはいけない、ことだった。

ガンガンと頭に鳴り響く警報に息を殺し、燈矢はやんわり冷奈の手を握る。

怪我ひとつない、ひんやりとした、やわらかな手。

辛い道だと、燈矢は思う。
非日常で『個性』を行使するよりも、安全なところでのんびり折り紙でも折っている方が、ずっと良い。

それでも冷奈の言葉はあたたかく、燈矢の気持ちを優先してくれた。氷なんて、どうでもいい。重なる気持ちが、嬉しかった。

───やっぱり、冷奈だけが、燈矢に寄り添ってくれるから。


「あのさ、冷奈ちゃん、」


緊張にカラカラと口が渇く。

ドクドクと、心臓の音が耳の裏で聞こえる。

手のひらに、力を込めた。


「俺が冷奈ちゃんのこと、絶対守るから。だからさ、」


俺と一緒に、No.1を超えよう(ヒーローになってください)


「……うんっ」


誓いと願いを込めて告げれば、冷奈は迷うことなく、うっとりはにかみ。そうしてこっくり頷いた。


それは、空高く澄んだ穢れのない秋のこと。
二人でヒーローになろうと誓ったその日。
二人だけの、世界でのこと。


───ヒーローは、いない。





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