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「なあ」


 生まれ変わったら何になりたい?


なぁんて。

消灯時間がとっくに過ぎた夜遅く。
いつものように、後ろから抱きしめ眠るその体勢でそう聞く兄に、なんてデリカシーが無い兄なのかと、わたしはほとほと呆れていた。

「お兄ちゃん。わたし、あした、手術」
「知ってる」

生死を分ける手術を控える妹に、来世の話を振るなんて。この兄は一体どんな顔をして言ってるのか。

顔を見て文句を言ってやろうと後ろを振り返ろうとするも、蛇みたいにお腹に回る腕が身動ぎ一つ許さない。仕方なく、そのままぶつける。

「なんでそんな話するの……」
「怒ンなよ。ただの世間話だ」

そうして頭にふわりとした感覚が落ちた。
ちゅうだ。お兄ちゃんがわたしの髪にちゅうしてる。
ちょっと、恥ずかしい。

でも昔、ちゅうは好きな人とじゃなきゃ駄目なんだよって言ったら、「兄妹なんだから口じゃなきゃセーフだろセーフ。なァんにも知らないんだな」なんて笑われたから、我慢。

世の中、わたしの知らないことだらけだ。

「前は鳥になりてえとか、つまんねーこと言ってたよな」
「つまんなくないよ。いろんなところ飛んで回れるの。すてき」
「焼鳥にして食ってやる」
「どうして……」
「因みに鳥の餌は、虫」
「ひぃ」

虫は……やだなぁ……。

うーん、とわたしが悩んでいると「鳥はやめとこうな」ってクツクツ笑いながらお兄ちゃんが囁いた。
確かに焼鳥にされて食べられるのも嫌だし、鳥は遠慮しておいた方が良いのかもしれない。

「んー……それじゃあねぇ……」

目を瞑り、黒く塗り潰された世界でゆっくりじっくり夢想する。
鳥以外のなにか。なんだろう。候補は結構沢山ある。

生まれ変わったら何になりたいか。

辛くて痛くて苦しい時、何度も何度も想像した。
予行練習という名の、現実逃避。
いつ終わるか分からないこの身体への、拙い見切り。

だけどその見切りも、明日さえ越えればもう、必要ない。
明日の手術が成功すれば、きっと、きっと───……、

「……、……生まれ変わったら、」

兄の硬い声が、柔らかな空想を霧散させる。
熱っぽい吐息が耳にかかって擽ったい。
懇願が、鼓膜を揺らす。


「生まれ変わったら人間になってくれ」


「………、…」

思わず目を開けたところで、哀願する兄に、なんて答えれば正解だったんだろう。
唇が何かを象ろうとして、音にならずに消えていく。
淀んだ空気だけが口に入って、出て行って。その繰り返し。


人間、なんて。そんなの一番想像した。


健康な身体で、病院とは無縁で、学校に行って、友達も作って、遊んで、勉強も頑張って、運動も努力して、働いて、恋をして、長生きして。

パパとママに、何一つ心配かけず、生きていく。

生まれ変わったら、今度は健康な人間に、なりたかった。

でもそれは、もう生まれ変わらなくても、今生で叶えられる兆しがあって。明日さえ、明日さえ、乗り越えれば、指先から零れた幻想が、現実になって戻ってきてくれることで。

だから、生まれ変わったら、なんて。
そんな死ぬことを前提とした話を敢えて今する兄が、酷く残酷に思えて、

対して僅かに震える両腕が、酷く、ひどく、不安定で。

「……お兄ちゃんの方が、緊張してるね」
「……そうだよ、ニイチャン怖いんだ。情けねえだろ……笑えよ」

笑わないよ。震える両腕にそっと手を添えた。
そうしたら震えが一層強くなって、隠すようにぎゅっと力を込められる。ちょっと、苦しい。

「……お兄ちゃん」
「なあ誓えよ。次は人間になれ。健康でもどっかポンコツでもどうでもいい。だから次は人間になってくれ」
「ねぇお兄ちゃん、」
「そしたらさ、そしたらおまえと、」
「やめてお兄ちゃん」

強く呼べば、兄は一度黙って。そうして「……ゴメン」と小さく小さく謝った。もう大きな身体なのに、迷子のような、小さな声で。

「……明日は絶対成功するよ。パパもママも、そう言ってたもん。だから、だからもう、死んだらの話、なんて、」
「それでもッ…………それでも不安、なんだよ」


ニイチャン不安で不安で仕方ねぇンだ。駄目なニイチャンでゴメンな……。でもおまえが誓ってくれるなら、ニイチャン凄く安心する。次があるって安心できる。またおまえに逢えるんだって……思えンだ……。だから……な?誓ってくれ。『なりたい』って想ってくれ、願ってくれ、約束、してくれ。……ニイチャンのさいごのお願い、聞いてくれよ。


「……、」

なんとか言葉を選んでも、それすら遮る兄に、躊躇してしまった。わたしが知っている兄はいつも優しくて、大人っぽくて、冷静な人だったから……、
まるで決壊したダムのように、乱雑に言葉を並び立てるその声が、知っているようで知らない人の声みたいで……、

「……、分かっ、たよ」

だから。いつまでも紡がれる言葉に耐え切れなくて、わたしは渋々頷いた。

兄をここまで不安にさせたのは、生きるか死ぬかの手術を受けるわたしにも責任があるように思えたし、それに、そう。少し、ほんの少しだけ……、怖かった。

ここで断ったら、優しい兄がどうなってしまうのか……怖かった。

「……本当だな……?次は人間になってくれンだな……?そう約束できるんだな?」
「ほ、ほんとになれるかはその時にならなきゃ分かんないけど、でも……人間ね、ウン、来世も人間になりたい、かな」
「……心から、願ってるか」
「願うって、願います。それで、えーっと、もし、もしね?もしも、その、明日、うーん、万が一だよ?万が一、わたしが……死、ん、じゃっても、さ、」


そしたらまた人間に生まれ変わってさ、パパとママと、それからお兄ちゃんに、会いに行くよ。


「…………」

何が悲しくて、自分で自分が死ぬ前提の話をしているんだろう。

そう思いもしたけど、そんな来世の約束が兄を少しは安心させたのか。
なにかの臓器が口から出ちゃうんじゃないかってくらい強く抱きしめられていたのが、唐突にフッと力が和らいだ。

動けるようになった身体をもぞもぞ兄の方に振り返る。夜目に慣れた視界が、漸く、兄の顔を映し出した。

その日は、満月だった。
ぽっかりと浮かぶ満月を背負って、共に横たわる兄は、わたしをジッと見詰めていた。

どこか、泣きそうな顔で。それでも、くしゃっと破顔して。
美しい瞳に三日月を描き、唇は、わたしの名前と「ありがとう」の五文字を象った。

その安心したような顔に、わたしも漸くホッとして。スリ、と兄の胸元に額を擦り寄せた。

「安心、できた?」

見たことないほどの動揺振りを少しだけ、揶揄う。ママにも教えてあげなきゃ、とこっそり一人企てていると、さして気にする素振りもなく、兄は「……そうだな」と呟いた。


「これでぜんぶ、上手くいく気がするよ」


.
.
.


けっきょく、手術がどうなったか、わたしはしらない。

この記憶がわたしがおもいだせる、さいごの『まえ』の記憶。

だから、多分、けっきょく。しんじゃったんだと、おもう。

しんで、おにいちゃんのおねがい通り、また人間にうまれかわれたけど。そもそもせかいがちがうから、多分、パパもママも、おにいちゃんも、いない。……あえない。


ちょっとかなしいけど、でも『ここ』にはお父さんとお母さんと、とーやくんとふゆちゃんがいる。

ちょっとだけ、おにいちゃんに似ている子がいたけど、とーやくんはおにいちゃんじゃないよって、お母さんが言ってたから、ちがう。

とーやくんは『とくべつ』で『うんめい』な、ひとつのたまごの共有者。とってもとっても大切な、いつも近くにいてくれる、男の子。


だからね、おにいちゃん。わたし、さみしくないよ。

いつもねむいけど、でも走れるくらい健康になったよ。

あの時、鳥じゃなくて、人間にしとけって言ってくれて、ありがとう。


とーやくんと会わせてくれて、ありがとう。

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