03
いたいのはきらい。
『まえ』のからだでさんざん味わったから。
びょういんはきらい。
『まえ』はずっとそこに閉じこめられていたから。
ちゅうしゃはきらい。
いたくてこわいのいっぱいがまんしても、『まえ』のからだはぜんぜん良くならなかったから。
「冷奈ちゃん、ちょーっとチクッとするから我慢してねぇ」
「……うぅ」
だから、だから、今日みたいな日はすごくいや。『ここ』に来てからどこもいたくないのに、すごくけんこうなのに、なのにおかあさんはわたしをびょういんに連れていく。
やだって、とーやくんが言ってくれても、がんばって、じぶんで言っても。「冷奈のためだよ」って。それで、それで、けっきょくいつもよく分からないところをぐるぐるかんごしさんに連れられて、けんさして、それで、それで、さいごは、ちゅうしゃ。
ちゅうしゃがいちばん、いや。いたいし、こわい。たくさんされたことあるけど、ぜんぜんなれなくて、いつもたえられなくて泣いちゃう。
ちゅうしゃをもってニコニコ笑ってやってくるかんごしさんが、あくまみたいで。
すごくこわくて、両手でにぎってたとーやくんの手をぎゅっとしちゃう。「れなちゃん、」とーやくん、「がんばれ、」そっと、しんぱいそうに、とーやくんの方がいたそうに、そう声をかけてくれて。
いたかったかな、ごめんねって。
そう言おうとして、うでがいたくなって。もうそれどころじゃなくなった。
こわくて、いたくて、きょうもダメで。ぽろり、ひとつこおりがこぼれて、それからぽろぽろ、とまらなくなって、
こわくて、いたくて、そうしてさむい。
とーやくんはやさしいから、もう見てらんないって、うつむいちゃう。
にぎった手だけが、あったかかった。
「はい冷奈ちゃん、注射終わったよぉ。今日も頑張ったね!」
すっごく明るい声のかんごしさんから、にげるようにとーやくんに飛びこむ。ヒシ、とあったかいとーやくんにだきついちゃったら、とーやくんはやさしいから「凄いなれなちゃん。頑張ったね」ってやさしく頭をなでてくれた。
あったかくて、きもちよくて、心がぽかぽかして、すごくすごくすき。
ちゅうしゃもうしたくないって、だれもうなずいてくれないことを言ったら、「そうだよな、痛いもんなぁ」って、むずかしそうにうなずいてくれる。
とーやくんだけが分かってくれる。とーやくんは『とくべつ』で『うんめい』だから……!
……でも、だから。『とくべつ』で『うんめい』だから、またびょういんに来なきゃいけない。
それだけ、ちょっとだけ、ほんのちょっと。ふくざつ。
「先生、冷奈は……」
ママがおしえてくれた、『とくべつ』で『うんめい』なふたごのお話。
ひとつのたまごから、おとこの子とおんなの子がうまれること。それはすごくすごくすてきで、とくべつで、うんめいなこと。
とーやくんとわたしのこと。
……でも。それでうまれたおんなの子は、なんにもしなかったら、ずっと背が小さいままだって、言われて。
おんなの子はわたしだから、わたしのこと。
だから背をのばすために、びょういんに行こうねって、おとなはみんなわたしのうでをひっぱる。
いやって言っても、じゃあ小さいままで良いって、わたしの代わりにとーやくんが言ってくれても、「冷奈ちゃんのためだよ」って。無視してびょういんにつれてくる。
とーやくんだけが「うーーん」ってむずかしい顔で、それでもわたしのことを分かってくれる。うまく話せないわたしの代わりにわたしの思ってることぜんぶ言ってくれる。
あんまりにもむりやりにかんごしさんに連れて行かれそうになったら、どんなに大きい人があいてでも、ばっさりその手をはたきおとしてくれて、そうしてぎゅっと手をにぎってそばに居てくれる。
とーやくんがいつもそばにいて励ましてくれるから、わたしはまだがまんできた。
とーやくんはもうりっぱな『ひーろー』だ……!
「───冷奈ちゃんの身体にですね、成長ホルモンというですね、これから身長を伸ばすのにとーっても必要なものをですね、投与する段階に来たということなのですね」
いっぱい泣いて、ぽかぽかあたたかくて、すごくすごくねむい。
おでこをもぞもぞとーやくんに当てれば、トン、トン、とやさしくせなかをたたいて、ぎゅっとだきしめてくれる。
あったかくて、きもちいい。うつらうつら。まぶたがおもい。
「───あの、先生、見ての通り冷奈はその、注射が苦手で、やはり飲み薬などは無いのでしょうか……?」
「注射……?」
……?
ちゅうしゃ、のみぐすり、……え。なに……?
聞きずてならないコトバに、さっきまでのあったかいねむけがふき飛んだ。おかあさんの声にふりかえると、くまちゃんせんせーと目があって、すぐに視線をとーやくんのもとへもどした。
くまちゃんせんせーはわたしのせんせーだけど、なんとなくこわい。びょういんのせんせーだからかな。顔はかわいい?のかな。じぶんで言ってる。でも言動がこわい。おめめがいつも開いてる。ときどき急にさけぶ。こわい。
「お母さん、成長ホルモンは内服では意味がないのです!しっかり毎日お家で忘れずお注射することが大事なんですね!」
『しっかり毎日お家で忘れずお注射することが大事なんですね!』
『しっかり毎日お家で忘れずお注射することが大事なんですね!』
『毎日、お家で、お注射、』
………、
…………?
………、……!?
「家で!?」
「まいにち!?」
まいにち……いえで……ちゅうしゃ……!?
とんでもないコトバたちに、こわいのもわすれてまたふりかえる。
くまちゃんせんせーはにっこり笑っていて、でも、でも、うそをついてるように見えないから、それは、つまり、ほんとうで……!
「や、やだ!またまいにちちゅうしゃなんてやだ!!」
「しかしですね冷奈ちゃん。何度も言うようにですね、冷奈ちゃんの身長を伸ばすためにはですね、このお注射は絶対に必要なことなんですね。今だって冷奈ちゃんは妹ちゃんの…………えーっと……、」
「冬美です」
「そう冬美ちゃんですね!妹の冬美ちゃんに身長を超されちゃっていますからね、お姉ちゃんとして、また冬美ちゃんより大きくなれるようにですね、くまちゃん先生と一緒に頑張りましょう!」
「いい!いいっていっつもとーやくん代わりに言ってくれてるのに!小さいまんまでいいもん!!」
「あ゛ーーッ!!!折角久しぶりにお話できたのにッくまはまた間違えましたか!?人間ムズカしい!!!!」
こんなのってあんまりだ!
きゅうにさけびだしたくまちゃんせんせーに「ひっ」って声がつまっちゃう。
でも、でも、言わなきゃ。
いらないのに、このままじゃ、まいにちおうちでちゅうしゃなんて、そんなおそろしいことになっちゃう。
えっと、そう、りふじんってやつだ!
とーやくんなんて、口に手を当ててぎゅっと目をつぶっている。『なんてことだ』って感じだ。わたしもそう思う!
「でもね冷奈、このまま小さいままだと、凄く不便に感じる時がきっと来る筈だよ。先生は冷奈が将来そう思うことがないように、治療しようねって言ってくれているの。それは、分かるかな?」
「……おうち、せんせーもかんごしさんも居ないから、おうちでちゅうしゃなんてできるわけないもんっ」
「あ、それはお父さんでもお母さんでも、……いや轟くんは注射器壊しちゃいそうだな、うん。まぁお母さんが冷奈ちゃんにお注射できるようにですね、くまちゃん先生たちもしっかり練習のサポートしていくので大丈夫なんですね。あと、実は冷奈ちゃんくらいの歳なら自己注射……自分でお注射も出来なくはないんですね!」
「……、……とーやくん、」
じんわり、またせかいがにじんでいく。
びょういんはてき。おかあさんはびょういんのみかた。わたしのみかたはもうとーやくんしかいない。とーやくんならきっと、きっと、わたしといっしょに怒ってくれる。
すっごくなさけない声でとーやくんをよんだら、ぎゅっとつぶってたおめめがゆっくり開く。
きれいなあおいおめめと、一瞬だけ、めがあって、
「あのさぁ…………、」
だけどすぐにスーッと顔をそらされちゃった。それで、それで、なぜだか「ごめんね」って気持ちが、とーやくんからじんわり、つたわってきて…………、
あれ、とーやくん……、あれ……?
「それ……おれも出来んの……?」
「それとは?」
……?
「その……れなちゃんに……、……注射……」
「……えっ」
えっ。
「出来ないことは無いんですね!勿論練習は必要ですが」
「じゃあおれがれなちゃんに注射するよ」
「えっ」
えっっ。
「あー!それは良いかもしれないですね!燈矢くんがしてくれるのなら、冷奈ちゃんも少しは安心できるでしょう!」
「ほ、本当に燈矢も他人に注射なんてできるんですか?冷奈と同じでまだ4歳なのですが……」
「まぁ燈矢くんはしっかりしてるので大丈夫でしょう!勿論我々もお母さんと同様サポートしますので!いやぁ万事解決ですね!めでたしめでたし!」
……?
???
?????
め、
め、
めでたくない!!
とーやくん!?え、どうして、、とーやくん!?
とつぜんの裏切りに、ペシペシとーやくんのからだをたたいた。とーやくんの目がもうしわけなさそうにわたしをうつす。
どうして?どうしていっしょに怒ってくれないの……?なんで?なんで?
「と、とーやくん、わたし、わたしね、ちゅうしゃね、きらいなの、」
「……うん、知ってるよ。痛くて怖いんだよな」
「そ、それがまいにち、まいにちだよ?」
「……うん、おれが打つね」
「なんでぇぇぇ」
もしかして事態がわかってないんじゃないかって思って、いっしょうけんめいお話しても、とーやくんはぜんぶわかってた。
わかんない。とーやくんがわかんない。ぽろぽろこおりも止まんない。かなしくて、さみしくて、すごく、さむい。
「ね、れなちゃん聞いて?」
「うぅ……ぐすっ……」
「おれ、れなちゃんが注射嫌いなの、ちゃんと知ってるよ。いつも怖いのに頑張ってて、偉いな」
やだやだ、聞きたくないよ。
あたまをイヤイヤよこにふれば、とーやくんにぎゅっと抱きしめられて、とーやくんの胸とわたしのおでこがごっつんこした。
そうして、あったかい手が、わたしのあたまをなでてくれる。
やさしい声。あったかい手。
だめなのに、だめなのに、あたまの中、ぽやっとする。しあわせ、しあわせ。とーやくん、
「ホントはさ、おれが代わってやりたいって、何度も思ってたんだ。れなちゃんには痛い思いなんて、してほしくなくって……」
わたしの、代わりに……?
……でも、そしたらとーやくんがいたくなるよ。それは、それは、すっごく、いや。
わたしの代わりに、とーやくんがいたいことしなきゃなんて、そんなのぜったいだめだよ。
どうにかしてコトバにしようとしても、泣きすぎてうまく音にできない、つたわんない。「でもな、」とーやくんのやさしい声、
「でも、れなちゃんと一緒に成長したいって思ってんのもホントなんだ。ちっちゃいれなちゃんのまんまってのもすっごく可愛くて大好きだけど、
……おれ、出来ればれなちゃんとはお揃いが良いな、って」
……いっしょ……?
うん、一緒。
「おれが出来んならおれが注射打つ。他の奴がれなちゃんに痛いことすんのは、ヤダ。おれのワガママだから、せめておれが打ちたいんだ」
だから注射……打つね?
あったかい手があたまからはなれる。
ゆぅっくり顔をあげると、とーやくんのおめめと目があった。
きらきらのすっごくキレイな、やさしいあおいおめめ。すいこまれちゃいそうで。
ぽけっ、と見つづけてると、こんどはとーやくんのゆびがわたしの目に、ちかづいて、
──ころん。
こおりが、とーやくんのゆびに、ころがって、水になって、とけて…………、
「…………うん、」
気づいたら、うなずいていた。
あれだけいやだったのに、いまも、いやだけど。
でも、とーやくんがこんなに言ってくれるなら、きっと、しなきゃいけないんだ。
やだなぁ。とーやくんのくびに擦り寄った。
なんだか、ふわふわする。
きょうはいっぱい泣いて、いっぱいしゃべって、まいにちちゅうしゃが決まっちゃって。すごく、つかれた。すごく、ねむい。
ぽろりぽろり、こおりのおと。
「ありがとう、れなちゃん」
いい子いい子って、とーやくんがなでてくれる。
いい子。
いい子。
…………また、『いい子』、かぁ。
「…………がんばるね」
おにいちゃんに、あいたいなぁ。