Re: I give you whom you should thank this 君しかいない 華やぐ季節。 着飾った街路樹。 去年までの僕は、この季節が大嫌いだった。 誰もが寄り添い、この日を祝う。 フン。日本人の風上にも置けない。何てさ。卑屈になっていた僕に言ってあげたい。幸せ気分上等。 君との待ち合わせ場所、僕は息を切らして走る。 柄にもなく花を買ってさ、次第に顔がほころんでいく。 君と僕の物語は始まったばかり。 結末を急がないで。 この気持ちは本物。 そっと愛が降り積もって行く。 君が笑顔で手を振る。 何から話そう。どこへ行こう。ワクワクが止まらない。 夜空に瞬く星。 こんな気持ちで見上げていた頃のことを思い出した。 サンタが本当にいるって信じていた頃、僕の家に煙突がないことを悔やんだ。残念がる僕を見かねた両親が、即席の家を段ボールで作ってくれたことがあった。そこには小さいながらも煙突が付いていた。これは暖炉の煙を逃がすものなんだよと教えてくれた父。心を込めて作った美味しい料理の匂いを、お空高く飛ばす道具でもあるのよ。とほほ笑む母。曇りガラスの向こう。それぞれの思いが広がって行く。 イルミネーションが輝く今宵、僕は新しい家族を作りたい思った。小さくてもホッとできる大切な場所でありたい。願いを込めて、メリークリスマス。 その願いを叶えられるのは、君しかいない。 2017/12/25 (10:49) 冒険の始まり 朝目覚めた瞬間から、駿は決めていました。 もぞもぞと押入れからリュックを取り出し、よし、と立ち上がります。 忍び足で階段を降りて行き、水筒を探します。 ありました。 水筒を手に、駿は目を輝かせました。 昨日、駿はテストの点が悪く、ママにこっ酷くしかれたのです。 それが苦で家出、ではないことだけは、名誉のために言っておきます。 勉強はちょっとだけ苦手な駿は、そんなことは気にしていません。むしろ、仕方がないじゃん、と開き直っているくらいです。 でもそんな駿でも、聞き捨てならないことが一つだけあったのです。 サンタがいない。 何があってもそれだけは信じていた駿です。 嫌な家の手伝いも、苦手な勉強も、この時ばかりはお利口にしていないとですから、一生懸命に頑張ったのです。 そんなはずはないと考えた駿は、大急ぎで部屋に帰り、机の引き出しから一枚の地図を取り出しました。 駿にはパパやママに内緒にしていたことがあったのです。 ある日、駿が一人で部屋にいるとぽったっと何かが天井から落ちてきたのです。 きらきらと輝くそれを手にした瞬間、ヒカリが真っ直ぐ天井へ延び、ひらひらと何かがその上を滑り落ちてきました。 はじめ、駿はそれが何か分かりませんでした。 「や、ご機嫌麗しゅう」 聞いたことがない言葉に、駿は首を傾げます。 「なんてこったこんな子が選ばれるなんて」 よーく目を凝らした駿は、底意地が悪い顔をしたおばあさんがいることに気が付きました。 「おばあさんは誰?」 「あたしかい。フン。聞いて驚くなよ。私はサンタの使いだ」 「サンタさんの、えええホントウ?」 得意げにするスターシャを摘み上げた駿はもう一度聞きなおした。 「本当に本当?」 「しっつこいこだね。私が嘘をついてどうする」 「会いたい」 「フン。そう言われて、はいそうですかって連れて来るわけないだろ」 「じゃあ何しに来たの」 「下調べだよ。世界中に何人子供がいると思っているんだい。いくらサンタだって回りきれるもんじゃない。だから私がこうやって見て回って、点数をつける。ちなみにあんたは0点」 「何でだよ」 「決まっているだろ。あんたは今日、ママになんて言われているか覚えていないのかい?」 駿は考えます。 ママのお小言は沢山ありすぎて、駿はいつも覚えきれないでいます。一つでも思い出そうとしましたが、かけらも出てきません。 やれやれと首を振るスターシャは、行き成り降ってきた水に慌ててしまいます。 「どうしよう。僕、サンタさんに会って、お願いがしたい」 「冷たいじゃないか。嫌だね、鼻、おかみよ」 鼻水をズルズルにして泣く駿を見かねたスターシャが、指を軽く振りました。 すると、ヒラヒラと何かが天井から落ちてきました。 ひょいと指を振って、それを駿に持たせたスターシャが言います。 「いざとなったらそれを使って、サンタに会いに来ればいい」 「僕一人で行けるかな?」 不安気に聞く駿に、スターシャは冷たく言い放ちます。 「さぁね。そんなことはわたしが知ったことじゃない。ああ嫌だ嫌だ。とんだ時間を食わされてしまった。急がないとクリスマスが来ちまう」 帰り支度を始めたスターシャに、駿は目を瞠ります。 「まだ帰っちゃダメ。これがどこなのか分かんないじゃん」 「頭の悪い子だね。そんなのは地図が教えてくれる」 咳ばらいをしたスターシャが天井を見上げます。 「だからダメだってば」 「ダメって言われてもね、私は忙しいんだよ」 「だって0点のままじゃ」 「分かった分った。じゃあほれ、こうすればいい」 スターシャは指を鳴らし、落ちていたごみを0の前にくっつけました。 「これであんたは10点だ」 「10点って、それだったらサンタは来てくれるの?」 「まぁ順番は最後の方になると思うがね」 「ありがとうスターシャ」 「礼には及ばない。回りきれるか分からんからね」 「でも僕、信じる。信じるよ」 スターシャは呆れた顔を見せると、そのまま姿を消してしまったのでした。 その年のクリスマスに届けられたのは、この小さなクリスタルリングだったのです。 使い道は分かりません。 しかしそれを指にはめた時、小さな光が生まれたことに気が付いた駿は、あっと声を上げました。 そばにいたパパが、ん? と駿の顔を覗き込みます。 何となく、そこにスターシャがいるような気がしたからです。 不思議とそのクリスタルリングは、クリスマスにしか光りません。 そのうちだんだん忘れて、机の奥の奥にしまわれたままになっていたのです。 それが昨日、ママの一言で頭に閃いたのでした。 やっと使う時が来たのです。 準備が出来た駿は窓を大きく開きます。 さぁ冒険の始まりです。 2017/12/12 (10:02) 砂の城 それはとても静かに忍び寄って来ていたことを、その時のわたしたちは気が付きもしなかった。 佐山美紀子は通常作業を終え、ホッと一息を吐く。 事務仕事は、どうも肩が凝っていけない。 「ウワっ」 美紀子が椅子を引いた時、運が悪いことに営業係長の數納(すのう)が通りかかり、手にしていたコーヒーをもろ被りさせられてしまった。 「ごめん」 昨日、買ったばかりの服だった美紀子は、熱いと言うよりも、染みになってしまうことの方に気がとられてしまっていた。 「火傷しなかった?」 「大丈夫です」 目を上げることなく答える美紀子は、行き成り手を掴まれ、ハッとなる。 「赤くなっているじゃないか」 言われて初めて、右手の甲が赤くなっていることに気が付いた美紀子は、若干引き気味に笑みを作る。 「このくらいはどうってことないです」 「良いから来て」 數納は半ば強引に美紀子の手を引っ張り給湯室へと連れて行くと、もう一度謝る。 右手を冷やしながら、美紀子は思わず吹き出してしまう。 數納は強面で近寄りがたい印象の持ち主、と美希子の中で位置づけられている。 「何がおかしい」 「數納課長でもそんな顔をされるんですね」 「それ、どういう意味だ」 「あ、大変失礼しました」 「構わん。昔からこの顔立ちで損して来ているから、大丈夫だ」 「昔から?」 「そうだ。何か不満か?」 しかめっ面で訊かれ、美紀子は慌てて首を横に振る。 その日からだった。 徐々に話すようになり、昼食をともにし、軽く一杯になり、知らぬ間に二人は深い関係になってしまっていた。 お互い、家庭に不満があるわけではない。 子供が、いけないと言われることを夢中をするように、二人の関係はそれに似ていた。 同じ秘密を共有する。 そのワクワク感が堪らなかった。 人の目を盗み、互いの欲望のまま躰を重ねあう。 いつでも別れられる、そう過信していたのは、美紀子だけではなかったはず。 二人の関係が会社にばれ、家族の間にも小さな亀裂を生じ始めたある日、美紀子は數納へ別れを告げる。 わずかな沈黙の末、二人は別々に席を立った。 お互いが納得済み。 そんな別れだったと、美紀子は確信していた。 しかし、そのひと月後、美紀子は無残な姿で発見されることに。 數納に、最後の記念にドライヴへ誘われた美希子は、何も疑うことなく助手席へと座った。 夫には、隠しきれる自信はあった美紀子である。 職場を変え、しばらくはほとぼりがさめるのを待てばいい。 數納に初めから下心があっとことを、美紀子はそこで初めて知ったのだった。 あの日、わざとコーヒーを被せ、親密を図ったのだ。 顔を強張らせる美希子を見て、數納は薄笑いをする。 ガードレールを突き破り、海へと車体が呑み込まれて行く数分間、当たり前すぎて気が付かなかった日々が、どんなに大切で幸せだったかを、美紀子は思い知らされるのだった。 時間をかけ大切に作り上げた城が、波にさらわれていくように崩れ去って行った。 残された家族は、初めて晒された真実に、打ちのめされることになる。 どこをとっても、当たり前の日常しか思いうかばないのだ。 美紀子名義で借りたレンタカーに遺書。 無理強いされ、死を共有させられたのは數納と認知されていることを知らず、美紀子は海の底へ沈んで行った。 それから数年後、數納弥生が営むカフェに、一人の女性客が訪れる。 静かな面持ちで、窓際の席に座り、表通りに目をやりながら一杯のコーヒーをゆっくり時間をかけて飲み干し、帰って行く。 それはしばらく続き、真夏とは思えない底冷えがする雨の日、珍しくその女性は男性とともにやって来た。 始終顔を伏せている連れの男性に、弥生は顔を顰める。 どこかで会った気がしてならないのだ。 「あの、お客様、以前どちらかでお会いしたことがありませんか?」 お冷を足し弥生は、思い切って男性の方へ尋ねる。 男性は何も答えようとはしなかった。 何の気なしに弥生は、女性客の方へ目をやる。 さっきまでそこにいたはずの女性の姿はなく、弥生は細々とした声で自分の名前を呼ばれ、ギョッとなる。 男性客がしっかりと弥生を見ていた。 あろうことか、それは醜い顔に変形してしまった數納だった。 「あなた」 二人の夫婦生活はだいぶ前から冷え冷えとしていた。 「お前かあんなことをしたのは?」 さびそうに言う數納に、弥生は腰を抜かしながら後ずさる。 突然、店のドアが開く音がして、弥生はここぞとばかりに救いを求める。 すべては弥生の犯行だった。 美紀子の墓石の前、手を合わせていた親子がそっと顔を見合わせる。 美紀子が犯した罪は許しがたいもの。しかし、全部を責めるには、心苦しいものがあった。 全面的に美紀子に非を被せ、あろうことか、弥生は悲劇の妻を演じ、損害賠償の訴訟を起こしていた。 腑に落ちない全容に、この時を待っていたのだ。 「さぁこれからは未来に向かって行かないとな」 そう言って立ち上がった父親に、美紀子そっくりの娘が微笑む。 「しかし技術の進歩ってやつは凄いな。あれ、何ていうんだっけ」 「3D」 「あの桐山さんって人に、礼をしたいんだが、お前、連絡先判るか?」 「分からなくもないけど」 そう言いながら、娘は後ろを振り返る。 ぼんやりと佇む女性に、娘は頭を下げる。 娘がその気配に気が付くようになったのは、5歳のころ。 名乗らなくても、それが母だとすぐに分かった。 何も知らない父親が、振り返り娘の名を呼ぶ。 娘は小走りで父親の元へ行き、もう一度振り返る。 もうそこには、何もかも跡形はなくなくなっていた。 それが、母との最期の別れになった。 2017/12/05 (14:32) 冬の色 線路沿いの道を、トボトボ歩いているとき、ふと頭を過る景色に、楓太(ふうた)は顔を顰めてしまう。 またどうしてこのタイミングでなんだ? いつからか、楓太は一体の幽霊に付きまとわれてしまっていた。 やたらとは出て来はしないが、突如目の前に現れては、驚かされてしまう。 決まってこの時期には違いはないのだが、あまり気持ちがいいものではない。 27歳にもなって、だらしない生活を送っているせいでもあるのが、いけないのか、それにしてもつくづく楓太は、何で俺なんだ、と思う。 「いいじゃん。私だって好きでこんな躰になったんじゃないんだから」 キッと怒る雪絵に、楓太は首を振る。 「ねぇこれからどっか行かない?」 「バイト」 「休んじゃえばいいじゃん」 「無理。来月、スキー行くからその資金貸せがんとだから、ぜってーに行かない」 「そっ。私よりスキーの方が大切なんだ。良いわよね。反社会派は」 「どこでそんな言葉を覚えてきたんだ?」 「ああ吉右衛門さんにフラれて、ちょうどこのあたりだったかしら、もうすっかり様変わりしちゃって。昔はねこのあたり一面雑木林で、樹々が風に揺らえてユーラユラ。ついでに私の躰も、ユーラユラ」 「ああああああああ」 楓太は慌てて耳を塞ぎ、雪江の話を妨害に走る。 どういうわけか、楓太はこの街へ引っ越してきた日、この雪絵とお知り合いになってしまったのだ。 部屋の片づけを済ませ、コンビニへ買い物へ行った帰りだった。 昼日中、女性が蹲っているのを見て、黙って通り過ぎることが出来ず、声を掛けたのが始まり。 声を掛けても、なかなか顔を上げようとはしなかった女性に、いよいよ焦った楓太が救急車を呼ぼうとしたその時だった。 「お願い。私は大丈夫。大塚楓太さん。あなたにお会いできて光栄ですわ」 一瞬にして、楓太は身を凍らせてしまう。 「え? 俺とどこかで会ったことあったっけ」 「いいえ、今日が初めてです」 「だったらどうして?」 「だって私」 おもむろに顔を上げた女性に、楓太はギョッとなる。 「どうして君が」 「いややわ。どなたさんと間違われておりますの?」 「志乃、ちゃんじゃ、ないの?」 「志乃? いややわ。この顔、お忘れになったんですの吉右衛門さん。私ですよ私」 「誰? それに俺、吉右衛門じゃないけど」 「何をおっしゃっておりますの。花売りの雪絵をお忘れになったんですか」 楓太は全く身に覚えのない話だった。 急に背筋がぞくぞくしてきた楓太は、おずおずと後退り始める。 「また逃げるのですか?」 雪絵と名乗る女に睨まれ、楓太は躰を硬直させる。 どういうことなのか、さっぱり理解できないままでいる楓太に、雪絵は冷ややかな笑みを浮かべ近づいくる。 もしや、幽霊? 楓太の脳裏を、そんな言葉が掠めて行く。 ホラー映画はあまり好きではない楓太だが、こういったシーンは決まって悲鳴を上げながら、腰を抜かすもんだが、実際、声なんか出ないし、躰も石にでもなったんじゃないかと思うくらい動かないでいる。 まさか自分お身の上に、こんなことが起こるなんて、楓太は信じられない気持ちで、目を見開く。 「あなたはきっと吉右衛門さんの子孫。ああ嬉しい。これで5人目よ。でもあなたが一番私好み」 声も出ない楓太に、ゆらゆらと躰を漂わせながら、雪絵は唇を寄せて来ていた。 「や、止めろう」 絞り出すように叫ぶ楓太だったが、時すでに遅し、冷ややかなものが唇を触れ、はじき返された雪絵が微笑む。 「これで10年は永らえる」 「どういうこと?」 「私、恋に破れちゃった系じゃないですかぁ。でもって、ここで在住することを決めたんっすけど、この吉右衛門て言うやつが極悪非道で、夜な夜な姿を現す私に、徳の高い坊主とやらを呼んできて、あちこちに札を張ったんすよ。酷い話でしょ。そんでもって、ここにいることが出来なくなった私は、似たような思いをしている女性の躰を転々として、それはそれは並大抵じゃない、苦労を重ね、やっとこの技術を習得した次第で」 どういうわけか、雪絵の姿は現代人になり替わり、口調までが楓太の年代の子が喋りそうなものへと変貌を遂げていた。 「やっぱあれっすよね。人間、順応性が必要っすよね」 うんこす割りして話す雪絵を見ているうち、楓太はなんだかおかしくなってきてしまい、つい吹き出してしまう。 「なんすか。私、結構真面目に話してんすけど」 見れば、かなりの美貌の持ち主。 いつの間にか、楓太から恐怖心が抜け落ちていた。 「て言うか、そんな技術を習得するよりも、成仏する方が良かったんじゃないの?」 何の気なしに言った言葉だった。 雪絵の表情が一変し、楓太はギロリと睨まれ、縮こまる。 「あんたバカなの? 私が成仏しちゃったら、吉右衛門への一途な愛が断ち切られてしまうじゃない。それ、私の辞書にはないですから」 「んなこと言ったって現にあなたはフラれて、地縛霊になっちゃったわけだし、それって、幸せって言えないでしょ」 雪絵にじっと見詰められ、楓太の躰は震え上がる。 ちょいちょい雪絵は、幽霊の貫録を見せつけるのだ。 「どうしてそんなこと言うの? あなたはまた私を傷つけるのね」 「そうじゃなくってさ、もっと違う生き方があったんじゃないかなって。見た感じ、きれいだし、頭だって悪そうには見えないからさ。その吉右衛門って人がどんな人か知らないけど、視点を変えた方が良いって」 雪絵の目がみるみる赤くなり、血の涙を流し始める。 「ちょっと待って。マジ怖い」 「私はいつだって、こんな涙を流していたの。本当は死にたくなかった。吉右衛門さんとだって、うまくいきかけていたの。だけどあの小娘が私に毒を盛って」 「えええ。何か話、変わってきちゃっているけど。小娘って誰だよ」 「だから団子屋の。んなことはもうどうでも良い。わたしの無念。あんたに分かる。思い続けて400年。それはそれは長くてつらい日々だった。戦国時代を駆け抜け、戦火を掻い潜って、どうにかこうにか生き延びてきた私の気持ち、あなたになんか、分かるはずがない」 「もう良いっすか」 「何よその態度」 だんだんばからしくなってきた楓太は、雪絵を無視し家路を辿りだす。 「ねぇ、楓太。つまんない。もう少し私と遊んでよ」 「嫌だよ」 「私、かわいそうな幽霊なんだよ。あなた無しでは生きてはいけないかわいそうなかわいそうな、雪絵ちゃん。てことでよろしく」 雪絵は飛び切りの笑顔を楓太に向けてくる。 このあどけない笑顔に、楓太は何度かやられそうになっていた。 相手が幽霊でなければ、絶対にものにしたい相手である。 正直、楓太は出会った頃から困惑させられてしまっているのだ。 「て、どうして俺なわけ?」 「勘よ。女の第六感ってやつね。あなた、人生下りようとしているでしょ。私には見える見える。もうすっけすけ。長年、幽霊してきたもんとして言うけど、そんなの止めておきなよ。超絶暇だよ。あそこに咲く雑草より気が付いてもらえないしさ。案外楽じゃないよ。除霊とかされてさ、居場所、転々としなくちゃならないし。人助けしても運sで済まされちゃうしさ。悪いことは全部私のせいになるしさ。本当、良いことないっすよ」 「だったらあなたこそ、さっさと成仏されたらどうなんです?」 「そこよね。長年の習性って怖いわ。ついそういうチャンスを不意にしてしまうのよね。神様的には、お人よし過ぎるって言うんだけどさ。ほら、長年こんな稼業をしているとさ、放っておけないって言うかさ、一緒にいてあげなきゃって思うわけですよ」 「すいません。話の意図が大幅にずれていますけど。稼業ってなんすか」 「何だっていいでしょ。決めた。私あなたの背後霊になってあ、げ、る」 「いや結構」 そんなくだらないやり取りをどのくらいの時間していたんだろう? 気が付くと楓太は、ぼんやりと陸橋から、走り去って行く電車を眺めていた。 そこそこの大学を卒業し、何とか就職した会社は、最低最悪で、入社して一年も経たないうちに退職。 そこからはどん底で、何をするにもうまくいかず、半ば生きることを諦めかけていた。 アルバイトを転々とし、実家に居づらくなった楓太は、なけなしの貯金で部屋を借りたのだった。 雪絵にまとわりつかれて一年が過ぎたころだった。 どうしてなのか、理由は分からないが、雪絵が姿を現す前触れは決まって、同じ光景が目に浮かぶ。 色あせた冬の景色がそこにはあった。 平日の人通りが少ない国道沿いの道。 楓太が住んでいた街の景色だった。 それと同時に、苦い思い出が蘇ってくるのだ。 颯太は二十歳のころ、一人の女性を真剣に愛してしまっていた。すべてを擲ってでも、一緒に居たいと願った相手だった。しかし、その恋は前触れもなく終わりを告げた。理由もわからないまま、彼女は、づ歌の前から忽然と姿を消してしまったのだ。 颯太に残ったのは、多額借金と虚しさ。 おそらく、あの日から負の連鎖は始まっていたのだろう。 楓太は背中を丸め、足を速める。 忘れたい過去だった。 「もう、どうしてそんなに冷たくするのよ。どうせ過去にしか生きられない者同士なんだからさ」 「一緒にすんな」 「だったら、さっさとこんな生活から抜け出しなよ」 「んなこと、あんたに言われたくない」 目をクリンとさせながら、雪絵が颯太の前に立ちはだかる。 どういうわけか、その日の雪絵は機嫌がすこぶる悪かった。 「何だよ」 じっと雪絵は楓太を見詰めたままだった。 楓太はそんな雪絵を無視し、躰を通り抜けて行ってしまおうとしていた。 「ね、お互い、終わりにしない?」 無視して歩いて行く楓太の前に再び現れた雪絵が、抱き付く。 「もうこんな悲しい色の冬は止めて」 「何を言ってんだよ。意味分かんねぇ」 「黒じゃないんだよ冬に似合うのは。赤や白。金銀。色鮮やかに美しいものなの。あなたも私もそれに気が付かないふりをしていただけ。もういいんじゃない? 全部終わりにしても」 どんよりとした空から、ひらひらと雪が舞い下りだしたのはその時だった。 あっという間に辺りを白く塗り替え、雪絵が静かに微笑む。 「私、やっと分かった。あなたに会いたくて、ずっとここで待ち続けていたんだと思う」 楓太は何も言えないまま、雪絵を見つめ返していた。 都市計画の看板が立てられ、いよいよ工事が始められようとしていた。 「近々、大きな地鎮祭が執り行われるだってさ」 寂しげに言う雪絵の目が、薄らと赤く滲む。 「さよならだね」 「マジ?」 「もう良いかなって思って」 ポツリと言う雪絵に、楓太はなんて言えばいいのか分からなかった。 「私、成仏できるかな?」 「出来るさ」 「そ。良かった。じゃあ楓太も、きっと立ち直れるね」 「…………」 「じゃあこうしない? 二人で競争するの。あなたは立ち直って、社会人としてきちんと生きるようになること。私は成仏して、生まれ変われるよう努力すること」 「何だよそれ。雪絵が成仏できるかはともかく、生まれ変われたかなんて俺には分からないじゃんか」 「そっかな? でも私、ちゃんと判ったよ。吉右衛門さんの血が流れていること」 しかめっ面をする楓太を、雪絵は抱きしめる。 「分からなくてもいい。一つだけ知っておいて。いつの時代も、私がずっとそばにいたことを。私が愛したのは、あなただけ。その悲しみ、私が預かって行くね」 そう言い残し、雪絵は姿を消して行き、一人取り残された楓太は、しばらく呆然と立ち尽くしていた。 ――そして月日は流れ、楓太は新たな一歩を踏みしめていた。 颯太の目に、ふと足を止める。 もう何年も思い出すことがなかった、昔々の自分が見ていた景色が、急に目に浮かんでいた。 何でこのタイミング? 薄いベールの向こう側で、誰かが微笑んだ気がした。 「颯太」 「ああごめん。今行く」 「もうどうしたの?」 「いや何でもない。ちょっと懐かしい気がして」 「何それ? この辺に住んでいたことあったの?」 「ないけど、デジャビュ的なもんかな」 「もうまたそんなこと言って」 「マジだって」 「私と初めて会った時も、言ってたよね。君と会うのは初めてじゃない気がするって」 「ああそれね。マジだって。侑李(ゆうり)だって俺にピーンと来ただろ?」 「知らない」 楓太は時折、切ない冬の色を思い出す。 それはどこでスイッチが入るのかは、定かではない。 ただそれは切なく淡い色。どこか懐かしく、鼻の奥が痛くなるような思いが胸を締め付けられるような、微かな痛みが蘇っては、すぐに消え行ってしまうものだった。 それが何を意味しているのか、今の楓太には思い起こすことはできない。 冬の匂いが残る交差点、一輪のひなげしが揺れていた。 2017/11/29 (13:51) ターゲット それは偶然でした。 その日は朝からバタバタと忙しく、何をするのにも付いていなかったのです。 ぎりぎりに乗った電車はやたら混み合い、隣に居合わせた女性の息が、そりゃもう、臭くて臭くて。顔を見ればなんですかねぇ、とてもきれいなメイクをされていて、ああ、そう言えばきているものもなかなかのもの。だからこそ残念。お前は、波多陽区か、などと一人突っ込みを入れ、会社へ向かったのです。何の変哲もないいつもと変わらない一日の始まり、のはずだったのですが、出会ってしまったのです。 来客用のお茶入れに向かった私の目の前を横切る男性。 一瞬にして私は落ちてしまいました。 通り過ぎて行く男性の前に回り、私は一世一代の勇気を振り絞ったのです。 「あの、それ、私に譲ってもらえませんか?」 突如そんなことを言われた男性は、当然のことながら、目を瞬かせていました。 でもそんなのお構いなしです。 男性へ断りもなしに、カバンの手触りを確認したわたしは、うっとり顔です。 実は私、アンティークに目がないのであります。 「あの」 「これ、気に入りました。絶対これが良いです。おいくらですか?」 「いや、売る気はないんだけど」 「困ります。もう私はこの子に首ったけです」 「このこと言われましても……」 「岩清水君、そんなところで何をしているのかね」 ウワっ。 超嫌いな課長の、西です。 こいつに嫌味を言われるたび、私は歌を口ずさみます。 あれですよあれ。 ケーブルテレビで見つけた時、私は一目ぼれしました。 あの歌を考えた人は天才、とまで思いました。 知らないのですか? ちょっと古いアニメですけどね、暇つぶしのつもりで見ていたにしては、大ヒットでした。 んなことはどうでも良い。 とにかくこの赤黒く適度の艶。そして何とも言えない肌触り。使いこなされているからこそ、この風味は出る。だからアンティークはやめられません。 明らかに表情を変える私を見て、その男性が噴き出します。 何て失礼極まりない奴。 などと思ったことは、口が裂けても言えません。 ひょいと首を伸ばした西課長が、わたしと話している相手を見て、血相を掻きだしました。 「これはこれは頭取。部下が大変失礼しました」 ……トードリ? 私はその言葉の意味を理解するのに、少々手間取ってしまいました。 「ええ?」 どこから見ても30歳後半。わたしの知っている限りでは、禿げちゃびんの爺、だったはず……。 「これ、岩清水君、何をしているのかね。その手を早く放さんか。すいません。不躾なやつで」 愛想笑いを浮かべる西課長に反吐が出そうになりながらも、わたしの手は緩むことはなかった。 「頭取ってことは、お金持ちってことですよね。じゃあこんなカバンの一つや二つ、手放しても惜しくないんじゃありません?」 わたしの目が輝いていたことは。言うまでもありません。 だって出会ってしまったのですから。 「すまないけど、わたしにも、このカバンへの思入れがあってね、譲るわけにはいかないんです」 「いくとかいかないとかそんなのはどうでも良いんです。どうしてもこれが欲しいんです。お願いです。それを譲ってください」 「岩清水君、頭取に失礼だろ。さ、そんな奴無視して、行っちゃってください」 「煩い西。あんたは黙ってて。もうだからいくとかそう言うのは関係ないって言っているでしょ。全く気が利かないんだから」 「何だね? それが上司に向かって言うことか」 「良いですか、私が持った方が、この子は喜ぶんです」 「おい無視かよ」 「そんなのどうして分かるんです」 「わたしを見くびらないでください。何年アンティーク愛好家やっていると思うんです? 32年間ですよ32年。時計で始まり、私は数々のものを手に入れました。それを飾るために、家まで購入した私を舐めないでもらえます」 「だからお願いだから頭取に向かって、もう止めて」 泣きそうになりながら止めに入る西課長を、私はひと睨みし、無視で話を勧めました。 それほど気に入ってしまったのです。 思い起こせば大胆不敵な行動だったと、今は反省しています。 その時、私は早く気が付くべきでした。 この時、頭取が何を考えていたかです。 その日、私は会社をクビになりました。 西課長に散々嫌味を言われ、当然の報いだと罵られ、会社を後にしたのです。 散々な日でした。 出だしから悪かったことは認めます。何よりも、あのカバンを手に入られなかったことが、残念で仕方がありません。 トボトボ歩く私の前に、黒く光沢がある一台の車が止まりました。 みればかなりの年代ものの車。これに気を惹かれないわけがありません。興味津々で近づいて来るわたしを待っていたかのように、ドアが開きます。中から出てきた人物を見て、私は思わず叫んでしまったのです。 「頭取!」 「乗りたまえ」 は? 「この車に、乗ってみたくないのか、きみはアンティーク愛好家なんだろ?」 静かに微笑む頭取は少し気にくわないが、ああこういうのが私のダメなところなんだよなぁ。 言われるがまま、私は助手席へ身を置いてしまっていた。 行先を決めず、気ままなドライヴをした末、樹々が生い茂るお屋敷へと車が滑り込んで行ったことを、私は知らずにいた。 どういうわけか、途中から記憶がなくなってしまていたのです。 気が付いたのは翌朝でした。 心地の良い目覚めをした私は、辺りを見回し驚きに声を上げました。 「ここどこ?」 「お目覚めかい?」 音もなく部屋へ入って来た頭取の微笑みを見て、私はゾッとしました。 見れば、ベビードールに身を包まれているではありませんか。それに部屋全体が、まるでドールハウスのような飾りで……。 「ほらきみに似合いそうな服、誂えて来たよ。着てみるがいいよ」 何これ? そうなのです。 頭取は、アンティーク人形にご執心だったのです。 頭取は私を家には帰してはくれませんでした。 さぞかし騒ぎになっていると思います。 でもそんな心配はいらなかったようです。 お祝いのメッセージが続々と入れられ、親は大感激の電話を掛けてきました。 急な海外赴任と結婚。 どういうわけか、私は頭取の妻として迎え入れられていたのでした。 そうあの日は朝からバタバタして、最悪な日でした。 あの出会いさえなければ、今頃私は自由だったはず。 着るものも身動きもすべて頭取のお望み通りにしなければなりません。 刃向う? そうね、そんなもの、とっくに忘れてしまった話ね。だって仕方がないでしょ。あなただって分かると思うわ。好きなものに囲まれて暮らすのが、どんなに至福か。それに少しだけ、彼の好みが混じっただけ。この世の中は、ギブアンドテイク。お互いが幸せなら、それでいいのではと、私は思うようになったのです。 ああどうしてこんなことを急にあなたへメールしたかと言うと、x昨晩から降り続けた雨のせいで、裏山が崩れてしまったのです。 残念ながら私が住む屋敷は潰れ、土の中です。おそらく探しに来る人もいないでしょう。彼は私に飽き、違う相手を見つけたようなのです。もうここへはやってきません。でも私は好きなものに囲まれ、幸せでした。一つ付け足すのならば、彼一筋に愛していた自分が、何よりも一番大好きな品物です。 こんな年代物のタイプライターで売った手紙など届きっこないわね。 そう呟く私の目には、彼との日々が映っていました。 遠い遠い昔。セピア色の二人。まるで切り取られた映画のワンシーンのように、繰り返し繰り返し。 だって仕方がないでしょ。わたし、何よりもアンティークなものが大好きなんですもの。 誰に届く当てもない愛。 人知れず山林の奥に咲く白百合。 それが私です。 どうか一度お尋ねください。 「何このメール、気持ち悪い。樹弥も見てよ」 「嫌だよ。俺そう言うの、超苦手」 「そんなこと言わずにさ」 「誰かのいたずらじゃねーの? ハロウィンだしさ」 「かもね。でもだれかしら?」 樹弥の腕時計が、カチリと時を刻む。 「それ、買ったんだ」 「良いだろう? 掘り出しもんだぜ」 「もしかして、あの店でしょ。ベビードールだっけ。あそこ風情があるよね。私、実はショーウィンドウに飾られてあったカメラ、買っちゃったんだよね」 「まじ? 奇遇じゃん。でもあそこの店員、少し怖くなかった?」 「そう普通だったけど」 奇遇なんかじゃありません。 私の消息が分からなくなり、西課長だけが気にかけてくれたことを、風のうわさで聞いていたのです。 私に気が付いてくれるのは、きっと彼しかいないと思ったのです。 もう一人は嫌なのです。 もっと早くに気が付くべきでした。 彼が魔物で、狙ったターゲットを手に入れるために、手段を択ばないってことを。あの日、彼はわたしが好みそうなものを用意していた。あのドールハウスへ連れ込むために……。 2017/11/20 (16:57) ケアレスミス 私の声が聞こえますか? 愛している、そんな言葉さえ重く感じて、二人は離れた。 落ち葉のハーモニー。 心切なくさせて、忘れたはずのあなた思い出す。 会いたくて会えなくて、色あせて行く二人の日々。 あなたがくれたもの、全部否定して、無理をしてサヨナラした。 今どこに居ますか? 何をしてますか? 二人一緒にいるときは、ケンカしてばかりだったのに、遠く離れて、初めてあなたの大切さ分かった。 今更なんだよ。 あなたは呆れて笑うでしょうか? それとも怒るのでしょうか? 今にも雨が降り出しそうな空。 あの頃、二人でよく聞いていたラブソング。 いつか見たドラマのように、偶然を纏ったあなたが目の前に現れたら、私、泣いてしまうでしょう。 だけどそれは反則ね。 わたしから告げたサヨナラだから。 2017/11/15 (22:00) 美憂 はじめまして、わたくし、美憂と言います。 私は、しがない野良猫でございます。 訳あって、ご主人様の元へ参った次第ですが、あ、どうやらご主人様、お目覚めのようです。 「美憂」 「はーい」 「美憂、何だこんなところに居たのか」 頭を掻きかき起き上って来たのは、わたしめのご主人様である、乙部哲司、通称てっちゃんで、ございます。 「何だよ脅かすなよ」 甘えるように後ろから抱き付いてきた哲司が、もうそれはそれは愛おしく、かわいいやつだと思う次第なのでございます。 「邪魔、しないでください。ご飯の支度、出来なじゃないですか」 「そんなの良いから、こっちでさもう一回」 「もう仕方がないな」 この鼻の下を伸ばしきった哲司に促され、私は蝶よ花よの世界へ、再び旅立つことに。 ここまでの話を聞かれた方は、さぞかし俗悪な小説のワンシーンだと思われますでしょうが、いえいえ違うんです。 私の上で、息絶え絶えにしている哲司のことを、少しお話をさせてください。 この哲司、少し強面でありますが、根はとても優しい男で、神社の片隅に置き去りにされた私を、助けてくれたのでございます。 しかし、哲司が住んでいるのは賃貸アパート。猫を飼うわけにはいきません。ですが、哲司は迷うことなく、私を部屋へ連れ帰り、すっかり弱り切ってしまった私を、手厚く看護してくれたのでございます。本来なら、そこで尽きてしまう命。命あるもの、いつかは尽きる、これは当然の習わしで、わたくしめもそれに沿って生まれて来たのでございます。 なかなか回復しないわたしめを、哲司はそれはそれは心配して、とうとう仕事へ行かなくなってしまったのでございます。 何と嘆かわしいことでございましょう。 わたしめの命は持って10日。ゆっくり尽きて行くのを待つしかない身。胸が痛んだわたしめは、3日目の朝、意を決し起き上がったのでございます。 夏の盛り。具合よく窓がけられております。飛び降りには少々、体力的に自信はありませんでしたが、行くしかありません。 わたくしめは、安らかに寝ていらっしゃるご主人様を顧みました。 最後のお別れです。 そして、私は初めて、ご主人様の異変に気が付いたのでございます。 寝ながら泣かれているのでございます。 うわごとのように何度も何度も繰り返し繰り返し言うのでございま。 「死にたくないよ。死にたくないよ」って。 いったいどういうことなのでしょう? 生まれたばかりのわたしめには、皆目見当が付きませんでした。 ひらりと飛び降り、再び捨てられていた神社へと舞い戻ったわたしめは、境内に上がり、その意味を考えました。 考えても考えてもその意味は分かりませんでした。 体力は夏の暑さも手伝って、どんどん奪われていきました。命が尽きるまで、残り3日目の朝、奇妙なご老人がわたしめを見下ろしているではありませんか。 その後老人から放たれる神々しい輝き。一目見ただけで、世間知らずのわたしめにもわかりました。 「ひとつ、望みを叶えてやろうぞ」 にこやかに申された言葉に、わたしめは即答しました。 「宿命とは何ぞや」 そう申されました鎮守様は、わたしめに手を翳されたのでございます。 互いの命が燃え尽きるにはあとわずか、わたしめの望みは、命の恩人、哲司の望みを叶えること。 少し怒りん坊で気の優しい哲司と共に、信頼できる姿で、最期を過ごしたいと考えたのでございます。 すらりとした躰に、長い髪を束ね、私は跳ねるように哲司の部屋を訪ねました。 開けられたドア。 私目は、問答なしに哲司の胸へと飛びき見ました。 「助けてください」 瞳孔を開く哲司の胸に顔を押し当てて、私は身を震わせました。 ちょうど、あの雨の日のように。 「とにかく中へ」 わたしめは哲司にしがみついたまま、しばらく離れようとはしませんでした。 「何が、何があったか、教えていただけませんか」 「助けて、私、もう長く生きられないんです」 「え?」 その後のことは覚えていません。 ただ悲しみが押し寄せては弾き、いつしかそれが女の喜びの声に代わって行ったのでございます。 どうやら、お迎えが近づいてきたようでございます。 幸せそうに目を瞑る哲司に、熱いキッスをした後、私は起き上がりました。 「どこに行くんだよ」 「ちょっと買い物に行ってくる」 「じゃあ俺も」 支度を慌ててする哲司をしり目にわたしめは、部屋を後にしました。 もう体力は残っていません。 せめて哲司には夢を見させたまま、この世を去りたい所存でございます。 よろめきながら、わたしめは人目につかない物陰で息絶えたのでございます。 夏の日差しが照り返す、とてもとても暑い日でした。 「神主様、猫が死んでいるよ」 「おおかわいそうに」 「俺、こいつの墓、作ってやりたいです」 「何だてっちゃん、いいところあるじゃねーか」 「よせや」 「この猫、白くて随分きれいな顔をして」 「うん。俺もそう思った。なんかよ、どこかで会った気がすんだよな」 「また始まった。てっちゃんの十八番」 生きながらえたのでしょうか……。 手を合わせた哲司の目から、一粒の涙が零れ落ちました。 それから一月後。 わたしめに花が1輪手向けられ、そこで哲司が死んだことを知ったのでございます。 たゆまなく流れて行くときの中で、運命、そのようなことがあるのならば、わたくしめらは再び巡り会わされるのでしょうか。 一面に咲く花に目を奪われた少年が感嘆します。 もうどのくらい経ったのでしょう。 「ママ、お花綺麗」 「あら珍しい。一面カスミソウなんて」 あなたに抱きしめられたあの日から、わたしめの気持ちは変わらない。 この思いは永遠だから……。 2017/11/14 (12:04) ジンクス 例えば僕が君が好きとして、それを伝えたならどうなるんだろう。 くだらない話さ。 ひとりごちて、僕は部屋を出る。 ジンクス。 そんなもの、本気で信じているわけじゃないんだ。だけどさ、そう言う気分の時だって、きみにもあるだろ? 例えば僕の場合は、左足から部屋を出る。 何となく、一日が上手くやり過ごせる気になるんだ。 信号待ちをせずに、駅までたどり着けたら、その日はずっと縁起がいい。そうだな、おみくじで大吉を引いた気分と表現したらいいのかな。ああ今日はダメだ。出鼻をくじかれた。固く結んでおいたはずの靴紐が解けた。最悪だ。雨が降っている中、縛り直すタイミングを気にしていたら、前から来た人とぶつかりそうになって、避けた拍子に反対の紐を踏んづけてしまって、ああ全滅だ。端に避けて縛り直す。どんどん人が通り過ぎて行き、何だか取り残された気分になる。信号に捕まり、一本乗り遅れてしまった。いつもと同じ風景なはずなのに、まるで違う世界。不思議なもので、乗り合わせる人は、話したことがないが、知り合いのような気になっていた。いつも同じ席に座る男性も、今日は学生が座っている。下りた駅も、すれ違う人も、すべて違って見えた。 急ぐのがばかばかしく思えて、いつも素通りするパン屋で足を止める。 そして、くだらない囲いをつけてしまていた自分に気が付く。 何も変わらない。何もかもがありのままそこに君臨していたんだ。 優しく微笑みかける人がいる。 心から幸福を感じさせてくれるその笑みに、新しい心の息吹を感じた。 この出会いが、新しい物語に代わるのに、そう時間はかからないことを、確信したんだ。 いつかきみに話せたらいいな。 すべてが幸せのジンクスに代わる瞬間だった。 昼下がりのカフェテラス。 心地の良い光が差し込み、きみを待ちながらそんなことを思い返していた。 ポケットに永遠の約束を忍ばせて。 2017/11/06 (12:01) マスコットメーカー 「隠し切れない贅肉が」 ボヨ〜ン。 服からはみ出した腹を何とかしまおうとしているこの女性、名前は、角田美奈子。こう見えても、一応アイドル歌手である。 地下に潜って三年。 あの頃の私はかわいかった。 昔を回想する暇などないのだが、ついつい鏡の前に立つと思い耽ってしまうのだ。 「美奈子、まだ?」 「待って、このボディスーツがさ」 「何? ボディスーツがどうかした」 「え? 何聞こえない」 質問に質問を返すのは、卑劣な行為。 だけど、この事実をばれるのはちとまずい。 美奈子が変な商人と出会ったのは、半年前。 売れないストレスから、食べる欲求へ走り出していた美奈子の前に、一人のおじさんがにっこり微笑み近寄ってきた。 その気味の悪さに、美奈子は悲鳴を上げて逃げ出したのだった。 しかし、どういうわけか、美奈子が発作的にむさぼり食べていると、そのおじさんは現れ、微笑みを見せながらやって来るのだった。 「ああ逃げない。逃げない。私は怪しいものではありません」 充分怪しいそのおじさんは、ヨッコラショと、目の前に風呂敷を広げ中身を見せる。 今まで気が付かなかったが、このおじさん、どうやら首にこんなものを巻き付けていたらしい。 怪訝な顔をする美奈子に、ニカッと歯を見せておじさんは笑って見せる。 見事な味噌っ歯である。 「これ、着るといいね」 「何ですかこれ?」 「完璧スーツ」 「はい?」 「つまりこれを着ると、こうなってこうなってこう」 おじさんはジェスチャーで躰を表現してみせた。 どうやら、胸は大きく腰はくびれると言いたいらしい。 「ウソだ」 「百聞は一見に如かず。着てみるべし。さあさあ、お試しあれ。お代は頂戴致しません」 恐る恐る美奈代はそのボディスーツとやらを触ってみる。 触り心地は悪くない。 手を伸ばしてみて、初めて分かったのだが、肌の色も美奈代と同じだった。 「こんなもの、肌着に過ぎない。ちゃっちゃと着ちゃって頂戴」 怪しむ私に、そのおじさんはまたもやあの間が抜けた笑みを見せる。 肌着だし、害はなさそうだし。 「着替えるから、あっち見てて」 「そうこなくっちゃ」 美奈代は決めたら早かった。 着ているものをすべて脱ぎ棄て、ボディスーツを装着。 驚くほど、肌になじみ、出始めたお腹がひっこめられていた。 「もういいかい?」 「はい」 振り返ったおじさんが満面の笑みを作る。 「だから言ったでしょ。これからは思いぞんぶんお食べなさい。食べなさい。そのスーツさえあれば、あなたは黄金のボディラインのまま」 今考えると迂闊だったと思う。 押さえていた食欲が爆発、見る見ると体系は変わり、美奈代は見事なデブになってしまっていた。 「だいぶ肥えられましたな」 「ああおじさん、調度良いところに来た。顔のスーツってない? 顔が最近丸くなってきたって、マネージャーに怒られちゃってさ」 「その心配は無用」 「え?」 振り返った美奈代を、おじさんはぺろりと一口で平らげ、満足げに部屋を出て行くのだった。 その後、排泄された美奈代はまるで別人として、違う人生を歩むことになるのだが、ネット上では少々違うようだ。 整形を重ね、収拾がつかなくなった美奈代の躰は皺だらけのお化け状態になったと流されていた。 しかし美奈代は、望み通り、正真正銘のマスコットギャルになったのだった。 2017/10/31 (17:52) 午前零時の約束 秒読み返し。 私は深く深呼吸をする。 時計の針がてっぺんで重なり合い、私は脱力感に襲われる。 別に本気で信じていたわけではない。 戯言。 自分に言い聞かせてはみたものの、どうしても諦められないでいた。 別れの言葉も残さずに旅立ったあいつのことなんて、遠くに忘れてやるつもりでいたのに、あんな変な手紙が届くもんだからいけないんだわ。 私はベッドへ潜り込み、固く瞼を閉じる。 カタカタカタカタ。 どこからともなく聞こえてくる音に、私は飛び起きる。 まさかね? 疑心暗鬼で、私は音が鳴る方へと行ってみることにした。 音の出どころは、キッチンらしい。 私はそうっとドアを開き、様子を窺う。 え? 明かりが消えたキッチンで、鍋が湯気を上げ蓋を鳴らしていた。 ……ウソ。 私は慌てて中へと飛び込む。 テーブルでコーヒーを啜っていた、隼人が振り向き微笑む。 「隼人」 「ただいま」 私はその場にへたり込んでしまう。 本当だったんだ。 隼人が消息不明になったのは一年前。 安否がつかめないまま、いたずらに月日が流れた。 そしておととい、手紙が届いたのだ。 『誕生日、二人で祝おう』 差出人の名は書かれてはいなかったが、それが誰からなのか私にはすぐわかった。 狭川隼人。商社に勤務してもう4年になる。同僚の彼はとても優秀で、将来を嘱望されていた。海外勤務もその一環で、箔が付くと、お道化て見せていた。付き合っているのか、ただの仲のいい同僚なのか、判別できない私たちだった。だけど、自信が私にはある。必ず彼は私の誕生日、午前〇時きっかりに、お祝いのメッセージをくれる。休日と重なった去年は、突然部屋に訪れて、歌のプレゼントをして帰って行った。悪気のない、屈託のない笑顔に、私は始終やられっ放しで、ずっと分かっていたのに、先延ばしにして、とうとう言えないまま、彼は私の前から姿を消した。そんな彼からのメッセージに、私は淡い期待を抱いてしまったのだ。 隼人がコトンと、カップを置く。 「願い事は、叶うもんなんだな」 そう言って、隼人は私の元へ、静かにやって来た。 「メグ、ごめん。本当は俺」 突然鳴りだした携帯に、私は気を取られてしまう。 ほんの数秒の出来事だったが、もうそこには隼人の姿はなかった。 今日未明。隼人が発見された知らせだった。 瓦礫の山に埋もれた隼人の手には、私宛の手紙が握られていた。 隼人は私の誕生日に合わせて帰国するつもりでいたらしい。 冗談で言ったのに……。 出国前、見送りに言った私に、ふと隼人が聞いてきた。 「今、俺に求めるものってある?」 「何、藪から棒に」 「良いから言ってみて」 「う〜んそうだな。折角のフランス勤務だし、手料理の一つでも覚えてきてごちそうしてよ」 「ウイ」 「よろしく、シェフ様」 かっこつける隼人を見て、私は笑ってしまっていた。まさかそれが最後になるとは思いもしないで。 テーブルで、すっかり冷めきってしまったコーヒーに目を落とす。 ささやかな私の祈りだった。 隼人は酒が入ると何でも喋ってしまう癖がある。 「お前、俺のポトフ食って、腰抜かすなよ、完璧マスターだからな」 上機嫌に話す隼人に、私は顔を綻ばせていた。 だから私は鍋に彼が入れるだろうと言う材料を入れて待った。 あるわけない。あるわけないんだ。隼人はもう……。 私はコンロに置き去りにされてある鍋のふたを開ける。 「バーカ。俺様を誰だと思っているんだ?」 そんな声が聞こえた気がして、私は振り返る。 自分で火を入れたのか、記憶は定かではない。 それは涙が出るほど温かくて、優しい味がした。 2017/10/23 (09:49) prev / next [TOP] ×
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