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僕が泣いたわけ
 偶然通りかかった駅で聞こえてきたピアノのメロディ。
 僕はふと足を止め、その音の方へ導かれるように歩いて行く。
 何でもない日常がそこにはあった。
 サラリーマン風の人や、たまたま居合わせた通行人の人だかりができていた。

 音楽から離れて、もうどのくらいになるだろう……。

 過ぎ去ってしまった日々はもう戻って来ない。
 あなたが好きだったこの曲を聞くのも、今の僕にとっては辛い。
 淡い光のベールに包まれ、君が微笑む。
 酔ったあなたが良く打てっていた歌。
 当たり前のように訪れるだろうと思ったその季節は、もう二度と戻って来ない。
 突然やって来たあなたとの別れ。
 救急搬送された病院で、あなたの変わり果ててしまった姿を見た時、僕の時間は止まってしまった。
 まるですべてが夢の中の出来事だったかのように、僕の目の前を季節が流れて行き、遠い過去の話となった。
 僕にピアノを弾く腕はない。何も取り柄がない僕を、あなたは愛していると言ってくれた。
 時間が、僕だけが取り残されていく。
 「ね、けいちゃん」
 そんなあなたの声が聞こえた気がした。
 冬の日差しが差し込む僕の部屋。
 背中合わせのあなたが言う。
 「もし私たちに何かあって、どうしようもなく離れなければならなくなったとしても、二人でいた時間は消えないから、何年かかってもいいからおめでとうが言える人になりたいな」
 そんなことを、本気で言えるあなただから、僕は愛した。
 「下ばかり向かないで、ほら顔を上げて」
 きっとあなたならそう言ってほほ笑む。
 だから……。
 取り留めもなく流れ落ちる涙。
 あなたと出会い、愛を紡いだ日々。
 サヨナラも言わず、逝ってしまったあなた。
 演奏が終わり、拍手が送られる。
 僕は顔を伏せたままそこを立ち去る。
 もしあなたが一緒にいたなら、僕は唇を噛みしめ、空を見上げる。
 忘れることなどできないよ。
 肩を窄め、僕は日常へ戻って行く。
 
 


2020/02/05 (12:47)

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