※大学生設定



 パソコンの画面と向き合っていたおかげでしぱしぱする目をぎゅうとつむる。途端にクリアになる聴覚が、ローテーブルの上にそっと置かれたマグカップの音を敏感に拾い上げた。
「ありがとう、孝支さん」
「どういたしまして」
 あたたかい飲み物を入れてくれたらしい、マグカップからは湯気がのぼっている。空気がこもりやすいアパート最上階の彼の部屋は、在室の時は大抵窓が開いていて、1年経っても東北の気温に慣れない私には少し涼しいのだ。
「少し熱いかもしれないけど」
「大丈夫。熱いの好き」
 だから、湯気が見えるほどの温度を持つコーヒーは私にはとてもありがたかった。
 非常に申し訳ない話ではあるが、この部屋で課題をやっていると異様に集中できる。だからついつい入り浸ってしまうのだけれど、以前それを謝罪したら、「俺もなまえが来てくれるの嬉しいから」と明るく笑っていた。そういうところが好きなのだ。いや、そういうところだけではなく、ううん、なんて言えばいいのだろう、難しいなあ。何処が好きとか、何で好きとか、そういうことって、口にするのは難しいし困ってしまうから、訊いてはいけないんだったっけ。友達が言っていたことを思い出しながら、コーヒーに口をつける。孝支さんは私の好みをこれでもかというくらい把握していて、砂糖の量もミルクの量も完璧である。私はこの人が辛党であるということくらいしか把握できていないので、どうにも悔しい。思わずむうと口を突き出すと、その様子を見られていたらしく笑われた。少し恥ずかしくなって、肩をすくめる。
「可愛いヤツだなあ」
「ちょっと、そういうこと言うのやめよう」
「はは、照れてる」
 ただの先輩後輩が、一緒に悪ふざけするような仲になって(カセットコンロでポテチ炙ったり)、そうして恋人になんてなってしまったりして。そんな名前の関係になってからまだそんなに時間が経っていないから、近づいた距離がどうにも恥ずかしい。そんな関係が時々怖くなってしまって、ついつい一歩引いてしまう私を、この人はいつも笑いながらリードしてくれるのだ。「俺もいっぱいいっぱいなんだけどね」なんて、そんなことを言いながら。
 だからこそ、私はできうる限りこの人のそばにいて、どうにかしてこの人のぜんぶを受け止める人間になれたらいいな、なんて、そんな恥ずかしいことを考えては孝支さんが淹れてくれるコーヒーと一緒に呑み込んでみたりするのだ。
「もう少し?」
「うん、あと少し」
 キーボードに指を走らせる作業を再開しながら、ちらりと画面の右下に目をやる。11:54、2015/06/12。私のレポートもあともう少しだけど、もうひとつ大事な瞬間まで、あともう少し。

 0時締切のレポートを大学のポータルサイトを通して提出したのが11:58。期限ギリギリに動いてしまう癖はまだ治っていないらしい。パソコンをシャットダウンして、携帯を見つめながら、およそ90秒を、何となく何とも言えない気持ちで過ごして、そうして。
「孝支さん、お誕生日おめでとう」
 携帯の時計がその日を示したその瞬間、私は顔を上げた。
「ありがとう」
 全部分かっていたかのように、彼は笑う。
「なまえ、このためにレポートギリギリまでやってなかったんだべ」
「うっ」
「ちゃんとやれよー」
 やっぱり全部分かっていたこの人は、けらけら笑いながら私の額をつついた。結局ね、この人には敵わないんだろう、そう思って半ば諦めながら、鞄を漁って今日……いや、もう昨日か……の午後に買ってきたプレゼントの包みを取り出して渡す。
「開けてもいい?」
「勿論」
 何が出るかな、何が出るかな、と懐かしいメロディーを口ずさみながらラッピングを丁寧に剥がしていく指先をぼんやりと眺める。彼と同じ高校出身の友人が言っていた。あの手で彼は自分たちにトスを上げてくれていたのだと。
「おお、すっげー。さすが、センスいいな」
「え、照れる」
 最近はやり(なのかよく分かんないけれど)の宇宙柄、というやつのマグカップは、お店で一目見てこれにしようと思わされたものだった。
「ありがとな、大事にする」
「こちらこそ、生まれてきてくれてありがとう」
 私が私に自慢できるような点も、私が私を嫌いになってしまう点も、全部受け止めて包んでくれるこの人は、まるで私にとっての宇宙のような人で。
 だから私も貴方の宇宙になれたらいいのになあなんて、そんな気持ちもすこうし込めてみたんだよ。
 そう言ったら、この人はどんな顔をしてくれるだろうか。




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