「そっかー負けちゃったのかー」

残念、と呟いた私の口の中で、ぐんぐんヨーグルトから伸びたストローの先がぺこりと潰れた。
昼休みの教室はざわついている。ここは進学クラスだけど、にぎやかさは他のクラスと大して変わらない。昼休みくらいは、という意識が皆の中にあるんだろう。勿論私の中にも。
昼食を終えた私は、隣の席の男子とお喋りに興じていた。1年の頃から同じクラスの菅原さん。何故「さん」呼ばわりなのかというと、彼のことを超尊敬しているからである。彼のこの人間性を。毎日昼休みにお喋りする仲になって随分経つが、菅原さんともう一人、彼と同じバレー部で主将をやっているというクラスメイトの澤村さんには頭が上がる気がしない。
そんな彼らが活躍している男子バレー部は、今月頭の大会で思うような結果が出なかったらしい。全国大会出場を目指していたが、ベスト16で終わってしまったのだとか。スポーツのトーナメントにおける「一度負けたらおしまい」の感覚が実感としてよく分からない私に彼らの悔しさが理解できるはずもないが、相当悔しかったのだろうとは思う。それは、菅原さんが私にこの話をしたのが、大会から数日経った6月7日、金曜日であることからも想像がつく。

「あれ、でも菅原さん放課後部活行ってるよね。引退試合とか?」
「いや」

大会は前の土日に行われたそうだが、菅原さんは今週、毎日普通に部活へと行っていた。鞄の中身にも変化はないようだし、どういうことだろうと尋ねると、返ってきたのは意外な答え。

「俺まだ引退しないんだよね。春高まで残るんだ」
「……まじで?」
「まじで」

思わず口をぽかんと開けて、菅原さんの顔を凝視してしまった。そんなに見られると照れる、と彼は笑うが、ちょっとそれどころじゃない。

「え、待って待って待って、春高っていつ」
「んーと、本選まで残れば、成人式の日くらいまで?」
「センター前ラスト週末じゃん!うわ、大変じゃない?」
「大変だろうなー。でも」

でも、と。
いつもの人のいい笑みを浮かべながら、菅原さんは言った。

「でも、ここで引いたら多分後悔するからさ、俺」

笑ってはいたけど、本気だってことは分かったから、すごいなぁとしか思わなかった。すごいなぁとしか、思えなかった。

「じゃあもしかして、澤村さんも?」
「うん、大地も」
「二人ともやっぱかっこいーね」
「そ?サンキュ」

青春してるって感じがする。

「みょうじさんは?美術部だよな」
「うん」
「大会とかあんの?あ、コンクールか?」
「いや、うちは割とゆるーく活動してるタイプだから、そういうのは出ないよ。希望者だけ」
「えー、じゃあ、引退とかどうすんの」
「進学クラスの人は大体2年の終わりかな。でも私は文化祭に作品出してから引退する予定」

一応次のコンクールの成績次第では美大も考えるかもしれないが……いやしかし、どうなんだろう。受験勉強と並行して絵も描くなんて、私にはできそうにない。

「まあ、私も先生には止められたけど……」

二足の草鞋を履くな、と怒られてしまった。ごもっともです。

「ははは、じゃあおんなじだ」
「おんなじですねえ」

菅原さんに合わせて笑いながら、ぐんぐんヨーグルトのパックを潰す。次の授業は何だっけ。

「俺なんかさあ」
「ん?」
「レギュラーメンバーでもないのに、みたいなこと言われたんだべけんども、実はレギュラーではあるんだっけ」
「先生ひどい!」
「スタメンじゃないだけで」
「あー」

先生、スタメン=レギュラーって認識なのか。まあ確かに、イメージとしてはそうかもしれないけど。というか、菅原さんとか澤村さんがレギュラーって言い方をしているのを聞いたことはないような気がする。バレーでは使わない言葉なのかな?よく分からないけど。

「だからそれ聞いて、ん?って思ってさ。俺ベンチメンバーなんですけど、みたいな」
「あちゃー、先生やっちゃったねえ」
「ひでーべー。ベンチから外れるとかあんのかようちの部12人しかいないのにって思って」
「やっぱ少ないね男子バレー部。じゃあ壮行式の時のあれでもしかして全員?」
「え、あ、うん……。でもその話はダメ。大地怒るから」
「えっ澤村さんって怒るの」
「えっ」
「えっ」


* * *


―――カラス、再び全国の空へ

そのキャッチコピーが踊るポスターを見つけたのは、6月10日、月曜日のことだった。通学路にある商店街の店頭で、ブラックとオレンジが私の目に焼き付いたのだ。
煌々と照るライト。
高く聳える観客席。
立ちはだかるネット。
翻るユニフォーム。
そして、それら全てに囲まれて揚々と翔ぶ(跳ぶ、ではなく、翔ぶ、なのだ)一人の選手。
ああ、そうか、と、私の口からは感嘆の息が漏れた。
菅原さんは、バレー部は、この舞台を目指しているのか。
それは確かに、引退などしてしまったら、諦めてしまったら、後悔するに違いない。一度夢見てしまったら、そこに自分が立たないことには気が済まないに違いない。
一度だけ、菅原さんと澤村さんの練習を覗いたことがあったのを思い出した。菅原さんの忘れ物を届けに行ったのだ。菅原さんは、コートの中央、ネット際で、オーバーハンドで澤村さんにボールを出していた。あとで調べたところによると、菅原さんのポジションはセッター、澤村さんのポジションはウィングスパイカーと呼ばれているらしい。そして、オーバーハンドでボールを出すことを、トスを上げる、というらしい。
トスを上げるという行為は、菅原さんによく似合っていた。
一球一球を、丁寧に、繊細に、バレーが好きで好きで堪らないと言わんばかりの真剣な表情で上げる。そんな菅原さんがあの煌めく舞台に立ったら。どんな表情で、どんな動作で、どんなトスを上げるのだろうか。バレーが好きで好きで仕方がないとか、コートに立つのが幸せで幸せで仕様がないとか、そんなことを、全身全霊で訴えかけてくるのだろうか。

「よし、決めたっ!」

ポスターを前にしてぐっと拳を握った私の脳裏で、漆黒のカラスが燃える夕焼け目指して羽ばたいていた。


* * *


前ぶりも何もないが、6月13日は菅原さんの誕生日である。私は2年の時に、ノリで作った紙粘土製のモンブランを勢いでプレゼントしていたので、今年もそのノリで紙粘土のホールケーキを用意し、それをあげるつもりでいた。
計画が変わったのは、あのポスターを見たからだ。
ノリと勢いで作った紙粘土ケーキでは駄目だと思った。
そんな訳であるから、忘れ物を届けに行った時に知り合ったマネジの清水さんに協力を依頼したり、1年マネの谷地さんと仲良くなったり(あのポスターの作者は彼女らしい。あふれでるセンスに敬礼)、画用紙とにらめっこしたり、透明水彩と仁義なき戦いを繰り広げたりしながら、菅原さんにプレゼントするための作品を完成させた。させたのだが。

「いやいやいや、流石に時間かかりすぎデショ」

現在、6月13日午後7時45分の烏野高校美術室である。完成させるのに4日間くらいかかっていた。朝も昼休みも放課後も美術室にこもりきりになっていたのにこの様とは……。自分があまりにも遅筆すぎて、言葉も出ない。
これもう菅原さん帰ってるんじゃないかな、とは思いつつも、大急ぎで美術室を出る。片付けは明日の早朝にやりますごめんなさい。教頭先生に見つかりませんようにハイ消灯。

「いやホント、これで菅原さん帰ってたらどーすんべ……」

明日の朝イチで、謝罪と共にお渡しするしかあるまい。1日遅れとかすごい嫌だけど。
普段は使わないのでちゃんと辿り着けるか心配だったが、迷うことなく第2体育館に到着。しかし案の定、そこは真っ暗であった。やはりとうに練習は終わってしまっていたらしい。あちゃあ。
地味にショックである。テンション下がる。
とりあえず明日まで作品を管理しなくてはなるまいと溜め息をつき、すごすごと回れ右をした時、

「みょうじさんだ」

目の前には菅原さんと黒ジャージの人たちが立っていた。つまりは男子バレー部の皆さんだ。そういえば、バレー部にいるというアルティメットばかたちのために勉強会を開いているのだと清水さんとかが言っていた気がする。どちらにしろ衝撃のエンカウントである。

「どうかした?」

微笑みかけてくる菅原さんが神様に見える。こんな時間まで残っていてくれてどうもありがとう。どうかしたんです。とてもどうかしたんです。

「菅原さん」
「ん?」
「お誕生日おめでとうです」

だいぶとち狂った敬語でもって祝いの言葉を述べてから、私はプレゼントを差し出した。紙粘土のホールケーキと、できたてほやほやの水彩画。

「うわあ……」

被写体が何かって、そんなの、勿論、菅原さんである。上から見下ろした、所謂俯瞰のアングルで、トスを上げる菅原さんを描いた。画面全体を淡いオレンジでぼやかして、周囲には黒光りする羽根を散らす。今までにない出来だと自負している。

「すげえ」
「バレー、頑張ってほしいなあと、思ってね」
「すっげえ嬉しい。超頑張る。絶対春高行く」

喜んでくれたようで何よりだ。あんまり嬉しそうに笑うものだから、こっちまでくすぐったくなってしまうけれど。

ね、菅原さん。
チームの皆と一生懸命練習して、たくさん試合に出て、いっぱい勝って、憧れの場所へと登り詰めて、夢見た舞台でバレーをやって、そうして。
そうして、ただの幸せな君に成り下がっちゃえばいいんじゃないかなあ、なんて。


×
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -