たゆたう、

その時間、悲劇は起こった。




……なんのことはない、レコーディングルームで、ただブースから出てきた一ノ瀬に楽譜を見せて指示をしようとしたその瞬間に一ノ瀬がこちらに倒れてきたくらいだ。

「…って。頭打った……。い、一ノ瀬重い………」

文字通り下敷きになってしまい、背中と頭を強打した私は、文句でも言おうと一ノ瀬の肩に手をかけた。軽く持ち上げて顔を見ると、赤い。目が虚ろというかとろんとしていて……いつかどっかで、見たことある症状だと思った。

「一ノ瀬、ちょっと失礼」

身体をひねって一ノ瀬を私の上から下ろすと鞄からマフラータオルを取り出して頭の下にすべり込ませる。額を触ると、酷く熱かった。

「風邪だね……熱、八度は超えてる。九度いくか?」

手を引っ込めると部屋の中を見回した。ここから寮までは歩いて十分以上はかかる。こんなフラフラな状態のこいつを寮まで運ぶのは至難の業だ。

しばらく放置…じゃなくてここで様子を見て、酷くなるようだったら日向さんあたり呼んでこよう。幸い、携帯には日向さんと林檎センセの番号は入っている。

「んー……。林檎センセいるかな」

電話をかけてみるが……出ない。日向さんも同じく出ない。忙しいししょうがないか、とため息をついて携帯を閉じた。

さて、どうしたものか。

ポケットからタオルを取り出して、ダッシュで水場まで行って濡らしてくる。しっかり絞ってからまたダッシュでレコーディングルームに戻った。

柄にもなくちょっと焦ってて、あまり正確な判断ができそうもないなぁ。

濡らしたタオルを一ノ瀬の額に置こうとして、さすがに床の上じゃヤバイな、と思い一ノ瀬の頬を軽く叩く。うっすら目を開けた一ノ瀬の腕をそっと掴んだ。

「ごめん。一ノ瀬さん今、熱出てるから辛いだろうけど…ソファに移動できる?」

こくり、と頷かれたので一ノ瀬を支えソファに放り投げる。ソファの肘掛を枕代わりに一ノ瀬には安静にしててもらおう。

そっと額に濡れたタオルを置いた。制服がきつそうだったので、無意識にネクタイを解く。

「な…!」

「煩い。黙ってろ、あんた病人、私の言うこと聞きなさい。大丈夫襲う気なんてサラサラねぇよ。ほら、ボタンもちょっと開けるね、決してやましい気持ちはない!」

「……すみ、ま、せん……」

「…ふん。体調管理も仕事のうちだろ。アイドルコースが身体壊してどーすんの、ばぁか」

「面目ない……」

「…。悪い、キツイ言い方しかできなくて。今は休んでください。寒くないですか?喉は?頭痛いですか?」

ゆっくりと質問していって、必要であろうものを頭の中に思い浮かべる。とりあえず、ロッカーに長袖の上着が置いてあるはずなので、布団替わりに取ってこよう。

「上着とってきますね。すぐ戻りますので、安静にお願いします。動いていたら縛ってでも布団に固定しますので」

「…ん」

「三分で戻ってきます」

距離的には私が全力で走っても往復五分はかかるのに、それぐらいの気持ちでやってやる、という気持ちをこめて言ってやった。教室に走ってロッカーをこじ開ける。中から上着を取り出すとまた走って部屋に戻った。動いては…いないね。よし、いい子だ。

「はい上着。無いよりかはマシです。すみません…私が一ノ瀬さん背負って歩けるくらいの体力あれば最悪保健室には放り込めたのに」

「……」

「あ、タオルぬるくなってる……。濡らしてきます」

そうやってせかせかと看病しているうちに、一ノ瀬は落ち着いてきたのか、すやすやと眠り始めた。まだ辛そうに顔を歪めはするし、汗は尋常じゃないくらい出てるが、とりあえずねることは出来るみたい。

「……くそ、起きたら説教してやる…」

マフラータオルで胸元の汗を拭いたり、張り付いた前髪を払ってやってるうちにだんだんと疲れてきて……看病ってこんなにメンドいもんなんだなぁ、と呟いた。容態はマシになってきたので、私も若干眠ることにする。ソファの後ろに回ってソファを背もたれに、目を閉じる。

……あの美声ではぁはぁ息を荒くされては…個人的にヤバいもんがあるんで。弱々しい一ノ瀬…うーん、これが翔ちゃんだったら襲ってるゲフン。

まぁ、一ノ瀬が起きたら私を起こしてくれるだろうね。だから一ノ瀬が起きるまで私は眠っておこう。暇だし、だからといって一ノ瀬おいてどっかに行くのはできないし。あ、眠りにくいから電気消しとこう。 

「おやすみー」





「んっ……は、あ。私は……」

息が苦しくて目を覚ます。濡れたタオルが顔全体に張り付いていて呼吸がとてもやりにくかった。死ぬ、と思ってタオルを払うと、ぼんやりと部屋が目に映った。

私の部屋ではない…。レコーディングルームのようだ。なぜこんなところで、しかも濡れタオルを顔に貼り付けて寝てるのだ……と記憶を巻き戻せば。

熱でうなされてる自分を思い出した。

「これは……速水君のタオル……?」

上着も、私のではない。速水君は、と起き上がればくらりとめまいがする。まだ本調子ではないようだ。私としたことが、風邪をひいてしまうなんて。連日のコンサートが祟りましたね。ところで速水君はどこへ……?

「まぁ、帰ったのでしょうか……」

酷く喉が渇いていた。とりあえずソファを支えに身体を起こすと、テーブルの上のペットボトルが目に入る。メモがくっついていて、明らかに速水君だとわかる殴り書きの字で、

『目が覚めたら飲め!』

と書いてあった。敬語が抜けている。これが本当の速水君なんでしょうね。私にはどこかよそよそしかったので。

こんな時だというのに、速水君の素を垣間見ることができて何故か嬉しかった。同時に、そこまで怒らせて(?)しまったのだろうか、と不安になる。

とりあえず、遠慮なく飲むことにする。しかし速水君の姿が見当たらない。せめて礼を言わねば。……今立ち上がっては倒れること確実なのでまたソファに横になる。まだ、だるい。それはそうだ、たかが数時間寝たくらいで体調が戻るほど頑丈な身体ではない。

あと少しだけ、眠りたかった。

眠って、いたかった。今は。

「ごめんにゃ……」

意識すら朦朧としてきた。眠気が襲ってくる。ろれつが回らない。自然とハヤトの声になる。なぜ、なぜ。

ああ、もしかして。

私は意識を手放した。





「なぜ、アナタはそこまでするのですか…」

ぼんやりとした頭に、りんとした声が聞こえた。でも目を開ける気力はない。誰、と聞きたくて口を開くが、漏れるのは空気だけ。ゆっくりと手を持ち上げると、その手を取られた。ちゅ、と小さなリップ音と同時に、手の甲に柔らかいものが触れる。

「ミューズの魂をもつ春歌の方が力、強いハズなのに……ナゼ、ワタシは真白にひかれるのですか。……ワタシにはわかりません」

ふわり、と抱き上げられた感じ。無意識にその人物へと擦り寄る。膝裏と背中に体温を感じて、姫抱きですか恥ずかしい、と思うけど動く気力なんてない。

動けなかった。

「真白……。まだワタシはアナタにこの姿では会いにいけませんが、いつか。いつか……。不思議ですね。春歌も大切ですが、アナタのそばにいたいと思う。心地いい…」

それは私もだよ。誰か知らんけど、君…落ち着く。額に温かいものが触れた。

「まったく。あの人、真白を忘れていくなんて……。ワタシが来なければここで一晩過ごすところだったのですよ……」

ぶちぶちと文句を垂れる人。歩いているのか、その振動がとても私を落ち着かせる。しばらくして下ろされたのは柔らかい…ベッド?かな、ベッドの上。

「…ワタシはセシルです。……また、あの森で待っててもいいですか……?」

「…」

「眠ってしまいましたね。覚えてなくていいです。……また、アナタに触れさせてくださいね……」

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えーと。お久しぶりです(笑)
久しぶりの更新がこんなんでいいのでしょうか(笑)
13.01.20






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