哀しみと愛しさの中で 音也は銃を握りしめて俯いた。見下ろした足元には一つのしたい。それは少し前まで少女であり、吸血鬼であったもの。 音也は静かに膝をついた。小声で名前を呼んでみるも、全くと言っていいほど反応はない。 ああ、死んでしまったんだな、と朧げに思う。それはそうだ、この手で、頼まれて、殺したのだから。殺したとき、少女はどんな表情をしていただろう。きっと、笑っていた。嘲りとか、そんなんじゃなくて……とても綺麗な笑み。去り際にかすかに揺れ動いた唇。形だけの、ありがとうの文字。 声なんて、すでに出ていなかった。でも、狂う前に殺せてよかった。 音也が悲鳴を聞いて四季の部屋に駆けつけたのは、ほんの一時間ほど前。扉を蹴破るようにして開けると、そこでは自分で自分の首を絞めている四季。 あの時の様子がフラッシュバックした。 「……四季!?な、何してんだよ!」 「狂って、しまいそうだったから…………自制中、っ、ぐ……っはぁ、はぁ、はぁ」 気絶しかける寸前に、四季は手を離す。瞳に宿っていた紅が、すぅと消えた。 「あ、あは……頭の中の私がね、いうの。彼を殺せって、殺してぐちゃぐちゃにして、その血を大地に還せって、そして街に降りて思う存分血を吸って、さぁ、そこを支配してしまいましょうって。だから、首絞めて、止めてた」 「……」 「こんな惨めな吸血鬼、初めて見たかな?本当、惨めだよ。私、なんで生きてんだろ。死ねるなら、いつだって死んでやるのに」 ベッドから上半身を起こして、ふちに腰掛けると音也を呼んだ。音也は、机の前にある椅子を引っ張って、四季の斜め前に腰掛ける。手はすでにホルスターに触れていて、かすかな殺気に気づいた。 「四季、君さ……本当に血を吸うつもりはないの?」 「馬鹿にしてるの?私がそんなに意志の弱いやつだって!」 「違う!!………俺は、俺は君と…」 「……それ以上は、言わない方がいいよ。何を言うつもりかははっきりとはわからないけど、君のためにならない」 バッサリと切り捨てると、四季は静かに目を閉じた。 「私ね、聞こえるんだ。目を閉じてるとすでに動かない心臓、なのに全身をめぐる血の音、形ばかりの呼吸の音。それに混じって、君の、確かに生きてる人間の動き。とくんとくん、とこの距離からでも聞こえる君の心臓の音」 「……」 無言の音也に口元だけを歪ませて笑うと、胸の前で拳を握った。 「これが、死者と生者の違いだよ。この心臓は音なんて刻まない。この肺は酸素も二酸化炭素も取り入れない、脳なんて、一歩間違えれば血、血、血、それしか考えられなくなる。これが人ならざるものというもんなんだよ!!」 だんだんと激しくなる口調。最初の頃には見せることのなかった、感情の激しい部分。音也はそれを見て軽蔑するどころか、どこか親近感さえわいていた。 人間らしいことも、あるじゃないか。 けして本人の前では言えないであろう言葉を、ひっそりと考えて、笑う。目を開いた四季は、それを見て言葉を詰まらせた。 「な、ぜ…君は笑ってるの、ハンター君」 「さぁ、なんでだろう…。なんで君は人間のままでいてくれなかったんだろうね」 苦しそうな声を聞いて、四季はうつむく。 「君は……本当に柔軟な思考を持ってそうだね。私も、人間の時に君と会っていたかった。…………タイムリミットが、近づいてきたみたい」 それは音也も気づいていた。四季が目を瞑る瞬間、一瞬だけ見えた紅。話している間、ずっと手のひらに食い込んでいた鋭い爪。 今の瞳はいつもの四季の色だが、あれがいつ変わるのだろうか。一瞬後か、それとも一時間後か、それとも変わる前に…… 音也の手によって殺されるのか。 「さて、ハンター君。私はもっと君と話してみたいと思ってしまったけれど、時間はもう、無い。痛いのは嫌いだ。すぐに終わらせてくれ」 「即死を、ご希望の様で」 「ああそうだね。この世界を恨むことなく、私の不甲斐なさを悔やむことなく、ただ思考を君で染めたまま死んでしまいたいの」 「それは…喜んでいいのかなぁ?」 おちゃらけた口調で銃を引き抜いた音也は尋ねる。四季は何も言わずに肩をすくめただけだった。 「頭がいい?心臓がいい?首にしとく?」 「任せよう。君に全てを委ねたい」 「また、嬉しいことを言ってくれるんだね。君の顔、潰したくないなぁ」 銃が頭から、ゆっくりと心臓に落ちる。ハンターの持つ得物はすべて、吸血鬼を殺すためにつくられている。音也の銃も然り……。 つまり、どこを撃っても致命傷を与えられるわけだ。 「人間のまま、君にあって、普通に会話して、友達として生きてみたかった。出会うのが遅れてごめん」 君の兄についても、ごめん。 最後のは言葉にはならない。どうしても言うことはできなかった。言いたくは、なかったのだ。 時間は刻々と過ぎていく。発作は収まっているが、次は本当にいつ出てくるかわからない。それまでに殺して欲しいというのが四季の気持ちであったが、最後なもので、もう少し話していたいという気持ちもあった。 「吸血鬼も、悪い奴ばかりじゃないんだな」 「ふふ、私を見てそういうってことは、私は悪い吸血鬼じゃないってことだね」 「あたりまえ。むしろ、変な吸血鬼」 「血を吸わないなんて、でしょ?…別に、吸血鬼は吸血する相手を殺すほど血を吸ってるわけじゃない。それに、吸っただけじゃ吸血鬼なんかにならない」 「…え?」 「知らなかったの?……人間は勝手だ。偏見だけで吸血鬼を殺そうとする。こっちだって、生きるのに精一杯なのに。ねぇ、願わくば」 吸血鬼に、安らぎの場所を与えてやってください。 共存という未来を、夢見てはいけないでしょうか? 音也の意思に関係なく、四季が指を鳴らすと同時に引き金にかけた指がゆっくりと力を込めていく。嫌だ、と思っても操られているのか、音也の意思はそこに介入できなかった。 そして――――。 「あ り が と う」 「う、わぁぁあぁぁああぁああぁあぁぁぁぁあああああああぁぁあぁぁぁああぁああああああぁあぁあああ!!!!!!!」 本当に彼女は勝手だ。死にたいと言って、散々俺の気になること言って、惹かせて、最終的に殺させる。散々じゃないか。 どくどくと溢れていた血はすでに止まって、床にどす黒い模様を作っている。目に見える傷は胸のそれだけで、ほかは眠ってるように綺麗なもんだった。 本当、ちょっとつついて起こせば、夜のくせに「おはよう、ハンター君」だなんて言ってくる感じ。 いつの間に、俺は彼女に懐柔されてしまったんだろう。俺はすべての吸血鬼を憎んでいたはずだ。それなのに、彼女は何故か憎めなかった。 懐かしい、本当に懐かしい匂いがしたんだ。一度だけ頭を撫でられたときの、あの既視感。 不思議な、ヒトだった。 人間として出会っていたら、なんて考えてみた。それはないなと首を振った。だって、もし彼女が人だったらなんか違うと思ったから。 吸血鬼ってだけで、思いを告げることすらできない。自分の中のブレーキと、彼女の中のブレーキ。 私は人じゃない 俺は人なんだろ これは恋ではない。おそらく、恋慕すら超越したそんなもの。好きはラブでもライクでもない、好きそのもの。 あれ、何言ってんだろ。俺は安全装置をかけてから銃をホルスターにしまった。そして軽い黙祷を捧げる。彼女の躯は、そのままにしておこう。これは俺ごときが手を加えていいものではない。そのままの状態で、いてくれ。 「あのね、好きなんだよ、四季」 過去に縛られ続けた吸血鬼。 死に異常なまでに焦がれていた吸血鬼。 すべてを諦め切ったような目の吸血鬼。 そんな、汚れ切った四季でも、好きなんだよ。 「共存。……さて、果てしてできるのだろうか」 彼女の最後のお土産。仕方ないからその想い受け継いであげようじゃないか。 俺は不思議と、すっきりした顔で部屋を出ることができた。 ―――――――――――― もう一話だけ続きます。 ハッピーエンドにするつもりなので、sadエンドでいいという方はここでやめたほうがいいかと。最後まで読んで欲しいですがのぅ。 12.10.24 |