「いけないことなの?」


ぽつり、と呟いた。心が死ぬほど痛くなって、ぐっと絞られるような感じがして。あまりの苦しさに死んでしまいたいとまで思った。


「…苦しい。苦しい。忘れられない」


私は、忘れるという機能が欠けた脳を持っている。忘れるという機能がないということは、人間にとってとてつもない負担になる。私は朝起きた時間や、目の前を横切った鳥の模様すら忘れられない。そんなことはどうでもいい。…昔の失敗や、嫌な思い出すらも記憶して、私の脳から消えてくれない。

みんなはそれを異常だという。昔は、ちょっと記憶力のいい女の子ですんでいたのに。


「助けを求めたとしても、それすら聞いてもらえないんですね」


ね。と顔を上げると、そこにはひとりの男が立っていた。名を、愛音という。私と彼はこの世界から消え去りたくて一緒に消失しようとした。それでも、愛音はひどい。最後の最後で彼は私を裏切った。


『君は生きなよ』


そういって彼は。

かれは。


「……君が、なまえ?」


茫然自失状態で、知り合いに保護されていた私は、突然目の前に現れた男に肩を叩かれた。ゆるゆると顔を上げると、そこには見知ったあの顔がある。愛音だ。


「あい、ね」

「違う。ボクは美風藍。愛音をモデルに作られた、ソングロボだ」

「違う、貴方は愛音。愛音、愛音。そう、そんな声してた。そんな目してた。どこも違わない、私の記憶にそのままある愛音じゃないか」


この腕につかもうとすれば、すっと避けられる。どうして。愛音を見つめると愛音は笑った。その笑顔に違和感を覚える。違う、愛音はそんな風に笑わない。


「愛音、は、もっと優しく笑う。笑うとここにえくぼができるんだよ。そして、少しだけ、白い歯が見える。そう、愛音はもっと綺麗、美しい。愛音、愛音。どうして私をおいていったの?」

「君に、生きて欲しいからって言ってた。だから、これからはボクと生きよう」

「嫌だ。貴方は愛音じゃない。愛音の笑顔が欲しい。愛音の、困ったように笑った時の目尻が下がる瞬間が好き。ねえ…愛音を返してよ」

「お断りするね。ボクはボクで自由にやりたいんだ。ほら、いくよ」


愛音に扮した偽者は、私の腕を掴むと部屋を出た。ただ白いだけの部屋から一瞬にして色の付いた世界に切り替わる。


「嫌だ、出たくない」

「どうして?」

「私は、記憶を消せないんだよ。あの白い部屋だったら、私は何も見ないで済む。記録しないですむ。覚えなくても、いい。これ以上頭に何もつめたくない。愛音の思い出だけ残して、こんな脳、消えてしまえばいいのに……」

「…なまえ、ボクは機械だ」

「……知ってるよ」

「ボクも、忘れられない。回路を切ったらおしまいだし、記憶の容量にも限度がある。だけど、ボクも、忘れられないよ。だからほら、怖くない」


目に飛び込んでくる情報が痛い。あ、今そこのコードに異常が発生した。あれのつながる先は確かどっかの施設の電気配線コード。私が踏んづけちゃったからだね、ごめんごめん。

ほのかな明かりの電球。あれ、ホコリの位置からして、私が部屋に閉じこもってから変えてないんじゃない?ちかちかしてるよ。


「…ほら、もう入りだした。気持ちが悪いよ」

「ああもう、うるさいな。ぐだぐだ言わないで大人しくついてきて!大丈夫、ボクが何とかしてあげるから」

「…その言葉、忘れないからね」

「わかってるよ。ほら、おいで」


なんだかんだで強引に、愛音の偽者と暮らすようになりましたとさ。消えない記憶を引きずりながら、愛音を探し続けることになるだろう。偽者がいれば、愛音は帰らないと知っていながらも、私はそうしていないと壊れそうで。

ただただ、大切な人を探し求めた。


(あいね、どこ)
(会いたいよ)


(…ボクは、愛音じゃない)
(でも、あの人を大切に思うのは何故)






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