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音也:ブラックコーヒー


ごりごりと何かが砕かれる音がして、それからこぽこぽと何かが注がれ、それと同時に芳しい香りが部屋を充たした。

この香りを、俺は知っている。

毎朝、毎夕、毎晩と、同室の友人がいつも自室で読書をしながら黙々と飲んでいるもの。
それは芳醇な香りが鼻を擽り、確かに香りだけは美味しそうに思える。

そう、香りだけは、ね。



「あれ、飲まないの?」



不思議そうに此方を見る彼女――俺の同室の友人、一ノ瀬トキヤのパートナーである名字名前は小さく首を傾げて愛用のカップに口を付けた。

ひょんな事で一時的に名前とパートナーを組む事になって、レコーディング&テストを受ける事になった。
そのミーティング中、目の前には俺の分のカップがあり、中には茶褐色の液体が淡く湯気を立たせて、良い匂いを漂わせている。



「うーん、飲まないっていうか……ね?」



カップを見つめながら言葉を濁す俺に、名前は「一ノ瀬さんは無言で延々と飲むのになぁ」とまた一口。

こんな可愛い子が淹れてくれたのに無言って……まあ、トキヤらしいといえばトキヤらしいけど。



「その、なんて言うか」

「うん?」

「……苦手、なんだ。苦いの」

「…………」



出された物が苦手だ。
……という告白に、束の間の沈黙が訪れる。

目が点になってる彼女と、冷や汗だらだらな俺。

うわあああどうしようっ、凄く気まずい!



「ご、ごめん!」

「ん?」

「せっかく淹れてくれたのに、本っ当にごめん!!」



その何とも言えない間に居た堪れなくなり、突然立ち上がって謝る俺に、彼女は一瞬目を丸くして、それからクスクスと小さく笑った。



「大丈夫だよ。人それぞれ、得手不得手はあるものだから」



はじめに聞いておけば良かったね、ごめんね、と謝罪と共に椅子に座るように促され、おずおずと再び着席する。

やっぱ子供舌とか思われたかな。そうだよね、苦いの苦手とか俺、格好悪すぎだよね。
これから一緒にテスト受けるのに……なんか超ショック……。



「本当にごめん、名前……」

「もう、別に構わないのに」



未だ落ち込む俺に名前は困ったように微笑んで、それから「うーん、」と一つ唸った。



「じゃあ、そんなに謝るなら一口、飲んでほしいな」

「えっ」

「悪いと思うのなら、誠意を見せて?」



クスッとどこか艶めいた視線で、先程とは全く違う笑みを浮かべた名前は、確かにトキヤのパートナーなのだと実感した。



「う、うぅ」

「愛情込めて淹れたけど、やっぱり無理かなぁ……?」

「わ、わかった」

「流石、音くん。男だね」

「……なんか嵌められた気がする」

「ほらほら、男に二言はない! でしょ?」



楽しそうに煽る名前を後目に、カップの中身を見てゴクリ、と息を飲む。
自分でも驚く位に喉が鳴った気がして、でも今はそれどころじゃない。

この難関をクリアしなければミーティングにもなりそうにないし、何よりトキヤのパートナーである名前が淹れたもの。ああ見えてトキヤは独占欲が強いからね、そうそうお目にかかれるものじゃない……。

そう思いながら恐る恐る一口、口に含んで、そして直ぐ様飲み込んだ。

あの何とも言えない、苦々しさが嫌で仕方ないのに!
…と思っていたのに、口に広がった後味は、以前トキヤに貰った時のような苦いだけの風味ではなかった。



「あ、あれ?」

「どう? 苦かった?」

「ううん、あんまり……なんとなく、甘酸っぱい?」

「ふふ、ご名答。珈琲にも紅茶のように色々種類があってね、」



君が飲んだのはこれ、一ノ瀬さんが好きな豆はこっち!

そう言いながら楽しげに何十種類と産地や味の書かれたグラフのような物で説明してくる名前に、ああ、こんな一面もあるんだ、とコーヒーの苦味など忘れて微笑ましくなった。



「へぇ〜本当にたくさんあるんだね! でも俺、やっぱブラックコーヒーは苦手かな」



それでもやはり苦手な物は苦手、と申し訳なさもちょっぴり交えながら言えば、彼女は優しく微笑んで。



「今、砂糖とミルク持ってくるから。そしたらミーティング、始めよう?」

「うんっ」





芳ばしい香りを纏わせながら、さらさらとまた一つ、新しい音符が譜面を駆け抜ける。










(友には内緒の、ほろ苦く甘い時間をキミに!)





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