memo | ナノ




※名前は文
※尻切れとんぼ



「こちらは、痛み止め……、頭、腹、どちらにも効きますよ」

縁側に腰掛けた薬売りは、薬箱の一番下の棚を引き出して、整頓された薬をあれこれと取り出しては説明してゆく。小間物屋の女主人はほんのりと頬を染め、そのゆったりした声に聞き入っている。
暇を持て余した文は、手持ち無沙汰に一人遊びを始めた。綾取りである。山と朝日、腕を遠く伸ばして天の川、百合の花と器用に小さな手を動かしている。
薬売りが、「さて、お代はーー」と始めようとした時、女の叫ぶ声を聞く。文の傍の風車が、風も無いのにくるくると回った。文はその手を止めた。主人が訝しげに立ち上がりかけると、若い女が座敷の障子を開ける。

「奥さん、またお嬢さんが……」

途中で話し辛そうに止めた春の言葉を、主人が引き取った。

「お春、また美代の癇癪かい?器量は良いっていうのに……」
「ええと、小袖から手が招くというのです、白い、腕が」

薬売りと文が見交わした。風車はまだ回っている。



「さて、さて……」

薬売りとその隣の文、二人に相対するようにして小間物屋の女主人と娘美代。美代は薬売りに負けるとも劣らないあでやかな着物をまとっている。

「なんなの、あの手は!気味が悪いッたらありゃしないわ!」
「その手に……覚えは、御座いませんか?」
「ないわ、ただの腕よ、女の!それに小袖は江田の若旦那からの贈り物で、なにもーー」
「ほぉう……」

顔を上げた美代は、薬売りの視線を感じて言葉を止めた。
その時、春が来客を伝える。件の江田らしい。女主人が少し待って貰うよう春に指示するが、江田はすぐそこまで来ていたようで、立ち上がりかけた春にぶつかる。詫びた春は素早く身を引いて去ろうとするが、文が裾を捉えてここにいるよう頼んだ。春は困った顔をしたが、文の後ろの壁際に座った。
江田は薬売りと文を一瞥したがなにも言わず、女主人に一言断って入室し美代に話しかけた。

「お美代さん、どうしたのだこの方達は」
「江田様、ええと」
「ああ、それより、お美代さんの為に拵えさせたよ、流行りの染めのヤツだ」
「まあ、素敵……」

江田はたとう紙を開いて小袖を美代へと着せ掛ける。鮮やかな色に美代はうっとりと襟元に手をやる。文は背後で息の飲む音を聞いた。仕草の止まった美代に、何も気付いていない江田が声を掛ける。

「お美代さん?どうかなさったのかーー」
「ひっ、あ、いやぁぁぁ!」

袖口から、身八つ口から、幾本もの手が美代に絡みついている。素早く立ち上がった薬売りは札を美代の纏う小袖目掛けて貼り付ける。札は白地に黒い文様が浮かび上がらせたと思うと、そのまま目を見開いた赤色の図案へと変わる。美代に絡みついていた腕が震えた後、小袖は宙へと舞い上がる。薬売りの札から逃れ跳ねる小袖を、文は風車の柄で次の間の壁へと留めつけた。銀の柄はいんいんと鳴りながら錆びてゆく。薬売りが襖を閉じ札を重ねる。
腰を抜かした江田、震えの止まらない美代、隣室から後ずさる女主人、まさかと呟く春。

「形は……小袖ノ手」

薬売りの言葉に応えるよう、退魔の剣がキンと歯を打ち鳴らした。



「モノノ怪の形を為すのは、人の因果と縁。よって、皆々様の真と、理……、お聞かせ願いたく候」

江田はいかにも怪しげな薬売りを指し示し、女主人に言った。

「主人よ、この得体の知れない者は?こいつが幻術でもつかったのではないのですか?」

無礼な江田の様子に文は一言言おうと息を吸ったが、薬売りが文の袖元を引いて声をかけた。

「文、いけませんよ」
「でも、薬売りさん……」

文は続けようとしたが、薬売りの微笑んだ顔を見て言葉を止めた。

「こいつは、江田様。ご挨拶が遅れまして……。俺は只の薬売り、幻術なんざ使えませんぜ」
「それでは先ほどのは何だ?化け物を操っていたではないか」
「先ほどの?……ああ、札、ですよ」
「札?」
「ええ、札、札、札」

襖にびしりと貼られた札に江田が触れようとするのを、薬売りは止めた。

「江田様、触れるのは構わない、が、剥がすのはよしてくださいよ。お美代さんが縊り殺されてはかなわない」

薬売りの言葉に美代は身を震わせた。決壊したように次々と言葉を浴びせる。

「さっきの腕は……小袖は、なんなの!?お前は知っているの?」
「さあ……そいつは、あんたか、そちらの、お春さんが、よおくご存知じゃあないですかね」

突如名前の出た春は、江田と美代の鋭い視線を受けて竦む。

「お春?何かお言いなさいよ」

美代の怒気を含んだ声に、春は震えた声で言った。

「あの腕は……、お雪さんの……」

春の言葉に眠りを覚ますよう、襖に一面の札が目を開いた。文は薬箱から天秤を取り出すと、部屋の四方と春、江田、春の前にそれぞれ置く。それを見咎めた江田がまた不満げに言う。

「そこの娘は何者だ?それにその、面妖な道具は……?」
「天秤で御座います」

自身の誰何へは応えず、文は只、美しい細工のやじろべえの役割を言った。再び何か言おうとした江田を遮るよう、薬売りはゆったりとした調子で話す。

「それで、そのお雪、とは……?」
「うちの女中だよ……」
「でも、あの腕があの女だなんて決まってないわ!」

半ば狂乱した美代が叫んだ。でも、と春も似合わない大声を出す。

「でも、あの牡丹の形のあざは、お雪さんの腕です!お嬢さんがあんなにお雪さんのこと酷くしたから、きっと……!」
「ほぉ、お雪さん……ねえ」

薬売りが声をもらす。それに促されるよう、春はぽつりぽつりと始める。

「お雪さんは……操綿問屋のお嬢さんでした。この店のお得意様で、紅や白粉なんかをよく買ってらっしゃったんです。それが、この前の大火で、店も、何もかも、なくしてしまった」

美代が腹立たしげに畳に爪を立てた。江田は落ち着き無く視線を彷徨わせる。

「お雪さんは、奥さんに引き取られて、それで私と一緒に働いていました」
「お雪は……」

今まで黙りだった女主人は口を開いた。

「お雪は、良い子だったよ……。今まで可愛がられて育ってきただろうに、文句の一つも言わずに働いて。お美代の癇癪も、少しはましになったさ」

美代の前の天秤がしゃんと傾いた。

「おや、おや……。それだけじゃあ、ありませんよね」

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