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 偉大なる航路は気まぐれだ。今夜はひどい嵐になるらしく、特別な仕事の無い者はデッキに出ないよう告げられていた。

 夕食を済ませたところで、調理を担当している船員から声をかけられた。船長は大概自室で食べるか、気が向けば食堂で食事をする。だが今日は夕食を持ってこいとの指示もなければ、食堂に現れることもなかった。昼食もとっていないようだ。名前が夕食を持っていってくれないか。
「頼めるのはお前しかいねぇんだ、雨の日の船長は……」
 船員はそこで言葉を詰まらせた。雨の日の船長は一際近寄りがたい、らしい。無言で与えられる鋭い一瞥で震え上がってしまうという。あんまりな言われように名前は笑ってしまった。湿気が彼のせっかくの砂を固めてしまうから、雨が好きではないだけだ。
 どんなフォローも効果なかったらしく、船員は首を振りつつ名前にディッシュカバーで覆われたトレーを押しつけた。船員の頑なな態度に名前は諦めてトレーを受け取った。
「頼んだぞ、名前」
「わかったって。ちゃんと持ってく」
 船員は名前に念押しのようにチョコレートを渡した。ちょっとした甘い賄賂だ。

 船長室はデッキからではないと出入りできない。この雨では誰も立ち寄ることはなかっただろう。名前は料理が冷めないように素早くデッキを移動し、船長室をノックした。返事がくる前にドアをあけ、素早く船室内に潜り込んだ。
「はー、寒かった!」
 名前の船長、クロコダイルは入り口を背にしてデスクへ向かっていた。名前はテーブルへトレーを置き、風雨にさらされた二の腕を摩りながら、海図を読んでいたらしいクロコダイルに近寄る。無反応だ。
「クロコダイル、夕食持ってきたよ」
「あァ」
 これは聞いてない時の返事だ。そう判断した名前はクロコダイルを揺すろうかと思ったが、肩に手をかける前にクロコダイルは海図を巻いた。どうやら冷める前に食べてくれるらしい。ミッションクリアだ。

 酒の用意をし、銀のディッシュカバーを取ってやる。トレイにはパンとバター、スープ、チャツネを添えた魚料理、ドライフィグ、チーズがきれいに並べられていた。テーブルの角を挟み、名前も席につく。一人の食卓が味気ないことは知っていた。
 クロコダイルがナイフを取ったのを見て、名前も目の前のグラスに手をつける。夕食に出される一杯のエールは海賊の特権だが、船長になると勝手に好きなものを飲むようになる。嬉々として普段飲まない白のワインに手を伸ばした名前を、クロコダイルは一瞥する。
「だめ?」
「勝手に飲め」
 クロコダイルは鼻で笑って名前を許した。

 食事を済ませたクロコダイルは長椅子にうつり、葉巻を燻らせている。重たい煙が部屋に漂う。名前は口の中でチョコレートを転がしながら、食後のコーヒーが足りないことに気づいた。
「おれ、コーヒーとってくる」
「……いらねェ」
「はーい」
 名前もどうしても飲みたいわけではなかった。それに、この雨の中またデッキへと出るのも億劫だった。
 そのまま二人で取り止めのないことを話した。夕食に出た魚料理はこの荒波でデッキに叩きつけられた魚達だということ、先日補給した物資について、次の島について。クロコダイルは多弁ではないが無口でもない。

 葉巻は吸口を残すのみで、随分と短くなった。アッシュトレイへ葉巻を落とし、クロコダイルはベストを脱いでベルトを外した。名前は寝るのかと思い、一声かけて部屋を出ようとする。
「寝る?おれ戻るね」
 ドアに手をかけた名前、クロコダイルが呼ぶ。
「おい、名前」
 名前が振り返ると、クロコダイルは顎を少し上げた。こちらに来いという意味だ。口に出されずともそろそろ分かるようになってきた。
 数歩近寄ってクロコダイルを見上げていると、腰に腕を回され、そのまま放り投げられる。ベッドの上は体が弾み、受け身は無意味となった。
呆気にとられた名前を放って、クロコダイルもベッドに身を横たえる。もぞもぞと抜け出そうとした名前のからだを捕らえ、クロコダイルはベッドに引き摺り込んだ。
「寒ィんだよ、ここで寝ろ」
「えぇ……」
 たしかに嵐に襲われているデッキを通るのは気が進まないが。名前は腹にまわされたクロコダイルの腕に手を添えた。クロコダイルの腕の中が居心地悪いわけではない。同じベッドで寝るのが初めてというわけでもなかった。しばらく考えていたが、クロコダイルがそうと決めたならば、名前にはどうする余地もない。大人しく横暴な船長を受け入れた。

「おやすみ、明日は晴れるらしいよ」
「あァ……」

 クロコダイルの体温は低いが、手のひらはほのかに暖かかった。名前は目を閉じた。
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