etc | ナノ


※シリーズ予定から純黒パートのみ。




 ゴールデンウィーク。テーマパークもバーベキューも放棄して、名前はカーテンを閉め切った自室で睡眠に浸っている。昨晩は遅くまで組織が関わってると思われる過去の事件を調べていた。ベッドの近くには新聞記事のコピーや電源の落ちたタブレットが転がっている。呼吸音と時折の寝返りの音だけの部屋の静寂を、電子音が引き裂いた。
 幼い姿の新一──コナンからの連絡だ。東都水族館で会った女性が黒づくめの組織らしき人物の名前を言い残した。その女性が組織へ送ったメールを博士が復元しているが、来るなら来い。簡潔な言葉を残し、名前が返事をする前に電話は切れた。組織にいると思われる兄を気にしての連絡だろう。名前は一も二も無く、最低限の身嗜みを整えて部屋から飛び出した。



 阿笠博士の研究所の前に愛車で轍を残して停める。焦りの隠せない指先で名前がチャイムを数度鳴らすと、早急な名前に少し戸惑ったような顔をして、灰原が扉を開けた。

「あら、名前くん。」
「あぁ、ごめん哀ちゃん。チャイム連打しちゃったかな。」
「別に構わないわ。工藤くんから聞いてるわ。中へ入って。」
「ありがとう。」

 灰原の冷静な様子に、名前も落ち着きを取り戻す。実年齢が同じ歳だとしても、現在の灰原は幼い子供の姿だ。焦っていたことを指摘されたようで、名前は少し気恥ずかしく頭を掻いた。一度深呼吸をしてから、阿笠の研究室へと立ち入る。
 薄暗い室内では阿笠がスクリーンに向かって何かをタイピングしている。名前に気づいた博士が一瞬振り返り、またすぐスクリーンに顔を戻す。

「おお、名前君か。まだ解析は終わっとらんぞぃ」
「そっか、ありがとう。終わったら声かけてくれる?」

 忙しげな博士を残し、居住区へと戻る。勝手知ったるキッチンを拝借して湯を沸かす。どうも平静を失っている。キッチンのスツールに座り、逸る心をどうにかしようと待っているうち、コナンがやってきたようだ。名前同様に焦りを抱いているコナンに少し安堵し、再び阿笠の研究室へと立ち入った。

「おう、新一。解析が終わったぞ。」
「本当か、博士!」
「見せて!」

 画面に表示されていた文面に目を通す。途中送信してしまったらしく、メールは途中で途切れていた。NOCはスタウト、アクアビット、リースリング。あなたが気にしていたバーボンとキールはーー。文面が途絶えている。バーボン、安室透。キール、水無玲奈。二人に危機が迫っていると判断したコナンは部屋から立ち去ったが、名前はもう一度メールに目を通した。
 コナンの様子から見ると、兄と思しき名前は無いらしい。兄はNOCリストには載っていなかったのだろう。警視庁が掴んでいなかったのか、兄はスパイでもなんでもなくただ本当に組織に所属しているのかーー。
 名前の考えがそこまで至った時、コナンの声に意識を戻された。

「名前、悪ぃけどバイク出してくれ!」
「ああ、今行く!」

 ここで立ち止まっていても仕方がないと、博士を置いて名前はコナンの後を追った。



 特徴的なエンジンを聞き、名前は小回りのきくオートバイを加速させて後を追う。背後から迫る名前とコナンに気付いたのか、すぐにカブリオレは減速して停車した。後部から飛び降りたコナンに続き、名前もバイクを停車させヘルメットを外して車内に滑り込んだ。
 ブラックは赤井と通信している。名前は通信機から漏れる赤井の声とブラックのやり取りを聞き、二人のNOCが危機を脱したことを知った。先程オートバイの後部で博士に指示しメールの送信先の解析を行い、バーボンとキールはNOCではないと補完した文面のメールを送ったのだ。交流のある安室と水無の命が助かったこともだが、あの赤井が動いているという事実は理屈の関係ない安心感をもたらす。目を覚ましてからずっと張り詰めている名前は、息を吐いて窮屈な後部座席で身を落ち着けた。

「敵は工作員の奪還を優先し、東都水族館に向かったそうだ。」
「えっ?」

 コナンと名前は声を重ねた。オートバイでの移動中、東都水族館での出会いや、公安、FBIの動きについてはコナンから情報を得ていた。公安が身柄を引き受け、警察病院にいるはずだ。コナンが疑問を口にすると、ブラックが答えた。

「公安によって水族館に連れ出されたそうだ」
「では、我々も」
「そちらはすでに赤井君が向かっている。我々は倉庫街に残された諜報員の救出と、NOCリストの捜索にあたる。コナン君、名前君、君達は降りるんだ。ここから先は何が起こるか分からんからな」
「大丈夫よ。FBIは必ず解決して見せる」

 スターリンの誠実な言葉に、名前は曖昧な笑みを返した。礼を言ってドアを開け下車する。コナンもそれに続いた。

「あ、そういえば、赤井さんってあの工作員の事どこまで知ってたの?」
「詳しいことは知らんらしい。唯一分かっていることは、ラムの腹心で、コードネームはキュラソーというそうだ。」
「ありがとう。気をつけて。」

 名前はラムの腹心という言葉を反芻しながら、オートバイを端に寄せる。ジン、ベルモット、バーボン、キール……。名前の兄は今、あの組織の中のどこにいるのだろうか。
 クラクションの音に反応し、名前は振り向いた。コナンはポケットから出したプラスチックカードを開き、何事かを考えている。

「しん、コナン、お前はどうする?赤井さんが向かっているし大丈夫だと思うんだけど、そのキュラソーにも会いたいし行く。まぁ、お前が行かないって言っても俺は行くつもりだけど」
「ん、あぁ……」

 新一と呼びかけそうになった名前を咎めることもせず、コナンは生返事をした。推理を進めている時の癖だ。コナンの小さな頭の中で灰色の脳細胞が音を立てて駆動しているだろう。

「……まずい、ノックリストが組織の手に……!」
「ん、何って?あ、おい置いてくなよ!」
「お前も行くだろ!観覧車だ、先に行ってるぞ!」

 コナンはいつものボードで滑走を始めた。あーくっそぉ、あれは反則だと名前はぼやき、ヘルメットを被ってエンジンを掛ける。小回りに長けて加速力のあるこのオートバイでも、歩道も車道も選ばないあのボードには勝てない。



 東都水族館はそう遠いわけではない。ゴールデンウィークということもあって道路はやや混んでいるが、土地勘のある場所ではそう大したマイナスにはならない。警察車両が目立つ駐車場にオートバイを止め、観覧車へと向かう。コナンが観覧車へ行けと言っていたのだから、中まで入っておくべきだろう。客が並ぶ通路からさも当然のような顔をしてスタッフオンリーのバックヤードへと入り、壁に引っかかっていた小型の懐中電灯を懐にしまう。太陽は海に差し掛かり、これからは暗くなるばかりだ。夜目が効かない名前が持っていれば、役に立つことがあるだろう。普段は見れないアトラクションの裏側を見渡しながら、名前は観覧車の結合部分の階段へ向かった。

「コナンー!着いたぞ!」

 名前は点検用の内部空間にスタッフはいないだろうとタカをくくって叫んだ。思いの外広い空間に声が残響する。

「おう、爆弾が車軸とホイールの間に着いてる、取れるか!」
「おーけー!頑張る!」

 車軸とホイールの間の爆弾。コナンは簡単に言ってくれるが、名前の視力では見通すことができない。とりあえず行けばなんとかなるだろうと持ち前の楽天主義で考えてから、ホイールに掛かる梯子を渡り始めた。車軸へと差し掛かる前に、名前は遊園地には不似合いな音を聞いた。金属を蹴る音と重い打撲音。どうやら他に誰かいるらしい。
 梯子を登り切り、幅の広い接合部分に出る。この上階に何者かがいるようだ。何度も派手な音が響く。立ち止まった名前が上空を仰ぎ見る前に、腰に衝撃が走った。そのまま吹き飛ばされ、一人分の重さを乗せたまま床面が体を滑る。

「うっ、いって……」
「名前くん」

 耳に飛び込んだ赤井の声に、名前は後方を振り返りつつ声を上げた。その拍子に頭を何かにぶつける。

「赤井さんっ!」
「名前くん?」
「え、安室さん!?え?お、おもい!」

 頭をぶつけたのは公安警察の安室の体だった。観覧車の上方から転げ落ちて、名前の体を下敷きにしていたのだ。安室は拍子抜けした顔で謝りながら名前の上から退いた。名前も痛みに呻きながら体を起こす。目の前に立っていたのは顔に傷があるが、正真正銘の赤井だ。安室も怪我を負っている。名前は詳しくは無いが、この二人には因縁があるらしい。剣呑な様子の安室に名前は声を掛けようとするが、それより先にコナンの声が響く。

「赤井さん、そこにいるんでしょう!奴ら、キュラソーの奪還に失敗したら観覧車ごと吹き飛ばすつもりだ!そこにいるなら手を貸して!奴らが仕掛けてくる前に爆弾を解除しなきゃ!」
「本当か、コナンくん!」
「安室さん、なんでここに?」
「赤井さんもいる!俺も!」

 上手いこと状況を説明して赤井に協力を求めるコナンに、安室が答える。名前は赤井と自身の所在を叫びながらも、事前に大量の爆弾を仕掛けていた組織の用意周到さに舌を巻いた。
 コナンの言葉に頷き、赤井は座り込んだままの名前の腕を取った。名前は引っ張り上げられた勢いのまま立ち上がる。

「大丈夫か、彼を投げ飛ばしたのは俺だ。すまない」
「大丈夫です!赤井さんこそ大丈夫ですか?」

 赤井の投げ飛ばしたという表現に少し笑いながら名前は答えた。赤井の口元の傷に手を伸ばしかけたが、慌てて引っ込める。デニムとブルゾンポケットをぱたぱたと漁るが、ティッシュもハンカチも無い。名前は困った様子で眉を垂らしながら赤井を見上げた。

「あの、ごめんなさい。拭くもの持ってなかったです」
「気にしなくていいさ。……君に避難しろと言ったところで聞かないだろう。十分気をつけてくれ」

 ぐっと拳で口元を拭った赤井は、少しかがんで視線を合わせてから名前に声をかけた。名前は口元が微笑んでしまうのを堪え、黙って頷いた。
 コナンはいつのにか消え、赤井は組織の動きを読んで空で迎撃するため観覧車の上部へと向かう。安室は消火栓に仕掛けられた起爆装置の解体に取り掛かっていた。

「俺は……、車軸のC4を回収してきます。いや、安室さんのこと信じてないわけじゃないけど何かの衝撃で爆発したら困るので!」

 赤井を相手にしていた時の安室の剣呑な様子に、名前は少したじろいでいた。窺うような名前の言い訳じみた言葉に、安室は普段の様子で返す。

「気にしないで。それより、さっきは悪かったね、大丈夫でした?」
「大丈夫です、鍛えてるので!安室さんには敵わないけど!」

 普段アポロで見る安室の表情に、名前は安心しながら返した。刺々しさは消え、いつもの頼れる安室だ。この場を任せ、名前はC4の回収を始めるべく歩き出した。



 赤井は後方から聞こえた足音に振り向いた。グリーンのホークアイが名前を射抜く。名前は回転する観覧車の車軸に立っていた。普段は見ることができない湾岸部の夜景も、名前にとって今はただの書き割りじみた背景だ。小脇に回収したC4を抱え直し、叫んだ。髪が風でなぶられるが、赤井の声はきちんと名前の耳は届いた。

「赤井さんっ、音がする!ヘリみたいな!」
「君はそんなとこにいるのか!」
「はい!」

 赤井は名前が不安定な場所に立っていることを非難したつもりだが、名前からはなぜか勢いのある元気な返事が返ってくる。その純粋さを好んではいるが、今は少し歯がゆい。赤井は浅いため息をつき、名前の指摘した方向を眺めた。並外れた名前の聴覚に続いて赤井の耳もローター音が捉えるが、機影は見えない。

「奴らは一体何を始めるつもりだ?」

 赤井の呟きを切っ掛けにしたように、水族館を残して島全体が停電した。名前の耳が赤井の舌打ちを捉える。ローター音が近づいてくる。
 ……停電。階下の安室は起爆装置の解体を行なっている。組織の連中も動き出した。キールの奪還に失敗したら奴らは容赦なくC4を起動させるだろう。名前は事務所から拝借した非常用の懐中電灯を持ち、階段の手すりから身を乗り出した。安室がいると思われるあたりが淡く光っている。スマートフォンの薄明かりの中作業しているのだろう。名前は破損を防ぐため懐中電灯を羽織っていたブルゾンに包み、下へと投げ落とした。気づいたらしい安室が駆け寄った音を遮るように、頭上から振動が響く。間をおかずにゴンドラが車軸を破壊しながら落ちて行った。組織の連中が乗り付けたのはただのヘリコプターではないらしいと、手すりを掴んで衝撃に耐えながら名前は引きつった笑いを浮かべる。 一度離れたローター再び音が戻ってくる。立ち上がった名前の被っていたキャップを風がさらい、煽られて二、三歩後退した。見上げた夜空の先で闇をフラッシュが裂く。

「名前君、下がれ!」

 鋭い赤井の声に、考える間も無く従い車軸の影に入る。先程まで名前が立っていた場所を、金属音と火花が線状に弾けて通り過ぎて行く。 名前は悪態を吐き、崩れる足場から下階に飛び移った。そのままホイール部まで走り込み、滑り込んで隠れる。耳をつんざく発砲音は止まない。動く影を見境なく撃っているようだ。このままではまずい。誰も動けず消耗戦、そのまま観覧車が崩れて爆発。そんなエンディングは誰も望んでいない。名前は立ち上がり、目の前の通路を睨んだ。直線50メートルと少し。走るのは得意だ。結構速い方だと自負しているが、流石にIDWSと追いかけっこはしたことがない。緊張を振り払うように息を吐いてから地面を駆け出そうとしたとき、銃撃の音が一箇所に偏ってることに気づいた。誰かが、囮になっている。
 観覧車を横断した光が人工池まで伸び、そこで発砲音が止まった。こちらから仕掛けるなら今だ。名前は観覧車内部から外部へと続く崩れた階段を駆け上がった。



「名前!」
「コナン!良かった!」

 外れてぶら下がった手すりを梯子のように登っていると、上から声を掛けられる。コナンだ。眼鏡をどこかに落としたようだが、目立って大きな傷は無いようで安心した。

「赤井さんと安室さんは見たか?」
「赤井さんとさっきまで上にいたけど、この銃撃でバラバラになった。安室さんはいた?」
「直接撃ってきたってことは起爆装置は解除されてると思うけど……」

 階段から階段へ飛び移るコナンを手伝いながら開けた場所へと向かう。斜め上から独特の金属音が聞こえる。赤井の持つスナイパーライフルだろう。

「赤井さんっ!」
「ボウヤ、名前君。怪我はないか。隠れるんだ、まだローター音が聞こえる」
「ううん、こっからあいつらをどうやって……」
「そのライフルは飾りですか!」

 安室の怒気を含んだ声が響く。見上げた先にライフルバッグを背負った安室が立っていた。

「反撃の方法は無いのか、FBI!」
「あるにはあるが、暗視スコープがおしゃかになってしまって、あるのは通常のスコープのみ。なんとか奴の姿勢を崩し、ローター周辺を照らすことができれば……」
「照らすことできるけど……」

 花火を仕込んであるベルトのバックルにコナンが触れると同時に、再び耳障りなローター音が近づいてくる。

「また来る、近づいてきた!」
「まさか奴ら、観覧車ごと崩壊させるつもりか……」
「赤井さんっ、大体の形が分かればいいんですよね!」

 再び閃光が瞬く。瞬間的にでも光ればきっちりコナンが照らしてくれるだろう。そうすれば、赤井が必ず落とす。名前は肩に掛けていたC4を投石の要領で思い切り投げた。宙に浮いた爆弾は弾丸に貫かれ、光を放って炸裂する。これでも足りないと名前は唇を噛んだ。

「それじゃあラチが明かない、下がっていろ名前くん!見逃すなよぉ!」

 安室が勢いをつけ、何かを放る。赤井のライフルバッグだ。落下していくバッグが内側から膨らみ、眩い光を放って炸裂する。その機を逃さずコナンがボールを蹴り出し、球状に広かった光にヘリの全貌が露わになる。そこいらのヘリではない、機能性に特化した重厚な印象を与える軍用機だ。数秒の間に赤井の銀弾が黒の組織を貫く。



 ヘリは大きく傾くが、発砲を止めない。地面が大きく揺れ、崩れ出す。車軸に仕掛けていたC4が爆発し、観覧車のホイール部が外れたのだ。名前は滑り落ちてゆくコナンと一緒に階段を転がった。鈍い痛みが足首に響く。

「つ、う……」
「名前、大丈夫か!」
「だ、大丈夫!」

 コナンは伸縮自在の高強度ベルトをホイールへ引っ掛けた。中央に固定されている接合部と転がり続ける観覧車を繋げ、これ以上の車輪の進行を防ぐのだろう。普段ならコナンを抱えて走ることができるが、どうしても痛む左足を庇ってしまう。いつものスピードは出ず、コナンと併走した。安室が二人に追いつく。

「名前くん、その足は……?」
「大丈夫!」
「コナン君、止められるのか!」
「分からない、でもやらないと!」

 走って走ってたどり着いた先は観覧車の頂点だ。ここから転がり出した反対のゴンドラに辿り着けるか。名前は正念場だと気合を入れ、コナンを抱えた。

「いくぞ、集中しろ、思いっきり踏み込め!」

 安室の腕を踏み台にするが、地面の傾斜で加速した観覧車まではそう近くはない。コナンと名前の重量で加速するが、ゴンドラまではぎりぎり届かない。名前は渾身の力を込め、コナンを押し出した。コナンは転がりつつもホイールへと着地する。ベルトから手を離した名前を支えるものは何もない。スピードと距離を目算し、手のひら一つ分届かないことを察して名前は目を閉じた。不思議と静かに感じる夜の空に身を投げ出しながら、一つの足音を捉える。

「赤井、さんっ!」
「よくやった。が、叱らなければだめだな」
「……ごめんなさい。」

 名残惜しく伸ばした名前の手を赤井がつかんでいた。限界まで引き伸ばされた腕と赤井の指先が食い込む手首に痛みを感じるが、それよりも自分の鼓動の煩さに気を取られる。ぐっと引き上げられ、ゴンドラの上へ降ろされた。今日は赤井さんに引っ張り上げられてばっかりだなと名前は笑う。緊張が解け、全身を痛みが襲う。立ち上がろうと太ももに力を入れるが、足首の痛みに負けてそのままうずくまる。
 痛みに呻いたコナンはそれでも立ち上がり、駆け出した。お前が走れるなら俺はいいよと、名前は心の中で呟いて視線の先を示した。

「赤井さん、コナン結構無茶するタイプまでなんで、行ってやってください」
「君がそれを言うのか?……観覧車は必ず止める。君はここから動くなよ」

 はは、と笑って返事をしない名前に赤井は眉をひそめてから、コナンの後を追った。



 観覧車はゆっくりと回転していく。身体中の痛みと打ち鳴らされる鼓動を抑えながら、名前は仰向けになった。ちょうど天辺にきたらしい、目の前は満点の星を浮かべる夜空が目に入った。どくどくと弾む脈が落ち着きを取り戻していくのを感じる。大きな振動のあと、揺れていたゴンドラが止まった。コナンが無事、決定的な崩壊を留めたようだ。よかった。名前は安堵のため息を吐き、軋む全身に笑った。
 このまま目を閉じたら二度と立てなさそうだ。名前は気合を入れ直して体を持ち上げた。右手と左手を庇いながら、梯子をゆっくりと降る。
 しまった。そう思ったとこには遅かった。つるりと滑った右足が外れ、体重のかかった左足と右手首の痛みに手を離してしまう。そのまま落ちかけた名前を、赤井が見事に捕らえた。猫の子のように抱えられ、名前は抵抗も忘れて赤井を見上げた。下を見ると、コナンも支えようと腕を伸ばしていたらしい。現実逃避しながら、新一ならともかくその姿じゃ無理があるだろうと言いかけて口をつぐむ。

「無茶するなよコナン」
「おめーが言うなよ」

 コナンの間髪入れない応答に、名前は笑い声をあげた。赤井に支えられながら、三人は観覧車から離脱していく。公安が調査を始めたようだが、呼び止められることはしなかった。安室が手を回したのかもしれない。

「コナン、毛利のおっちゃんたち来てるみたいだから一緒に帰ったら?」
「ん、ああ。おめーは?」
「いや、俺はバイクで来たから!」

 コナンが呆れたように大きなため息を吐き、赤井と視線を合わせる。赤井に一度頷いてから、コナンは広い駐車場を横切っていった。



 名前は周囲の様子を見渡す。救護室はまずいかな。避難誘導がうまくいって怪我人はほとんどいないみたいだし、怪我の理由を聞かれても俺嘘つくの苦手で顔に出るって言われるしなぁ。取り留めのないことを考えていたら、赤井に声をかけられる。

「その腕と足で運転するつもりなのか?」
「赤井さん。俺運転得意ですよ」
「こっちへ来なさい」

 少し離れていた距離を、赤井にぐっと腕を掴まれて詰められる。そのまま腕を軽く捻りあげられ、名前は痛みに声を漏らした。

「いっ」
「折れてはいないな」
「別にわざと黙ってたわけじゃなくてアドレナリンどぱどぱでてたから痛くなかっただけで……」

 名前の必死の弁解に、赤井は剣呑な視線を投げかける。その視線を受け止めきれず、名前の声は徐々に萎み目線を泳がせた。数度目かの赤井の小さなため息を聞き取り、名前は心が沈むのを感じる。役に立ちたいと思っていた。こんな表情をさせたいわけではなかった。
 名前は黙ったまま赤井に手を引かれ、真っ赤なマスタングの助手席に座らされた。車外に出していた足首を赤井に掴み上げられた名前は暴れかけたが、グローブボックスから冷却スプレーを取り出したのを見て大人しくなる。
 スプレーを受け取ろうとした名前の手が無視され、赤井が名前の前に膝をつく段になって、やっと気づいた。どうやら赤井が手当しようとしているらしい。

「あの、赤井さん、自分でやれます!」
「君は少し黙っていろ」

 有無を言わせない赤井の低い声に、名前はぴしゃりと打たれた子犬のように身を縮ませた。赤井さん、怒ってる?でも俺悪くない……。名前はこれ以上赤井に叱られないように心の中で反論を返すが、スプレーから噴射された液の冷たさに身をすくめた。赤井は手の中で震えた足に、名前に勘付かれないよう小さく笑う。
 無言のうちに的確な手当てを施され、流されるまま自動車に乗せられた。普通だったら縁のないしっとりしたレザーの座席に落ち着かない。俺ももう少ししたら免許を……と思いながらブラックと思しき相手に報告する赤井の横顔を眺めていた。

 夜が明ければ赤井はいなくなるだろう。どこにいるんですかと聞ければ楽になれると知っていたが、聞けなかった。ずっとこの時間が続けばいいのに。疲弊した体に眠気が染み込んで、落ちて行く瞼を止めることはできない。起きても赤井さんがいたらいいのに。赤井さんのせいで、俺はわがままになっているかもしれない。そんなことを思いながら、名前は眠りについた。
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