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なんか結構前に書いたやつ


携帯は6回目のコール音を響かせる。震える指先、纏まらない吐息。今更に止めたいと切情が込み上げてくるが、願望惜しくもコール音は今の7回目で切れてしまった。

「Hello.」

懐かしい男の声。耳朶を打つ声音は、過去の記憶を擽る。

「Who are you?」

流暢な英語が怪訝な雰囲気に曇る。
大変だ。悪戯かと切られてしまう。けれど声が喉奥に絡まって、上手く酸素を取り入れられない。大変だ。あんなに最初の挨拶を練習したのに。肝心な時に働かないのだ、脳が。


「やあ、正臣くん。久しぶりだねえ。2年と半年ぶりかな?」
「……ッ、や」

大変だ。これは大変だ。ブランクを思わせない日本語で電話越しに鼓膜を叩くその人が、余りに簡単に自分の名前を呼ぶから、前のように突っ張りながらも彼に縋っていいのだと勘違いしそうになる。
2年半年ぶりの臨也が、どうにも可笑しそうに声を震わせた。

「何をそんなに驚いているんだい? 君からかけてきた癖に」
「や、その……すみま、せん。本当、その、お久しぶりです」
「ああ、久しぶり。俺がニューヨークに来てから、そっちは、正臣くんの方は大丈夫だったかな?」

大丈夫、とはどういう意味か。情勢的な問題か、生活的な問題か。それとも身体的な、もっと現実味を帯びた生々しい問題だろうか。
2年半年前、丁度俺の誕生日の日に仕事の都合でニューヨークに移住するということを聞かされた。実際の真偽は定かでは無いし、着いて行く気も、連れて行ってくれるという希望も無かった。セフレ程度の絆では、メロドラマのような広大な恋愛劇を演じる事など出来やしなかったのだ。今の今まで、臨也のことなど視界から消え去っていた。今回は、ただ少し過去に入り浸っていたら彼の事が浮かんだだけだ。

「ええ、別に何も。折原さんが居ても居なくても、何も変わってません。逆に街が平和になったと思いますよ。自販機が壊れる回数も減りましたし」
「はは、酷いなあ。じゃあ用件は何かな?正臣くんは、今度は俺に何を求める気?」

少しだけ歪んだ声色に、嗚呼、彼は少し苛ついているんだなあと携帯を持ち直す。対面している訳でも無いのに、彼に教わった作り笑みを浮かべてみれば、遠くから偏頭痛の足音が聞こえてきた。

「別に、何も。ただ、毎週楽しみにしてるドラマまで時間があるんで、折原さんに電話してみただけです」
「ふうん、あっそう。寂しくなって、『臨也さん、帰ってきて』って泣き縋られるのかと思った」
「別に、折原さんにそんなこと言わないです」
「君は『別に』『別に』ばっかだねえ。俺を苛々させるのが上手くなった」

自然と乾いた笑い声を発していた。別に、皮肉を言う為に電話したんじゃ無いんですよ、と。愛らしく『臨也さん、寂しいです』なんて縋ることが出来れば言えたらどんなに良いか。

「……そっち、どうなの」
「どうなのって」
「何でも良いから、教えて」
「何でもって……あ、この間始まったドラマが、静雄さんの弟さん主演で、すごい人気です。あと、帝人の料理の腕が上がりました」
「はあ?」
「波江さん、ワインに詳しいらしいです。あと、セルティさんが意外とドジっ娘だったことが分かりました。新羅さんはブレザーよりセーラー服派だって事も」
「ちょっと待って正臣くん。何か違う」
「何でも良いって言ったのは折原さんじゃないですか」

数秒の沈黙の後、これでもかと深く吐き出された溜息に内心優越感を覚える。
軽やかにキーボードを叩く音が止まり、少しだけ彼の声が近く思えた。

「正臣くんはどうなの。正臣くんは、今、何を考えて、何に夢中で、何を思って、誰の事が、」
「誰の事が?」
「誰の事が、その」

問い掛けに鈍る返答。機械的な切り返しは最早健在では無いらしい。もしかして、この2年半で折原臨也は呆けてしまったのかもしれない。嗚呼、意気地無し。心中でそう毒吐けば、苦し紛れにまたタイピングが再開されるのが聞こえてきた。

「少し、髪が伸びました。身長も。もしかしたら臨也さんより大きいかもしれません。もう煙草も吸えますし、お酒も飲めます」
「何それ、俺より大きいとかずるい。煙草は駄目。お酒も程々にして、俺以外の奴とあんまりいちゃいちゃしないで」
「今更、独占欲を垣間見せる振りですか」
「振りじゃない。本心だよ」
「あんたの本心は一体幾つあるんだ」

苦笑とも失笑とも言えない笑みが零れる。限りなく作り笑いに類似したそれは、折原臨也専用の冷めたものだ。ただ少し、彼が何時に無く真剣な調子で居る事に、何となく、本当に何となく昔を思い出す。目が覚めたら隣で微笑んでくれて居て、どこからかコーヒーの香料が気持ち良く漂う中、温かく額にキスを落としてくれた事はもう過去形である。今在るのは見つめ合う事さえ困難であろう、回線の向こうの彼。

「折原さんって、呼ぶんだ」
「え?」
「俺の事。折原さんって呼ぶ癖に、シズちゃんは名前なんだ」
「……折原さんはまだ俺の事、名前で呼んでくれるんですね」
「ああ、そうだよ。2年半ぶりの連絡が来たと思ったら暇潰しの道具に使われて、恋敵の料理事情を聞かされて、しかも旧友の性癖を暴露されても、それでも俺は君の事を名前で呼んでる」

相変わらず幼稚な拗ね方だ。見た目に騙されたと嘆く程の皮肉がつらつらと出てくる。
少し、胸の奥底の自分でも知り得ない場所に、チクリと棘が刺さる。それでも、ごめんなさいと謝るのも嫌で、臨也さんと呼び方を変えるのも癪で、たっぷりと皮肉に漬けた声色で『折原さん』と繰り返してやった。

「へえ……随分、中々怒られたいらしいね。何なら今から日本に帰国しても良いんだよ」

棘が、深々と心に突き刺さった。
帰ってくる。折原臨也が。冗談か、気まぐれか、本心か、ほぼ軽口に近いその言葉は深く深く脳髄を揺らす揺らす。複雑な色を溜めた心臓から、ダムが崩壊するように止め処なく溢れ出し、本音が喉奥まで競り上がってくる。チクリ、なんて可愛いものじゃない。これは、紛れも無い激情だ。

「正臣くん?」
「、」
「正臣くん、どうしたの?何かあった?」

やめてくれ頼むからやめてくれ。何だこれは、こんな感情聞いてない。
付けっ放しのテレビから、大人気ドラマのOPが流れ出してくる。ドラマが始まってしまった。早く電話を切らなくては、自分自身の為にも。

「聞いてる?正臣くん、ねえ」
「やめろ。呼ぶな、」
「正臣くん?」
「臨也さん、やめて」

情緒不安定にも程がある。形容し難い感情が遂には声まで震わせる。帰ってくる。本気か。2年半、酷く長いこの期間を経て、たった一本の、こんな簡素な電話だけで折原臨也は帰ってくる。自分を叱る為だけに。

「本当に、来るの?」
「え?」
「こっち、来るの」

情けなくも嗚咽に漏れた言葉だったが、臨也はからかう事無く、真摯に受け応える。それさえも自分と臨也の人間的な差を露にしているようで、酷く気に入らなかった。
先の濁った会話を一掃する、最も欲しい言葉は絶対にくれない。ペットを弄ぶようなおあずけならまだしも、あくまで将来を見越した上での機械的なおあずけだ。結局、2年と半年の年月の間離れてみても、臨也の根本的な面は変わる事が無かった。当たり前だ。自分が変わっていないのだから。20を越えても、身長が伸びても、運転免許を取っても、人間的な面での幼さは垢抜けていない。

「……正臣くん、」
「良いです、言わないで、ちょっと意地悪しただけですから」
「その、俺は」
「あーすみません折原さん、もうドラマ始まったんで切りますね。それと、もう、電話する事、無いか、ら」
「は?え、ちょ」
「さよなら」

臨也の言葉を遮って逃げるように回線を切った。意気地無しは自分だ。幼稚な感情を吐露しそうになり、危うく崩れ落ちる所だった。もし、もう一言二言、彼に縋るような思いをぶちまけてしまっていたら、過去を繰り返していたかもしれない。
静雄の弟である羽島幽平が液晶の向こうで甘い台詞を吐いていた。無意識にリモコンを操作し、テレビの電源を切る。心臓よりも少し下の辺りがムカムカとする。どうやら昨日飲み過ぎたらしい。

「これは厄介だ」

『正臣くん』と自分の名前を紡ぐ臨也が脳内を過ぎった。堪らずに携帯の電源を切る。もしかしたら掛け直してくれるのではないかと、無駄な期待を膨らませる自分が嫌で、どうしようもなくそれが心からの本心だと認めるのが嫌で。
何時の間にか、涙がソファーのシーツをぐっしょりと濡らしていた。





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