別に、気にしてませんけど。
ペットよろしくで1人マンションに放置されても、夜中いやにテンションの高いメールが押し寄せてきても。怒鳴りつけようとした瞬間に唇を塞がれて、押し倒されても。
今となっては良い思い出だ。そうだろ、紀田正臣。

「…だから4時間待たされても気にしない、拗ねない、寂しがらない」

――――その3つの鉄則は、全て正臣の過去にまつわるものであり、同時に平静を保つ為に存在する言葉でもある。
その鎮静剤とも呼べる魔法の呪文を唱えた現在。
ちらりと見やれば、既に14時を回った短針。4時間前、つまり朝10時から臨也の自宅マンションへ呼び出された正臣は、勿論のこと最高に苛立っていた。

「放置、とか」

メール送信者と言う犯人は折原臨也。その内容はいつにも増してただ単純な命令、「今すぐ来い」の一言だった。
その時でもあからさまに不機嫌だった正臣。なんだなんだと来てみれば、本人はさっさと外出し、1人正臣が取り残されたのだ。
さすがに放って帰るわけにもいかず、待機状態が続いている現在。

「くそ…つまんねえ…」

正臣は本音を吐き出し、何か面白い物は無いかと辺りを見回す。この行動を一体何回自分は繰り返したのだろうか。
シンプルと言う表現どころか、生活感の無いほどに片付けられたこの部屋に、何があるわけでもなく。

「あれ、コート…?」

と。
今まで認識できていなかったが、黒い革張りソファーの後ろに、無造作に放り投げられていたいのは、見慣れたあのコートだった。
どうやらそこは影になっており、こちらからでは見えなかったらしい。
つい手に取り、条件反射でそれを抱き締めてしまう。

「臨也さん。ちゃんとハンガー掛けないと駄目じゃん」

正臣の呟きに反応する人物は居ない。
ぽつり、無意識に呟いた言葉。何故か無償に気恥ずかしくなり、苦し紛れに臨也のコートに袖を通した。

「細い…ちょっと大きい、けど」

少し余った袖を引っ張り、フードを被った正臣は、ソファーに寝転び自らを包むコートを抱き締めた。
正臣の頭の中に臨也の顔が浮かび上がり、泡のようにふつふつと消えていく。
あの皮肉な笑みは嫌いだ。
けれども、現に自分はこうしてその皮肉な笑みを待ち望んでいる。ただいま、と一つ抱きしめられる行為を望んでいるのだ。
未だ着信の無い携帯を取り出し、正臣は自分の本音を臨也宛に打ち込んだ。

『臨也さん、コート出しっぱなし』
『いい加減つまんない』
『早く帰ってきてください』
『あの高いコーヒー飲んじゃいますよ』
『臨也さん、早く来て』
『臨也さん、お願いします』
『臨也さん、早く』

「臨也、さん」

ぱたり。
床のタイルが水音をはじき、初めて自分が涙していると正臣は気付いた。
意味の無い焦燥と、ぽっかり胸に吹く虚無感が、正臣の心の膜を満たしていく。漏れる嗚咽を喉奥で噛み締め、コートを巻き込み、丸く座り込んだ。

「ふ…、っ…いざ、やさ、」

(なんだこれなんだこれ。なんで涙なんか)
正臣は臨也の香りを抱き締め、いっそ眠ってしまおうかと目を伏せる。
いくらこの香りが身を包んでも、それは一瞬の精神安定剤にしかならない。存外にも温かいあの体温に触れていないと、気が済まないのだ。
正臣は自嘲の思いを乗せて、深く息を吐き出した。

と。
唐突に響いた鍵音が、正臣を瞬間的に覚醒させた。涙を拭い、反射的に扉を確認しようとすれば、どこかふわりとシャンプーの香りが漂よった。

「正臣く、」
「、臨也さ…?」
「何か、あったかと思って、ごめ…俺が、」
「なんで」
「メール、が」

正臣は息を切らせて自らを強く抱き締めた臨也を、ただ呆然と見つめた。
それは好奇心で自分を放置していたような表情ではなく、あからさまに動揺した臨也の顔だった。
まさか、とメールと言う語句に慌てて携帯を確認すれば、広がっていたのは送信完了の画面。

「あ、」
「なんか、あったかと…思って、」
「走って、きたんですか」

肩で息を繰り返しながら、ソファーにぐったりと寄りかかった臨也。
虚ろに頷いた臨也に笑み、うっすらと汗を滲ませた額に正臣は一つ口付けた。

「まさ、おみくん」
「俺、寂しくて。だって、いざ、臨也さんが、」
「うん。うん、ごめん、俺のせいだから」
「いざやさ、…ふっ…、」

遂に正臣の瞳からこぼれでた涙を、臨也が舐め取った。正臣が着ているコートが自分のものだと分かった臨也は、微笑みながら、蜂蜜色の髪に唇を落とす。

「寂しくて、俺のコート着てたの?」
「臨也さん、出しっぱなし、で。それで、」
「着てみたんだ?」

頬を紅潮させながら頷く正臣に一つ笑み、臨也は深いキスをした。正臣には絡まる舌から逃れる意思は無く、為すがままに翻弄される。

「…は、ふ…、あ、」
「正臣、くん」
「いざやさん、いざや、さ、」
「ん…?」
「愛してます、」

その言葉に気を良くしたらしい臨也は、綺麗に微笑むと正臣を抱き寄せた。
完全に肩の荷が降りたらしい。正臣の首筋に顔を埋め、安堵のため息を吐き出した。

「(ああ、もう病気だな)」

臨也の腕の中で頬を染めた正臣は、この病なら治らなくても良い、と。
小さく笑み、彼の背中に腕を回した。



恋わずらい

1.治す方法はありません
2.素直になれない時だってあるんです
3.とりあえず、好きって伝えてみましょう








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