「なんすか…これ、」
「はは…いや、シズちゃんにちょっと、ね」

正臣はそうなんとも不機嫌そうに苦笑した臨也を、ただ呆然と見つめていた。
仕事の雑務を半ば無理矢理に押し付けられ、それをやっとのことでこなし終わり帰宅しようと言う時に臨也が帰ってきたのだ。インターホンを鳴らし続けるだけで中に入ってこない雇い主に文句の一つでも言ってやろうと扉を開ければ、血だらけの臨也がそこに立っていた。

「ちょっと、って言うレベルじゃありませんよこれ…」
「自販機と標識のオンパレードは流石の俺もきついよ。ああ、俺顔に傷ついてない?」
「…かすり傷だらけです。真っ赤ですよ額」

臨也はその言葉に忌々しげに舌打ちをし、雪崩れ込むようにずるりと床に不時着した。
自らの顔を優先して聞いてきたのはそれが商売道具の一つだからだろうか、それとも自分を苛立たせたいだけなのか。どちらにしてもいい気にはなれないのだが。
勿論傷は顔だけでは無く、黒コートの布越しでも所々が粘着質な液体に染められているのが分かる。ぐちゃりと音を立てて、床に赤い血跡を残したそれが証拠だ。
確認できる中で一番出血の酷い左腕を一瞥した正臣は、苛立つ心中を必死に押さえ臨也から背を向けた。

「ちょっと、手…貸して…」
「…自分で立ってくださいよ。俺もう帰らなきゃ」
「手当て、してくれないの」

その突き放すような態度に珍しく臨也が怪訝な表情をし、一歩踏み出そうとしていた正臣のズボンの裾を強く掴んだ。ああ、本当になんなんだ。
そのまま無理矢理に歩き出そうとしても、臨也が「はいそうですか」とそう簡単に離してくれるはずも無い。
ちらりと目をやれば余裕を見せる声音とは裏腹に、子猫が餌を求めるようなか弱い瞳がそこにあった。

「俺正臣くんに手当てしてもらえるから安心して喧嘩してきたんだけど」
「何なんですかその意味の無い自信」
「いいから。だからわざわざ俺が君に雑務を用意したんだよ、感謝しなよ」
「このまま放置したら出血多量で死にませんかねあんた」

その言葉に心底呆れて皮肉を打ち出せば、真面目な顔で自分の怪我を分析し始めた。ぺらぺらと鬱陶しいほどにまくしたてられれば、止めろと返す気も失せてしまう。
専門用語がぐるぐると飛び交う頃には臨也も疲れたらしく、正臣も同様にため息を吐き出しながら互いを見つめていた。
拗ねたような瞳が、正臣をじわりじわりと追い詰める。堪らずに視線を逸らせば、臨也が一層強くズボンの裾を引いた。

「…ねえ。疲れた」
「自分で勝手に喋ってたんでしょう」
「何怒ってんのさ。仕事押し付けたのは悪いと思ってるけどさあ、」
「違いますって」
「じゃあ何?」
「それは、」

なんとも挑発的な態度に言い返しかけたが、それも少しの自制心のおかげで回避することができた。きっと一つ言い出したら止められるはずがない。それを分かってて聞いてるのかこいつは。
正臣は強く唇を噛み締め、ズボンを必要に掴む手をげしげしと蹴りつけた。

「った、正臣くん、いったい、ちょ」
「いいから離してください俺まだ夕飯食べてないんです腹減ったんです」
「嘘。てかそれなら、いった…ここで食べてけばいいだろ?」
「い、や、で、す。コンビニで十分なんで」
「栄養偏るよ。君だけの身体じゃないんだって」
「変態が、消えろ!」

めちゃくちゃに足を振り回しても一向に離す気配がない。そんな気力があるなら自分で手当てすればいいだろうとも思ったが、それさえもその拗ねた瞳に黙殺された。

「ねえ、正臣くん」
「だからしつこいんですよ!」
「…正臣」
「っうわ、」

鋭い眼光がいやにぎらりと光ったと思えば、視界が大きく傾いた。瞬間的に、臨也が強くズボンを引いたせいでバランスを崩したのだと理解する。
次に来る痛みを予想して身体を庇ったが、正臣を襲ったのは痛みではなく奇妙な湿り気だった。

「び、っくり…した」
「ね…、これ、分かる?俺の血」
「…こんなに」
「分かっただろ。手当て、してよ」

存外にも温かい臨也に、正臣はぼう、と思考に霧が被さるような感覚に溶け込んでいった。ぬちゃりと嫌な音をたてたそこを見れば、粘着質な血に染まる自分のパーカー。
それでもしばらく胸の中に居たい、とそう思ったがそれも段々と浅くなっていく臨也の呼吸によってその考えは遮断された。

「ちょっと、聞いてるの」
「ああ…もう」
「ってえ…、」

流石に臨也の荒い呼吸に不安を感じた正臣は少し酷すぎたか、と救急箱を取りに行こうと立ち上がった。それを察したのか苦笑しながらひらりと手を振る臨也。
視界の端で色を見せたパーカーの赤を一瞥し、正臣は深いため息を吐いた。

――――――――――――――――――――――

「…それが原因で戦争勃発ですか」
「ほんっと馬鹿だよねえ。ああ、本当にあいつの顔を思い出すたびに殺意と嫌悪が増幅していくよ」
「……そう、ですか」
「頭脳戦なら俺だって得意だけどさ。至ってシンプル、殴る蹴る投げる投げるの繰り返しで…隙もありゃしない」

あの後正臣は玄関で一通り手当てを終え、ただ臨也の反応を待っていた。気まぐれの「帰っていいよ」を期待していたが、さっさと部屋の奥へと引っ込んでしまう彼。その隙にそそくさと逃走しようとすれば無理矢理にリビングへと連れられたのだ。
自分の要望が叶い機嫌を良くした臨也は、ソファーにもたれながら相打つ天敵の話題を口にしていた。

内心、正臣にとっては平和島静雄と言う人間は自分に危害さえなければどうでも良い存在だった。
絶え間なく噂される脅威の喧嘩術に、正臣も一時は少年のように目を輝かせた時期もあった。だが成長するにつれて自分の立ち位置を認識していくうちにその根本的な違いを理解し、そんな遠回りの尊敬も薄れていったのだ。

だからこそ。だからこそ疎ましい。
正臣は自分が嫉妬と言う感情を抱いている事に気付いていた。
それは薄い尊敬願望を持っていた過去も、臨也が楽しげに静雄の話をしている現在も。

「なんなんだろうな。あれは単細胞の癖に妙に鋭いところがあるっていうかさ」
「…、」
「ほら、あー…君は思い出したくない記憶だろうけどあの切り裂き魔事件の…あの時もマンションまで来やがって」
「臨也、さん」
「ガードレールまで引っこ抜く気だったよあいつ。気じゃなくて本当にちょっと抜けかけてたしね」
「臨也さん」
「セルティが来なかったらと思うと、いや、そんな悲惨な妄想やめておこう。せっかく権利かすめて買ったマンションがおじゃんになる妄想はちょっと、」
「臨也さん!」

その思い慈しむような表情が嫌で。静雄の名前が出る度に臨也の瞳は柔らかく、それと対比するように正臣の顔は険しくなっていった。得意げに語る本人はその事に気が付いているのだろうか。
思わず声を荒げてしまえば沈黙だけが先走り、臨也の訝しげな視線に耐え切れなくなった正臣は何も言えずに俯いた。

「…ごめん、切り裂き魔のこと不謹慎だった?」
「……ちが、」
「じゃあなに?俺酷いこと言った?」
「…いざや、さ、」
「何」
「なん、で静雄さんの話ばっかりするんですか」
「なんでって…だから、この傷はシズちゃんにやられて」
「だから違うんですって、それ…、」

一方的な喧嘩とも言える剣呑な空気にのせられてか、遂には涙腺までもが緩んでくる始末だ。徐々に安定を失っていくバランス感覚と共に、正臣は脳の奥底が強く打たれるような鈍痛に襲われた。

ああ、痛い痛い。
裂けそうだ。

じ、と横目で様子を窺っていれば、喉の奥底で響く苦笑と吐息混じりの「正臣」と言う声がしとやかに耳朶を打った。気の和らぎを求めるように臨也の頬を撫でる。その意を察したのか臨也は何も口にすることなく、緩やかな動作で正臣に口付けた。

「あ、…ふ」
「ん…」
「あ、血…の、味」
「口の中切った、から。ゆすいでこようか?」
「…俺が消毒、してあげます」

深く絡みついてくる舌からなんとか逃れ一度酸素を取り入れた正臣は臨也に覆い被さるように体勢をたて直し、傷口をすっと見据えた。先程貼った絆創膏に早くも血が滲み始めている。
ああ、静雄さんがつけた傷だ。
静雄を嫉妬の対象として、しかもその傷までも疎ましく思うとは、と正臣は荒んだ自分の心中を見つめ直す。もう一度軽く唇を合わせれば、血と同色の瞳が好奇心と期待に歪むのを正臣は見逃さなかった。

「それさ、普通突っ込む方が言う台詞じゃないの」
「…それ遠回しに俺に突っ込め、って言ってるんですか」
「あは、っはははは!そうしたければそうすればいいさ」
「俺が臨也さんを抱くなんて想像しただけでおぞましいです」
「まあ念の為に聞いておくけど…俺が突っ込むのは気持ち良くないの、」
「っるさいな」

臨也の指が正臣の秘部を掠めたと同時に耳奥を舌で愛撫され、低く響いたその声に正臣は腰が砕けるのが分かった。慌てて体勢を保とうとしたが、力の抜けた足では逃げることさえ適わない。
するりと音も無くパーカーの中に侵入してきた指によって愛撫の部分が増えるだけでなく、快感も倍になっていく。確信犯か、と睨みつければ好奇心の色に深く輝いた瞳と重なった。

「…っ、」
「じゃあ正臣くん」
「ぁ、」
「消毒、してよ」


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