例えば。
ほんの数秒で良い。
俺達が歩む人生の中で、あからさまなタイムロスと言えるその問いを、考えてみてくれないか。

恋ってなんだ。
愛ってなんだ。

純粋な子供が表せるほど綺麗じゃないけれど、大人が泣きながら語り合うような薄汚れたものでもない。
だから、考えて欲しい。

「愛って、なんだ」

不意に流れてきたとある歌の歌詞につられるように、テンポを刻みながらその問いを繰り返した。
無駄に高級さをかもしだすテレビの外観とは裏腹に、その曲は誰でも気軽に口ずさむことのできる柔らかいリズムを刻んでいる。
番組は音楽内容一直線で、ジャンルもまばらに現在ヒット中の歌を飽きることなく流していた。その中で、俺の脳裏に一際鮮やかな色を押し当てたその語句。
歌のリズムに同調するように、時計の秒針がこちり、と歩を進めた。

雇い主が気ままにシャワーを浴びている中、俺ができる事といえば書類整理と部屋の掃除だけ。それも数十分前の「少し休憩」と言う魔法の言葉にかけられ、現在は一時停止中だ。

「愛、か…」

繰り返したその語句に募っていくのは、邪な感情と妙な焦燥感だけ。愛だなんだと年中、まるで宗教のように繰り返すあの人が、いやでも頭に浮かんだ。

繰り返す、繰り返す。
『君はね、本当は誰も信じちゃいなかったんだよ』
俺の中で、ぐるりぐるりと。
『愛だ恋だとなんとも皮肉で抽象的な存在に踊らされて…』
逃しはしない、と言わんばかりに絡まり、決して離れはしない。
『でもね。俺が君にそれを与えてあげた。どうだい、気持ちよかったかな?』
繰り返す、繰り返す。
『いつでもどこでも何があっても何をしようとされようと』

無邪気に、卓越に、嘲笑と愛しさと下劣な感情を含めたあの笑みで。
俺が"人間と言う種族の一抹"だと言う現実に酔い、あの人は俺に愛を掲げ、ふざけた口調で永遠を誓う。

『俺は君を、愛してるよ』

「、やめろ」

「正臣くん?」

テレビから漏れ出しているものとは異なるその低い声に、俺は肩を震わせた。ゆっくりと視線を移せば、やはりそこには臨也さんが居た。
タイミング詐欺も良い所だ、とぎこちなく引き攣る笑みのまま、訝しげに歪む瞳を見つめる。
ジーパン一枚だけを身に付け、タオルで呑気に水分を拭き取っている姿からは、あの頃の臨也さんは想像もできない。

「臨也さん…、おかえり、なさい」
「は…なんでシャワー浴びてきただけでおかえりなさいなのさ」
「いや…別に」
「ふうん?」

その赤い瞳を見つめ返すのが酷く億劫で。そんな俺の心境を考慮してくれるはずも無く、テレビは甘く縁取られたサビ部分を流し続けている。

愛ってなんだ。恋ってなんだ。
考えたこと、あるかい。

ふわり、と鼻腔を掠めた花の香りに、俺は固く目を瞑った。

「なんで泣きそうな顔、してんの」
「、」
「なんかあった?」

申し訳程度に触れた臨也さんの唇が、腹立たしくて、矛盾してやけに恋しくて。俺の勝手な回想を打ち明けるわけにもいかず、何も伝えられないままに俯いた。

「正臣。正臣くん」
「やめ、ろ」
「何もしてないんだけど」
「喋るな動くな見つめるな」
「何それ喧嘩売ってる?」

怒りのせいかひくりと上下した臨也さんの喉仏から、奥底で噛み殺したような笑いが響いてきた。
まあ、いいけど。
その言葉を区切りに俺達の距離は一気に終点へと近付く。あの時俺に絡みついてきた言葉と同様に、誰が逃がすか、と臨也さんが俺の後頭部を押さえ小さく笑んだ。

「…、ふ…っん」
「は…、やっらしい声」

『断言しよう。君はいつか俺から逃れられなくなる』

「ふ、やだ、」
「まさおみ、くん?」

『君が俺を愛すと言うなら、その時は俺が人間の中でも最大の快楽と悦楽、同時に悲惨な現実を授けるとしようか』

「いざ、さ…ふぁ、」
「…どうしたってのさ」

呆れたような声音がしとやかに耳朶を打ち、生理反応とやらで不覚にも下半身が詰まるのを感じたが、どうしてもそういう気にはなれない。
言葉が繰り返す、繰り返す。
ただ純粋に、それが使命と言わんばかりに、俺の心の片隅で何万回と繰り返す。
渦巻く背徳感が具現化したかのように、腹底に重たい何かが溜まっていく気がした。

「…いいんですかね、」
「何が」
「俺達、こんなんでいいんですかね」
「正臣くん?」
「俺達は男なんですよ!!」

余裕そのものという光を称えるその瞳が不快で。
俺はあんたに、臨也さんに縛られて、気付いたら抜け出せなくなっていて。臨也さんが洩らした吐息が、鎖骨を弄ぶ細い指が、全てが麻薬のように俺の中に浸透して依存させる。

「どうやったって結ばれないんです!世界が滅ぼうが天地がひっくり返ろうが、あんたが人間を嫌いになろうが俺があんたを、」
「正臣く、」
「俺が、あんたを…あんたをどれだけ好きになろうと」
「…、」
「……俺は、もう、どうしたら…」

視界が歪む、歪む。
喉が焼けるように熱い。感情の昂ぶりを押さえつけられず、自分でも滑稽だと笑えるほどの馬鹿らしい現実を吐き出してしまった。
違う。
滑稽なのは、現実じゃない。

「(その現実に生きてる、俺らが、滑稽。)」

パーカーの裾でめちゃくちゃに涙を拭った。瞼に瞬時に赤みが広がっていくのが分かる。
上目で臨也さんの顔色を窺おうと試みれば、それは俺を強く引き寄せる動作に遮られ適わなかった。

「む、」
「正臣くん」
「くる、し…苦しいです、潰れる」
「正臣くん。正臣、正臣、正臣くん。正臣、正臣」
「何回、呼ぶんすか」
「何回でも呼んであげる。俺の許容範囲内であればなんでも買ってあげるし、なんでもしてあげる」

成人男性の一抹に、ほぼ全力と言って良いほどに抱きしめられれば意識だって軽く遠くなる。勿論、胸板で視界は塞がれるし、身動きだって取れなくなる。
だからだ。
臨也さんの声が、儚く泣き崩れそうなほどに震えていると感じたのは、きっと、俺の勘違いだ。

「正臣くん。報われないね。俺達は」
「臨也さ、」
「愛だ恋だとなんとも抽象的な言葉に踊らされて…」

あの時と、同じ台詞。
愛だ恋だ。なんて曖昧で頼りない存在なんだろうか。俺達は互いに口付け、愛を囁き、肌を重ねることしかそれを確認する術はない。

「でもね、俺達はそれを信じてきた。どうだい、少しでも幸せだった?」

アンコールと言う名目上、再び繰り返されるその歌が、どこか遠巻きに聞こえてきた。
前とは違う、臨也さんの笑み。表情。言葉。台詞。
否定していると思われたくなくて、俺は必死になって頷いた。

「俺はね、いつでもどこでも何があろうと何をしようとされようと」
「っ、」
「正臣くんを愛してる」

ガラス細工を扱うような、危うい手付きで俺の頭を撫でた臨也さんの温かさに、瞼の裏に潜んでいた涙が一斉にこぼれだした。
違うんです、違うんです臨也さん。ごめんなさい。こんな我侭な俺で、ごめんなさい。こんなに苦しいものなら、いっそ壊してしまおうかなんて。
考えて、ごめんなさい。

ゆったりと、それでも一言一言に全ての感情を費やしたかのように流れるこの歌が、俺は好きだ。

恋ってなんだ。
愛ってなんだ。
純粋な子供が表せるほど綺麗じゃないけれど、大人が泣きながら語り合うような薄汚れたものではない。
だから、考えて欲しい。

「臨也さん、愛してます」

ふと緩くなった圧迫感が恋しくなって、俺は無理矢理に臨也さんを抱きしめた。ゆるやかに伏せられた瞼を一つ撫で、俺は触れるだけのキスをした。


あいのうた
愛って、これだ。
俺達の愛は、これでいい。











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