\永遠の21歳、新宿の情報屋さんへ/





一日は早い。
ふと気付けば太陽は西から東へと傾き、知らず知らずのうちに、それでも確実に日は暮れ、時が過ぎ去っていく。

少しずつ老いていく身体を止める術は無いし、過去に戻れる方法も無い。
過去はじっくりじっくり、対象者の脳髄に絡みつき、やがて誰も触れたことのないような場所まで曝け出す。

人は過去から逃げることは出来ないのだ。

だが、この理論には一つの大きな誤算があった。
人は逃げることは出来なくとも、乗り越えることなど容易にしてみせるのだと。


 * * * * * * * 


「いーざーやーさーんー」


徹夜明けの頭に、歪な衝撃が走る。
頭痛ではなく、この声の主―――紀田正臣から与えられた痛みだと理解し、声のする方へ手元のクッションを投げつけた。

「っうわ。危ないじゃないですか、やめてくださいよ」
「うるさい黙れこっち見るな」
「寝顔見られるのが嫌ならソファで寝ないでください」
「……仕事だったんだよ」

軽快な声の調子に苛つき、わざと眼光鋭く睨めば、ため息だけが帰還してきた。
流石俺が仕込んだ部下、と皮肉を散らしたくなったが、起き抜けに殴られるのは勘弁なのであかんべーで譲歩してやる。

「ガキ。で、そろそろ沙樹来ますけど」
「うるさいなガキ。なんで?ごめん何も覚えてないんだけど。あっ、まさか正臣くん、沙樹ちゃんのこと孕ませちゃったとか?あはっ、俺の子じゃないだけ幸せでし、ッ」

下卑た冗談はお気に召さなかったらしく、貰い物の大仏人形が顔面の数センチ左を凄まじい勢いで掠めていった。
悪鬼の表情で俺の胸倉を引き寄せた少年は口元をひくつかせる。

「あんたの誕生日でしょうが…!一週間前に酔っ払ったあんたから「俺の誕生日祝ってくれないと泣き叫んで二人の情報売っ払ってやる」って電話が来たんですよ!」
「はは。俺、下衆いね。で?従順にも君たちは「臨也さん、臨也さん」って俺の誕生日を祝ってくれるわけだ?ご愁傷様」

その言葉に信じられない、とばかりに重く詰まるようなため息が吐き出された。
正臣くんの侮蔑混じりの視線をかわし、キッチンにコーヒーを淹れに行く。

「まあ、気持ちは嬉しいけどさ。ゴールデンウイークなんだし、帰れば?」
「祝って欲しくないんですか、悲しい人ですね。まさか会わせる顔が無いなんて性分でもないでしょう」
「そうだねえ……しいていうなら、うら若き少年達には愛の休日を楽しんで欲しいってとこかな」

ふわり、とコーヒーの香料が鼻腔を刺激する。
少し髪が伸びて見えるなあ。俯く正臣くんの前髪をくるくると弄び、軽く引っ張ってみれば睨まれた。

「気に入らないなあ、その目。第一、君だって沙樹ちゃんに誘われただけで乗り気ではないんでしょう?」
「あんたなんか、だれが、」
「君が心の底からの笑顔で祝ってくれるならいいよ」

冗談半分、本音半分だった。
我ながらなんともわるいおとなだ。
シャンプーの心地良い香りに釣られ、困惑する眼前の少年を尻目に、一つ額に口付ける。

と。


「いざやさん」
「、」
「沙樹ちゃん」

柔らかく紡がれた名前は、後方の少女からのものだった。
彼女の手には余るほどの食材が抱えられており、今にもスーパーの袋がはち切れそうなほどだ。
対する正臣くんは先程の俺との口付けを見られたことからか、焦燥と困惑に満ちた顔をしている。

「沙樹」
「うわきもの。ばか、臨也さんとちゅーしたでしょ」
「え、いや、それはこいつが」
「言い訳はみとめませーん」

尻に敷かれた様子に、自然と笑いが込み上げてきた。
正臣くんに頭をこつん、と小突かれたが、それさえも愉快で仕方が無い。

「なに笑ってるんですか、あんたの所為ですよ」
「はは、やっぱいいや。今日は俺の誕生日だから、盛大に祝いなよ」
「あ。臨也さん、ビターチョコケーキ売りきれてたのでショートケーキで我慢してくださいね」
「……俺、甘いもの苦手なんだけど」

知ってますよ、と沙樹の囀るような可愛らしい声が響く。
どうやら尻に敷かれているのは恋人ならず関係無いらしい。

ふと。
ちょっとした好奇心に侵された。

「まあ、三人だけじゃつまらないよねえ」


 * * * * * * * 


コチリ、と6時19分に針を進めた時計と、ぱたぱたと聞こえる料理音景のハーモニー。

「で。なんで私も呼ぶわけ?」

白布のエプロンを身に纏う矢霧波江―――もとい秘書は、髪を一つに束ねながら訝しげに眉を顰める。

気まぐれだよ、と傲慢な言い訳でもすれば、今度は大仏ではなく包丁が顔面を抉り切りそうなので、素直に「人が多い方が楽しいから」と答えた。
ソファーに寝転びながら、時には正臣くん、時には沙樹ちゃんが様々な料理を持ち運ぶ姿が視界の端でちらつく。

「臨也さんも働いてくださいよ」
「まあ、今日の主役は臨也さんだからね」
「駄目よ甘やかしちゃ。あ、そこのお皿取ってくれる?」

思わず雑誌で顔を覆い、噛み殺しきれなかった笑いをくつくつと漏らした。

本当に、人ってやつは分からないものだ。
もし、俺がこの子達にしてきたことをやられたとしたら、まともな神経じゃそいつの誕生日なんて祝えないだろう。

正臣くんも、沙樹ちゃんも、波江さんも。


それから数分後、鮮やかな料理がテーブル一面に並べられた。
中央には些か大きすぎやしないかというケーキに、サラダ、肉料理、寿司、その他諸々。

20歳を越すと誕生日が嬉しくなくなるというがその通りだ。
それを知らない子供達と、分かりきっているだろう大人一人を前に、こっ恥ずかしい飾りのケーキを口に運ぶ。

「おいしい?」

一番不愉快だろう正臣くんが真剣な目で尋ねてくるものだから、思わず口元が緩んだ。

「おいしいよ。今まで食べてきた中でいちばん」

喉奥に絡みつく甘さに堪えながら答えれば、ほう、っと彼らの表情が崩れる。
波江さんに至ってはあろうことか、笑みを隠しきれていない。
と、沙樹ちゃんの笑顔がコロリと安堵から期待に変わる。

「あ、そうだ。正臣、ほらこの間買った」
「え?あ、忘れてた」
「はい、臨也さん。正臣と二人でお金溜めて買ったんですよ!」

沙樹ちゃんの手には3つの小箱が握られており、そのうちの一つを差し出された。
なんだどうしたと開いてみれば、そこには正臣くんと同じ型のピアスが嵌め込まれていた。
どうですか、と小首を傾げる沙樹ちゃんと正臣くんを交互に見つめ返す。

「これ、」
「どうせならみんなでおそろいにしようって。ね、正臣だって臨也さんとおそろい嬉しいもんね」
「は!?いや、俺は…!」
「はい、これ波江さんのも」
「え?あら、いいの?私なんかが貰っても。じゃあ、ありがたく頂いておこうかしら」

ピアスの仕舞われた小箱を片手に、沈黙。
似合わぬガールズトークを繰り広げる女性二人を横目に、正臣くんに「いいの?」とアイコンタクトをとる。

「いいんじゃないですか。おそろい、でも」

少し彼の頬が色付いて見えるのは気のせいだろう。
俺が照れるなんてある筈が無いけど、少し体温が上がってきたような気がして、口元を手の平の甲で隠した。

気のせいだ。きっと。

「……なんか、家族みたい」
「何よそれ。私とこのダメ男が夫婦ってこと?冗談じゃないわ」
「波江さん、俺だって傷つくからね?」
「そうだよ。波江さんは大歓迎だけど、こんなやつが父親とか発狂するっての」
「そうかなあ。父子同士でもキスはできるけどね」
「しね」
「……その目、最高だよ」

もう一口、小振りのケーキを租借し、甘みを噛み締める。
甘い、甘い。

ピアスは付けない主義なんだけどなあ、と苦笑したら、正臣くんから無言の圧力が加えられたので、明日朝一番にピアスの穴開けを買いにいくとしよう。
自分が甘えたな分、どうやら俺もこの子に甘いらしい。


「臨也さん?」

不意に少年から零れた自分の名前。
口元に残留するクリームを感じながら、力任せに彼を抱き締めた。

衝撃で料理が崩れ落ち、制止する声を聞きながら、それでも抱き締める力を緩めずに。


「本当、最高だよ」


視界が中途半端に歪み、透明な膜がぐしゃぐしゃと壊れ、落ちる。
ぽとり、と。
これもまた何とも中途半端に、2粒、透明な液体が正臣くんのパーカーに染みを作った。

にやり。
随分満足げに、それも無骨な優越感に入り浸った少年が、見たこともないくらいに柔和な笑みを形作っているのが見えた。



「誕生日おめでとうございます、臨也さん」





俺を泣かした罪として、これからもずっと祝ってよ。






生まれてきてくれてありがとう。
2012.0504 ...神崎 幸










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