波江は終始温かい笑顔で去っていった。 釣られて正臣もどこか和らげな感情を胸中に見つけたのだが、よくよく考えてみれば人のことを手伝って居る場合では無いのだ。 再び商品棚に視線を戻し、焦りのままにもう一度色取り取りのチョコを見定め始めれば、唐突に押し寄せる若い男女の声。 まさか、と焦燥と不安が充満する心中。 臆しながらゆっくりと振り向けば、そこに居たのはやはり予想通り、六条千景とその男を取り巻く"ハニー達"だった。 瞬間的に3分前の自分を強くどこまでも罵倒する。 何故波江と一緒に出て行かなかったのかと。何故留まったのかと。 チョコで顔を隠しながら、忍者のような足取りでレジへと向かえば、「あ、」と言う声が後方から漏れた。 「ろっちー、紀田くんみっけー」 「あ、正臣」 「…やっべ、」 手早く財布から適当に千円札を何枚か取り出し、叩き付けるようにレジかごへと置き、商品を引っ手繰る。 店員の制止も耳に入らず、無我夢中で駆け出せば、あともう一歩といったところでコートの首根っこを掴まれた。 「逃がすわけないじゃん」 「ひ、ヒトチガイデスー」 「何それもしかして喧嘩売ってる?」 おかしな調子の声色で返せば、彼のブラウンの瞳が訝しげに揺れる。 断じて冗談では無いその口調に臆しながら、ちらりと"ハニー達"の方を見れば、笑み。 「じゃあろっちー私達行くねー」 「ああ。悪いな、また後で連絡するわ」 「は?え、ちょっ、皆、」 「ばいばーい!あ、紀田くんお幸せにー」 ―――お幸せにって、なんだ。 純粋に浮かんだ疑問を押し込め、千景に縋るような視線を送れば、こちらも一寸違わぬ笑み。 「チョコ」 「(きた)」 「まだ貰ってないんだけど」 だからこうしてチョコを選びに来たのだが、それすら真正面から告げる勇気も無く。 続く不毛な沈黙に堪えられなくなってきた頃、千景が大きく深く溜息を吐き、責めるような視線で正臣を射抜いた。 この顔は知っている。 (呆れている時の顔) 視線から逃れようと更に俯けば、頬を掠めるなめらかな指。 千景は正臣の首筋を流れるようになぞりながら、耳元で「ばーか」と囁いた。 瞬間、時が止まる。 正臣は自分が罵られたことを半歩遅れて理解し、もう一度胸中で反映させ、 「ふっ…ふざけんな!」 「おわっ、」 「なに、馬鹿って、せっ、かく、こうしてわざわざチョコ選びに来て、あげようと思ったら、千景さん来ちゃって、何で馬鹿って、馬鹿はあんただ!!」 「ちょ、正臣…待って、ごめん落ち着いて」 「千景さんの馬鹿、アホ、…たらし…」 怒りに任せて吐き出したそれは最早言葉にはならず、悔しさと後悔に色を変えた。 店内にも関わらず勃発した夫婦喧嘩はついには妻が涙ぐみ始め、夫が慌てて謝るが時既に遅し。 千景は困った顔で繰り返し謝罪を述べ、正臣に自分のストローハットを被せると、一人の女性店員に商品棚を指差しながら何か頼みごとをした。 人前では泣くまい、と唇を噛み締めていた正臣だったが、不意な千景の優しい手付きにほろりと一粒堪えられなくなってしまう。 「〜〜〜…っ、」 「正臣、ごめんな。ごめん。泣かないで」 細い指がもう一度正臣の頭をふわり、と撫でる。 遅れてやってきた店員に目をやれば、腕一杯のチョコをどこか嬉しそうに千景に渡していた。 疑問を言葉にする暇も無く、柔に腕を引っ張られ、店外の横の細い裏路地に連れ込まれてしまう。 千景は可愛らしい様々な配色のチョコを数え切れないほど抱えている。 「俺からも渡すつもりだった」 「…え…?」 「ちゃんと正臣と向き合って言ったこと無かったから。や、こんなもんじゃ俺の愛は伝え切れないけど、」 「、」 「好きです。付き合ってください」 正臣では持ちきれないほどのチョコを捧げ、千景は深く頭を下げた。 一つずつ、丁寧に丁寧にチョコを受け取っていく。 じんわりと熱く頬を濡らす涙。 今度こそ本格的に嗚咽し始めた正臣に気付いた千景は、正臣の頭に乗っているストローハットをぐりぐりと押し付け、困ったように笑う。 ぽとり、と一つ、チョコが落ちた。 こちらこそよろしくお願いします、と。 正臣が涙目で微笑んだのは、これから30分後のこと。 愛の告白とは尽きぬ物 青年は涙が苦手なのです。 \ろっちールート/ |