(相変わらずやな)
それが、久々に会った元同級生──白石蔵ノ介への感想だった。相変わらずの整った容姿とやや伸びたであろう身長、髪型は昔と変わらない。ただ1つ大きく変わったものは左手に巻かれた包帯が無くなった変わりに、左指にシルバーの指輪がはめられていたこと。
結婚したのだろうか。
中学の頃は良く一緒に居たが高校に入ってからお互い音信不通になり、情けなくも彼のプライベートは全く知らない。お互い20歳を向かえたのだ、結婚をしていてもおかしくないな、と心の中で簡潔に整理した。
昔、共に全国優勝を狙ったテニス部のメンバーが同窓会を称して居酒屋に集まった。(後輩2人は未成年の為さすがに呼べなかったが。)九州からわざわざ大阪まであの気分屋が飛んできたのには全員が驚いた。
久々の面子を見ると、みんな変わったものだな、と自分もその中の1人なんだろうが少し感慨深くなった。
祝杯の音頭をとるのは、ユウジと小春の懐かしコンビ。ユウジは相変わらず小春にべったりとくっついていて思わず吹き出してしまった。一個下の後輩が見たら無表情で怒るんやろうな、そんなことを考えてこっそり写真を一枚撮り、すぐにメールを送ってやる。どんな反応をするのだろうかとわくわくした。
祝杯とのことで、みんなの割り勘で高い焼酎を一瓶注文した。祝い酒が高級なのは嬉しかったが、生憎経験が少ないためこの酒が美味しさはわからなかった。
二十歳になったのはつい最近だった。3月17日。それが誕生日なわけだが今年は大学、バイト、実家の手伝いと東奔西走している内にあっという間に過ぎていて、気付いたときには3月24日へとに日付は変わっていた。ああ、もう二十歳になったのかと頭で理解はしたものの、これといって変化というものがあるわけでもなく実感はあまり沸かなかった。ただ、二十歳になって初めて飲んだお酒はやはり苦かった。
二十歳になるまでにお酒を飲んだことがあるのか、と聞かれたらイエスと答えよう。初めて飲んだのは中学3年のときだった。好奇心旺盛なお年頃だった俺は、親が留守中の間にこっそりと自室に持って入り友達と冗談半分でお酒を飲んだ。あまりにも苦くて一回吐き出しそうになったが、流し込むように水を飲んだ。一緒に飲んでいた友人は「水かなんかで割らんといかんやろ」と笑いながらジュースのような缶を開け、それは何かと聞くと、度数の低いお酒やしチューハイは甘いから飲めるやろ、とコップに注いでくれたものは、見た目こそジュースに近いものの、ふわりと香るアルコールと桃の匂いが脳を軽く麻痺させた。恐る恐るコップに口を付け飲むと口内に甘さとほんの少しの辛みが広がった。「うま…」率直な意見に、友人は嬉しそうに微笑んだのは、昔のことだがよく覚えている。
その後、調子に乗りすぎて慣れもしない酒を勢いよく飲み、酔っぱらって"仕出かした"ことも忘れてはいない。というよりも仕出かして"しまった"ことを。
理解したのは全てが終わったあとだった。しかし、その記憶は微かにしか残ってなかった為、認識できたことは自分が仕出かしてしまったことだけ。
酒を飲む前、目を覚ましたあとのことは覚えている。その間の記憶はほとんどなかった。初めての飲酒からは酒は一切飲まなかった。自分の酒の弱さを思い知らされたあの日からは。
二十歳を過ぎてからはお気に入りの桃のチューハイをチマチマと飲んでいる。その為久々に飲んだ焼酎はキツかった。ピリッと喉を焼くような味に思わず舌をだした。度数が強すぎる。
「からっ」
「お子ちゃまやな謙也」
よう言うわ自分はウーロンしか飲めんくせに、と自分より酒が弱いユウジに言ってやると俺はウーロンが好きなんや、と屁理屈が返された。懐かしいやり取りに思わず頬が緩む。時間が経つにつれて各々に昔の思い出を語り、酒も進む。コップ一杯で顔を赤くする者もおれば、一升瓶飲みきってもケロッとしている者もいる。どうやら、酒に免疫が無い自分は前者のようで、今は机にべたりと身体を預けている。まだ二杯しか飲んで居ないのにこの有り様だ。高い酒だからといって欲張ったのがダメだったのか。今さら後悔しても遅いもので、ゆらゆらと揺れる視界には、楽しそうに漫才をする小春とユウジの姿とヤジを飛ばす健二郎に、黙々と料理を食べ続ける銀、次から次へと酒をジュースのように飲む千歳、そして──いない。先程までいた男は視界から消えていた。
まあ、いいか。別にどこで何をしようと俺には関係ないことだし、変に気を回す方がおかしい。
視界はぐるぐる回る。気持ち悪い。みんなには悪いが少し寝よう。プツリと視界が真っ暗になった。
そこからの記憶はない。
目を覚ましたときには見慣れない部屋だった。辺りを見回すとこの部屋の住人がコップを持って立っていた。ああ、やってしまった。
「おはよーさん」
「……はよ」
酔い覚めたん?と聞かれ首を縦に振ると、はい、と水の入ったコップを渡された。一口だけ口に含む、渇いた喉を潤すには充分だった。
「白石、おれ…もしかしてずっと寝よったんとちゃう?今、何時?」
「今は2時、まあ寝たっちゅーても3時間くらいやな」
「せっかくの会を台無しにしてもうた…」
「しゃーないやろ」
とは言え、せっかく九州から飛んできてくれた千歳とは少ししか話ができなかった。その上ユウジ以外の他のメンツとも余り会話をしていない。あとで、電話を入れとこうと頭の隅に記憶した。
「せや、酔い冷めたんやったら今から飲み直ししよや」
「えっ…」
俺、酒弱いで。と呟くと、度数の低いのやったら大丈夫やろ、と冷蔵庫の中から何本か酒を引っ張り出してきた。テーブルの上に置かれたグラスに薄い桃色の酒が注がれる。当時、飲んだ桃のチューハイだった。
二十歳になってから何度かお店を周り同じチューハイを探そうとしたが、一本も見つからなかった。変わりにたまたま見つけたそれに近い味の桃のチューハイを飲んでいた。もう廃棄されたのかと思っていたものは、案外あっさりと出てきた。
「好きやろ?これ」
頭を縦に降ると、男は嬉しそうに微笑んだ。覚えていてくれたことにも驚いたが、あのときと同じように笑ったことにかなり驚いた。
「ほな、乾杯」
カチンと無機質なコップの音が2人しかいない部屋に流れた。
自分が思っていたよりも案外会話は続くもので、白石が話すことに相槌をうちながら酒をゆっくり飲む。数年ぶりの会話は昔のことを思い出させた。また失敗はしてはいけないと昔の記憶が警報を鳴らして報せている。自然と飲むペースも落ち着いてくる。
しかし、先程の会で飲んだ酒がまだ残っていたのか酔いはフルスピードで回ってきた。同時にずっと閉じ込めていたものが込み上げてきていた。ああ、これはヤバイなと思ったが──遅かった。
「指輪どしたん…?」
酒の力はすごい。それは、認めたくないくらいに。酒の力のせいで聞かなくてもいいことまで聞いてしまった。ほらみろ、目の前の男なんて目を丸くしている、先程までまったりとした周りの空気もピシリと固まった。白石は口を開けずに酒へと視線をやっていた。気まずい雰囲気に耐えきれなくなって思わず質問をした自分の口が開いた。
「結婚したん…それともこれからするん?やったらこんなかで一番最初にゴールするんとちゃうん?」
「………」
「白石は相変わらずモテとんやな、可愛い子?白石の好みってシャンプーの匂いがする子やったよな。実は昔っからマニアックな趣味やな思うとってん」
今日は、酷く饒舌だ。
言葉が止まらないくらいに。いや、止めたらダメな気がしたのかもしれない。こちらを見つめる男の視線に呑まれそうになっているからか、それとも喋っていないと気持ちが落ち着かないからだろうか。
「でも結婚したんやったら教えてくれても良かったんとちゃうん?中学んときは仲良かったんやし」
「…けんや」
「……っ」
ゆっくりと男の口から零れた言葉は間違いなく自分の名前だった。恐くて白石の顔を見れなかった。空気は完全に固まった。これ以上はこの話に触れてはいけないことを直感した。そして、この空気に呑み込まれてはいけないことも。
「せや謙也、ちょっと昔の話しよか」
「……あ、ごめん、ええわ…俺、酔っとるし今日は帰る…」
「終電もう無いで」
謙也。甘ったるいテノールボイスが名前を呼ぶ。
今もまだ記憶の中に残る微かでも濃い思い出が警報をガンガン鳴らす。逃げなければいけない。ここにいたらずっと閉じ込めていた記憶を全部掘り出されてしまう。
しかし、思いに反して体はピクリとも動かない。酔いのせいか、それともこの男の目を見てしまったからか。
「なぁ謙也、中学んとき覚えとる?」
「覚えとらん…!」
「ほな俺が思い出させてやるわ。」
男の口から流れる用に零れる言葉は、消えていたかつての記憶を完全に抉じ開けた。
いや、覚えていたのかもしれない。
気付いていたからこそ故意に記憶を閉じ込めていたのだ。
多分続きます…